ぶつぶつ日記
DiaryINDEXpastwill


2001年09月20日(木) 平和の上のニンジン

【平和の上のニンジン】
ネットを通して知り合った友人と、
仕事とお金をやりくりして出かける旅のことを、
「ニンジン」と呼んでいる。
馬の鼻先にぶら下げられた、あのニンジンのことだ。
日々の雑務や仕事上の問題、
将来の不安や自分自身へのふがいなさ。
そんなモロモロのものを解消するための重要な手段が、
私達の場合は海外に出かけていくこと。
財布(預金通帳か)とにらめっこしながら、
でも時にはそんな財政上の問題は無視して、
私達は出かけていく。
そう、そこにまだ見ぬ国がある限り!!

今回、今後の状況が不透明だということもあり、
その友人は控えていた台湾旅行をキャンセルしたそうだ。
一緒に行くはずの同行者の両親が心配したせいもある。
彼らの心配を大げさな・・・と一笑にすることはできない。
また、ハワイ旅行や、トルコ旅行を取りやめた友人知人たち、
初めての個人旅行で楽しみにしていたフランス行きを
どうしたものか決めかねている大学生も知っている。

日本ではなかなか世界情勢を体感することは難しい。
テロは恐ろしいと思っても、
どこか映画の中の出来事のように感じてしまうのも、
仕方ないことのように思う。

けれど、私達の「ニンジン」は日本の平和だけで成り立っているわけではない。
世界中の色んな国の平和があってこそ、の「ニンジン」なのだ。




【本日のネット情報】
アメリカの軍事報復に対する「反対署名」 
http://www.thepetitionsite.com/takeaction/224622495

アメリカの女性が発起人だそうです。
この頃大分アメリカ人の署名が増えてきました。
ヒートアップした頭もクールになりつつある人もいるのでしょうか。


日・パ旅行社
現地の旅行社ですが、この事件に関するパキスタンの様子など、
毎日現地からレポ−トしています。
http://www.pat.hi-ho.ne.jp/nippagrp/index.htm

喜ぶパレスチナ人の映像が1991年のものだったという噂がありますが、
BBCの上の人がそれを認めたとか。
http://forums.prospero.com/id-argument/messages/?msg=6521


2001年09月19日(水) 兄よ、私が悪かった/見極める力

【兄よ、私が悪かった】
アメリカではオサマ・ビン・ラディンに似ていると言うだけで、
射殺されてしまった人がいるそうだ。
また、ターバンをしていたシーク教徒インド人がイスラム教徒と間違えられ、
これまた襲われたりしたらしい。
単に自分達の憂さ晴らしじゃないかと思えるような
「正義」の倫理がぶちまけられている。

そんな中でうちの頭がちがちの兄がボソッと言っていた。
「過激派と一般のイスラム教徒の人を一緒くたに考えたら、
真面目に生活している人がかわいそうだ。」
兄ちゃん、いいとこあるじゃんか(TT)。
そう言えばこの人は、留置場に入っているイラン人のことを
「習慣とか体臭とか(^^;)まあ色々あるけど、
話すと皆礼儀正しくていい人が多いよ。
こっちの立場もわかってくれるし・・・。」と言ってたなあ。
知り合う機会があれば、全てを否定するわけではないんだ。

兄ちゃん、私が悪かった。
聞く耳を持っていなかったのは、
多分私の方だったんだね。


【見極める力】
エシュロンの情報収集ではないが、
今回の事件で痛感するのは、
時代は映像と情報の世紀と言うことだ。
四方八方、ありとあらゆるアングルから突っ込む旅客機、
窓から真っ逆さまに落ちていく人、
粉塵で全身真っ白な人や、血だらけの人。
力なく肩を落とす消防士・・・。
これでもか、これでもかと言うように
衝撃的で感情を煽るような映像を見せられた。
そして、次々とメールや掲示板で送られてくる様々な情報。
正直、情報でお腹いっぱいだ。

