皇帝の日記
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2005年02月28日(月) ウィーン・ザルツブルク

さて、ザルツブルクへバスでゴトゴトと移動。
ザルツブルクは、塩が有名だった土地。
今有名なのは、サウンド・オブミュージックの舞台だったっつーことでしょうか。
ガイドさんがしきりに「あ、あの教会で結婚式のシーンを撮影しました」とか、「この庭で子供たちが歌いながら・・・」と解説してくれるのだが、あたり一面雪景色。
真っ白でなにも見えない。
きっとすばらしい景色なのだろう。
雪が無ければ。

と、脳内で景色を修正しつつ、ザルツブルク自由散策へ。
ザルツブルクは、皇帝が大好きなモーツアルトの生まれ故郷なのだ。
生まれた家や、育った家や、日本企業が作った博物館などを見学できた。
満足。
当時のオペラ舞台の裏側を模倣した展示などもあるのだ。
小規模だけど。

ザルツブルクは観光で食べているようで、観光客向けのかわいらしいお店が軒を連ねている。
とりあえずショッピング。
ついでに、スーパーで夕飯と、ドイツビールを購入。
ビールがあほみたいに安い。

朝、ホテルで失敬したパンを昼に食べ、丘の上にある教会に向かう。
雪道をあがっていくと、降りてくる人々とすれ違う。
「どうだった?教会」
ときくと
「すばらしいよ、見ておいで」
という。
言うので、見に行ったら、閉まっていた。
くそうだまされた。
降るとき登りの人とすれ違ったが、閉まっていることは言わないでおいた。

バスに乗り込んで、ミュンヘンへ。
ミュンヘンは旅の通過都市なので観光しないが、とりあえず中心の駅だけは行ってみた。
住みよさげな感じだった。

ドイツ文化圏に入ると、公衆トイレが信じられないくらい清潔になり、飲食店が清潔になり、人々が普通に親切になった。
ビバドイツ。
そして何より嬉しいのが、布団の厚みだ。
布団が、ちゃんと布団らしい。
スペインやイタリアは、シーツに包まって寝ていたが、ドイツは布団だ。
ビバドイツ。

そして、ホテルの部屋の窓からビールの缶を出しておけば、そこはすでに冷凍庫。
キンキンに冷えたビールで乾杯だ!

テレビをぼんやり見ていたら、お尻特集をやっていた。
リーバイスに、お尻パッド入りのジーンズが出た。
というようなことをレポーターが言うと、解説のおじさんが怒り出し、「自分の尻を受け入れるんだ!!!」と怒鳴った。
アクセプト・ユア・アス
だそうです。
ふーん。


2005年02月27日(日) ドイツ・ミュンヘン・ウィーン

朝からローマを出発し、遠路はるばるミュンヘンへ。
さすがに飛行機に乗った。
飛行機の中には、沢山のドイツ人がいた。
ラテン系には、チビでデブで禿の人が多かったが、さすがに身体的特徴だけで、世界が征服できると思ったほどのゲルマン人たちです。
美人が多い。
男も女も、長身で、金髪で、整った目鼻立ちの人が多いのだ。
問題は一つだけ。

男女差が無い。

ミュンヘンで乗り換え、ウィーンへ飛ぶ。
ウィーンは二度目だ。
だがこの日は日曜日だったために、店という店は、ほとんど総て閉まっている。
観光客にとってはかなり痛い。
ツアーの皆様は、セオリー通りにシェーンブルン宮の観光に行ったが、皇帝はもう宮殿は見たので、一人別行動をとって、オペラを見に行くことにした。

公衆電話から、予約の電話を入れて、時間と場所を確認。
16時から、フォルクス・オーパーというところで、カルメンを観にいくことになった。
英語が通じてよかった。
ちょっと前に、セビリアへ行き、スペインでフラメンコを見たは、記憶に新しいし。

時間がまだ有ったので、分離派美術館に足を運ぶ。
ここには、クリムトの壁画があるのだ。
行ってみると、クリムトの壁画しかない。
うーん。
まあ、綺麗なだけではないクリムトが見れて、良かった。

