ぶつぶつ日記
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友人のHPに、男性の中には結構率先して軍に志願する人が 日本人にもいるんじゃないか、と書いてあった。 その中に問題意識を持っていて、 識者と渡り合えるような知識を持っている23,4才の人たちにふれていた。 自分だけが平和の中にいることに、罪悪感を持っているような・・・。
実はこのような人たちが、 イスラム世界では原理主義に傾倒し、 やがては過激派までになってしまう、 そんな予備軍でもある。 頭はいい。 そして色々深く考える。
しかし、と私は言いたい。 テロを起こして、世界は「良く」変わりますか? 戦争に参加し、直接関係ない一般市民を巻き込むことは、 より一層「不幸な人」を生み出すだけではないですか?
何度でも言おう。 力では解決できない問題の方が、世界には多いのではないだろうか?
2001年09月26日(水) |
ジレンマ(ミクロとマクロの幸せ) |
ここ数日、「署名に参加しました!」というメールや書き込みをもらうたびに、 私は1人ジレンマに陥っている。 実は私はあまり大っぴらに署名活動などに参加できない。 それは身内に特殊地方公務員がいるからで、 当の本人のみならず、家族にも色々な規制があるからだ。 別に「規則一覧表」があるわけではない(あった方がいっそのこと潔い)。 ただ、あれはだめ、これはだめ、ということがその時々に表面化する。
例えば、以前母が共同購入に加入したいと言った時の事。 その共同購入は言わずと知れた「左系」、 だから絶対に加入なんてしたらだめだ!!と 兄が烈火のごとく怒り出した。 もしそんなのに家族が加入しているとわかったら、 自分はくびになる、と。 「ええ〜、たかがこれだけのことで?」と私たちは思った。 思ったが、実際にそれを試してくびになってしまったら、笑えない。 だから試せない。 母は加入をあきらめた。 とにかく、一時が万時、これなのだ。
特にきつく仰せつかっていることが「署名はだめ」。 どこでどうどんな組織とつながってるかわからないから、 とにかく署名は一切するな。 はあ〜・・・。
私はマクロ=世界が平和じゃなかったら、 ミクロ=家庭の幸せは守れないし、壊れていくと思っているが、 しかしその反面、ミクロが幸せでなかったら、 マクロのことなど考えられないとも思う。 実際、パキスタンやアフガニスタン、そしてエジプトなどでも、 明日の生活のことを考えるので手一杯で、 戦争のことなど考えていられない、という声を聞く。
私がのほほ〜んとこんな風にしていられるのも、 バックにいる家族が落ち着いて生活しているおかげだ。 兄には家庭があり、私のうかつな行動で兄に迷惑がかかれば、 私のかわいい姪や甥の生活にも影響が出てしまう。 だからできるだけ迷惑になるようなことはしたくない。
でも、じゃあ所詮私は口ばっかりなんじゃん、 と行動に移せない自分が情けなく思えてしまう。 どうしたもんでしょうか・・・。 答えはまだまだ出ません。
日本人は、なかなか捨てたもんじゃない、と 今回の事件で思った。 みんな一生懸命、色んなことを知ろうとしている。 色んなことを考えようとしている。 ただ今までは機会がなかっただけだ。
イスラム教徒とイスラム過激派は同じではない。 一緒にして考えることは間違っている。
報復をして、それで全てが解決するのか。 その後の世界は?