中には事件当日ワールドトレードセンターで働く4000人の
イスラエル人が、一斉に休みを取っていた!
などとちょっと考えればそんな変なこと・・・
とわかるようなものまで送られてくる。
(もしイスラエルが関与していたと仮定しても、
こんなへまは絶対にしないだろう。
ここまでやったらイスラエルが関与している重大な証拠になってしまうからだ。
そんなの素人が考えてもわかることだ。)

情報社会ばかりが進んでいるが、
私たちはまだ、その情報を振り分けるだけの知恵を持っていない。
信じたいものを信じ、信じたくないものは見ないようにする。
それではまるでテロリストと同じだ。
見極める力が欲しい、と思う。


2001年09月18日(火) 身近にある悪意/戦争よりも明日のパン

【身近にある悪意】
私が働いているのは日本語学校だ。
だから外国人がたくさんいる。

今週、この学校で何者かにガラスを2枚割られた。
内部犯行(学生)も考えられるが、
この学校に来ている学生はおっとりしている学生が多く、
あまりそういう攻撃的な不満は感じない。
以前勤めていた学校だったら、
まず最初に学生を疑ったと思うけど・・・(^^;)。

校舎は門から専用道路の先、奥まったところにあり、
大通りから見ることは出来ない。
入りづらい作りになっている。
だからだろうか、その道路沿の門の横にある
掲示板のガラスが割られた。
一枚は、テロよりも前だったと思う。
そしてもう一枚は昨日。
学校を出る時、割られて粉々になったガラスを見た。
悲しくなったし、そして怖くもなった。
学生たちに、危害が及んだら・・・。

大げさでなくても、悪意は以外と身近にあるものなのだ。
それは単なる日常の不満の捌け口、と言うのだろうか。


【戦争よりも明日のパン】
日パキの間に生まれた友人がパキスタンの親戚に電話をしたところ、
正直言って戦争よりも明日の生活のことで頭がいっぱい・・・
と言っていたそうだ。
考えてみると、今度のアメリカへの攻撃や、戦争の不安よりも、
明日のパンがあるかどうかの不安の方が大きい人たちが
実際は多いのだろうな、と思う。
そしてこの明日のパンの心配がなくなれば、
結構世界情勢は安定するんだろうな、とも思う。
経済が先か、平和が先か。
実は経済が先かもしれない、
と思う俗っぽい私である。


2001年09月17日(月) 偽善だっていいじゃない

【情報いろいろ】
イスラミックセンターの公式見解 
http://islamcenter.or.jp/ICJstatementJ.htm
をご覧下さい。

毎日新聞の記事、かなり客観的です。

http://www.mainichi.co.jp/eye/yoroku/200109/15.html

http://www12.mainichi.co.jp/news/search-news/833906/83A83t83K839381408d9198A90E88f5-0-1.html


【偽善だっていいじゃない】
考えてみれば、がたがた色んなことを言っているが、
私は「どちら」の当事者でもない。
アメリカに親戚がいるわけでもないし、ムスリマでもない。
それなのに、なんでこんなにいろいろなことを考えるんだろうと、
馬鹿馬鹿しく思うときも、正直言ってある。
そして偉そうに色んなことを言っている自分を
なんて厚顔な偽善者なんだろうと、うんざりしてしまう時もある。
何もできないのに。
何もしていないのに。
何が言えるというのか。
自嘲気味に思い、酒のいっぱいでも引っかけて眠りたいが、
残念ながらアルコールアレルギーなのでそんなこともできない。

しかし、アメリカに住んでいるある人のメルマガを読んでいて、
この「当事者でない者が考える」ということが、
実はとても大切なことであるとも思えた。

その人のメルマガはいつも着眼点が素晴らしく、
そしてウイットに富んでいて、
声高に何かを主張しているわけではないのだが、
ほほ〜、なるほど・・・と思わされることがとても多い。
しかし、彼はアメリカに住んで長く、家族はアメリカ人。
昨日送られてきたメールには、意外にも「一般の」アメリカ人の
心情が表れていて、はっとした。

