ぶつぶつ日記
DiaryINDEX|past|will
2001年12月21日(金) |
ラッキーガール(って年ではないけど) |
旅行前で土産の買出し、荷物の準備をやること目白押し。 その上仕事先のPCにトラブル発生で、 日記まで気が回りませんでした(^^;)。 今日も疲れております・・・。 明日もバイトだし〜。。。。
それにしても、自分の人生って結構ラッキーと、 小さいことで思ってしまう私です。 2、3週間前、今日この日は絶対に仕事になんて行っていないと決め込んでいた私は、 知人に紹介された人にプライベートレッスンを行う約束をしていました。 所が、昨日のPCゴタゴタ騒ぎでそんなの行ってられるのか? とその約束がはなはだ不安に・・・。 しかし用を済ませてまた仕事に戻ると言うことで、 同僚と話をつけ、今朝仕事に行ったのです。 しかし必要なソフトのCDROMを持って帰っている先生が なかなか登校されません。 当たり前なんだけど、もう授業ないんだから(^^;)。 どう〜すべ〜、終わらんぞ〜、と思っていたら、 レッスン相手からお誤りのメールが! 仕事が入って今日は無理〜、だって。 おお!ハムドリッラー、とこういう時は言いたくなりますね! 私ってラッキー。 そして私って単純? でもいいのです。 それでいいのだ。 ちょっとしたことで幸せになれるってのは、 なかなか安上がりでよろしい、と思う旅立ち前なのでした。
2001年12月19日(水) |
悲しみと憎しみを増幅させた携帯電話 |
風呂上りに家族の見ているテレビを見たら、 9月11日のアメリカ同時テロのドキュメントだった。 現場に居合わせた人、被害者の家族、そして報道陣に 詳細にインタビューをしていた。 事件当時もペンタゴンにつっこんだ飛行機に乗っていた コメンテーターの女性が政治家である夫にかけた携帯電話のことが ニュースになっていたが、 どうやらかなりたくさんの被害者の方が、 最後のお別れを言うために、 家族に携帯から電話をかけていたようだ。
御巣鷹山に日航機が墜落した時も、 何人かの人が遺書を書き残していた。 しかしそれらは、現在の飛行機の情況や、家族にあてたメッセージで、 感情を押し殺し、どちらかと言うと冷静な文章が多くかったように思う。 しかし、電話から聞こえてくる声は違う。 感情も恐怖も、全てを残す者に伝える。
これまでは、何か惨事が起こり、 心配しているうちにその心配が現実となり、 朝元気に出て行った人が、それきり帰ってこなかった、 そういうことが普通だった。 帰ってこなかった人の最後の瞬間を、 残されたものは実感することは出来なかった。 しかし、これだけ携帯やモバイルが普及してくると、 ありとあらゆることが瞬時に別の場所に伝えられる。 それはとても便利なことでもあるのだが、 今回の場合、最後のメッセージを聞いてしまったことにより、 そしてそのメッセージをたくさんの人々が共有したことにより、 より一層悲しみや憎しみが増幅されたような気がする。
悲しんで当たり前、 憎んでもいいと思う。 そうするだけの権利が、いとしい人を亡くした人にはある。 しかし、増幅した憎しみは怪物にとなって逆に人々を襲いだす。 携帯電話を持たず、最後のメッセージを伝えられないまま死んで行く人々も、 メッセージを残して死んだWTCの被害者と同じように、 無念なことにはかわりはないのだ。 そしてアメリカの人々が、憎しみという怪物に飲み込まれないように、 メッセージを送りたい。
2001年12月18日(火) |
旅の恥は掻き捨てない |
旅行好きが集まって、あっちこっちに話題が飛んだ夜だった。 それぞれに旅先で会った困った日本人ネタを持っていて、 それぞれの話を聞いてぶっ飛んだ。
それにしても、「旅の恥は掻き捨て」とはどういうことだろう? 旅に出ればこそ、しっかりとふんどし引き締め、気を引き締め。 後ろ指をさされることはしたくないものだが。
日本の外に出て、日本では決してしないであろうことを嬉々としてする人、 それが犯罪がらみだったり、倫理に関することだと余計、 はっ倒したくなる。 最近カイロに行ってきたばかりの友人は、 タハリールの5星ホテルの女子トイレで、 麻薬をやり取りする日本人女性二人を見たという。 麻薬も、そして女性やましてや子供を買うことも、 どんな国でも「普通のこと」では絶対にない。 エジプトでも麻薬関係はかなり重い罪になる。 どうして日本ではしてはいけないことを、 外国に出てしようとするんだろう。 そんなの全然旅の醍醐味じゃないぞ。