以前、MQという所に遊びに行って、面白かったので、またテクテク歩いて行ってみる。
マリーテレーズの背中側にある、美術系のショッピングモールだ。
で、行ってみると、お店はほとんど閉まっていた。
しかも、ここから地下鉄に乗って、フォルクス・オーパーに行くと、丁度いいように時間を計算していたのに、なんと駅が一月から閉鎖!
がびーん。

仕方無しに、別の線の駅まで、てくてく歩く。
こんだけ異国を地図だけで歩ければ、日本で迷子になんかならないと思いきや、渋谷で迷うのだから不思議だ。

結構ぎりぎりで、オペラ会場の駅に。
ここで、ロシア人夫婦と一緒になり、やはりオペラに行くというので、会場まで歩いた。
雪が降っていたし、シベリア寒気団の影響で、マイナス10度以下になっていたので、私は寒かったが、ロシア人夫婦は寒くないと言っていた。

で、予約していた券をもらうが、なんと違う席に通されてしまった。
それに気がつかないまま、開演。
後ろのイタリア人が、うるさい。
身を乗り出すナとか、ぎゃあぎゃあ言うのだが、彼女の方がうるさいし、邪魔なのだ。
そんなに良く舞台を見たかったら、こんな桟敷席なんか買うんじゃないと、怒鳴りかけたその瞬間、すっ飛んできた係員が、私の席が違ったといって、連れ出した。
で、正しい席に通されたのだが、そんなこんなで、出だしの部分はほとんど見れずじまい。
おまけに「静かに着席してくださいね、劇の途中ですから」という係りの言葉に、皇帝はぶちぎれましたね。
ええ。
あたしは安くない金払った客で、そっちのミスで、劇を一部見れなかったんだぞー!
と、入る前に威嚇した。
黄色い猿を、舐めてはいけない。

帰りの地下鉄は、良くわからないマイナーな駅がホテルの最寄だったので、乗換えがうまくいかず、結局その前の駅で下車し、ファーストフードのハンバーガーを買って、タクシーを拾って帰った。
雪がこんこんだったし、夜も遅かったのでタクシーに乗ったが、運転手が道がわからずに、適当なところでおろされてしまい、雪道を一人こぎながら、なんとかホテルに帰る。

同じツアーの子に誘われ、夕食を持ち寄って、食べた。
味噌汁とか持ってきている子だったので、もりもりご馳走になり、満足して就寝。

この日から、なんとなく風邪をひいた気配。


2005年02月26日(土) イタリア・ローマ2

まだローマにいる。
朝は相変わらず大変にまずい朝食をとり。
あまりのまずさに、昼用弁当を作る気にもなれずに、外に出る。

すると、ヴァチカン行きのシャトルバスが停車していた。
すぐ人が一杯になるので、乗れないといわれていたやつだ。
そろそろ出発といっている。
確かに、日本人で一杯なのだが。
日本人の性質からか、二人ないし三人のグループで固まって座り、かつグループごとに間隔を開けて座っているので、ハルちゃんと別れて座って、普通にヴァチカンに行くことができた。
わずかの間でも、離れるのが嫌な人たちは、乗り損なって、タクシーかバスで行くようだった。

さて、ヴァチカン。
世界最小の国。
このとき法王が入院中だったので、主のいない国だったわけだ。
ヴァチカンはもちろん、現役の法王庁と、付属の美術館が見ものだ。
どれだけの歳月、どんな悪いことをしたら、これだけの美術品が集められるのか、というくらいの充実したコレクション。
すばらしい。

ところで、サン・ピエトロ寺院に入らなければ、有名なミケランジェロの最後の審判などを見ることができない。
で、列に並んでみると、これが東京ディズニーもかくやと思われるほどの並びぶり。
次の部屋に入ると、蛇行した列が続き、次の部屋もまた列。
この繰り返しで、ようやく最後の審判と、天井画を拝むことができたのだ。
大広間で、客が皆天井を見上げている様は、やはりシンデレラ城っぽいな、と思いました。
朝から出てきたのに、閉館時間も迫っていて、見れて良かった。

ところで、ここで記念に十字架のアクセサリーを買ったのだが。
後で聞いた所、ヴァチカンでこの時十字架を買った人は、全員ツアー中にいやな目にあっているのだった。
異教徒に呪いをかけているのかもしれない。