> 今回のテロが「戦争」だということにすれば、テロ事件という「犯罪」捜査
> とは違って、被疑者の人権に配慮する必要もなければ、細かい法手続きに従う
> 必要もなくなる。報復も大規模にできることになる。だが、これを戦争だとす
> れば、「犯罪ではない。聖戦である」という犯人が主張したいだろう論理を認め
> ることにもなる。

そうは言っても冷静に上記のように観察することはできる。
しかし、彼は続けて以下のように言っている。

>日本でも、事件をはたからみて、「こういう事件は悲劇だが、その背景には、
> アメリカを代表とする先進国がこれと同じような悲惨さを、それ以外の国に押
> し付けてきた事実がある」などと論評する人がいる。正論かもしれないが、被
> 害者であるアメリカ人が言うならともかく、少なくともいまは、他国の人間か
> らこんな説教は受けたくもない。空襲で家族を亡くして悲しみにふけっている
> 人のところに行って、「これは悲劇だが、この事態を招いた原因は日本の軍国主
> 義なのです」などという人があるものか。それに、もしアメリカにも非がある
> なら、日本も同じ罪をおかしている。
>
> 悲しみを共にできないような人間とは友人になれない。危機感を共有できな
> い人間と連帯することはできない。

私も別に説教はしたくない。
なぜなら、私は当事者ではない。
悲しみや怒りを持ってはいるが、
最終的なところまでは理解すること、感じることは不可能だからだ。
ご家族、ご友人が行方不明だったり亡くなったり
何らかの被害を受けた方に向かって、
「全くお気の毒でした、でもパレスチナでは毎日同じように、
様々な攻撃で一般市民が殺されているのですよ。」
などとは口が裂けてもいえないだろう。
聞かれたら、答えると思うけれども。

しかし、と私は思う。
では、ただ悲しみや怒りを共有して、
アメリカの今後の報復に盲従するだけでいいのか。
それじゃ、やっぱりだめだ、と思う。
当事者でないものの冷静な、そして時には冷たいとも思える目は、
やはり絶対に必要なのだ。
それを「偽善」と呼ぶ人もいるだろう。
でも、偽善でも、ないよりはましなこともあるではないだろうか。

彼のメールは20世紀の偉大な神学者であり、
アメリカの政治・社会思想に強い影響力を与えた
ラインホルド・ニーバーの祈りの言葉で締めくくられている。

>   神よ、
>   変えることができないものを受け入れる心の平静さと、
>   変えることができるものを変える勇気と、
>   そして、変えることができるものとできないものとを見分ける知恵を、
>   われわれに、与えたまえ。

参考:ボストン読本
http://www.geocities.co.jp/Bookend/2697/



(その2)
今回、私は結構ムスリムに腹を立てている。
というか、この不満は常にムスリムに対して持っていることだが、
やっぱり・・・という失望感とともに怒りがふつふつと湧いてきている。

被害者の方への哀悼も述べず、とうとうとアメリカを非難する人の何と多いことか!
パレスチナ問題やモロモロな欧米の作ったアラブ内の問題が原因であったとしても、
テロで犠牲になった人たちの命を軽視しすぎているのではないのか。
パレスチナ人の命を同じように、アメリカ人の命も重い。
私は、それを忘れたり、見ないようにしたりしたくない。

うまくいえないけれど、
結局、多数のムスリムの人たちが言っているのは、
ムスリム(イスラムとは言いたくない、個人的に)=善、そして被害者、
ムスリム以外、今回の場合はアメリカ=悪、
という図式でしかなく、
それではアメリカの論調と内容は反対でも、主旨は全く同じだし、
いくら正しくイスラムを理解してくれ、
イスラムはテロを容認していないんだ!と言っても、
誰も聞いてくれないように思う。
自分達の首を自分達で締めているような、そんな感じがしている。


