皇帝の日記
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ファスナーは気になる。
宇宙服もファスナーでとまっているし、青函トンネルだって一部ファスナーで連結されている。 パンクでロックなデザインで、ファスナーそれ自体がファッションとして注目される事も有るが、むしろファスナーは通常隠される。 ファスナーに流行は有るけどないようなものだ。
アパレル不況で中国製の安いファスナーがよく使われているが、できればファスナーは日本製が良い。 本体が中国製でも、ファスナーだけ日本製であって欲しい。
人知れずファスナーに惹かれているが、人知れたところで、あまり盛り上がらない話題なので、特に主張していない。
さて、実は出産した時に、「私は赤ちゃんを一人きりにしないし、添い寝しません」というような書類にサインさせられた。 サインしないと、退院できなかったのだ。 どちらも突然死を防ぐためらしい。
赤ちゃんを一人きりにしておくのは危ないから、しない。 ついでに、一人っきりにすると、警察に通報される。
でも添い寝はする。
もちろん窒息や転落のリスクを減らすための対策はするが、結局アメリカ人の母親も、70%は家に帰ったら添い寝しているらしい。
誇り高いメキシコインディアンの末裔である、お手伝いさんももちろん添い寝派だ。 シーツに皺を寄せないようにカバーしたり、ベッドの端にバンパーを付けたりしてくれている。
で、入院中は添い寝厳禁。
柵付きのベビーベッドに入れておかなければならなかった。 確かに一見安全そうだが、イサムさんがゲロッと吐いた時に、すぐパッと体をひっくり返してやれないから、よくむせていた。 すぐ隣に寝ていれば、無意識でも体を横にしてやれるのに。 どちらが良いのか悪いのかは、難しいところですな。
ところで、アメリカには布団を天日で干す習慣がないようなのだが、添い寝した結果、マットレスは大惨事に見舞われる事となるわけだ。 お手伝いさん曰く「二人目が2歳になった時に、あまりに臭いからマットレスごと捨てた」そうな。
捨てちゃうのか。 大胆な。
初節句に、イサムさんを写真屋さんに撮影してもらおうと計画している。 その写真を焼き増しして、「産まれました」の挨拶にしようと思っているのだ。 こういう節々のイベントも、二人目以降からテンションが下がるんだろうなあ、と思うので、せめて一人目は浮かれていたい。
そう言えば、YK毛で医療用ファスナーを開発してくれないかな、と思っていた。
というのも、帝王切開の次の出産でも、日本ではできる限り自然分娩をさせたい方向で努力するようだが、こちらでは、必ずしもそうではない。 なぜなら、帝王切開を一度していると、事故リスクが高まるので、医師資格の有る者が、分娩の過程で付きっきりにならなければならないかららしい。 UCLAのようなでかい病院では、そういったサービスも可能だそうだが、多くの総合病院では、それほどスタッフに余裕がないんだとか。
イサムさんの産まれたサンタバーバラコテッジ病院では、一人目帝王切開の場合、二人目からも問答無用で帝王切開なのだ。 まあ、またしても頑張った末に帝王切開でした、となると嫌なので、はじめっから切るのも良いかな、と思う。 今回だって、帝王切開に方針を切り替えてから、5分くらいで産まれて、とても楽だったのだから。
で、次も切る事が決まっているのならば、今回切った時に、傷口にファスナーを縫い付けておいたら良かったのではないか、と思うのだ。 もう次は産まない、と決めるまで、ファスナーを付けっぱなしにしておいて、産む時はジッパーをチーッと開けるだけ。 これは、再発する病気にも使えるではないか。
とか考えていたが、ファスナーのこっちと向こうとを、血管や神経を通さなければならないので、多分無理だ。
いや、火星に行くなんて無理だ、と思われていた時代を経て、21世紀を生きるものとしては、可能性は捨てがたい。 医療用ファスナー。
何のために苦労して母乳で育児をしようとしていたのか。 消化器系の感染症にならないように、イサムさんの免疫を高めるためではなかったのか。 でも、わりと簡単に腎盂腎炎になってしまった。
