ぶつぶつ日記
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2001年11月19日(月) 泣かせる話し

今朝、電車の中で放送大学の課題をやっていたら、
なんで日本人はアフガン人に同情的なのか、
ちょっとわかったような気がした。
国際関係論の教科書に書いてあったことだが、
第2次世界大戦中に国連の枠組みができたとき、
元加盟国となる資格がある国は、
連合国側、すなわち日本やドイツの枢機卿国と
対立関係にある国に限られた。
1945年、第二次世界大戦の帰趨がすでに決定していた状態
(すなわちすでに日本やドイツの敗戦がほとんど決まっていた状態)で、
それまで長く中立を保ってきたラテンアメリカ諸国などが
次々と日本に宣戦布告をしたのは、
国連の元加盟国になる資格を得るためで、
これによって多くの国が加盟国となった。

その中で、アフガニスタンだけは矜持を持ち、
最後まで対日宣戦布告をしなかったと言う。

もう、これだけ聞いて、どんと寄付金をつんでしまう
戦中派の人もいそうな話しじゃないだろうか。

これは完全に日本の「武士道」の世界である。
欧米メンタリティーの人にはこのアフガニスタンの行動は
国益を損なう話しとして理解しがたいものにしか映らないだろうが、
日本人には美しい精神として理解することは難しくない。
そう、「武士は食わねど・・・」、とか、
「敵に塩を送る」とか、そういう世界だ。

そしてそれだけ昔から、アフガニスタン人は日本に対して
好印象を持っていたと言う証拠だろう。
今度は私たちが矜持を持って、
彼らを最後まで支援していけたら、と思う。


2001年11月18日(日) 少しましなこと

久しぶりに会った友人とアラブ談義に花を咲かせたのだが、
その中で気がついたことがいくつかあった。
その1つが,アフガニスタンは湾岸戦争時のイラクよりも、
明らかに日本人の同情され,そして理解されている、と言うことだ。
湾岸戦争時、空爆されているバクダッドにいるたくさんの子供たちに同情し、
イラクの内政を理解しようとした人間は、あまり多くなかったと思う。
10年経ってネットなど個人が情報をとる機会が増えたとは言え,
パレスチナに対する理解度などが大して変わっていない事を見ると,
アフガンに対する日本人の同情と感心は
いまだかつてなかったムーブメントのように思える。

それは、明らかに現地で活動しているNGOの人たちの力が大きい。
今度の報復活動以前から,日本人の中に,
細々とだが独自の救援体制が作られており,
そんなに多くはない機会だったが,
アフガンの人たちの窮乏を目にしている人がそれなりにいたんだと思う。
これは、とても大きいことだ。

民間の人たちが、こつこつと岩にしがみつくように作ってきた
このアフガニスタンとの細い、でも確かな絆を,
国が断ち切ることなどないように,切に願ってやまない。


2001年11月16日(金) 他人の子供

電車の中で子供が騒いでいると、不快に思うことが多いかもしれない。
眠くなってわけがわからなくて泣いている、
という場合はこちらも「しょうがないな〜(−−;)=3」と思えるが、
ぎゃーぎゃー騒がれると、実際頭に来る。
特にお母さんがきれいなかっこをして話しに夢中になっていたり、
大して怒らなかったりすると、子供よりもその親に対して腹が立つ。
子守歴20年の経験から言うか、「子供は騒ぐもの」というのは
うそである。
確かに騒ぐが、きちんと教えれば場所をわきまえる。
実際、0歳児ですらいたずらをしようとする時は
まず親の顔をうかがって、うかがいながらそれをするのだから。
騒いでいる子供の親である「お母さん」達も、
自分が「OL」だった時、同じように電車で騒ぐ子供を見て、
絶対に眉をひそめた経験があるはずなのに、
それをすっかり忘れているのだろうか。
多分忘れている。
もしくは「自分の子供」はかわいいから何をしてもいいと思っている。
でも、悪いけど、私たちにとっては「他人の子供」で
うるさく騒げば全然かわいいなんて思えない。

自分の子供はかわいい。
他人の子供はかわいくない。
これはある意味しごく当然だが、
「自分の子供だけがかわいい。」となってしまうと、
色々な誤りを生み出す。

テロ発生前の9月、ユニセフがアフガニスタンの子供達に
ポリオのワクチン接種を行った。
お子さんがいらっしゃる方はお分かりだと思うが、
この手のワクチンというのは一回ではだめで、
間を置いてもう一度打たないと効力が出ない。
2回目のワクチン接種は11月の頭に予定されていた。
そこに来て、今回のテロ、そして報復行動である。