2001年09月16日(日) もし自分の大切な人が、殺されたら・情報操作と陰謀説

【もし自分の大切な人が、殺されたら】
イスラムのHPというところで、
身近な方が今回のテロに巻き込まれ連絡が取れないという人が、
正直な怒りをぶつけているレスを読んだ。

もし、自分の大事な人が、今回のようなテロに巻き込まれたら、
私はどう感じるのだろうか。
それが、自分があまり関心のない犯人、
例えば、スペインのETAとか、アメリカのキリスト教極右、
ドイツのネオナチや南米の様々なグループとかだったら、
きっと私も、
その人にようにあふれ出る怒りと憤りを抑えることはないだろう。
絶対に許さない、許せない、そう思うに決まっている。

では、もしその犯人がエジプト人やパレスチナ人、
そして今回のように、イスラム教徒だったら?
私には、わからない。
彼らを許せるのか、イスラムを憎むようになるのか。
心は引き裂かれるだろう。

連邦ビル爆破犯の死刑が執行された時、
一組の夫婦はそれぞれ犯人に対する思いを胸に、
別々に時を過ごした。
父は犯人を許せなかった。
死刑は当然だと思った。
だから刑をその場で見届けた。
母は、例え娘を奪った犯人だとしても、
「命」を奪うことが正しいとは思えなくなった。
死刑に反対し、夫のもとを去り、
祈りと許しと共に、その時間を迎えた。

どちらが正しいとか、素晴らしいとかではなく。


【情報操作と陰謀説】
かなり早い段階から、今回のことはどこぞの陰謀だ、
というヒステリックな雄たけびを上げているムスリムがいる。
確かに色々胡散臭いことはある。
ボストンに残されたアラビア語のマニュアルとか、クルアーンとか。
ハンブルグに留学していたような人物なら、
アラビア語のマニュアルなんて、絶対に!!!必要ない。
英語べらべらのはずだ。
それに、クルアーン、持っていかないかなあ???
とか、言い出したら切りがない。
それで出てくる陰謀説だが、モサドだの元KGBだの、
時代遅れの名前ばかり。
これでは単に身内かばいと言われても仕方がない。
モサドも元KGBもあんな大それたことが出来るのなら、
とっくにパレスチナ人を「イスラエル」から追い出しているだろうし、
ロシアだってもう一回くらい転覆して以前の暗黒支配に戻っているはずだ
(そしてもし「パレスチナの一組織」にあの事件が起こせたら、
これまたとっくに独立国家を作れているはずだろう)。

ただし、狂喜乱舞するパレスチナ人の姿をくり返し流したりする
(そしてあれは湾岸戦争時1991年の映像だと言う話もある)、
情報操作やイスラムバッシングには確かに腹が立つ。
しかし自分自身は家族との対話の中で、
私たち(イスラムアラブ好き、もしくはムスリム)も
ただ闇雲に相手の不理解を責めてはいないか?
と自己反省をしているところである。

確かに今回の件ではイスラムもしくはパレスチナ人はある意味被害者だ。
今後、今回の汚名を挽回するのにどれくらいかかるのか、
想像も出来ない。
しかし、喜んでいる「一般人」は確実に存在してしまう。
カイロ在住のある方の話によると、
その方が話を聞いたほとんどの(普通の)エジプト人は
今回のことで何らかの溜飲を下げたと感じているそうだ。
私自身もそれを聞いて、実際さもありなんと思った。
そういう悪感情があるのは中東好きには衆知の事実。
そして私たちは中東好き故にどうして彼らがそこまでアメリカを嫌うのか、
その背景を知っているが、
今まで中東に興味を持っていなかった人がわからないのはこれまた当たり前だろう。
急がず、少しずつ、そういう話を家族や知人としていけたら、
確実に見る目を変える日本人はいると思う。