などと考えていると、今までの苦労がまるっきり無駄っぽいので、悲しくなるではないか。
看護婦さんは言いました。 母乳に入っている、良いバクテリアが、赤ちゃんを病気から守ってくれるのよ。 だから、入院中も母乳をあげる事が、赤ちゃんの為になるのよ。 と。
でも、イサムさんが一週間打っていた点滴はアンチバクテリアではないのか。 良いバクテリアも悪いバクテリアも、イサムさんの体の中から無くなったのではないか。 ついでに、今飲んでいるピンクの薬も、バクテリアを無くす薬だ。
すると、病院でせっせと搾乳していたのも、わざわざ一食分にわけて冷凍して、それをまた解凍してあげていたことも、無駄なんではないか。
いや、自分の努力に疑問を持ってはいけない。 気がつかなかった事にしよう。
イサムさんは今日も元気です。
イサムさん退院しました。 ご心配をおかけいたしました。 あと三日間、邪悪なピンク色のお薬をスポイトで飲ませないといけませんが、とても元気になりました。
そして大きく成長しました。 帰ってきたら、もう色んな服が入らなくて、あせって色々着せて、写真撮影。
病院支給の赤ちゃん用タオル。 汚れたら業者が回収して、洗って殺菌消毒して、また病院にやってくるシステムらしい。 日本の布おしぼりと同じですね。
ところが、この毛布が摩耗して、驚く程ボロッちくなっても、まだ回収して、再び洗われて戻ってくるのだ。 中にはびりびりに破けて、後はもうこよりにして、下駄の鼻緒にするしかないってくらいのまである。 柔軟剤を使わないからか、ガビガビになっていたり、堅い毛玉に覆われて、大人が触っても「ちょっとなあ〜」という感じ。
申し訳ないけど、イサムさまを包むのには、躊躇いたします。 だもんで、家からマイタオルを持ってきているのだが、ちょっと目を離すと、看護婦さんがガビガビタオルで包み直してくれていたりする。 それをまた、こっそり母が持参タオルで包み直し・・・。
ところで、昨日からまた例のうるさい親子と一緒の部屋になってしまった。
トイレの流しにベビーフードの入ったお椀を放置していたり、使用済みおむつを積んであったり。 しかも、夜はなんと、赤ちゃん置いて帰っちゃいました。 なにー!? しかも部屋を去るとき、テレビ大音量でつけっぱなし、鳴りものおもちゃ達つけっぱなし、赤ちゃん泣きっぱなしでしたけど!?
しょうもないので、おもちゃの電源を一個ずつ切って歩いて、最後にテレビの電源落としたら、赤ちゃん泣き止んだ。 そして、朝までぐっすり眠って、良い子だった。
お母さんが居ると、甘えて張り切って泣いちゃうんだろうか。 つうか環境がうるさ過ぎやしませんかね、この一家は・・・。
イサムさんが病に倒れたのと、時を同じくして、ジャバ夫さんも原因不明の足の激痛にひっくり返っていた。 原因は割と簡単に判明したのだが、それは痛風だった。
100%スコットランド系で男性と言う、遺伝的に痛風を発症しやすい先天的条件を備えながら、ワイン、ビール、コーラ飲みまくり。 肉が何より大好きで、甲殻類を愛して止まないという、後天的暴飲暴食が引き金となり、ある意味なるべくしてなった病である。
そして、二人が病に倒れた週、ちょうど医療保険が切り替わったのだった。 子供ができた事だし、家族全員をカバーしてくれる、ちょっとお高めの、良い保険に。
医療保険未開の地アメリカでは、良い保険の審査はめちゃくちゃ厳しい。 この保険も、皇帝の妊娠が発覚してから、ずっと「入りたいです!」とアプローチして、審査に審査を重ねて、ようやく入れたのである。 (出産のリスクを回避してから加入許可したと、見えなくもないな、この保険屋にゃろーめ) それも、掛け金が月額××百ドル。 年間に換算すると、もう素直に医療費払っちゃった方が良いんじゃないの?という高額保険。
正直、無駄じゃないの?と思っていた。 でも、もし今日、ロスからやってくるジャバ夫さんが、交通事故に遭ってしまったら? イサムさんが、重病にかかって、年単位で通院する事になったら? それを私が面倒見れるのか。 この異国の地で。 と考えると、多少家計に打撃が有っても、安心料としては高くないのではないか、とか思っていた。
