ぶつぶつ日記
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2001年10月04日(木) |
夢の光景(全ての子供達に花を) |
そのビデオは疲れきった兵士たちと、おびえた瞳の子供達から始まる。
様々な肌、様々な髪、様々な服。 物陰からうかがうように兵士を見つめる子供達は アフリカ人であり、アジア人であり、南米人であり、アラブ人であり・・・。 おびえているのは子供達だけではなく、 兵士達の武装の影にも、いつ命を落とすかわからない危険への恐れや、 敵対する者たちの悪意の視線への疲れがありありとうかがえる。
ふと、一人の子供が手に花を持って走り出す。 恐れを勇気に変えて。 驚き警戒する兵士の一人にそっと、その花を手渡す。 次々と、路地から花を持って飛び出す子供達。 手に手に花を受け取る兵士達。 やがて、銃口にも花が飾られ、 肌の色も、言葉も違う兵士が、そっと、子供を抱き上げる・・・。
曲名は忘れてしまったが、マイケル・ジャクソンの とても美しい、夢のようなビデオのシーンだ。 街に、またこの歌が流れ出している。 何年か前、この歌を聴きながら平和を願っていたはずなのに、 今もこの光景は夢の光景でしかない。
通学中のカソリックの小さな女の子達に 罵声と石を投げつけるプロテスタントの大人たち。
スカーフを被ったムスリマ少女に唾を吐きかけるアメリカ人。
入植地で生後10ヶ月の赤ん坊を銃殺したパレスチナ人。
石しかもたないパレスチナ人の少年達に銃を向けるイスラエル兵。
子供達に、憎悪の種を植え付けているのは私達大人だ。 種を植えるなら、美しい花を咲かせる種を植え付けたい。 醜い「憎しみ」の実がなる種ではなく・・・。
もし最後の審判と言うのが本当にあったら。 いや、私はいつも最後の審判について考えているのかもしれないが。 その時。 私は神様に、弁解は一切したくない。 後悔は、するかもしれない。 なんであんなことをしちゃったんだろう? そう思って唇を噛むかもしれない。
友だちが悪い、親が悪い、会社が悪い、国が悪い、時代が悪い・・・。 何かのせいにするのはとても簡単だ。
でも。 私は自分のしたことを誰かのせいにはしたくない。 選択は間違っていたけど、自分自身で決めたこと。 自分でまいた種は、自分で刈れるように。 顔を上げて、地獄に行こうと思う。
私は神様に、けんかを売って生きているのです。
2001年10月02日(火) |
腹を括る/新聞大好き |
【腹を括る】 自衛隊派遣が国会で問われているが、 気になるのは「危険性の少ない」「後方支援」のみ、 という言葉だ。 「安全な」「後方支援」と言っている人もいた。 また、もし米軍の空母などに給油中に攻撃されたら、 自衛隊はどうするか? 攻撃は出来ないので、とにかく、逃げることになるらしい?
戦争している場所に、「安全な」所なんてない。 それが難民キャンプだったとしてもだ。 助けているはずのアメリカが攻撃されているのに、 自衛隊だけが逃げられるものなのだろうか。 そんな参戦の仕方で、果たして「認められる」んだろうか。 だったら最初から参戦しない方が、 よっぽど目指すものがあると思う。 自分達(お偉いさん)は行かないから、好きなことがいえる。 また一般の人も。 「攻撃されたら撃ちかえせばいい。」 それも、自分が行かないから言えることだと思う。 本当に撃ってしまったら。 今度は憲法違反と騒ぐのだろうか?
