皇帝の日記
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| 2005年02月18日(金) |
スペイン・バルセロナ2 |
バルセロナ一日自由行動。 今日も朝からガウディめぐり。 彼のデザインであるカサ・ミラという、アパートみたいな建物に行く。 朝一なのですんなりは入れたが、帰りには長蛇の列になっていた。 中においてある家具も、ガウディの作品。 中々斬新。 ぱっと見まとまりなく見えるが、一個一個見てみると、ちゃーんとかわいかったりするから不思議だ。
近所にもう一件カサ・バトリョというおんなじような建物があるが、こちらは入場料が法外に高かったので、入っていない。 高かった、ということばっかり覚えていて、はたしていくらだったのか覚えていない。
地下鉄に乗って、動物園に行く。 皇帝は、知る人ぞ知る動物園大好きっ子であるから、当然、チャンスがあればいろんな国で動物園を急襲している。 さて、ここバルセロナの動物園、なんと檻がない。 檻がない代わりに、横浜のズーラシアと同じく、堀や段差によって動物を閉じ込めているのだ。 檻に邪魔されずに、動物を見ることができる。
この動物園の売りは、世界に一頭しかいない白ゴリラ。 だが残念ながら大分前に彼は死んでしまったそう。 代わりにというか、白いカンガルーや、白い蛇がいた。 白が好きですか。
そろそろお昼にしようかな〜と思っていると、人々が水族館の方に吸い込まれていく。 なんと、丁度イルカのショーが始まる所だったのだ。 わー。 もちろん進入。 しかも無料。 イルカよりも、観客の以上な盛り上がりを観察。
見終わってから、外のベンチで、いつもながらホテルの朝食で作ったお弁当を食べる。 すると子供たちがわらわら集まってきて、騒ぎ出した。 うるさいな〜と思ってむっとしていると、子供らが野鳥たちを追いかけ始めた。 はじめはすごい声で威嚇したり、足をドンドンと踏み鳴らして追い返していたが、そのうち太い枝を拾い上げ、突っついたり打ち始めた。 野蛮・・・。
ギャーギャー叫びながら鳥を追い詰めていく子供たちの姿に、狩猟民族の真髄を見たのであった。 怖えー。 引率の先生、黙殺。
よろよろと草むらから出て来た猫は、顔面傷だらけ、体中の毛があちこち剥けている。 何があったんだ・・・。 近づくと逃げ出す。 怖えー。
さて、昨夜ピカソ美術館のすぐ近くで見かけたテキスタイル美術館に行ってみる。 ミュージアムショップの品揃えがかわいく、時計やピアスを購入。
ホテルに一度荷物を置きに帰ってから、近代美術館に行く。 閉館まで一時間、猛ダッシュで駆け抜けるように見学。 美術館前の噴水では、オーケストラが生演奏する音楽にあわせて変化、変色、変形するイベントがある。 だが期間限定で、夏季のみ、週末オンリーと言う話だったが、この日は運良くリハーサルのために夜三回オーケストラが演奏した。 丁度閉館と同時に開始したので、いいポジションで見学することができた。 何故か選曲がスピルバーグの映画音楽ばかりだった。 なんか提携しているのだろうか。
夜、バル(スペイン式バー)でビールを飲む。
| 2005年02月17日(木) |
スペイン・バレンシア・バルセロナ |
朝からバスに乗り込み、バルセロナへ向けて出発。 そろそろ、バスに飽きてきた・・・。 バスの中では、添乗員さんの好意で、スペイン語講座が開かれているので、眠れそうで眠れない。 あと、日が当たっていると暑い。
バルセロナといえば、ガウディ。 ガウディの変な建物が、あっちこっちにある。 その中でも、モンジュイックの丘にはガウディの作品が目白押し。 はるちゃんのお父さんは建築家なので、興味深く見学する。 本当に、建ってるのが不思議なくらい変な建物ばっかりなのだ。
まねをしているのか、ガウディチックの変な建物がひょこひょこあるのだが、やっぱり曲線の調和ぶりが甘いのか、ガウディじゃないということだけはすぐにわかってしまうのだ。 で、誰の作品だかはわからない。