それで、加入した週からこの有様。
業突く張りの保険屋が再審査を要求しそうだ。 でもなんも悪い事してないもんね。 ふん。
そして、かわいそうにジャバ夫さん、皇帝の出産から今日までで、20ポンドも痩せてしまった。 皇帝が出産してすぐは、薬でラリッている妻と、産まれたばかりの赤ん坊を世話しながら、病院の堅いソファーに泊まり。 退院してからはロスとサンタバーバラを行ったり来たり。 イサムさんが入院したら、またソファーに眠り、病院の食堂の、悪徳業者が作るわけのわからない食物を食べ。 その上、骨折より痛いらしい痛風で、肉抜き、魚抜き。 それでいて、仕事量は変わっていないようなので、それは痩せてしまうでしょう。
女医さんの話によると、痛風は分娩の痛みとイーブンだそうな。
イサムさんは順調に体重が増えて、9ポンド6オンス。 もう新生児用のおむつは卒業。
実技試験合格したので、私も一人前のカリフォルニアドライバー。 うふ。
出産したのですっかり忘れていたが、実はイサムさんが生まれる前日にも、実技試験を受けていた。 ところが、その日は運悪く、試験官の試験の日。 つまり、皇帝の試験をする人の試験をする人が同乗するという、ダブル試験だったのだ。 試験されている試験官は、ものすごい厳しい。 なんせ、見落としがあったら、自分が試験にパスできないのだから。
その上、その時は気がつかなかったが、皇帝は陣痛が始まっていたので、お腹が痛かった。 あらーお腹が痛いわー。 緊張しているからかしらー。 いだだだだだ。 ん?右に曲がれっつった?聞き逃したわ。
などという有様だったので、もちろん落ちたさ。 ああ。
イサムさんを産んで、しばらくしてからジャバ夫さんが「じゃあ次の試験の予約入れておくね」と言っていたのだが、慣れない育児にテンテコ舞っているうちにすっかり忘れ。 その上今回の入院。
練習する間もあればこそ。 今朝、突然お手伝いさんが病院に来て、「セニョリータ、今日テストの日だから。イサムは私が見てるから。行ってきなさい」と言われたときの驚き。 折りしも、昨晩はイサムさん、深夜に3時間もぐずってくれて、お母さん全く眠れてないのに。
こりゃあ再試だな、と覚悟しておりましたが、ちゃんと受かった。
そもそもサンタバーバラは実技試験が比較的やさしいのだ。 ロスに比べて。 噂に基づくと、ハリウッドの試験官が一番根性悪で、サンタモニカはロスの中ではやさしい。 郊外の試験場はさらに点が甘くなり、サンタバーバラはパラレルパーキング(縦列駐車)などの試験がないので、より簡単、という触れ込みだ。
だからこそ、臨月なのにサンタバーバラにいるうちに試験を受けておきたかったのだ。
まあとりあえず、これで自力でロスに帰れるわけですね。 理論上は。
試験場から自力でジャバ実家まで運転してきたので、とりあえずシャワーを浴びてから、また病院に戻ります。
子供を見ていると、自分が子供だった頃を頻繁に思い出すようになるらしい。
ジャバ夫さんと、「そういえば子供の頃〜」という話を良くするようになった。
子供の頃、一輪車が得意だった。 子供の頃、兄貴の自転車を追いかけて走って転んで顔面を擦って、何故か兄貴が怒られた。 子供の頃、庭に落ちてた腐ったピーナッツを食べた。
すっかり忘れていた、小さな事を思い出すのだ。
ジャバ夫さんも 子供の頃、ゴミのコンテナの上に座って、ハイウエイの車を見るのが好きだった。 子供の頃、一番近いコンビニに強盗が入って、ライフルで店長が殺された。 子供の頃、警察が毎晩ヘリコプターで近所をパトロールしていて、夜中に家の中をサーチライトで照らされていた。
地震の避難訓練の有った皇帝と、竜巻の避難訓練の有ったジャバ夫さんでは、だいぶ違う幼少期を過ごしている。
中でも印象に残っているジャバ夫さんの話。
子供の頃、近所の友達が銃を拾った。 遊んでいて、友達が猫を撃ってしまった。 すぐに、とんでもない事をした、猫にかわいそうだ、と後悔した。 友達は、どうすれば猫に悪い風にならないだろうか、と考えた。 そして、友達はその場でたき火をして
「焼いて食べた」
ええええええええーーーーーーーーーーーー!!!!!!???????