次は。 それを行動に移せれば、と思う。 どうせ私なんかが何を言ったって・・・と、 そこで止まってしまわずに、 何でもいい。 役に立たないと思うことでも、最初は構わないと思う。 思いを行動に移せれば、 何かがかならず変わっていく。
理想を現実にできる唯一の方法、 それは行動することだけだ。
2001年09月24日(月) |
「そこ」にいない選択 |
以前も紹介したアメリカ在住の方のメルマガ最新号が届いた。 今回はジュリアーニNY市長の事件後の対応や、 その方が住んでいるボストン市長の日常的な行動を例にして、 「そこ」にいることの重要性がわかりやすく書かれていた。 確かに、「そこ」にいることがとても大事なことはわかる。 「そこ」にいて、力になること。 一緒に考えること。 事実を知ること。
私も今回の事件に関して、 今後どうするのか、どうなるのか、 「そこ」にいて一緒に考えたいと思う。 最善の解決方法を見つけられるよう、 日本政府も積極的に「そこ」に参加して欲しいとも思う。
でも。 もし「そこ」が報復行動を意味するのなら。 私は意識的に「そこ」にいない選択をするだろう。 そして日本政府にも「そこ」にいて欲しくはない。 意識的に「そこ=報復行動」の場にいない選択、 それは非難されるべきものではないと思う。 少なくとも 「何となくそこにいる」という情況よりは、 確実に別の「そこ」にいる選択だと、私は思う。
【参考サイト】 ボストン読本 http://www.geocities.co.jp/Bookend/2697/
今回の事件を忘れないように、 何かアクセサリーにメッセージを入れようかと思った。 でも、実際に作り始めて、 やめた。 そんなものがなくったって、忘れちゃいけないんだ。 事件はまだ続いている。 そしてこれから、厳しい時間が始まる。
パレスチナでは毎日のように誰かが命を落としている。 アフガンでは4人に一人の子どもが死んでいる。
本当は、こういうことを忘れてはいけなかったのに、 私たちは私たちのささやかな日常のために、 忘れた振りをしてきた。 見ないようにしていた。 しかし、気がついたときには安定は砂のように 手の指から零れ落ちていく。 そうわかっていても、 また私たちは自分達のちっぽけな生活に振り回されて、 そのことに夢中になってしまう。
だから、メッセージのないシンプルな指輪を一つ、作った。 自分自身のことだけに、あまり夢中にならないように。 時には周りを、世界を見回せるように。 指輪の緑の石を見るたびに、 目に見えない地球の仲間を思い出せるように。
【誰が行く?】 友人が年下の男性と話していた時のこと。 男「日本も本格的に軍隊を作ってアメリカについてって攻撃参加するべき! まずは自衛隊を出して〜」 女「じゃあ、率先してあんたは行くんかい?」 男「いや〜、俺は行かないけど。」
・・・・・・。
結構、こういう人、いませんか? 確かにアメリカの主要部隊は職業軍人。 そう言う意味ではまず自衛隊が行くことが一番最初なのかもしれない。 でも、軍事協力に賛成し、軍を海外に出せ! という人は、そこまで言えるんだったら、 自分も行く覚悟はもちろんあるんでしょうね? アメリカ人は、いっちゃいますよ。 志願しちゃいますよ、結構な数の人が。 自分は行かない、誰か行けばいい、 そう言う人には、軍を出せ!なんて 気楽に言わないで欲しいんですけど。
【近年の欧米のアフガン政策について】 http://www.netlaputa.ne.jp/~kagumi/0106-3.html アフガニスタンに対する欧米の矛盾政策 ジル・ドロンソロ(Gilles Dorronsoro)レンヌ政治学院 訳・安東里佳子
ブッシュの軍事戦略の概要http://www.netlaputa.ne.jp/~kagumi/0107-2.html 米軍事戦略の三つの柱 マイケル・T・クレア(Michael T Klare) ハンプシャー大学教授 訳・ジャヤラット好子
日本の学校では、先生と生徒が一緒に考え、 「戦争しなくては解決しないの?それしか方法はないの?」 という疑問が出てきているそうだ。 アメリカでは「戦争をするの?」という子供達の問いかけに、 「戦争も1つの選択である。」と答えているらしい。 もちろん、当事者である国と、そうでない国の差はある。 でも、戦争をしたいと思っている国ばかりではない。 果たして、日本は本当に戦争をしたいんだろうか? 少なくとも、私はどんな戦争にも、 できることなら荷担したくない。
地球上の生物は凌ぎあって生きていて、 人間だけそのシステムを変えるのは難しい。
そう言っていた人がいたが、 動物が凌ぎを削るのは、 領地を拡大したり、利権を得ようとしたり、 自国の利益を最大限に考えたり、 自分の以外のものから摂取したり、 そんな複雑な、 でも実は生きていくためにはどうでもいいようなことを 理由にしているのではなく、 食べる為、子孫を残すため、純粋に命を守るため (その命も子供を守るためであれば捨てることはいとわない)、 必要最低限のためだけだ。
やられたから、やり返す。 攻撃されたから、もっと攻撃する。 それしか、正しい方法はないのだろうか? それが唯一と、考えたくはない。
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