毎年この時期、どんなに激しい内戦があっても、
このワクチン接種のためにタリバーンも北部同盟も、
3日間の停戦をしていた。
それはそうだ。
アフガンの子供達は、「彼らの」子供達である。
どちらにとっても、次代をになう大切な子供達。
国がどんなに荒廃しても、人的資源がありさえすれば、
時間はかかるかもしれないが国を復興させることは可能だ。
しかし、どんなに国が栄えていても、
子供たちが病んでいけば、その国はやがて力を失っていくだろう。

今回、11月の第2回接種のためにユニセフと国連は停戦を呼びかけた。
タリバーン側はそれに対して停戦を約束すると発表したが、
アメリカはその呼びかけを全く無視した。
アメリカにとってアフガンの子供はあくまで「他人の子供」だから。
死のうが生きようが、ポリオになろうが、
そんなことは知ったことはない?

ユニセフ側は爆撃の最中にワクチン接種を敢行したが、
成果は一部マスコミで伝えられているように「滞りなく」とは
はなはだ言えなかったらしい。

日本の子供達がだめになってきたのは、
大人たちが「自分の子供」だけを大事にし、
ただただ甘やかしはじめたからと言われている。
自分の子供も他人の子供も、全部が「国の子供」、
しいては「世界の子供」なのだ。
アメリカ政府はまるで、「自分の子供」の権利ばかりを主張する、
馬鹿な親のような行動をしている。



2001年11月15日(木) 身近に感じるもの

何をいつも身近に感じているだろうか。
自分のことについてありふれたものから列挙してみると、
家、3度3度の食事、布団、お風呂、水洗トイレ、
清潔な(その季節ごとの)服、靴、
シルバーアクセサリー、スカーフ、めがね、化粧品、
コンピューター、新聞、本、筆記用具、
アラビア語の辞書、教科書、
自転車、満員電車、地下鉄、
テイクアウトのアイスカフェラテ、
仕事の出来ない会社の人へのいらいら、
同僚とのたわいのないおしゃべり、
大好きな人とのチャット、
色んな人とかわす大量のメール、、、、、

ほとんどの日本人が多分同じようなものを
「日常的」と感じていることだろう。
飢えや寒さ、恐怖心、武器、銃声や砲撃の音、
そんなものとは無縁の生活。

しかし、生まれた時から「戦争」しか知らない子供達がいることを、
暖かい布団よりも、武器を身近に感じる子供達がいることを、
学校よりも軍を身近に感じる子供達がいることを、
今こそ私たちは、日本の子供たちに教えるべきだと思う。
毎日服を着替えるということが、どんなに贅沢なことか、
私たちも気がつかなかったけれど。


2001年11月14日(水) 命の分配

「なんだか、生きることに疲れちゃった」と言って自殺した14歳がいる。
その一方で、生きたいと思いながらも生きられない人もたくさんいる。
幼い子供を残して。
夢をかなえたいと思って。
一生懸命、命にしがみついて、でもかなわず死んでいく人たち。

なんでなんだろう。
どうして「生きたい」と思うのに死んでいくんだろう。

「死にたい」と思う人の命を
「生きたい」と思う人に分配できればいいのに。



2001年11月13日(火) 一億円の価値

カイロに住んでいた時分、私たちは毎朝のようにごみ屋の小僧と
1エジポン(1エジプトポンド33円くらいでしょうか)を巡る攻防戦を繰り広げていた。
いわゆるバクシーシ攻撃だ。
私たちが入っていたアパートの大家さんは珍しくお金に汚くない人で、
必要以上のお金を私たちに払わせることのない人だった。
彼女いわく、自分がゴミ屋にはそれなりのお金を払っているので、
別に私たちが払う必要はない。
「たまに心づけを渡すことはもちろん構わないけど。」
もちろん、私たちだって月に1回程度なら心づけを渡すことは嫌ではない。
が!
この小僧は毎日なのだ。
しかも、エジプトの家の玄関ベルってのは凶悪的にうるさい。
それを、こちらが出て行くまでのピンポンラリー。
出て行ったが最後、「バクシーシ。」、
その靴くれ、その服くれ、
挙句の果てには「アーイズ・ボッス(kiss me)」。
何度も大家さんに言って、その都度数日こいつは来なくなるのだが、
持ち回りでゴミを集めている組の関係で、気が付くとまたこいつが集めてる。
このゴミ小僧に関してはこのアパートに入った全ての外国人が
文句を言っていたくらい、強烈な小僧だった。
結局、私たちは玄関ベルを切って、知人にはドアをノックしてもらうと言う
なんとも消極的な解決策を取った。
たかが33円のために・・・。

33円。
日本ではみみっちい金額だが、エジプトだったら
簡単なお昼くらいはこれで食べられる。
ターメイヤサンドイッチ1個とか、コシャリとか。
そう考えると、私たちも負けるわけには(?)いかなかったのだ。

