皇帝の日記
目次もくもくぶらり過去旅ぶらり未来旅


2009年03月20日(金) 小児科

本日三回目の小児科受診。
無事8オンス増えて、時折元気に泣いたりするように。

赤ちゃんを他人から「かわいー!」と褒めてもらうと、決まり文句ながら嬉しくなるのが親。
これまで二回とも、看護婦さんから「かわいー!」と言ってもらって、喜んでいたのだが、今回はもうかわいがってくれなくなってしまった。

理由は、二回とも体重計におしっこテロを仕掛けたから。

そして、医者に二回もうん○テロをしたから。

でもって、今回はおむつ取らないで体重計に乗りました・・・。
おむつかぶれも診てくれなかったよ・・・。
イサムさん・・・。


2009年03月19日(木) 父親学級は存在しない

ジャバ夫さんが、病院の父親学級(ファザーズクラス)に参加してきた。
とても為になったと言っている。

よく、アメリカのドラマや映画であるように、新しくお父さんになった、もしくはこれからなる人が集まって、輪になって座って、自分の境遇を語るのだ。
あれが何の役に立つんだろう、と長らく思っていたが、役に立つんだってさ。
同じ困難に直面している者同士、自分だけ大変なわけじゃない、と思えるらしい。
そして、講師みたいな人が、こうしてみなさい、ああしてみなさい、と、時々アドバイスのチップを落っことすんだって。

でもその内容を教えてくれないのだ。
「お母さんには内緒」
だそうで。

ファイトクラブ(ブラピ主演映画)みたいだと思った。

ルール1:ファイトクラブは存在しない。
ルール2:ファイトクラブは存在しない。
ルール3:ファイトクラブは存在しない。

ちなみに、ジャバ夫さんの育児休暇は月曜日と火曜日。
会社に行くのはは水木金だけ。


2009年03月18日(水)

イサムさんの頭頂部には、小さいカサブタがぽちっとある。

これは医者が人口破水させた時にぶっ刺した鍼が、イサムさんの頭にヒットしたため。
これを見ると、一緒に頑張りましたね、という気がする。
同志よ。

イサムさんは小さいので、母乳を直接吸う力が無い。
だから、ポンプで搾乳してから哺乳瓶で母乳をあげて、足りない分をミルクで補っている。
そして、たぶん一月早く産まれてしまったせいだろうと思うのだが、授乳時間になっても起きてくれないし、一度に飲む量も少ない。
無理に多く飲ませると、吐いちゃうので、少しずつあげる。

今まで体重が気になっていたので2時間に一度必ず無理に起こして授乳していたが、夜はイサムさんが欲しがるまで放っておいたらどうかな、と作戦を変えてみた。
母も眠いので。
ぐー。

だいたい3時間−4時間に一度くらい、「にゃー」とか鳴いて、ミルクを欲しがること判明。
「おぎゃー!」と力強く泣く程には、元気が無いみたい。
おしめが濡れても、全く泣かない。
たくましく育って欲しいもんです。

さて、昨晩は、義父母に一回分の授乳を任せて、空いた3時間でジャバ夫さんとステーキレストランへ。
産前はすごい食欲が有ったのに、産んだ直後から全くお腹がすかない不思議。
アメリカのでっかいステーキも、ガッツリ食べていたのに、昨晩は半分も食べれず。
ワインも、グラス一杯なら良いんじゃない〜と頼んだのに、2口で断念。
寝不足のせいか、ぼーっとする。

もう産んでから3ヶ月くらい経ったような気がしていたが、実は2週間もしていないのだ。
ステーキとワインは、また2週間後くらいにトライしましょう。


2009年03月17日(火) 背中

背中痛い。

忘れていたが、背中が痛かったのだ。
術後の痛み止めのおかげで、産前から酷かった背中の痛みまで消されていたが、お腹を壊したので全ての薬を止めたら、背中の痛みがぶりかえしてきた。
痛い。
耐えきれず、また痛み止めを飲んだら、またお腹を壊し。

こりゃあいかん。
というわけで、出張マッサージ屋さんに来てもらった。

海で流木が膝に刺さったり、彫刻刀を指に刺したり、人生で何度か大怪我をしているが、あまり痛い記憶が無い。
痛いというより、熱いとか冷たいとか痒いとか、別の感覚に変わってしまうのだ。
大怪我は。

