ぶつぶつ日記
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2001年11月02日(金) |
やってみる〜アフガン難民のために |
湾岸戦争のとき。 戦争には反対だったけれど、どう行動して良いかわからなかった。 家族にも上手に問題点を説明することもできず、 フォアグラ用のガチョウ(でしたっけ?)のように、 ただ口をあんぐりとあけて、 アメリカから垂れ流されてくる情報を 詰め込まされているだけだった。
あれから10年経って。 また戦争(というか一方的攻撃と言うか)が始まった。 でも、10年経って、世界は明らかに少しだけ便利になっていた。 インターネット。 見えない蜘蛛の糸が世界に張り巡らされている。 知りたいこと、言いたいこと。 自分が意識的に動こうと思えば、 10年前とは比べ物にならにくらいの情報を瞬時に手にいれることができる。 そして、国境も言葉も超えて、 ひとつの目的で見知らぬ人と連帯できるという心強さ。
今度は、ただ何もしないで「見ているだけ」の人にはなりたくないと思った。 手段が生まれたのだから。 例え、自分がはじめることがほとんど何の役に立たなくても、 世界中の「役に立たない些細なこと」がいくつもいくつも積み重なったら? きっと、少しは何かが変わっていくだろう。 世界はそういう風に変わってきたのだから。
やってみよう。 報復行動が始まった日に、そう思った。 とにかくやってみよう。 自己満足でも良いじゃない? 偽善でも無よりはマシなことだってある。
そして・・・・。 本当はたくさんの人たちが「何かしたい!」と思っていることを知った。 でも、何をどうしたらいいのかわからないことも。 みなさんの小さな思いが集まって、小さなチャリティーになりました。 出展してくださった方、本当にありがとう。 そしてたくさんの人に買っていただきたいと思います。 みんなの、小さな「やってみる」気持ちを・・・。
「アフガン難民支援のためのチャリティーバザール」 11月3日(土)昼頃〜9日(金)深夜まで。 http://colacaco.pos.to/peace.htm(よもやま通信にて)
2001年11月01日(木) |
colacaco的パレスチナ問題再考その4 |
【免罪符としてのパレスチナ】 追い出されたパレスチナ人とイスラエルとの争いに、アラブ各国は深く関わって来た。 中東戦争は4次にまで渡ったが、アラブ各国がイスラエルに「勝った」のは、 スエズ戦争と言われる第2次中東戦争のたったの一回だけ。 しかしイスラエル側も4次まで来ると少々息切れ。決定的は勝敗は決められなくなっていた。 問題はイスラエルがパレスチナ・アラブを排除してイスラエルを建国しようとしたこと。 押し出された難民としてのパレスチナ人を多数抱えることになった近隣諸国がこれに反発。 その上、国連安保理決議242(占領地からのイスラエル軍の撤退。中東域内のすべての国が安全に生存する権利を尊重する。の2点を骨子とした)、その履行を再度求めた国連安保理決議337を、イスラエルがアメリカの後押しで完全に無視しつづけ、占領地の状況ますます悪化していっている。
そしてこれがイスラム過激派がアメリカを攻撃する口実になっている。 そう、確かに国連決議を無視しつづけパレスチナを占領しているイスラエル、 それを庇っているとしかいえないアメリカは理不尽だ。 しかし、「パレスチナ」という言葉は、アラブ人(広くイスラム教徒と言ってもいいかもしれない)にとって、 良きにつけ悪しきにつけ「免罪符」になってしまっていて、 ここに非ムスリムの理解しがたい「打倒アメリカ!」のスローガンが浮かび上がってくる。
もし、全てのテロ事件で「パレスチナ解放!」という言葉が聞かれなかったとしたら、 多分ほとんどのアラブ人は犯人のことを「マグヌーン(クレイジー)。」と一刀両断にすることだろう。 ところが。 一度でも「パレスチナ」と言う言葉が聞かれた日には、話しはだいぶ変わってくる。 彼らは思う。 「アラブ人として生まれたからには、犯人のことを理解しなくてはならない。」 なぜなら、パレスチナは開放されなくてはならないから。 開放させることが、アラブ人としての義務であり、権利だから。 犯人のやり方はちょっと荒っぽかったけれど、 イスラエル軍を見てみろ! やつらのやり方はどうだ! 少しぐらい、汚いやり方をしなくては、やつらは追い出せないぞ!!!