さて、雨の中を、もはや慣れっこの地下鉄に乗り込み、骸骨寺に行く。
骸骨で、部屋中を飾っている、変な寺だ。
つまり、建物それ自体が、大きな皆のお墓というわけで、罰当たりにも異教徒が侵入し、「やだー」とか言うわけなんだな。
これが。
入場料は只。
ココロザシを払えばいいだけ。
ところが行ってみると、三時開館だったので、近所にあるバルベリーニ美術館に先に行ってみた。

バルベリーニさんは、普通のお金持ち貴族だった人だが、今はそうでもないらしい。
コレクションを一般公開している、なかなか偉い人だ。
こっそり名画を持つのは、やめた方がいい。
皆見たいのだから、見せなさい。
で、見たかったラファエロの絵は、なんと今ヒューストン美術館に出張中!
がーん。
見れそうで、見る機会が全く無い。
コレクションは小規模なので、二部屋で終わり。
学芸員(?)のおっちゃんは、英語を勉強中で、やたら丁寧に一つ一つの絵を解説してくれたが、ひどい英語だった。
英語をローマ字読みしてはいけない。

見終わって、骸骨寺に戻るが、まだ時間が有ったので、コーヒーを飲みに、喫茶店に入る。
イタリアはサービス料が高いが、ここは特にひどく、コーヒーの単価よりも高い値段をとられた。
ひー。
そして傘を忘れる。
とりに戻ったら、あったのでよし。

骸骨寺は、すごかった。
どうすごいのかは、一見に如かずだが、すごいのですごい。
ポストカードを買い、寺の運営費にやや貢献したのち、テロテロ歩いて、トレヴィの泉に向かう。
この噴水にお金を投げ入れると、またローマに帰ってこれるというやつ。
どういう帰ってき方なのかは保障されていないので、やや不安。
さて、このお金、月曜日の朝に回収されるそうだ。
ローマ市政を支える、大切な収入源なので、やれ四枚入れろとか三枚入れろとか、うるさい。
トルコリラと、韓国ウォンの残りを入れておいた。
どちらも円に直せないほど小額。

夜も遅く、暗くなってきた頃、雨もザンザン降ってまいりました。
映画の舞台になった、スペイン階段を見てみたが、暗すぎであまり見えず、暗い写真を撮った。

夕食を、ホテル近くの適当なパスタ屋さんでとる。
イタリアは、パンは死にたくなるほどまずいが、パスタはどこで食べても美味しい。
美味しいのだ。
モー。
赤ワインをかっくらい、酔っ払う。

のらくら、歌いながら歩いてホテルに帰る。


2005年02月25日(金) イタリア・ローマ1

ローマに行った。
行った先で、ホテルに入り、そっから即自由行動。
地下鉄は危ないと言われつつ、金がないので他に交通手段も無く、テルミニ駅から出発。

昼ごはんを、ホテルから失敬したかったが、イタリアのパンの、余りのまずさに断念。
本当に、イタリアのパンはまずい!
バターもイースト菌も入ってないのか、というくらい、何かが足りないパンなのだ。

ローマ国立博物館に行く。
円盤投げをする人の像がある。
有名なやつだ。
その近くに、胸があって、女の人の像なのに、男の人でもあるという、変な像もある。
ヨーロッパでは結構ありがちなモチーフらしく、この後行くパリの美術館でも目撃した。
美術誌に載るときは、背中からのショットが多いので、わからないかもしれない。
ポストカードも背後から撮影されていた。
ここの入り口には猫がいて、なんとなく餌をもらっているようだった。
そして、自由に館内に入って、受付のとこにちょこんと座っているのだ。
愛らしい。

そこから、サンタマッジョーレ教会に行く。
散々この旅でカトリック教会を見まくっているが、さすが神の国ローマの教会。
どこの教会も、それなりの古さと、コレクションの充実。

そっからテクテク歩いて、サンピエトロ・イン・ヴィゴリ教会へ。
ちょっと高台に有るこの教会は、あんまり日本人観光客はこないのだが、ミケランジェロの三大彫刻のひとつ、モーセがいるのだ。
それだけだ。
あと、骸骨とかもある。