もちろんサクラダファミリアに入る。 ツアーの学生の中で、バスから降りた途端「えー工事中じゃーん」と言った人がいて、びっくりしましたよ、私は・・・。 工事中だよ。 むしろそれが売りなんだ・・・。
町の中心で自由行動。 カテドラルに行こうと思っていたのだが、よくわからない教会に迷い込んでしまった。 小さくて無名な感じの教会なのだが、中でダリ展を開いていた。 さらに、12世紀の教会美術品が所狭しと飾られている。
大事な所が描かれていない、キリストの絵が(でもヌード)飾ってあって、微妙な気持ちになった。 あるべきところに無いと言うのは、変に人の注視を集めてしまう。
スペインの夜は遅い。 かなり遅い時間だが、ピカソ美術館はまだ開いていたので、迷路のような道を行きつ戻りつしながら、美術館に何とかたどり着く。 ピカソは作品が多いので、ヨーロッパのあっちこっちに美術館がある。 ありがたみもやや薄い、が、皇女の肖像画を変形させた一連の作品は面白かった。 それと、ここバルセロナのピカソ美術館は、ピカソ以前のピカソシリーズが充実していることで有名で、青の時代以前の、普通の絵を書いていた頃のものが沢山あるのだ。 母親が捨てがたくて、とっておいたものなど。
夜、昨日スーパーで2ユーロで買っておいたCAVAというワインを飲む。 もう腹をくくった。 飲む旅行なのだ。
| 2005年02月16日(水) |
スペイン・グラナダ・バレンシア |
白い海岸、と呼ばれるアリカンテまでバスで移動。 冬のヨーロッパだというのに、今の所晴れ。 しかも結構暖かい。
海岸で、ホテルの朝バイキングでくすねたパンと、ハムとチーズでお昼を済ませる。 バレンシアが近いので、むきになって絞りたてオレンジを摂取していたが、実はぬるくて、水っぽくてあんまり美味しくない。 季節外れだったのだろうか。 でもオレンジそのものは美味しい。
ゆで卵を砂浜の上で食べて、その殻を美しく砂の上に飾って写真撮影。 何かが海に帰ったような映像が得られた。
その後、バレンシアへ向けてひたすらバスに揺られる。 到着は夜。 まだ火祭り博物館が開いていたので、ホテルから抜け出して行ってみる。
火祭りとは。 バレンシアで伝統的に行われている祭り。 紙でリアルな人形を大量に作り、いっせいに燃やすという、野蛮な祭りである。 毎年燃やす前に人気投票をし、一番人気のあった人形だけは燃やされずに博物館に展示されているのだ。 それが火祭り博物館。
あまり人がいなかった。 「日本」という題名の作品は、京劇のメイクと衣装を着た女性が見得を切っていた。
夕飯はパエリア。 行きたかったレストランは21:00オープン。 空腹に耐え切れず、どうでもいい店に入る。 ビールを飲む。
毎日飲んでいる。
| 2005年02月15日(火) |
スペイン・ミハス・グラナダ |
朝、海辺のホテルから、ミハスへむけてバスで出発。 ミハスというのは、ちょっと小高い山の上の村で、可愛らしい建物や石畳などの町並みが残る、知る人ぞ知る、知らない人は知らない観光名所である。
どんなに小さなところでも、日本人は住んでいる(ぽつり。 ミハスでアクセサリーをごちゃごちゃと買う。 ここで、ベンジャミンさんという黒人の移民の店員さんと知り合う。 身長実に210センチ。 おじさんは英語が上手で、気さくに値下げをしてくれた。 いい人だ。 ボブマリーの音楽をかけていたので、皇帝がボブと同じ誕生日であるとアピールしておいた。
猫を見る。 スペインの猫は皆、顔が傷だらけで、毛があちこち抜け落ちている。 人間と見れば走って逃げ出す。 たぶん、いじめられているのだろう。 スペインの動物は、猫に限らず鳩やかもめなど、皆人間をおかしいくらいに警戒している。 そして痩せている。 いじめの現場はこの後目撃するが、それはその時にでも書こうとおもう。 南米で大虐殺した野蛮な血は、滅びることなく脈々と流れている、と言っておこう。