急展開。
猫がかわいそう。 あれ?かわいそうじゃないかも? ん?
と、価値観が根本から揺すられる、深い話である。
その友達も、長じた今ではベジタリアンだそうな。
牛が愛玩動物になりうるのであれば、猫はこの場合果たしてかわいそうなのだろうか。 どうなのだろうか。
今日はお隣の病室に、うつる病気の子が来たらしく、隔離されています。
病院停電中。 予備電源で薄ら明るい。
さて、入院している小児科の部屋は二人部屋で、別の赤ちゃんと一緒だ。
でも皆一日二日の入院なので、長らく入院のイサムさんのルームメイトは、とっかえひっかえ。 うつる系の病気の子供は、さすがに同室にならないが、月齢の違う子が来ると、睡眠パターンが違うので、お互いに起こしあって、お母さんが眠れない。 一日二日ならそれでよござんしょうが、こちらはちょっぴり長いので、疲労なんかためてられないのだ。 意地でも睡眠時間を確保せねば。
3、4日目を共にした18ヶ月の赤ちゃんは、とんでもないお母さんとお婆ちゃんが一緒だったので、特筆しておこう。
まず二人とも声がでかい。 でかい上に、赤ちゃんに向かって、言ってもしょうもない事を怒鳴り続けているのだ。 「何が気に入らないの!?」とかの質問を10回も20回も繰り返したり。 しかも夜も。 答えませんから、赤ちゃんは。
お婆ちゃんは耳が遠いのか、テレビを大音量でつけっぱなし。
そして、衛生観念がおかしい。 病院の床に落とした哺乳瓶を、拾ってまた飲ませたり。 床に寝かせて(何故!?)、毛布をかけたり。 その毛布をしゃぶらせたり。
ついでに赤ちゃんは泣きっぱなし。 足の骨折で入院しているのだが、延々泣きっぱなし。 これは仕方がない。 だってきっと具合が悪いんだから。
でも、お母さんが赤ちゃんの泣き声より大きな声で、私用電話をかけ続けているのは仕方がなくない。 やっぱり夜中も。
ああ、なんだか良くわからないけど、全体的におかしいですからあなた達ー。 と、疲れた頭をよけい疲れさせる親子三代。
全く夜中寝かせてくれず(イサムさんは良い子なので、我関せず眠っていた)、朝マジで切れちゃう5秒前くらいになった時、看護婦さんが来て言いました。
「あら、この子すんごい熱が有るわ」
そう、熱が有るから赤ちゃんは一晩中泣いて、機嫌が悪かったのです。
で、その原因がバクテリアのインフェクション(感染症)、とイサムさんと同じ。 へえ・・・。
まあ、床に落ちたもの口に入れてたから、大腸菌も何もかも、入り放題だろうなあ・・・。
と思っていたら、突然お母さんが「隣も子も感染症でしょう!?うつされたんだわ!!」
って。
腎盂腎炎うつりませんからーーーーー!!!!!!