二兎追う者は一兎を得ず。 「自衛隊」という言葉を捨てるのか、 「憲法第9条」の精神を大事にするのか。 腹を括って、決めるべきなのかもしれない。
【新聞大好き】 毎朝必ず新聞に目を通してから仕事に出ます。 これは中学生のときからの習慣。 ざっとしか読めない日が多いですが、 そういう時は帰宅してからまた、朝刊、そして夕刊を読む。
日本のマスコミにはパレスチナ問題など中東に関する記事がない、 という言い方をする人も多いですが、 実はそれは間違い。 確かに、記事は多くない。 そして紙面を大きくは取れない。 でも、目を皿のようにしてみると、 以外にたくさんの記事が載っているのです。 私は取り立てて特別のMLなどに入っているわけではありません。 NGO関係のMLには全く登録していません。 でも、ずーっと新聞を読む習慣のおかげで、 色々な情報を取れていると思います。
もちろん、記事の視点が偏っていることも多いです。 そのために気になった記事に関連した書物を探して、 調べたりすることも多いのですが、 「今」世界でどんな動きがあるのか、 リアルタイムの動きは新聞にはかなわない。
今回の事件を機に、世界の動きが気になったら、 とりあえず新聞の国際欄を見る習慣をつけることをお勧めします。
一番最初にアラビア語を習った先生はエジプト人だった。 日本人女性と結婚していて日本滞在が長い先生は日本語堪能、 女の子の友達はたくさんいたが(友達、だからいいんだそうです)、 それ以外は敬虔なムスリムだ。 何人かでプライベートレッスンをしてもらうようになって気心も知れてからは、 私たちはなかなか聞きづらいイスラムについての疑問を先生に質問した。 天国行きの話しになった時、 「じゃあ、私たちは地獄に行くことが決まっているんですね?」 とちょっと意地悪く質問した私たちに、 先生は勤めてさりげなく、「多分、ね。」とだけ答えた。 この時、私はこう答えた先生に対して、ある種の信頼感を強めた。 なんて正直な人だろうと思った。 そして、彼に答えられる精一杯の答えが「多分」であることで、 先生の信仰のまっすぐさを感じたように思う。
ジハードで死んだものは天国の鍵を手に入れたと言われる。 パレスチナの自爆テロで死ぬ若者や、今回のテロリストたちも、 自分たちの天国行きを疑わずに死んでいったのだろうか。 でも、「自分は天国にいける。」そう思うことは、 とてもおこがましいことなのだ。 心あるムスリムに言わせると、これをしたから天国にいける、 そんなことは、誰にもわかりはしない。 ただ、「その時」になってアッラーの御心が決めること・・・。 私たちが生れ落ちた日から、 常に右の肩と左の肩にいた天使たちによってつけられていた記録が、 冷酷なまでにその人の人生を暴き出す。 誰も何も、自分を弁護してはくれない。
ムスリムになれば天国にいける、と勧誘(?)するエジプト人もよくいたが、 それは単に、「天国行きのバスの切符」が手に入るという事だけだ。 私は残念ながらこの天国行きバスの切符すら持っていないので、 天国の門にたどり着くこともないそうなのだが、 実は天国で門前払いされて、 すごすごと私たちと一緒に地獄に落ちるムスリムもたくさんいる。 その中に、テロリストはいないのだろうか? 私は「地獄の一丁目行きバス」でオサマ・ビン・ラディンと隣り合わせたら、 ぜひあの美しいアラビア語を教えてもらいたいと、心ひそかに楽しみにしている。 最後の審判の後で、時は永遠だ、 アラビア語を勉強する時間も、それこそ永遠にあるだろう。
2001年09月30日(日) |
もっとも残酷な、でも人気のあるショー |
その昔、ローマでは民衆の気持ちをつかむために、 皇帝はありとあらゆる見世物を用意しなければならなかった。 動物対動物だったものがエスカレートし、 人間対獣、人間対人間になるのにはそう時間はかからなかったし、 人間を主人公にした身の毛もよだつような「競技」の方が、 人々の熱狂を得られやすかった。 「人道」意識や「贅沢」意識に駆られて これらのショーの予算を縮小した皇帝たちの人気は、 あっという間に落ちてしまう。 社会的な様々なひずみ、それから目をそらすために、 これほど簡単な見世物はなかったようだ。