それよりドメスティックな、ナスのヘタが指に刺さったとか、北京でアイスクリームにあたったとか、ベッドに足をぶつけたとか、軽い痛みの方が、より純粋に痛みとして認識されやすいので、記憶に残っている。

まあそんなわけで、切ったお腹よりも、凝っている背中の方が痛いです。

我が子ながらかわいく撮れた。
http://outdoor.geocities.jp/aimccorkell/isamu2.html


2009年03月16日(月) 汚い話

汚い話ですが。

ラリパッパの薬をやると、便秘になる。
それはもう、一錠でもすぐさま。
ビートニクの小説家、ウイリアム・バロウズのラリラリ小説「ジャンキー」でも、薬と便秘は引き離せない問題だと言及されている。

皇帝はわりとお通じは良い方。
多くの妊婦が悩んでいるのに、妊娠中も一度も便秘にならなかったほど。
でも、薬は強烈だった。
体中の水分が薬に取られてしまったかのような。

ジャバ家に帰ってから、「いやー薬で便秘がすごいんだってば」というような話がコックさんにまわり、以来毎回皇帝の食事にプルーンが出される。
毎回。
皇帝はプルーンが嫌い。
嫌いよ。

全く手をつけずに返すのに、必ず次の食事にも出される。
プルーンジュースまで。
嫌いよ。

薬を変えたら、今度はお腹を壊してしまった。
だと言うのに、未だに出されるプルーン。
土日はコックさんお休みなのに、コックさんが義母に「必ずこれを出すように」と言ったらしく、やっぱりプルーンが出てくる。

プルーンは全てを解決する、とでも言いたげに。
コックさんは、プルーンが世界を救うと思っているようだ。


2009年03月15日(日) 臍帯血

横浜のじいじは今日日本に帰ってしまった。
イサムさんにミルクあげたり、ゲップさせたり、活躍して。
又来てね、と言う前に、すでに5月の飛行機の切符を買っているじいじ。

そう言えば、臍帯血バンクはどうなったかと言うと、ちゃんと間に合ったのだ。

急な事だったので、まだ書類の提出とか終わっていなくて、出産に間に合わないかもしれない、とか思っていたが、向こうも商売柄イレギュラーなスケジュールに慣れているらしく、アメリカ人としては珍しく、電話して6時間でロスから採取キットを持って、飛んできた。
夜11時に到着。

まだ安産を信じて暢気者だった皇帝は、「陣痛が始まって4時間で産む人もいるというのに、6時間じゃ間に合わないかもしれない」とか思っていた。
暢気だったものよ。

そして、何故か母親の血液も細いボトル3本分必要で、術後採血に挑戦したのだが、皇帝もう血が無くて、2本分しか採れなかった。
鍼を5、6カ所ブスブス刺されたあげく。
「うーん、もう血が無いねー」と言われた。
もっと早く気づいて・・・。

暢気と言えば、ジャバ夫さんは、陣痛中の皇帝を和ませようと、色々出産とは関係ない話題を振ってきていた。
極めつけは、「先週の24を録画してきたけど、見る?」だ。
しかも、見てしまった「24」。
ジャック、あの女が裏切り者よ!!とか陣痛しながら。

そんなわけで、イサムさんの写真。
http://outdoor.geocities.jp/aimccorkell/isamu.html
なんかへろへろしながら作ったページなので、表示がおかしいかも。
青いというより、紺色なので、写真では黒っぽいイサムさんの目。

いい加減、写真が簡単にアップできる、今時のブログにお引っ越ししたら良いと思うんですが。
いや、写真じゃ伝わらない何かが、文章にはある筈だ、とかこれまた無駄に求道者。


2009年03月14日(土) へその緒

おむつ取り替えていたら、へその緒が取れてしまった。

ジャバ夫さんが週3−4日ロスに戻って働く事になったので、お留守番。
ジャバ夫さんがイサムさんのおむつ替えを独占していたので、ようやく自分でできると思った矢先に。
へその緒ポロ。

話題を集めている、イサムさんの青い目ですが、6週間後くらいには茶色くなっちゃうそうです。
ちょっと残念のような、ほっとしたような。
だって皇帝の子だから、やっぱりあんまり突飛な色はどうかと。
3代くらい後に、日本に帰って暮らしていた一族の中に、隔世遺伝で突然青い目が出てきたら、ファンタジーよね〜とか思っている。