ミハスからグラナダへ。 グラナダは、かのレコンキスタが完了するまでの間、イスラム教圏だったところだ。 有名なイスラム建築、アルハンブラ宮殿がある。 宮殿の外側は、あまりたいしたことはない。 だが内側は贅沢なタイルや装飾が施され、なかなか素晴らしい建物だ。 この日は風が強く、強風にあおられた糸杉が、ブンブンしなっていた。
夜、本場フラメンコを見に行く。 セクシーな踊りかと思いきや、かなり激しい性質の舞踏で、ステップを踏むたびに会場のもろい天井がバラバラ落ちてくる。 円もたけなわ、クライマックスというときに、観客も全員「まさかあの人が踊るわけがない」と思っていた、奥に座っていたおばあちゃんが登場。 朗々と歌い、踊り、拍手喝采を受けたのだった。 おばあちゃんのドレスは、天道虫柄・・。
ホテルへの帰り道、バスの運転手さんが、夜景の綺麗な丘に連れて行くとのたまわって、妙なところで下車させられ、かなりの距離を歩かされた挙句に、工事でビューポイントは閉鎖されていた。 しかし運転手さん、フェンスを壊して突撃。 ひえー。 速く写真を撮れ!といわれて、慌てて撮影したが、カメラで夜景を撮るのは難しい。 へんな画像が取れた。 なんどもデータから消そうと思ったが、たどり着くまでの苦労を考えると、消せない皇帝であった・・・。
| 2005年02月14日(月) |
スペイン2・コルドバ・セビリア・ロンダ・フェンヒローラ |
13日朝からバスに乗って移動。 コルドバへ行くのだ。 だがその前に、セルバンテスの小説の舞台となったラマンチャに寄る。 皇帝は映画強化週間で、ドン・キホーテの映画も見ていたから、予習は十分である。 到着。 予習などいらない。 風車があるだけ。 何故、ドン・キホーテが風車を相手に戦ったのかがわかる。 風車しかないのだ。 ぐーるぐる。
白い風車の中には売店があって、サフランやオリーブオイルなどの産品を売るおじさんがいる。 おじさんの名はペドロさん。 妙な愛嬌のある日本語で、歌いながら軽快にポストカードなどを売っていく。 おじさんのパフォーマンスで、飛ぶように売れていくサフラン。 もし彼が公務員なら、給料を上げるべきだ。
ドン・キホーテがお城に見立てた旅籠を通過して、コルドバへ。 コルドバは自由行動。 この辺はアンダルシア地方に含まれていて、気候は温暖。 スペインの中でも南の方で、結構長らくイスラム教徒の土地だったのだ。 オレンジの中庭が美しいメスキ−タという寺院も、もともとモスクだった。 一枚岩で作られている天井は見事・・・・アレ? なんか引っ付いてる。 なんと、ユーロミッキーの風船が、持ち主に見捨てられて世界遺産の天井に引っかかっているのだ。 とりあえず珍しい光景なので、写真に収めておく。
オレンジの中庭では、オレンジに見とれるあまり、石畳でこける。
ローマ時代の橋などを見学して、宿泊先のセビリアへ。 ハムパンで軽く食事をして、ワインをグラスでいただく。 うまい。
翌14日はセビリアの自由行動からはじまる。 カテドラル(その町で最大のキリスト教寺院は、全部こう呼ぶ)に行くが、その隣のアルカサルは休館日。 セビリアといえば、カルメンの舞台だ。 カルメン関係のものは特別にはないが、やはりフラメンコグッズがお土産品としては充実している。
南の海に近いこの地方は、比較的暖かく、これまでの工程、冬のヨーロッパにしては珍しく雨も降っていない。 毎日暑いほどの快晴だ。 この日皇帝はスカートをはいていたのだが、まるでスカートが法律違反であるかのように、人々がじろじろ見ている。 実際、地元の人でスカートをはいている人はほとんどいない。 なんでこの国はEUなんだろうか。 またしてもよくわからない。
宿泊地コスタ・デル・ソル地方、フェンヒローラへ移動。 ホテルは地中海の真ん前で、うーん、まさにスペインという感じ。 しかし工事中なので、ポーターを雇わない貧乏学生は汗をかきながら自分の荷物を部屋にかつぎ込むのであった。