この辺から、かねてからもわ〜っと痛かった靴擦れが、かなりひどくなってきた。
もわ〜。
足を引きずりながら、再び地下鉄に乗り込む。
カップルの周りは、なんとなく空間ができるので、スリ対策に、カップルの近くに乗る。

ローマといえばこれ。
コロッセオに到着。
けっこう郊外にある。
コロッセオには、猫が沢山いる。
ぶくぶくと太っている。
なぜなら、どこからとも無く猫婆が出てきて、餌をやっているからなのだ。
観光客もなんとなく、猫婆にお金を置いたりしている。

とにかく足が痛くなり、夜遅くホテルに撤収。
赤ワインを飲んで寝る。


2005年02月24日(木) イタリア・フィレンツェ2

今日も朝からフィレンツェ。
一日自由行動で移動なし。
まずは街の中央にでてから、メディチ家礼拝堂に行く。
他の人とは違う所で、一族は礼拝していたのだ。
なんか、ごっついでかい祭壇がある。
美術学校の子供たちが、像をスケッチしているのを眺めながら、市場に。

いや、「市場」とメモ書いてあるのだが、市場なんか行ったかな?と思っている。
もう記憶にない。
市場?
フィレンツェで?

で、その後ヴェッキオ橋を渡る。
橋の両端は高級宝飾店がならんでいるので、入店せずにじっくり眺める。
ピッティ宮にいくと、丁度ヨウジヤマモトの作品展示も行われていた。
チケットを買いに行ったら、そのチケット売り、客もまばらなのに、隣のスタッフと話しこんでいて、ちっとも仕事をしないので、待たされる。
むっかー。
「チケット欲しいんだけど」
というと、「何のチケットが欲しいか言ったら?」と挑戦的な言葉が返ってきた。
そしておしゃべり再開。
お前ら公務員だろー!観光で飯食ってんだろー!!!!
と、内心思いながら、「あんたがどんなチケット売ってるのか、言ったら?」と言い返してみる。
「そこの看板に書いてあるから、読んだら?」と大上段のねえちゃん。
むっきー!
自慢じゃないけど皇帝、英語は話せても、読めなくってよ!(威張れない)
「読めないから説明しろ!」というと、その事態が飲み込めなかったらしく、何でもいいから見れる、共通券を出してきた。

ねえちゃん、勤務中の無駄話は慎むんだぜ・・・。

何でも見ながら、うろうろうろうろ。
ヨウジヤマモトの展示品は、私にはよくわからなかったが、美術品の中にちょこちょこ置いてあり、外国人観光客は喜んで写真をばしばし撮っていた。

さて、ここの学芸員は、なんだかぼんやり本を読みながら座っていたり、通路に輪になって話し込んでいたりして、早い話がまあ、邪魔。
ミュージアム内のカフェで昼飯を取ったが、(ホテルの朝食はまずすぎて、食べられたものじゃなかったのだ・・・)ウエイターはなんだか覇気がない。

スペイン人は、全員不幸そうに見えたが、イタリア人は幸せそうな人と不幸そうな人の両方が、半々くらいでいるようだった。
妙なテンションの高さは、躁鬱病なんじゃないかと思うんだが。

夜もふけて来たので、アカデミア美術館へ。
もう美術館だらけ。

道でジェラートを買って、食べながら歩きつつ、夕飯を食べる所を探す。
ジェラートはとても美味しかった。

さて、適当なレストランがない。
というか、やや時間が早すぎて、どこも開いていないのだ。
だがホテルは市街地にあるのでもどっていられないし、観光場所もだいたい閉まっているので、微妙に時間をつぶせない。
まあホテルの付近にも、レストランが何軒かあるという情報を添乗員からもらっているので、バスで郊外プラートのホテルに帰り、そこからレストラン探しの旅にでる。
ホテルの従業員が、適当に地図に丸をつけたところは、本当に適当で、道を一本間違えており、見つけることができなかった。
すっごく歩いてしまった。
負傷した足で。
くっそー。
雨も降ってきた。

その他の、添乗員お勧めの店も、全部閉店。
きー!!
仕方がないので、へとへとになりながらホテルのレストランに入る。
だが・・・・電気も点けてくれない。
メニューも微妙。
時間がないから、食ったらさっさと帰れとのこと。
その上、テーブルチャージ料(イタリアは、サービス料とか、食事以外の料金を、やたら取る。時々、頼んだ商品よりサービス料が高かったりする。)をやたらにとられる。
そしてそして。
まずい。

