ぶつぶつ日記
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気楽な話題が続いております。 ハードな話題(?)ちょっとお待ちを。 休日だし。
さて。 私は外見ではほめられる所はほとんどないのだが(^^;)、 1つだけ全ての人にほめられる所がある。 それはお肌。 自分では「ま、ほとんど問題ないし、手がかからないのよね。」 程度にしか思っていないのだが、 皆様、「肌が綺麗」だの「木目が細かい。」 だの言って下さる。 誉められればうれしいのは当たり前( ̄ー ̄)V.
所が、である。 この唯一とも言える私のお肌が! ぼろぼろになりました。 最初は体に慢性蕁麻疹が出てきた。 梅雨前からず〜っと。 薬を飲んだり注射を打ったりしても全然治らなくて、 一日に何度もボリボリ掻く姿はいい年した「大人の女」にしては、 ちょっち恥ずかしい(−−;)。 しかし発想を転換し、薬を止め、アロマオイルでのマッサージを始めた所! 体の蕁麻疹は収まってきた! まあ季節が変わったからと言えるけど、なかなかよろしい傾向。
しかし!体が収まったと思ったら、 今度は首と顔がひど〜い。 ぶつぶつだらけ。 これだったら体に出ていてくれた方がまだマシじゃんと悲嘆にくれておりました。 ところが蕁麻疹?と思っていたら、恒常的にぶつぶつが出てくるようになり、 ついには首に赤い斑点が( ̄□ ̄;;)!!! どう考えてもこりゃ蕁麻疹、じゃないわけっすよ。 かぶれてるんです、何かに・・・。 うにゃ〜???といろいろ見回すと。 あった、アレルゲン・・・。 それは寒くて引っ張り出した室内用にしている980円でユ〇クロで売っている〇リースだ! 確かに、夜風呂上りに着ているとチクチクして痒かった・・・、 ってその時に気がつけ!って感じなんですけどね(^□^;)。
かぶれとわかれば医者に行って薬をもらった方が治りは早い。 今ではすっかり美しい〜お肌が回復! 肌の調子が悪くなったおかげで、 「手作り化粧品」という楽しみも知ったし〜。
しかし、体質ってあっという間に変わるんですね。 去年着ていたものがアレルゲンになる。 食べられていたものがだめになる。 ストレスとか、年とか、色々原因はあると思うのですが、 はっきりとは突き止められない。
国家の体質も、同じようにあっという間に変わるのかも。 「自由」の国アメリカ。 その体質がもう変わってしまっているかもしれない。 報道関係の「自主的な」言論統制、 女子高生の反戦活動を停学にしたこと。 しかもそれを裁判所が支持!! 「アフガニスタンの子供たちを・・・」なんて口にできない情況。
顔のかぶれが最後の膿みで、出し切ったことによって また体調が元に戻ったように、 アメリカもまたどかん!と膿みを出すような事がないと 元の「自由な」アメリカには戻れないんだろうか? でももしかしたら、アメリカの病は「癌」みたいなものかも知れない。 自覚症状がなくて、気がついたときには手遅れ。 それが一番、恐ろしいのだけれど・・・。
ただいまイギリス留学中のアメリカ前大統領の娘チェルシー。 留学中のオックスフォードで行われた500人規模の 反戦集会に星条旗を持って数人のアメリカ人と共に妨害に入ったそうです。 「ニューヨークの犠牲を忘れるな!」とか何とかアジったそうですが、 この時、彼女、自分のSPに守られていたそうで。
あのな〜、特別護衛をつけて妨害なんかするな。 情けない。 もし妨害したいのだったら、 袋叩きにあってもいい覚悟でやてちょうだい。 そんな「お嬢さんのたわ言」、アメリカ人以外誰も聞きやしないよ。
チャリティー期間も今日でおしまいです。 自分が密かに目標としていた金額を見事クリアしました。 正直、これほど買ってくださる方がいるとは思っていなかったので、 びっくりするやらうれしいやら・・・。 これからこのお金をどう配分して寄付するか、 私1人ではちょっと荷が重いのですが、 皆様のお気持ちを出来るだけ無駄にしないで済む所に きちんと寄付いたします。
それにしても。 アフガン自ら20年戦争と言い出したりして、 戦局は全然収まりそうにありません。 そう考えると、たった一度の企画で自己満足し、 自己完結してはだめだな〜と思います。
それに、せっかくなんだか1人だったのが、 大縄跳びになった感じ。 いつのまにか人が増えている、そんな・・・。
どうしたらいいのか。 何をしたらいいのか。 具体的なことは全然わからないんだけれども、 まだまだ「何か」を続けていこうと思います。 アフガンへの報復が終わるまで。 ううん、アフガンへの報復が終わっても、 パレスチナが安定するまで。 世界のどこかで困っている人がいる限り、 小さいことをこつこつと 続けて行きたいと思うのでした。