暖かいので海辺を夕刻散歩し、その足でまたしても近所のスーパーへ。 チーズ、ハムを購入して、1ユーロ程度の赤ワインゲット。 フロントで開けてもらって、グラスまでお借りして部屋で乾杯。
| 2005年02月13日(日) |
スペイン1・マドリッド |
そんなわけで、皇帝最後の放浪記録。
同行者は、韓国短期留学中に同じクラスで勉強していたハル女史。 ハルちゃんは中高を女子校で過ごし、大学では中国語をはじめとするアジア言語に興味を持ち、留学と言う、皇帝と似たような境遇を持った少女で、二歳年下(まあね)。 大学も同じ。 美術館がすき、ブランド物にはあまり興味がないなど、行動パターンにも一致が見られるため、旅のお供として最適な人材だった。
二人とも、卒業前にヨーロッパを見ておきたいという思いで挑んだわけで、今後とも、あんまり彼の地と関係はなさそうな感じではある。
さて、初日は移動。 成田→ミュンヘン→フランクフルト→マドリッド、という二回乗り継ぎ。 のっけから、結構ハードだ。 乗継が重なったため、目的地に着いた時には40名のツアー客中三名がロスト・バゲッジ。 皇帝一行はセーフ。 ミュンヘン空港ではドイツの精巧なおもちゃなどを仕入れ、早くも荷物が増えている。 到着日は、そのままホテルで寝るだけ。
明くる2月12日。 マドリッド市内観光から軽く始める。 プラド美術館に入る。 美術館の品揃えは、ネットで調べていただけるが、すごい。 量もすごいけど、描いてる人々も、スペインの巨匠を中心にすばらしい顔ぶれ。 さりげないどうでもいい所に、巨匠の作品が並んでいたりするので、細心の注意が必要だ。 だが今回この都市は自由行動ではないので、二時間程度で美術館を後にする。 もうちょっと見たかった。
ベラスケスを見ていると、麗子像を思い出すのは何故だろう。 などと思いながら、スペイン広場、グランビア通りなどを見る。
バスの中で再三、スリに気をつけるように注意される。 ホテルでも、日本人を狙った首絞め強盗に気をつけるように、冊子が配られていた。 そんなに日本人が狙われるとわかっているなら、日本人を使っておとり捜査をしたらどうかと思う。 しかも実際には、韓国人や中国人のお金持ち旅行者などが、東洋系のかなり部分を占めているのだが、彼らは日本人と間違われて狙われないのだろうか。 というか、ぼんやりして良いように標的になっている日本人観光客に間違われて、困っているのかもしれない。
日本人旅行者は貧乏学生が多いが、韓国人中国人でヨーロッパに遊びに来るのは、ほとんど本物の金持ちだろうから、私だったら確実に盗れる方を狙うが。 その辺、スペインの強盗的にはどうなのだろう。 見分けはつくのだろうか。
特に狙われることなく、午後は自由行動。 王立ソフィア現代美術館へ。 地下鉄アトーチャ駅で下車。 地下鉄は危ないから使うな、といわれているが、残念ながらタクシーを拾う金はなく、貧乏な日本人は地下鉄を利用せざるをえないのである。 そんなよれよれの学生を狙う奴は、鬼だね。 狙われなかったけど。 その辺は、漂う貧乏臭さでカバーだ。
王立ソフィア美術館には、ダリとかがあったりする。 あと、有名なのはピカソのゲルニカ。 あれがあるのだ。 あったあった。 でーんと。 その周りにも、小さな額縁のピカソがずらり。 これ一枚でも、きっと日本で数千の客が呼べる、というような、逸品ぞろい。 でも客の視線はゲルニカに集中。 やっぱ、存在感は大きさを刺しぬいても、かなりある。 堪能して、美術館周辺の軽食屋でチュロスを食べる。 チュロスのレシピはこちら→http://www.recipe.nestle.co.jp/recipe/700_799/00738.htm?st=r
