ぶつぶつ日記
DiaryINDEX|past|will
人を案内するので、久しぶりにエジプトのガイドブックなどを見ています。 昨年の10月にカイロに行った時、 実は今ひとつカイロにいることを楽しめませんでした。 どうして、自分はもうここにはいないんだろうか、 何か心にわだかまりがあったような気がします。 でも今回は、一緒に行く人がいるせいもあるのか、 純粋に観光を楽しめそうな感じです。 どこに行こうか?とガイドブックを見ながら考えるのも なかなか新鮮で楽しいです。
ルクソールにも行きたいと思えるようになりました。 最近、ルクソールテロ事件に多くのページが割かれている エジプトのイスラム過激原理主義についての本を読みました。 読んでいる間中、息が苦しい感じがしましたが、 改めてあの事件のむごさや、 エジプトの抱える問題を認識しなおす事によって、 逆にルクソールに行って、 1つ心の区切りをつけたい気になったのかもしれません。
メムノンの前で告げられたテロのこと、 銃をこめる警察官に息を呑んだ瞬間、 ルクソール病院で泣き叫ぶ人々や 空港で救急車から軍用機に運ばれる誰かを見ていたあの日。
空港に到着した時、 デルエルバハリに向かう時、 私は恐れを感じるでしょうか。 多分、とても緊張してしまうと思いますが、 それでもまた、生きてあの地を踏めることが とても幸せだと感じています。
大騒ぎして出発した海上自衛隊。 今はどこでなにをしているんでしょうか? 確かインド洋で情報収集、ですよね? インド洋ってアフガンは内陸の国なんだけどさ。 で。 暫定自治政権が決まったとか、 韓国が多国籍軍に参加表明とか、 次なる動きが始まっているんですけど (ウサーマが犯人だって言う証拠もまだ見せてもらえないし、 ウサーマどころかムラー・オマルにも逃げまくられているけど)、 その自衛艦の報告はどうなっているわけですかね? それって、私たち国民に知らされるんでしょうか。 途中経過くらい知らせる義務は国にはないんでしょうか。 あれだけのでっかい船を維持するのって、 すごいお金かかりますよね。 んで、今回はそれが動いちゃってるから、 燃料代だけだって億単位ですよね? それで、出発の報告だけなんでしょうか? 今回一体いくらかかって、 そしてどんな情報を収集したのか、 きっちり報告してもらいたいと思うのは、 私だけですかね? 細かいこと、気にしすぎでしょうか?
色々、嫌な事が多かった年のように思えるけれど、 トータルで考えてみると、 いいこともたくさんあった(そしてある)年でした。 ただ、嫌な事が起こっている間はそのことばかりが気になってしまって、 いいことをすっかり忘れてしまっているだけなんですよね。
後半仕事でたくさん嫌な事がありました。 正直うんざりしていました。 でも頑張ったご褒美は、職場からはもらえなかったけど、 他のところからどっさりもらえたのです。 12月23日から1月3日まで、ある人のお供でカイロに行ってきます。 ガイド兼通訳になるのです。 今回は、ルクソールにも、行って来れそうな気がしています。 ようやく、ルクソールに行きたいと思えるようになりました。 少し長い時間がかかりましたが・・・。
10年パスポートに最初に押されるはんこはエジプトのもの。 そしてまた、私の新しい年が始まります。 来年もきっと、色々あることでしょう。 でも、来年の今ごろも、 また今日と同じような気持ちになれるだろうと、 そう信じています。