お金の価値ほど国によって違うものはない。
一億円、日本だったらどんなことが出来るだろうか。
家を買って、その中の家具を買って、車を買って・・・。
多分、そんなことをしたらすぐになくなってしまう金額だ。
一億円あったら、アフガニスタンの首都カーブル全域を復興できる、
と言う話しを聞いた。
真偽の程は明らかでないが、当たらずも遠からず、だと思う。
日本やアメリカで大した事のない金額で、
救えるものがたくさんある。
連日、アメリカがアフガニスタンに落としているミサイルや、
報復行動開始から今までに使った軍事費があったら、
アフガン全土を復興させ、女子大も作ったってなお、
おつりが来てしまうかもしれない。
金は使いよう。
やはり、今の使い方が正しいお金の使い方とはどうしても思えない。

そしてそれは、サウジなどのイスラム諸国側にもいえる。
ウサーマに献金し、自国への攻撃を止めさせる莫大な裏献金があったら、
もっと、国民や他の国の信頼を得ることが出来るだろう。
ウサーマにしても、ムスリムの信頼を集めつつ、
欧米に対しても効果的に自己存在アピールをするお金の使い道が、
テロ以外にもたくさんあったはずだ。

しかし、正しい道に使われるお金はあまりにも少ない。


2001年11月12日(月) colacaco的パレスチナ再考その5

【パレスチナ人の中の南北問題】

パレスチナ人、と聞いてどんな人たちを想像するだろうか。

パレスチナ人、と聞いて、私がまず思い浮かべるのは、
私が実際に知っているパレスチナ人の姿だ。
彼らは皆、ニュースでみる「イスラエル占領下のパレスチナ人」とは
大きく異なる人生を送っているように思える。
もちろん、私の知っているパレスチナ人はほんの数人だ。
ヨルダンやその他周辺諸国に住んでいるパレスチナ人の中にも
経済格差があり一概に言えないし、全体を語ることは出来ないが、
あるタイプをそこに見出すことは出来る。
彼らはみな、かなり早い時期にパレスチナの外に出て、
アラブの他の国で暮らしている。
そして父親はサウジなどに出稼ぎに行ったことがあり、
ある程度の家をその国に構えている。
そして、どこでも生活できるように、
子供達に語学と、専門的な知識を身につけさせるため
高等教育に力を入れていること。
その結果、彼らは「パレスチナ人」という偏見をものともせず、
機会を見つけては海外に出て勉強を続け、
仕事もそこで見つけたり、
日本人からみれば「エリート」としての人生を歩んでいる。

例えば、現在の私のアラビア語の先生であるH先生はシリアで育った医師で、
現在家族で日本にやってきて大学院で研修中。
奥様も同じくお医者様で同じ大学院で勉強しているが今は産休中だそうだ。
このH先生の前の先生であるA先生はH先生の実兄。
同じくお医者様で、全く同じ大学院で勉強していた。
「パレスチナ人」である彼らはシリアのパスポートを持っていない。
しかし文部省招聘の留学生なので、そんなことは全く問題にならない。
不思議なのは、日本政府の招聘で来たから日本ではパスポートを
もっていなくても大丈夫だとしても、
彼らがこの日本から、ちょくちょく兄弟のいるアメリカまで遠征できることだ。

またヨルダンで世話になったTも、同じく知的エリートで、
「パレスチナはビザを取るのが大変なんだよ、パレスチナ人は全員テロリストだと
思われているからね。」
などと言いながらも、アメリカ、日本と留学生活を送り、
30近くなって北欧へ奨学金留学し、
そのままそこで仕事を見つけて現在にいたる。

その一方で、占領下の狭いエリアから出ることもままならず、
仕事も勉強も続けることが出来ないパレスチナ人たちがいる。
せっかく進んだ大学を、わずかなバス代が払えないために、
泣く泣く止めなければいけない学生がいる。
パレスチナ支援を続ける女性から、そういったパレスチナ人を
なんとか日本に来させて勉強を続けされることができないかという話しがあった。
しかし考えれば考えるほど、厳しいことしか言うことが出来なかった。
まず、どうやって彼らに旅券を持たせることが出来るのか。
そしてその旅券を日本の入管が「旅券」と認めるのか。
保証人の問題、支度金の問題。
また、リスクの大きいと思われる彼らを受け入れる日本語学校なり、
大学が果たしてあるのか。
どれ1つとして、現実的ではなかった。

そのどちらもが「パレスチナ人」だ。
パレスチナ人として、パレスチナを故郷だと思っている。
お互いがお互いをどう思っているのか。
時折、私は北欧にいるTに、本当の気持ちを聞きたくなることがある。



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