スペイン人は、一日に五回食事をする。 朝軽く食べて、その後仕事の合間に軽食。昼を重く、一二時間かけて食べて、シエスタ(昼寝)して、夕方軽食。夜を軽く済ませる。 いつ仕事しているのか、よくわからない。 が、シエスタ中は商店やレストラン、全て休んでしまう。 しかも夕飯屋は八時、九時にならないとオープンしないのだ。 これが日本人にはちょっとつらい。 だがともかく、ぼんやりしていると、レストランが閉まってしまったりして、夜まで食べられなかったりするのだから、スペイン時間に合わせるしかないのである。
この国が何故EUなのか不思議だ。 トルコもEU加盟にアプローチしていたが、もうEUが何なのかよくわからない。
ホテルの近くのスーパーで、2ユーロ(300円くらい)の赤ワインを購入して、フロントで開けてもらい、飲む。 うまかったです。
日付が飛び出てしまったけれど、お知らせ。
皇帝の日記のインデックスページなどなど、アドレスが変わりました。 日記ページは、このままのアドレスでOKです。
お引越し先は、もとのインデックスから飛べるようにしてありますので、ブックマークしてくださってる方は、変更をお願いいたします。
http://karen.saiin.net/~bhpc/koutei/ まだ工事中ですが、よろしくです。 これから三月の始めくらいまで、卒業旅行にヨーロッパ行ってきます。 皇帝放蕩の締めくくりです。 その間、HPの管理は宰相に任してありますが、アイコンをあずけてきたので、宰相が暇な時とかに、アイコンがかわったりします。
カウンターがかわいい。
| 2005年02月11日(金) |
トルコ・イスタンブール最終日 |
さて、もう帰る日になってしまった。 この日の15時ホテル集合で、帰国という算段なのだが、午前中があいているので、ドルバチェフ宮殿に行こうと思ったら、木曜日お休み。 がーん。 とりあえず、近所のデパートでお買い物。 革製品が有名なので、革のジャケットをお買い上げ。 日本ではちょっと高くなりすぎるような、薄ーい革。
では、あんまり見所もなさそうだが、オルタキヨイジャーミーへ行くことにした。 バスでもいけるが、時間がなさそうなのでタクシーで行く。 タクシーも安いのだが、手持ちのトルコ・リラがあんまり無い。
トルコリラは、ここ数年のインフレで、ガム一個買うにも1ミリオンとか払わなければならない、桁数の多い通過だ。 誰でもトルコに行けばミリオネラ。
ともかく、ジャーミーとは、モスクのことで、モスクは基本的に何も無い。 で、何も無いのを見学して、猫をめでてから、ホテルに帰ろうと思うが、タクシー代が無いので、1ミリオン・リラ分くらい歩いた。 ドルバチェフ宮殿の前も通った。
香港料理をお昼に食べて、帰りの飛行機に向けて。
そんなこんなで、皇帝のトルコ制圧は完了したのでした。 あと、帰りの飛行機で煩いおっさんの隣になってしまったので、席を替えてもらったら、代わった席のライトが壊れてて、一晩中電器つきっぱなしだったりとか。 暖房が壊れてて、死ぬほど暑かったりとか、まあ色々あったけど。 無事帰ってきたので、結果オーライでしょう。 でも二度とトルコ航空には乗らない。
トルコはでっかい国なので、できれば一箇所に狙いを定めて、じっくり観光したほうが良いでしょう。 今回、アナトリア地方を巡った感じでは、イスタンブールかカッパドキアが、特に見所多し。
今回は、ツアーで自由時間が少なめだったので、わりかし普通に旅行して帰ってきた皇帝でした。
| 2005年02月10日(木) |
トルコ・イスタンブール後半 |
タクスィム広場に帰ってきて、それから更に地下鉄に乗り換え、アクメルケズへ。 アクメルケズとは、ヨーロッパのベスト・デパートメント賞を取ったショッピングセンターなのだ。 じゃーん。 最寄駅で下車。 さすが、トルコの高級住宅街の駅。 結構英語が可能な一般人が歩いている。 着ている物も、心なしか上等な感じだ。 で、「歩いて5分・・・んー10分くらいかな」とおばさんがおっしゃるので、そのとおり歩いていくと、とんでもない。 30分くらいかかりました。 母というハンデをかかえているとはいえ、トルコ人はこの距離を10分または5分で歩いてしまうのか・・・。