最悪だ・・・。
部屋で、昨日飲み放題のワインをくすねてきたのを、開けて飲む。
プハー。
ただ酒はうまいなー。

幸せになって寝る。


2005年02月23日(水) イタリア・フィレンツェ

フィレンツェの英語名はフロレンス。
ヨーロッパの地名は、英語になると全然違う発音になるのだ。
アメリカの友達によく葉書を出していたが、たぶん世界の秘境を旅していると思われている。
だって、聞いたことない都市名の羅列なのだ。

さて、あさからバスに乗り込み、フィレンツェへ。
いつもどおり盗んだ昼飯で食いつなぎ、芸術の都入り。

実はこの日記、当時書いた片言のメモを頼りに、記憶を呼び覚まして書いているのだが、この日のメモに「すごい、サンタマリアノベッラ駅前教会、すごい」と書いてある。
相当すごかったらしいが、記憶にない・・・。
すごいそうな。

フィレンツェは、美術収集に熱心だったメディチ家の本拠地なので、ルネッサンス美術品の宝庫なのだ。
ウフィッツィ美術館は、知る人ぞ知る、すごくすごい。
グロテスクの語源を表した天井画や、教科書に載っているような名画の群れ。
妙なポーズの像の山である。
たっぷりと、三時間以上見るが、まだ見切れない。
しかし残念ながら閉館時間で追い出される。
ドォーモはピンクと緑と白の石で作られた、菱餅みたいな色合いの建物だった。
その隣には、ジョットが設計した、華奢な塔が建っている。
これを目印にして歩き回れば、それほど迷子になることはない。

ミケランジェロ広場で、ダビデ像の偽物をみたりする。
ベッキオ橋の近くで、伝統工芸マーブル模様の紙を買う。
それに、今は亡き花の絵などを描いたりした。

夜遅いので、ツアーの皆さんが行っているレストランに合流。
夕飯を食べる。
ワイン飲み放題なので、がばがば飲んで、これ以上ないほどよぱらったが、なんだかずっと、観光中から足に違和感があった。
ホテルに帰ってから靴を脱ぐと、なんと、靴擦れで、小指のつめが薬指にざっくりと刺さり、大出血している。
はるちゃんに介抱されながら、酔っ払っていたので、さっさと眠ってしまった。
あー酔って、痛さがわからなくて良かった・・・。


2005年02月22日(火) イタリア・ミラノ・ベネチア

ミラノは朝も雪。
運転手さんの好意で、ミラノ中心街へ一度降ろしてもらう。
ナラカミーチェ!
すっ飛んでいって、欲しかったシャツをゲットー。
良かった。
ここで腹を立てていた気分が、ようやく落ち着いた感がある。
イライラは美容に良くない。
フランスは美容に良くない。

ミラノのドォーモは、ゴシック建築の傑作だそうで、何百も塔が立っているのだ。
完成に400だか500年がかかっている。
気の長い話だ。

さて、バスでえんやこらえんやこら、ベネチアへ。
水の都ベネチアで、ゴンドラに乗るのだ。
ゴンドラの予約時間まで、買い物に解き放たれる。
サンマルコ寺院のキンキラの壁画を堪能し、更にベネチアングラスを買いに出かける。

なんともかわいい、ガラスを使った小物達がいっぱい!
小躍りしながら、色々買い集める。
アクセサリーもラブリー。

本日のメインイベント、ゴンドラ遊覧。
船漕ぎのお兄さんニコラスが、かなり若くてハンサム。
当たりくじを引いた。
いえーい。
サービス精神旺盛で、色々解説してくれて、見事なコーナリングを見せてくれるのだ。
大満足。

陸に上がってから、ガラス屋さんの工房を見せてもらって、家に一個、花瓶を購入。

ベネチアの中のホテルは高いので、出てすぐのメストレという街のホテルに泊まる。
スーパーで買った食事をして、ホテルの下のバーで、白ワインをいただく。
名産地なんだそうだ。
ちょっと甘口のチョイスで、高いからグラスで我慢していると、隣の席のおじさんが、ボトル半分以上残して立ち去ってしまった。
おやおや。
と思っていると、先ほどワインの話をして盛り上がって、すっかり顔見知りになったマスターが、そのワインを、空になったグラスになみなみと注いでくれたじゃあーりませんか。
おおう。
ナイスサービス!
微炭酸辛口の白をいただき、上機嫌で就寝。