「近頃の・・・」に続くのはどんな言葉でしょうか? 「若者は・・・」ブー。 「母親は・・・」ブブー。 本日の場合は「年寄りは・・・」です。
友だちの会社と私の職場がものすごく近いことがわかって、 本日は久々にお昼ご飯を一緒に食べることにしました。 んで、食事が終わって喫茶店に移動。 店内は結構混んでいたのですが、 お店の人が案内してくれるわけではなかったので、 とりあえず目に付いた空席に座ろうとしました。 そこにはぽつんと荷物が1つ置いてあったのですが、 「すみません、いいですか?」と声をかけてみました。 荷物を置いていたのは70歳近いと思われる女性の2人連れ。 荷物の主と思われる人が荷物をどかしてくれたので、 私たちが座ろうとした瞬間! 連れの女性がかなり大きな声で 「下に置こうね〜、下に。他にも空いてるでしょ?ブツブツ」 と言ったのには驚いた。 場所代2倍払ってるのか!と言いたくもなります。
年寄りは出来るだけ大切にしたいと思うのですが、 な〜んか、「全く今時の若い子は!」ってすぐ言うくせに、 自分達の方が常識がないだろう! っていう「いい年した人」も多いような気がします。 長く生きてきた=だから偉い=だから何してもいい、 そういう図式なのか、よくわからないのですが・・・。 道の真中で止まって話しているのは 若い子よりも全然年配の人の方が多いですよね。 電車の中で場所を取ってるのは何も若い子ばかりじゃない。 おやじ、そんなに股を広げて、蒸れるのか! と言ってやりたい人もいるし。 座席に荷物を置いているのだっておばさんが多いし。
一番それを感じるのが、道路を横断するじじばば。 信じられない時に渡り始めたりするんですよね。 ひいてくれ!と言わんばかりに。 ああいう年寄りをひいてしまった運転手さんは 本当に気の毒だと思います。 そういう判断を出来なくなるのも、 「老化現象」なのでしょうか? そう考えると、やっぱり老化は怖いですね〜。
もしかして、常識なしの行動をとる若い人は、 すでに老化が始まっていたりして?
2001年11月06日(火) |
ブルカを被る「権利」 |
駅前のコンビニで雑誌を立ち読みしていたら、 気になる記事が目に入った。 それは、アフガン難民を支援したい気持ちはあるし、 アメリカの報復行動には反対なのだが、 それを行動に移したら、「女性の権利を剥奪している」タリバーンを指示していることになるのではないか、 と考えて行動に移せない日本人女性達のジレンマについての記事だった。 以前の日記(旧日記)にも書いたが、私もタリバーンの 女性に対する様々な権利剥奪には大反対だし、 イスラム的にも「正しい」とは言えないんじゃないかと思っている。 しかし、タリバーン=完全悪という言わばアメリカにより作られたプロトタイプに 惑わされている日本人が多いということは、 やはり多くの日本人が「西洋型の権利意識、自由の観念」に 毒させてしまっているんじゃないか、と思わざるを得ない。
北部同盟軍の将軍であった故マスードに最後にインタビューした フランス人女性の記事が「西洋型の権利観念」と、「イスラムの権利観念」の違いを 明確にしていたと思う。 現在、北部同盟軍の支配地域では女性のブルカ着用は強制ではない。 しかし、多数の女性がブルカを着用しているのを見たそのフランス人記者は マスードに問う、どうしてブルカをかぶっている女性がいるのか、と。 実際、マスード夫人はブルカを着用しておらず、スカーフ姿であるのだが、 マスードはその質問に 「アフガンの多くの女性達は、今までの価値感や既成概念にまだとらわれているのです。 ブルカを無理やり脱がせることは、タリバーンのやり方(ブルカ着用強制)と同じになってしまう。」 と答えている。 フランス人の女性の考え(=西洋の価値観)では全ての女性は ブルカなんて着たくないと心の中では思っている、と信じている。 しかし女性達の中には自ら望んでブルカを被っている者も少なくはない。 エジプトでもヨルダンでもシリアでも、スカーフで頭を被うことは全く強制ではない。 もちろんアメリカやヨーロッパでは! しかしカイロ大で学んだり、一流企業に勤めているような女性や、 住居が非イスラム圏である女性達の中にも ムハッジャバ(ベールをかぶっている女性)が多く見られるのは、 どうしてなのだろう? それは、彼女達の意思的な選択だ。 彼女達はクルーアンやハディースの教えを彼女達なりに消化し、 自らの意思でベールを被っている。 それを非ムスリムがとやかく言う権利はあるのだろうか?