さて、デパートは、でかいというだけで、喫茶店の配置とか、エスカレーターの配置とかは、特に優れていない。 というか、立地にしても不便極まりない感じだ。 これでヨーロッパのベストだったら、日本の各デパートは、ワールド・ベストといえましょう。
靴のナインウエストは、実は革製品で有名なトルコのブランドなのだ。 で、皇帝の変な形の足に唯一合う、しかも履くほど皮が良い感じに柔らかくなるナインウエストを二足お買い上げ。 帰りはタクシーに乗り込んで、地下鉄駅まで行って、ホテルに帰る。
| 2005年02月09日(水) |
トルコ・イスタンブール前半 |
そんなわけで、朝からホテルの前のバスターミナルに突進。 して、トプカピ宮殿に向かうT4乗り場を捜すが、無い。 えー。 うろうろ。 チケット売り場の人たちに聞いて回って、ようやく乗り場を見つける。 というか、誰も英語が分からない。 トルコは、どちらかというとドイツ贔屓なので、ドイツ語のほうが幅をきかせているのだ。
さて、バスに揺られながら、運転手さんに「目的地に着いたら教えてね」オーラを飛ばしつづける。 ちゃんと、降ろしてくれました。
ところでトプカピ周辺は、イスタンブールの主要観光地が集まっている場所なので、客引きや、詐欺まがいのガイドが多い。 日本語で話し掛けてくる、それらの集団を振り切って、ようやく宮殿内に侵入を果たす。
宮殿とはつまり、かつてスルタンのお屋敷だったところだ。 ハレムもこの中にある。 皇帝の想像では、町のようなでっかい宮殿だったのだが、案外小さい。 うーん。 せめて、紫禁城くらいはあっていいんじゃない? でも、トプカピはもしかしたらベルサイユよりも小規模だった。 さらに狭いハレムは、全室に外側から鉄格子がはめられて、王妃たちが逃げられないようになっているのだ。 うーん。
見所は宝物館。 赤ちゃんの顔くらいの大きさのエメラルドが、わんさか。 装飾品に加工されている宝石も有るが、ただなんとなく持ってるだけのもある。 そうそう、このくらい栄華を極めてないと、皇帝も征服のしがいが無い。 ゲンコツくらいの大きさのダイアモンドもある。 これ、原石を拾った漁師が、スプーン三本と交換したという曰く付きのダイアなのだ。 キラキラ。
目に星が入ったところで、ボスポラス海峡クルーズをすべく、港へ向かう。 港へは歩いて行った。 途中で、地元の人々で繁盛しているケバブのお店に立ち寄ると、これがかなりいける。 母なんか、体調が悪くて(あとトルコ料理に馴染めなくて)あんまり食べていなかったのだが、ここのケバブを薄いパンで巻いたサンドイッチは食べることが出来た。 栄養を補給したところで、コックさんと記念写真を。 撮ったら、チャイをご馳走してくれた。 ご馳走様です。
で、港で手ごろな船を捜す。 船は、なんだかヤクザな親父が切り盛りする、ヤクザな船に乗ってしまった。 あやしー。 出発まで、二時間も待たされたとか言って、若いカップルが怒って出て行ってしまった。 あやしー。 幸い(?)皇帝と母が乗り込むと、15分くらいで出発。 めちゃくちゃ寒かったのだが、羽毛のダウン(帽子付き)で乗り切る。 イギリス人ぽい兄ちゃんが、シャツ一枚で乗っていた。 西洋人は丈夫だ。 何の解説も無く船は淡々と進み、二時間ぐらいで元の船着場に・・・引き返さず、どっか別のところに降ろされる。 あやしー。
あやしかったものの、何もぼられることなく、無事歩いてガラタ橋を渡り、世界最古で、世界最短の地下鉄に乗る。 それからチンチン路面電車に乗り換え、元のホテルのターミナルに引き返す。
長くなったので後半に続く。
皇帝

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