しかし、冷静になって考えてみよう。 オサマは本当にパレスチナのことを考えているのだろうか? むしろ窮地に追い込んでいるんじゃないか? 彼の豊富な資金があれば、パレスチナをもっと効果的に援助することができる。 適切な人材に教育を受けされる機会を与える。 近代的な病院を作る。 何でもいい。 イスラエル統治下にあっても、できることはたくさんあるはずだ。 資金さえあれば。 実際に、イスラム原理主義団体は人的援助で支持者を集めている所も多い。 病院を作ったり、教育の機会を与えたり。 人々の目線に立って援助をしている団体が多いことを忘れてはならないと思う。 でも、オサマはどうだろう? 実際に彼はそういう「人的援助」に資金を使っているんだろうか? そんな話しは聞いたことがない。 誰か教えてください。
アラブ人も、パレスチナ人も、「パレスチナ」と言う免罪符を これ以上ばら撒かないように注意しないとだめだと思う。 世界中のほとんどの人にとって「パレスチナ」は免罪符ではない。 むしろ常に問題を引き起こす最悪のカードのようなイメージしかない。 うわべだけ、おいしいところだけ利用する輩に自ら手を貸して、 自分の首を締める付けていることに、 そして、「パレスチナ」という名前が利用されてしまっていることに、 早く気がついて欲しい。 クルアーンにも書いてあるではないか。 シャイターン(悪魔)は気が付かないうちに、いつのまにかやってきている。 味方のような顔をして。
どうやら、だいぶ疲れがたまっていたらしい。 基本的に丈夫、仕事もそんなに忙しくないし・・・と、 気にしないようにしていたが、 実はまわりは気が付いていたようだ。 親しい人にも「少しゆっくりしなさい。」と言われていたし、 調子が悪くなって自宅に帰ると、母は最初に 「疲れてるんだから休みなさい。」と言った。
この頃、妙に仕事に対して不満がたまったり、 職場の人に冷たくしていたのも、 体力が落ちて、精神力にも影響を及ぼしていたからかもしれない。
昨日一日仕事を休み、家で好きなことだけしていた。 夕方にはだいぶ頭がすっきしていて、 今日は久々にさわやか〜な朝だった。 一昨日まで冷たくしていた人にも、 少し普通に話せるようになった気がする。
心と体と。 どちらが最初かわらかないけど、 最近は少し、心がささくれ立っていたようだ。 体を休めたことによって、心の疲れも軽くなった。 休養はやはりとても大切。
すでにお気づきかもしれませんが、 ワタクシ、とても赤ん坊が好き。 はっきり言って、赤ん坊フェチ♪ ねこも犬もハムスターも、 赤ん坊の可愛さには敵わない!と思っております。 泣くとうるさいし、何で泣くかわからない時も多いし、 うんちはくさいし、よだれはでろでろだし、 すぐに鼻たらすし、逆流して吐くし、 でも、あのぷにぷに感は至上の喜び〜ん。
我が家にはここ20年くらい、 毎年毎年1人もしくは2人の乳飲み子がおります。 母の仕事です。 したがって、私が家にいる時はにわかベビーシッターに早変わり。 何せ受験生だった時も、塾からお昼ご飯に帰ってきている間ですら、 「ちょっとみててよ。」とぽーんと赤ん坊が飛んでくる。 日本語養成講座に通っていた時期は授業が午後からだったこともあり、 夏場シャワーを浴びてから出かけようとすると、 いきなり風呂場のドアが全開になり、すっぽんぽんの赤ん坊を手渡され、 「一緒に行水させて♪」 と言う家庭であります。
しかし、おかげでうちの(通称)ママさんは超元気者。 子供と一緒にいると、パワーをもらえるそうなんですね。
この頃ちょっと調子が悪い私。 パワーがダウンしている気がする。 今日は仕事を休んで、お子達とコロコロと転がっておりました。 ああ〜、楽しい。 ほんと、おもしろいわ〜、子供って。 笑える・・・。 赤ちゃんパワーをもらって、復活の兆し〜。
2001年10月29日(月) |
colacaco的パレスチナ問題再考その3 |
【可愛さあまって憎さ100倍】 よく「日本人はアメリカが好きだね」と嫌みったらしくアラブ人に言われるが、 実は自分達だってかなりアメリカが好き。 アメリカに対して過剰な憧れを抱いていると言っても過言ではない。 以前、ヨルダンのパレスチナ家庭に泊まっていた時、 連れられて行った親戚のうちのクーフィーヤをしたおっさんまでもが、 「お、ブロンドの時間だ♪」といそいそとアメリカドラマにチャンネルを合わせていた。 彼らがあこがれているもの、それはアメリカのもっとも華やかな部分だけで、 勘違いもいい所なのだけれど、それは日本も笑えない。 アメリカの映画やドラマや音楽を通じての影響は、 やはりとてもすごいものだ。
ところが、どんなにあこがれても、どんなに好きでも、 アメリカ的な生活は手に入れることは出来ないし、 アメリカ自体も自分達には妙に冷たい。 イスラエルばっかりを可愛がる。 ちくしょ〜、なんでだあ! けっ、アメリカなんて〜!!!!