今は闇雲に情報操作に感情的になったり、
不確かな陰謀説にすがったりするのではなく、
冷静にものごとを観察し、
その中でアメリカやマスコミの正すべきところを分析するような
したたかさも、必要だと痛感している。


2001年09月15日(土) 今日はなんだかたくさんです。

【多角的にニュースを見るために】
いくつかのサイトを紹介します。

田中宇氏のサイトの記事色々(http://tanakanews.com/)
アフガンとビンラディンについてのレポート。
これまでの経緯がよくわかります。
http://www.melma.com/mag/12/m00001712/a00000078.html
今回の事件の犯人像について
http://tanakanews.com/b0913US.htm

ドーハ在のカルダーウィーの今回の事件を非難する声明です。クルアーン第5章「食卓」章の32節が引用されています。
http://www.islam-online.net/English/News/2001-09/13/article25.shtml

在米のパレスティニア人弁護士のコメント(Media Watchから)
http://www.mediamonitors.net/sherri21.html

CNNが報道した今回の攻撃を喜ぶパレスティニアの画像は
1991年の湾岸戦争のものだったという報道もあります。
http://www.chicago.indymedia.org/front.php3?article_id=4395&group=webcast

だからと言って、別にウサマ・ビン・ラディン氏や
テロリストをかばう気はないんですけどね。
やったことには責任をとって欲しい。
今朝の新聞にも載っていましたが、
今回一番貧乏くじを引いたのはパレスチナなのです。
そこが気がかり。

パレスチナの生の声、今回のテロ事件へのベイト・サフール市当局の声明。
正直に飾らぬ言葉が胸を打ちます。
http://www2.mnx.jp/~jyb2774/
奇聞総解・パレスチナ Watchの2001/09/14号をご覧下さい。



【本日の反省】
わかって欲しいわかってほしいと言いながら、
結局自分は相手の立場をわかろうとせず、
自分の考えを押し付けているのではないか。
そう思えることがある。
人の振り見て我が振りなおせ。
相手を思いやる気持ちが大事よね。



【家族って難しい】
私には特殊地方公務員の兄がいる。
この18歳で国家によるマインドコントロールをされた、
バリバリに人種差別的な頭の固い兄と私は仲は悪くない。
ただし、それは思想的な話はしない、という前提に立ってであるが。
彼が人種差別的な発言をしている時、
私は内心むっとしているものの、
ほとんど顔色を変えずただ話を聞き流すことが出来る。
彼の言うことは、時には事実であり、
時には我慢のならないことではあるが、
それはお互いの環境によるもので、
少なくとも、私にはそのことが見えているから、
兄が全て間違っているとは思わない。
例えば、彼が出会っているであろう中国人は
明らかに何がしかの犯罪を犯した、もしくは犯す予備軍であり、
私が日常的に出会っている中国人はどちらかと言うと日本人に比較的近い
極普通の上昇志向のある学生だから、印象が違って当たり前なのだ。

今回のテロ事件で、
私はしばらくこの兄と顔を合わせるのを避けようと思っている。
結構話したがり屋の兄は、早い段階のパレスチナ人への発言で、
私の神経をざらりと逆なでした。
私は友だちや知人、そしてあまりよく知らない人たちには、
今回の事件について冷静に分析してみせることが出来る。
しかし、そこが家族の難しいところで、
甘えや、どうして私の考えを共有してくれないのか、
と言った感情をどうしてもぶつけがちになってしまう。
楽しかった旅行から帰ってきた母と、
お土産を楽しそうに見ている姪に向かって、
すでに私は一度声を荒げている。
職業的に性格形成をされた兄への理解は出来ても、
勝手にアラブやイスラムに入れ込んでいる私への理解は、
彼らにしても到底できっこないのだ。
それでも家族は家族だから、この少々変わり者の家族を
彼らも受け入れるしかない。
近くて、とても遠い。
実は一番気を使わなくてはいけないのが、
家族に対してなのかもしれない。