2005年02月21日(月) モナコ・イタリアミラノ

ニースを後にして、モナコへ。
ここでさらにイタリア人運転手に交代。
名前は忘れたが、あんまり運転が上手でない上に、路を間違えがちな人だった。
うーん。

モナコは二番目に小さい国。
フランスの中にある、小さな国という感じで、言葉もフランス語が公用。
観光立国なので、観光客しかいないと言っても過言ではない。
それも、フランス人が多い。
エレベーターの前で、日本人の団体が行儀良く並んでいると、フランス人団体観光客が、大胆にも全員すっ飛ばして横入り!
えー!!
と呆然としていると、なんと小さな日本人の女の子(俺様)の前に、男二人ががっちりとバリケードを作り、フランス人女性をさっさとエレベーターに入れ始めた。
えー!!
ムッシュウ、なんて野蛮な野郎。
「ちょっと、私たちも乗りたいんだけど」
と言ったら、「お前らは後」との言い草。
はあ?
無理に乗り込むと、おっさん二人に足を蹴られ、追い出された。
いってえ!
思い出すだに腹ただしい。
フランス人に災いあれ。
つうか、人種差別って、実際自分がやられると、こんだけ怒り沸騰な事はないですよ。
むっきー。
ウンコの国の住人の癖にー!

すったもんだしながら、モナコに入国すると、F1グッズが山盛り売られている。
子供用の服があまりにかわいく、親戚のチビちゃん用に購入。
子供グッズは沢山あったが、あんまりいっぱい、思うがままにお土産にしちゃうときりがない感じ。
かわいいものいっぱい。

モナコの兵隊さんの、衛兵交代式を見学して、バスに乗り込んで、今度はイタリアへ出発。
モナコを出てから1時間後、まだモナコ国旗が見えている。
どうやらバスの運ちゃんが道を間違えて、引き返してきた模様。
ちょっとー、早くミラノに着かないと、観光の時間がないじゃーん。

お昼に、また朝ホテルから失敬したパンを食べる。
ところで今日は肝休日と定めたので、飲まないのだ。

夜、暗くなってからミラノ着。
雪。
ミラノは、結局眠るだけの都市に・・・させてなるものか!
はるちゃんと夜の路面電車に乗り込み、街の中心まで出る。
同じ電車に、同じツアーの若い女の子が乗っていたのだが、プラダ本店に行きたいんだとか。
ものすごくおしゃれな洋服を着て、「こんな格好じゃ、プラダに入れないかも〜」とか言っていた。
じゃあどんなマハラジャだったらプラダに入れるんですか。

店は片っ端からばたばた閉まり始めている頃で、ろくろく買い物もできなかったが、美味しいピッツェリアで食事ができた。

ところでナラカミーチェでかわいいシャツを見つけて、どうしても欲しかったのだが、レジにカギをしてしまったとか言われて、結局売ってくれなかった。
うにゅ。

路面電車に乗り込むと、また別の女の子達が乗っていた。
ホテルに帰る電車かどうか、わからないでおろおろしていたので、帰り方、降りる駅を教えてあげたのだが、会った時に「こんばんは」と言わないばかりか、道を教えてもらっても「ありがとう」とも言わない。
連れの子に、二人ごとのように「これで良いんだってー」とか言っているのだ。
まるで私の声は、神のお告げのように、降って沸いたかのようだった。
透明人間。
君たちには、旅行する権利はあっても資格はない。
基本挨拶ができるようになってから、おうちから日本から出なさい。

ミラノの雪は横殴りに吹雪いていました。


2005年02月20日(日) フランス・エクスプロバンス・カンヌ・ニース

まだ南フランスをめぐる。

マルセイユをバスで出て行き、エクスプロバンスへ。
ここも特に有名なものは無いが、セザンヌの故郷だ。
セザンヌのゆかりの地があるわけなのだが、日曜日なので店はほとんど閉まっているし、選挙の日なので変なビラを配っている学生がいるし・・・。
うーん、と思いながら、うろちょろしているうちに、自由時間終了。
実際、エクスプロバンス以上にオーガナイズされていない散策は無かった・・・。
しょぼん。
犬と鳩の糞だらけだし。