感情の行き違いはこんな所から始まる。 これで、アメリカがこの思いに少しでも気が付いてくれて、 パレスチナ問題でのイスラエル身びいきを少しでも見直してくれたら、 彼らのアメリカへの「愛情」も正しい方向に向かうのだけれど、 いっかなアメリカはいつまで経ってもパレスチナばかりに厳しく、 イスラエルにばかり甘い。 パレスチナ問題に関する国連決議をことごとく無視しつづけ、 何か起こるとすぐにパレスチナ側の責任ばかりを追及する。 一年以上も続いて、ますます激化している「アル・アクサ・インティファーダ」に関しても、 アラファトの指導力のなさ、治安維持力のなさを非難したが、 忘れてもらっちゃ困る。 最初に喧嘩を売ったのは、イスラエルの方だ。 人のうちにずかずかと土足で踏み込むようなまねをして怒らせておいて、 実際に胸倉をつかんだら、そっちが手を出した! なんてそんな理不尽な話しはあるか。
「愛情」はますます鬱積した感情に変わり、 簡単なこと、自分達にはほとんど関係のないことでも、 すぐに反米感情に火がついてしまう。
アメリカはかなりナルシシティックだと思う。 「自分って素敵」、「自分って偉い」、「自分が一番」。 それもまあ良かろう。 しかし、「愛される者」の自覚も持たないと、 気が付いたら世界の嫌われ者だ。 人間、関心のないものは憎んだりしない。 愛情を裏切られた時、愛が憎しみに変わるのだから。
友人関係に関しては、子どもの頃から実は不器用だったと思う。 自分では全く意識していないのだが、 気がつくとお互いに勘違いをしてすれ違ってしまい、 仲が良かったのに、全然会わなくなってしまう、ということが何度かあった。 明らかに私に原因があった、とはどれ1つとして思えないが、 だからと言って、相手が悪いとも言い切れない。 何かが少しずつ、ボタンの掛け違いのようにおかしくなってしまったのだろう。
最近も1つ、そんなようなことがあった。 良かれと思って私たちが言ったことが、 どうやら彼女を追い詰めてしまっていたらしい。 自分たちではそっとしておいたと思っていたのに、 年に数回の手紙やメールですら、 彼女にとっては恋人に秘密がばれる危険があると感じたのか。 最後通告のようなメールが別の友人に届いて、 正直私たちは傷ついた。 事情が事情だけに、彼女を責める気にはなれない。 自分たちの言ったことは多分ほとんど全ての人がそう思うことだけど、 それが彼女には余計なことで、重荷になってしまったことだけは確かなのだから。 しばらく経って、彼女が落ち着いたり、 もしくはまた何かこの問題がらみで困ったことが起きてしまったら、 きっとまた、連絡してくれるよ、と友人を慰め、自分を慰め・・・。
そして今日。 別の懐かしい人から、ふらり、とメールが届いた。 カイロで親交を深めた人。 連絡が取れなくなってから、皆で集まる度に 「どうしているんだろう。」と心配をしていたのだが、 連絡よこさないことにも何か意味があるのだろうと思い、 彼から連絡が来るまで、我慢してみようといつも話は終わった。 ああ、待っていて良かったな、とメールを読んで思った。
彼女もまたいつか、ふらり、と連絡をくれる時が来るだろうか。 それをのんびり待っていよう。
テレビでエジプトの番組を見るといつも、 自分があの国で2年半という時間を過ごしたことが、 まぼろしだったんではないか、という思いに囚われる。 それほど現在の生活の中では現実味が薄い。 それなのに、クイズのほとんどを当てることができ、 出てくるたくさんの場所に、個人的な思い出があり、 その場のにおいや、彼らの話し方や、 そんなものが私の全身を包み込み、 そんな番組を見たくない、という気持ちと、 でもやはり見たいという気持ちが 私を少し斜に構えた態度にさせる。
自分があの国で得たものを、今は全く生かせていないという悔しさと、 あの国に行ったからこそ得たものもあるという満足感と、 どちらがより大きいかは、私にはよくわからない。 ただ、このまま、あの国にいたことを単なる思い出にはしたくない気持ちがあり、 じゃあどうしたらいいのか、考えがうまくまとまらないまま、 忙しい日常をこなすことばかりに夢中になってしまっていることが 多分、一番ふがいなくて、悔しいのだと思う。
エジプトでの日々をまぼろしにするのか、 それを現実とするのか。 それも私次第なのだ。
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