もちろん、女児割礼に見られるような身体的精神的にダメージを与える 悪しき習慣も存在するので、 非ムスリムからのアプローチが全く無駄な、余計なことだと 言い切ることは出来ないが、 数多くの非ムスリムのイスラムに対する「人権擁護」の申し立ては、 全く見当はずれのよけいなお世話に思われてならない。
自分達だって、そうだったではないか? 悪しき習慣を断ち切ってきたのは、外部からの圧力によってではなかったはずだ。 特に「権利」を獲得してきた歴史は、 内部においての当事者の戦いだった。 イスラムだって同じだ。 もし変えたいと思ったら、彼らがその中で血を流して変えていかなくてはならないものだと思う。 そして彼ら自身が何かを変えたいと思った時、 自分達以外の誰かの手助けが必要であると認識し、 救いを求める手を差し出してきた時、 その時にいつでも助けられる体制を整えていることが 私たちがするべきことではないかと思う。
自分達の意志によって変えたものしか、人間は納得して変化していかない。 日本の憲法が今ひとつ効力を持たないのは、 戦後「アメリカに押し付けられた憲法」という意識が たくさんの人の心のそこにあるからではないだろうか?
世界の価値は決して1つではない。 ブルカを被る権利もまた、大事な権利なのだと私は思う。
電車で爆睡している人は日本ならではの光景だそうだ。 隣の人が寄りかかってくるのは重いし、 これが油てかてかのおやじだったらうげ〜と思ってしまうし、 こっくりこっくりされるのも、 あれはあれでけっこううざったい。 そして不思議なのは、そこまで意識が遠のいていながら、 自分が降りる駅になると全ての人が、 がばっと起きだし、何事もなかったように電車を降りていくこと。 う〜ん、人間の動物的本能ってのも案外失われていないなあ。 体が時間的距離的感覚を覚えているのね。
時間的距離的感覚と言えばもう一人、 絶対に忘れてはいけないお方がいる。 我が家の近くには公営賭博場があり、 すっからかんにすったそこに来るおじさん達が 庭先の自転車は盗むは、 店先の糸こんにゃくは盗むは、 立ちショ○はするは、ごみは捨てるは、 けっこういい迷惑なのだけれど、 毎回毎回ここで公営賭博競技が行われると、 駅や酒屋の店先が勝手に「飲み屋」化してしまう。 おじさんたちが酒を片手に勝手に集ってしまうのだ。 話題はもちろん、今日のレースの反省会・・・。 まあ、こういうおじさんたちは、 大体無料バスが終わる時間には三々五々散っていく。 しかし、1人だけ、夜になっても酒屋の前に座り込み、 管をまいているじいさんがいる。 アラビア語の授業がある日はここを通るのが 9時半過ぎになるのだが、 まだいる。 私が住んでいる区は交通の便が大変悪く、 区民は自嘲地味に「東京の中国」などと言いながら 自転車を愛用しているのだが、 このじいさんは自転車もないようだ。 その上バスはすぐに終バス。 9時半にこれだけ管を巻いているってことは、 どう考えても終バスには間に合わない。 最寄の駅までは歩いていけないことはないけれど・・・・。 夏であろうと、冬であろうと、じいさんは管を巻いている。 寝込んでいるときもあるので、冬などは凍死しないかと心配になるのだが、 騒ぎにもならないし、 実際まだじいさんはそこに来るので、凍死はしないらしい。
多分、人間にも帰省本能があるのだろう。 ある時間になると、じいさんはむっくり起きて、 ぶつぶつ文句を言いながら家に帰って行くんだろうと思う。 海外に生活していて、どんなにその国がすきでも、 やはりほとんどの人が何年かに一度は生まれた国に帰りたがる。 それも一種の帰省本能なような気がする。 帰省本能に従って、帰りたい時に国に帰れる者は幸せだ。 帰りたくても帰れない人が、 地球上にはあふれている。 帰れないからこそ・・・、 「ふるさと」のイメージは清く鮮麗で、 強く大きくなっていくものだろう。 各国に住むパレスチナ人にとっての、「パレスチナ」のように。
チャリティーが始まりました。 どうやら昨夜は寝ないで待機してくださった方も多かったらしく(^^;)、 快調な滑り出しです。 しかし、快調すぎて「ごめんなさい!」続出。 申し込んでくださったのに、ご購入いただけなかった皆様、 本当にほんとうに、ごめんなさいです。。。
お忙しい中出展してくださった方には まだこれから発送手続きが始まります。 引き続きよろしくお願いします。 見事商品をゲットぉ!された方は、 首を長くして商品をお待ちくださいね。
みんなの熱意が少しでもアフガンの子供たちに届きますように。 そして一日も早く報復活動が止みますように。
でも、最初に、そして一番助けられたのは、 私かもしれません。 今回の企画は、自分がみんなにパワーをもらうために 行ったようなものだな、と心底思いました。 今日一日皆様からいただいたメールを読んでいて、 すごく元気がでました。
チャリティー最終日まで、 元気をもらい続けたいと思います。 みんな、どうもありがとう。
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