【精神を落ち着ける方法】
それでなくても現在はストレス社会である。
いかに自分のストレスを発散させるか、
まさに人生の命題になりつつある。
どちらかと言うと、あまりストレスをためない方だと思うが、
馬鹿じゃないんだから、少しはたまる。
最近は仕事のことやなんやかんやで、
実は結構きつい情況にあるのかもしれない。
蕁麻疹は全然治らない。

旅行は楽しかった。
しかし帰って来てしまえばもろもろの情況は何も変わっておらず、
楽しかったゆえにギャップが激しく谷間に入った。
何とか持ち直す兆しが見えてきた時に
(ラッキーなことに、ブルーはあまり長くは続かない性格)、
今度の事件である。
また谷間に逆戻り。
励まされて浮上したり、また谷間に落ちたり、
久しぶりに精神状態が安定していない。
どうやって精神を落ち着かせるか。
私の場合はまず、何かを書く。
そして手を動かす。
ものすごい勢いでこの日記を書いているし、
すごい精神集中力で、デッサンも書かずにコンテスト用の
アクセサリーを作っている。
そしてもう一つ。
最近の私のお気に入りの精神安定剤は、
須賀敦子さんのエッセイである。
彼女のエッセイには、何も精神が高揚することが書いてあるわけではない。
格言的なことも何も書いていない。
けれど、どうにもこうにも自分の感情をコントロールできない時、
彼女の本を読むと、ふっと一瞬自分の周りが静かになる。
月並みだが、人生はたいへんだけどやっぱり素晴らしいんじゃないか、
そう思えてくる。
しばらく、手当たり次第に彼女のエッセイをくり返し読む日々が
続きそうである。


2001年09月14日(金) この数日、考えたこと。

【せめてもの救い】
やりきれない思いばかりが、募っていくような気がした。
暗闇ばかりが、あるように思った。
どちらにとっても、犠牲は増えるばかりで、
分かり合える時など、永遠に来そうにないと。

でも、今までと違う視点でものを見たいと思っている人は確実にいる。
手探りで、曇りのない眼で、自分自身の心で、
手垢にまみれた情報ではなく、
どちらか片方に従属するのではなく。

それは微々たるものかもしれない。
しかし、確実に存在する。
それはあなた達のことです。
その存在が、私に勇気と希望を与えてくれる。


【役割】
「この世に絶対に必要な人は存在しない。」
なんともシニカルなイタリアの格言です。
確かに、「私がいなかったら・・・!」と思っていたところで、
実際にいなくなってしまったら、
後の人たちが何とかするし、何とかなってしまう。
確かにこれは真理だと思う。

しかしその反面、やはり一人一人にいろいろな役割があると思うのです。
ここ数日、自分の役割について考えました。

例えば、専業主婦であっても「役割」はあるのではないでしょうか。
それは社会を動かしているだんなさんをきちんと働けるようにサポートし、
未来の礎になるべき子供を産み、育てること。
これはとても重要な仕事で、決しておろそかにしてはいけないことだと思う。
例えペーペーのサラリーマンであっても、
その人たちがいなかったら、経済活動はまわっていかないのです。
そう考えると、やはり無駄な人生ではないでしょう。

では自分は?
私はくだらない理由から、自分が健全な家庭を築くということを
すでにほとんど放棄しつつあります。
つまり健全な社会生活から、ある意味逸脱する道を選んでいるのです。
では、そんな私の役割は?
微小な力でも、日本とイスラム・アラブとの垣根を
少しでも低くしていくこと。
もしかしたら、それが私の役割なのかもなあ、
とここ数日ぼんやり考えました。
私はイスラムが大好きです。
もちろん理解しがたい部分はたくさんあります。
しかし、イスラムの教えが極端なものだとは思っていません。
でも、イスラムに改宗はどうしてもできないのです。
何かが、それを拒んでいます。

イスラムを外からサポートすること。
私はアブー・ターリブ的な人間になりたいのです。


colacaco |HomePage

My追加