昨日はシルバー関係では初めてのオフ会。 まずは銀座のサロンに集まっての一次会。 パールコンテストの作品がたくさん見られて、 本部の方からテクニック的なことも聞けて、 勉強になった。 こちらからも、HPの改良についての意見を がんがん出してたので、 あちら様もたじたじ、という感じだったかも(^^;)。 これからHPを中心にコマーシャルをしていけ, と言うことではなく, どんどん増えるだろうネット人口に向けて, 的確な情報を提供してあげる必要性と重要性を、 わかって欲しいと思っていたので, いい機会だったから、遠慮せずに色々言ってしまった。 それでも言いたいことの半分も言っていなかったと思うけど(笑)。 私のように、本部教室以外でイントラ資格をとると, 本部との関わりはほとんど皆無状態なので, あちら様の思っていることも全然わからないし、 こちらの意見もどこに通していいかわからないので、 昨日のような機会はとても貴重だった。
場所を移しての2次会は、テーブルをぐるぐると 作品が回っていくと言う、 周りから見たらちょっと「?」な会だったかも。 身包みはがして見させてもらってたし。 写真で見ている作品ばかりなんだけど, やはり百聞は一見にしかず。 実物には驚くばかりだった。 それぞれ、同じ素材を使っているのに, その手法も考え方も作り方も違っていて, あれもやってみたい、これも真似したい、 とむくむくと作りたいものがまた増えてきた。
さっきも少し書いたけれど, アートクレイのイントラ資格をとっても, 同じ資格を持っている人たちの交流って全然ない。 第一、誰が資格を持っているか知らされていないくらい。 私たちは、たまたまネットと言う手段をもっているので, アートクレイイントラだけでなく、 PMCの人,独学の人・・・と色んな人と交流し, 意見を交換し,刺激をもらうことができる。 「イントラ資格を取ったらそれでおしまい?」 と言う声も聞くし, せめて半年、いや1年に一回でも 各地方や同県で、インストラクター同士の ミーティングを主催できたらどうなんだろうか? 切磋琢磨していく意味でも、 意見交換は必要だと思うのだが。
久々に時間のある週末なので, DVDを借りて帰ってきた。 今晩見たのは、「ザ・カップ、夢のアンテナ」と言う映画で, 監督はチベット仏教の高僧、 出演しているのも、本物の小僧さんたちだそうだ。 インドで亡命生活をしている若い僧たちも、 ワールドカップが大好きで, その決勝戦を見ようと、四苦八苦するというストーリー。 チベット仏教の僧院の、柔らかな布を使ったインテリアが とてもおしゃれで、僧の僧服も目を引いた。
チベットに帰るためにいつも荷物の準備をしている修道院長、 その下で憎まれ役になっている教育係の先生, 変わり者で占いをする古参の僧、 一癖もふた癖もある兄僧たちに負けない、 すっかり僧院になじんでいる小生意気な主人公のいる寺に、 中国からまだ若い叔父と、幼い甥が密入国してくる。 その子がもう2度と会えないかもしれない母親の思い出に持っている 懐中時計を、主人公はアンテナを借りる代金の質草に入れるが、 時計を取り上げられ、悲しむ新しい同門の兄弟を見て、 主人公の少年僧は、あれだけ楽しみにしていた試合も上の空。 試合の途中で抜け出し, 真新しい(多分一度も履いたことのない)スパイクと、 母の形見の短剣を売りに行こうとする。 いつもは厳しい教育係の先生が、その頭をなで 「商売が下手だな、でも良い僧になる。」と言うと, その子はちょっと恥ずかしそうに、 そしてうれしそうに笑った。
ビックリするのは,その映画が1998年を舞台にしているのに、 チベットから中国政府の目をかすめて、 僧院に子供を逃がす親がいると言う事実だろう。 チベット問題に関しては中国は内政干渉という姿勢を崩さないが、 漢民族のチベット移住も増えているそうだ。 チベットを知らず、インド人ともインド人の言葉で 渡りあう若い僧たちはしかし、 インドがあくまで仮の宿でしかないと思っている。 帰れないかもしれない。 でも、ここは自分たちの終の棲家ではない・・・。 ここにもまた、国の狭間で漂う「帰れない子供たち」が、 存在している。
2001年12月06日(木) |
シンパシーを感じるもの、感じないもの |