でもって、部屋替えになりました。 イサムさんは窓際の良い部屋へ。 ありがとう、わけのわからない親子よ。
赤ちゃんは、親に関係なく強く育ってください。 骨折の原因が気になる。
イサムさん、腎盂腎炎にて入院中です。 一週間くらい。 もう熱も下がったけれど、抗生剤をきっちり入れないといけないので、みっちり入院。 お母さんも一緒に入院ですが、本日はお父さんが泊まりたいというので、帰されてきました。
A型の執着で、毎晩同じ時間に体温を測っていたのだが、いつもは華氏97ー98度の間。 しかし木曜の夜は、華氏99度。 99度?摂氏何度? ちょっと高いから心配。 いや、このくらいで心配とか言っていたら、笑われるかしらん。 でも最初の子だからね、うふふ。 とか思いながら、抱っこしてじっと見張っていたら、一時間後くらいに顔が真っ赤になってきて、明らかにポカポカ暖かくなってきたので、もう一回測ってみたら、なんと103度!
何度だかわからないけど、除夜の鐘より5度低いだけだなんて、高過ぎる。 動転して、同じ家に居るのに義母の携帯に電話をかけて、「103度って何度!?」と聞いたら、すぐ車に乗せられて、ERに向けて出発。 病院について5分後には医者に診てもらって、血液検査、尿検査、レントゲン等々をされて、あれよあれよという間に小児科に移されて、「お母さん母乳育児?じゃあ泊まって。お爺ちゃんお婆ちゃんは夜だから帰って。はい洗面器」と、洗面器だけ持たされて、イサムさんと一緒の部屋に入れられてしまった。
洗面器・・・って・・・?
母乳を洗面器に絞るの?? ではなくて、後から搾乳機とか哺乳瓶とかおむつとか支給されたのだった(洗面器はそれを入れておくうつわ)。 しかし、異国の病院って、勝手が分からなくて心細い。 義父母の居ない時病気の説明されても、きっとさっぱりわからないだろうし。
深夜の病室でポチポチとi-phoneの計算機で華氏=摂氏の計算をしたら、103度=39・4度。 ぎゃー! と、ここでようやく事の大事がわかって、おろおろする母熊。
病院に出発した時点で、義父がジャバ夫さんに電話をかけておいてくれたので、すぐにジャバ夫さんが来て、看護婦の説明を聞いて、通訳してもらった。 「ブラッダー(膀胱)かキドニー(腎臓)のバクテリアのインフェクション(感染症)で、曾祖父母までの親族に同じ症状の人が居なかったかって聞かれてる」 って言われても、ピンと来ない。 腎盂腎炎って言ってもらったら、すぐに心当たりが有ったのだが。
そう、それはお婆ちゃん! 亡くなった母が、幼少時に腎盂腎炎で医者にかかったってよく言っておりました。 ああ、病名って難しい。 なんせ、英語だとこんなにややこしいのだ。 http://en.wikipedia.org/wiki/Pyelonephritis
次の日の朝、医者さんが説明してくれたけど、もちろん病気の正確な理解には至らず。 出かけにぱっと鞄に詰めた、頂き物の「子供の病気の地図帳」を読んで、ようやく腎盂腎炎だなあ、と気がついた次第。 http://www.amazon.co.jp/gp/product/406206605X?ie=UTF8&tag=cocorotiryoui-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=406206605X
絵や写真が沢山入っていて、義父母にも見せながら説明できた。 良い本だ。 自治体で配ったら良いのに。
とりあえず、お母さんの課題は 1:華氏と摂氏の計算を瞬時にできるようにする。(か、摂氏表示の体温計を買う) 2:内臓系の英語を覚える。 3:子供が注射されている時、自分が泣かない。(悲しくなります)
関係ないとは思うけれど。 でも一言アメリカンドクターに言いたい。
やっぱり赤ちゃんのお風呂は毎日入れるべきではないのだろうかーあー。
明日からまた缶詰になります。 はあ。
元気のない赤ちゃんは悲しいです。
皇帝

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