バスでカンヌに到着。
カンヌは映画祭が開かれる土地。
とりあえず赤絨毯がひかれる階段を見学後、アンティーク市場が開かれていたので見学。
ガラクタが多い。

またバスにのり、ニースに。
ニースはこの時期、カーニバルが開かれているので、道がやや混雑気味だった。
比較的早い時間にホテルにつけたので、ニースの現代美術館へ。
美術館へ行くまでの道に点々と落ちている犬の糞。
んー。
そして美術館の入り口付近には、明らかに人糞と思われるものが、山盛り。
フランス人・・・。
なに考えて生きてるんだ。
シルブプレ。

なんとこの日は休日なので、入場料フリー。
すばらしい。
すばらしいが、ウンコの町、ニース。

ぶらりと入ったレストランで夕食。
エスカルゴをいただく。
本日は白ワインであわせてみました。
はるちゃんと、大盛り上がりでエスカルゴを食べてたら、隣の席のイギリス人が、興味深げに東洋人を観察していた。
すいませんねえ。
東の果てから来たもんで。
このレストランは、ほどほどの値段なのに、全ての料理がうまかったので、当たり。
エスカルゴで盛り上がっていたせいか、お店の人にカードとばらの花をもらう。
ご馳走様でした。
ばらの花をぶん回しながら、酔っ払いはご機嫌でホテルに帰還。


2005年02月19日(土) フランス・アルル・アヴィニョン・マルセイユ

朝早くから、バルセロナを出発。
南フランスアルルを目指す。
ここで、今までスペイン中をめぐってくれたバスの運転手、アレキサンドロさんとお別れ。
フランス人の運転手、アルベルトさんになる。
フランス国内では、バスの乗務員全員のシートベルト着用が義務付けられている。
早速着用!
と、なんだかとっても締め付けがきつい。
ぎゅーっと腹を押さえつけられて、苦しいことこの上ない。
ぎゅー。

アルルは、特に有名なことはないが、今話題のゴッホが一時期生活の場を置き、相当数の作品をかき上げ、ゴーギャンと同居した土地として有名。
ゴッホが描いた跳ね橋を、運転手さんの好意で見に行く。
アルルの町並みは、古い建物がそのまま残されていたりする。
散歩してみる。
明日日曜日にEU法の制定選挙が行われるため、せっかくの古い町並みなのに、学生たちの抗議落書きが点々としている。

朝早すぎて店が開いてなかったので、生鮮市場みたいなとこで、チーズとオリーブのサバ巻きを購入。

ローマ時代の闘技場を見に行く。
そういえば、スペインにはあまりこの時代の遺跡がなかった。
ローマの威力は、この辺までが限界だったのか。
猫がわらわら住んでいた。
鳩も沢山巣くっており、糞との闘いが始まった。
というか、フランスに入ってから、犬の糞だらけ。
糞の国だな、フランスは。

本日も、ホテルの朝食盗品で作る、スペシャルランチ。
それに、市場で買った食材をあわせて、ちょっと贅沢に。

バスでアヴィニョンへ。
アヴィニョンには、法王庁が存在する。
ローマ法王が、しばらくの間アヴィニョンに居を移していたのは世界史の教科書に載っていると思われる。
法王庁はさすがにでかい。
そして、キリスト教美術品の充実振りは、さすがの一言。
ボッティッチェルリは有名だが、その他にもフィリッポ・リッピなどの名画が、所狭しとならんでいる。
法王、どんなことしたらこんだけの財を集めることができるんだ。

最近は東洋史にも光を当てようと、西洋史の記述が教科書から追い出される傾向にあるようだが、やっぱこういう知識は必要だよなあ、という気持ち。

夜、マルセイユに到着。
ホテル周辺はあまり何もないが、とりあえずピザを食べに行く。
道であったおじさんに、「どこから来た」「東京?ベトナムか!」と妙なことを言われる。
ワインを飲んで、ご機嫌で就寝。
そろそろ肝臓を休ませなければ。


皇帝