低体重児のイサムさんだが、7日目に小児科で診てもらい、軽い黄疸が出たので、また一日置いて診てもらったら、4オンス増えていた。
勤勉なA型血液が騒いで、きっちり2時間おきに授乳しているのが効いたらしい。
2時間置きの授乳って、間2時間眠れそうだが、実は母は搾乳やら哺乳瓶洗浄やらしていて、1時間ずつしか眠れないのだ。

薬を変えたから、多少起きていられるが、やっぱり眠いもの。
ぐ〜。

写真を見せて欲しいコールがあるので、アップしたいのですが、パソコンをいじるのと別の部分の脳みそを使っているらしく、なかなかできません。
もう縮小写真とか作って待機してあるのに。
ぐるぐる。


2009年03月12日(木) 授乳

今朝、母乳支援のボランティアナースが来てくれた。

イサムさんは今の所とても良い子。
ミルクを飲ませても吐かないし、ゲップもスムーズにしてくれるし。
ほとんど眠っていて、泣かないし。

と思ったが、どうも皇帝の飲んでいるラリラリ薬の成分が、母乳を通じてイサムさんの口に入っているので、イサムさんもラリラリなのだ。
そりゃあ眠いだろうよ。

というわけで、母の痛み止めの種類を変えるように指導が。
今の薬だと、内蔵の動きまで鈍くなるらしい。

はあ、眠い。


2009年03月11日(水) お七夜

おじいちゃんに日本で命名書を書いてきてもらったので、インスタントお赤飯を食べてお七夜。

イサムは勇の字。
アメリカ人に自己紹介して、発音できなかったら、サムと呼んでもらえる。

ジャバ夫さんの頭文字の「マ」も付いてる。

今日は初めての小児科検診で、体重が誕生時に戻っていた。
小さいけど、心臓が丈夫なので大丈夫ではないか、とのこと。

母は深夜の授乳で眠い。
ラリラリ薬を飲みながら、授乳してていいのだろうか。


2009年03月10日(火) 退院

ラリラリながら退院している。
メールとか、i-phone で見れたり、時々接続が悪くて開けなかったり。
返事はちょっと遅れますが、元気なのです。

さて、母はアメリカドラマ「ER」が嫌いだった。
緊急患者の前で、医者や看護士が痴話げんかをするからだ。
「人が苦しんでる時に、失礼しちゃうわよね」と言っていた。
その通りだと思う。

そして、今回皇帝の腹を開けた医者は、アシスタントの女医さんと、地元の野球チームの話をしながら縫合していた。
縫合と言っても、医療用の糊で貼付けてあるので、鍼と糸は使ってないのだが。
チームのカラーがどうのとか、使用するボールの大きさがどうのこうのとか。
失礼しちゃうわね、とは思わなかったが、どうでもいいから早く手を動かして、閉めてくれ、と思っていた。
部分麻酔なので、上半身が外傷のショックで痛くもないのにガタガタしていて、けっこう辛いのだ。

それにしても、たかが傷を閉めるだけなのに、赤ちゃんが出てから、ジャバ夫さんが退室して、かなり手間がかかっているようだった。
輸血こそしなかったが、水の点滴を受けながら、段々体も冷えてきて、さむいーさむいーと半べそになっていたら、ようやく処置が終わって、ナースステーションに移動。
帝王切開って速いって聞いていたのに、話が違うじゃないか、と思っていた。
そのうちイサムさんにあったりしているうちに、そんな苦労も忘れてしまった。

で、退院直前。
担当医が最後の傷口のチェックなどをして、「はい、帰ってよろしい。また来月来てね」と言われて退出。

・・・・・・・・・・・・・してしばらくして、また医者が戻って来た。
「忘れてたけど、卵巣に良性腫瘍が有ったから、取ったからね」

忘れてたのか!!?

かなーり初期のことなので、忘れていたが、卵巣膿腫があるかもしれない、とか日本の医者が言っていたが、腫瘍だったらしいのだ。
卵巣は取らないで、腫瘍だけ取れたから取った、とのこと。
「4インチくらいになってた。ラッキーだったね」とか言われた。
う、うん?

忘れられたショックと、腫瘍を取りながら野球の話をしていた驚きと。

日本の医者は暗過ぎたし、アメリカの医者は明る過ぎだ。


皇帝