今日のアル・ジャジーラのネット調査は「パレスチナ自治政府は、 ハマースなどのテロ活動に責任があるか。」みたいな内容だった。 私は思いっきり「ラー(NO)!」をクリックしたら、 結果は98%の人が「ラー」に投票していた。 このネットはアラビア語しかないので、多分見ているのも 大体がアラブ人なのだろう。 その大多数のアラブ人の意識の中に、見事に当てはまってしまう自分がいて、 思わず苦笑してしまった。 先日、同じようなアラブ馬鹿の友人と話していた時、 テロで攻撃され、そのことに深い怒りを感じ、 報復行動を支持するアメリカ人のことを、 在米の日本人のほとんどの人(インタビューされていた、と言う意味だが)が 「その気持ちを理解できる」と言うことに対して、 どうして「日本人である彼ら」がそこまで彼らの怒りなりを理解できるんだろうか? と言う話しになった。
しかし考えてみれば、パレスチナ人の子供が殺されていることに、 震えるほどの怒りを感じてしまう自分がいて、 結局は何によりシンパシーを感じるか、 そこが決定的に違っているだけなのだろうな、と言うことはわかる。 アメリカにより強い愛情を感じる人がいて、 アラブにより深い親近感を持つ私のような人間もいて、 その間でいさかいは起こしたくないなと思う。 でも、お互いに感情を持っているので、 なかなかそこまでお互いの価値観を納得することは難しい。 ただ、当事者ではないもの同士から、理解しあう重要性は 身に染みてわかっているのだけれど。
2001年12月05日(水) |
アラファト後のパレスチナ |
ニュースでPLOのアラファト議長を眼にする度に、 なんとも言えない気持ちになる。 すでに国をまとめる力のない、発言力のなくなってしまった指導者。 しかし、「全て」が彼に肩に重くのしかかっている。 病気の体に鞭をうち、気力だけで、 そして生き続けなくてはならない。
新聞の「これまでの経過」を見ていると、 なんとイスラエル寄り(アメリカ寄り?)かと思う。 載っているのはパレスチナ側からのテロで死傷した人たちのことだけ。 2週間前に5人の10歳前後の子供達が イスラエルの戦車により死亡したことなど、どこにも載っていない。 一体、いつまで「テロにさらされるいたいけなイスラエル」を 強調すれば気が済むのだろうか。 そして、どうしてマスコミはそういう視点しかもてないのだろうか。
現在のパレスチナに対する激しい攻撃は 確かにイスラエル国民の世相をバックにしたものだろう。 度重なるテロ、高い失業率など、 全てをパレスチナの責任にした方が、 それはイスラエル国民にとっては楽なことだ。 「自分たちは、悪くない。」、誰もがそう考えたい。 しかし、原因が全て相手に帰すことなど、ありえないことだ。
アラファトをパレスチナの代表からはずすことは、 アメリカの力をしたらもっと前に出来たはずだ。 しかし、アラファト以外の誰が、「和平交渉」のテーブルにつけただろう、 いや、ついただろうか。 アメリカもそのことはわかっている。 だから今もアラファトがパレスチナの代表なのだ。 今回の攻撃は、シャロンがアラファトの威信を粉々にし、 パレスチナ自治政府の瓦解をもくろんでいるためとも言われている。 しかし、前首相のラビンがアラファトを代表とした自治政府との 交渉を続けることをシャロンに要請しているのは、 ラビンが、アラファト後のパレスチナのビジョンを見ているからだと思う。
確かにアラファト後のパレスチナ自治政府は、 イスラエルの力を借りなくても、内部紛争で瓦解していくだろう。 パレスチナ人を、1つにまとめることはどのグループにも出来ないだろう。 しかし、それはパレスチナ人の消滅を意味しない。 彼らは、ますます先鋭化する。 見境のない、絶望的なテロがますます増えていくだろう。 イスラエル軍がパレスチナ人を殺しつづけても、 彼らは新たに生まれてくる。 出口のない、絶望的な戦いを続けるためだけに。
|