タリバンの「非道性」をクローズアップするために、 極秘で取られた公開処刑の映像が巷に出回っている。 それはもちろん、非道で残忍な全時代的な行為である。 アフガンの人々はそれを見て恐れ、 しかし一部熱狂しているのだろう。 抑圧された思いを一時的に「殺される人間」への 意味のない憎悪に転化していることが映像からも見て取れる。 残忍な行為ももちろん問題だが、 本当の問題は処刑を「公開」することではなく、 罪状も大して明らかでない人物が、 弁解も謝罪もする機会も与えられないことこそが、 一番の問題ではないだろうか。 夫を殺したという罪状の女性に、 民衆の前での自己弁護は許されなかったし、 イスラム法で決められているような 4人の証人ももちろん登場してこなかった。
しかしタリバンに言わせれば、 「公開処刑」自体でうんぬん言われるのは心外かもしれない。 何せ「イスラムのお膝元」サウジアラビアでも、 公開刑は毎週行われているのだから(さすがに処刑は少ないだろうが)。 サウジは良くて、自分達だけなんでだめなのか。
サウジ政府に言わせれば、 きちんと裁判をして証拠を固めてからの刑の執行だ、 と言う事なのだろう。 しかし、「公開刑」を行なわなければ守られない何かがあること。 実はこういう社会的なひずみも、 無視できない「要因」であるのではないだろうか。
現役自衛官からのたれこみ。 10月に自衛隊はアメリカに射撃演習に行きます。 国内では射程距離が取れないから、だそうです。 んで、そのミサイル、 一発2億円なり〜。
一発2億円って、なんじゃそら。 そう言えば戦争兵器ってべらぼうに高い。 パトリオットって一機いくらでしたっけ???
しかし2億円。 何人分の国民の税金なんでしょうか。 私には想像できません。 しかも演習ってことは、 まさかミサイル一発、ぼん!と飛ばして はい、おしまい♪ なんてことはないですよね。 何発も打つんですよね。 じゃあ一回の演習で10億くらいなくなっちゃうんでしょうか?
2億円あったら、どんな被害者救済ができるだろう。 何人のアフガニスタンの子ども達の命を助けられるんだろう。
戦争には莫大なお金がかかる。 そのほとんどは兵器に費やされる。 戦争をすることによって潤うのはどの国なのか、 どんな人たちなのか。 「正義」の名の影で、札束を数えている人たちがいる。
2001年09月28日(金) |
ふざけるな!アメリカ!!! |
アメリカ、この騒ぎの中で核実験ですか。 ほおおおおおお〜。 ふざけるな!!! アフガンに核でも落とすのかっ! インドやパキスタンはやっちゃだめだけど、 自分達はやってもい一ちゅーんかい!!
日本人の中にも、今回のテロ、 そして今後のテロ壊滅のためには ここでテロリストと係わり合いのある(と思われるもの)全てを 叩くしかない!と言っている人たちがいる。 わたしはその人たちに言いたい。
アメリカのこのような態度は果たして「正義」なのか。 世界はいつからアメリカの絶対的支配下に入ったのか。
あまりクローズアップされていないことだが、 ブッシュの側近達はブッシュとーちゃん時代の軍関係者が多い。 そしてブッシュのお膝元であるテキサス。 ここは日本では石油のイメージが強いが、 実は軍事複合産業の中心地でもある。 つまり、軍が動けば誰に利益がまわってくるか? ブッシュの周りにいる人たち、である。
テロの原因はこれまでのアメリカの「偏った政策」によるもので、 全部が全部ブッシュの政策のせいではない。 しかし、ブッシュ政権の国際協調無視、 手前勝手な単独行動が引き金になっていることは明らかだ。
「絶対善と絶対悪の戦い」? そんなのはちゃんちゃらおかしい、自分勝手な発想だ。 タリバンと、どこが違う????? 50字以内で言ってくれ!
参考サイト 沖縄タイムス 社説(2001年7月18日) http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20010718.html#no_1
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