薬をやらなくちゃ一人前の旅人じゃないなんて、 思っている人、いませんか? ここまで来たから子供を買ってみる? そうじゃないと男じゃない? そのことを知り合ったその国の「普通の人」に言ってみてください。 その人は絶対にあなたとは友だちにはなってくれない。 日本で犯罪なことは、ほとんどの国でも犯罪なのだ。 日本でしたら恥ずかしいことは、大体の国でもやはり恥ずかしいことだ。 日本よりももっと、世間の目が厳しい国もある。 どの国の「普通の人」も、犯罪に嬉々として手を染めたりしない。 それを自慢したりしない。 旅の恥を掻き捨てるのはやめよう。
全く知らなかったことだが、 日本政府は「50年間に30人のノーベル賞受賞者を生み出す」ことを、 何かの公約にしているらしい。 そしてスウェーデンに「研究連絡センター」なるものを作り、 ノーベル財団のスタッフや歴代の受賞者に、 日本への無料招待攻勢をかけていると言う。 もちろん、ノーベル財団関係者も批判の声が出ているそうだ。
はっきり言って情けない。 もしこれが事実なら、何でもお金で買えると思っている 政治家や官僚がいかに多いのかを裏付けているだろう
このことを報じたイギリスの新聞は、 日本人の自然科学分野のノーベル賞受賞者が極端に少ないのか、 その理由について以下のように述べている。 (1)高齢のボス教授が支配する大学の講座制から若い研究者が逃れるには海外に行くしかない (2)画一性と反復重視の教育――など創造性を欠如させる国内制度が真の原因
はい、その通り。 ゆとりの時間割、と言ってみてはいるものの、 結局余った時間は学習塾に通っている子供のなんと多いことか。 そしてその子供達の学習の仕方の、なんと独創性のないことか。 本来の自由な発想を失い、全て決まりきった型でしか勉強できない子供達が、 いくら良い学校に入ったとしても、 結局は決まりきったことしか出来ないだろう。 いくら英語が話せるようになったとしても、 世界水準で数学の問題を解けるとしても、 この国の子供達には「生み出す力」が欠如している。 そしてそれを招いているのは学校の責任だけではなく、 「画一化」を美徳と考える、一般的な親達の存在もある。
スウェーデンに国の金で出張所を作るくらいだったら、 そのお金をこの景気の悪さでリストラされた親を持つ、 学費の払えない子供達の奨学金や、 留学費用に格安で貸し出したほうが、 どれだけこの国のためになるのか。 やっぱりお金の使い方を間違っている。 私の税金はどこに使われているんだろうか?
誰かに助けられたり元気をもらったりするのと、 誰かを助けたり元気をあげたりする割合を考えると、 私の場合はどう考えても、誰かに何かをしてもらう方が多い。 いつも、誰かの役に立ちたいとか、 誰かを助けたいとか、 そんなに奇特に思っているわけではないけれど、 でも明らかに助けたい人や何かをしてあげたい人がいて、 でも、何で自分はこんなに何も、 その人にしてあげられないんだろうと、 1人落ち込むことがある。
そしてそう言う時も、助けたい当の本人からや、 全く関係いない誰かが、 そんな私の落ち込みを引っ張るあげてくれたりして、 そこでまた「あ〜あ、」と思うものの、 とてもうれしい気持ちになる。
人間はそうやって生きていくんだろうか。 生まれてから死ぬまで、 助けたり助けられたり、 最後は両方トントンになるんだろうか。 私が助けられた分を、私はいつか誰かに返せるんだろうか。 ふと、そんなことを思う穏やかな日曜日。 奪われつづける人がいることを、一瞬忘れそうになる。
イスラエル政府はヤセール・アラファトパレスチナ自治政府代表と、 断絶することを決定した。 いわく、アラファトにはテロ反乱分子を抑える力はない。 それでは、イスラエル政府は今後誰と中東和平を話し合うのか。 そんな人物は、誰もいない。 そんな大きな組織はどこにもない。
もともとアラファトの指導力を弱めていったのはイスラエル政府だ。 そして今回も、パレスチナ自治政府に 過激派取締りの強化を求めながら、 そういった分子を取り締まるべきパレスチナ自治政府の 警察署関係などに攻撃を加えていた。 これは一体どういうことだろう? 警察署などが攻撃され混乱すれば、 不穏分子取締りどころの話しではなくなるだろう。 普通、テロリストと言うものは、 そう言う混乱に乗じて事を起こすものだ。 そして、実際にイスラエルのバスが襲撃された。 これを口実にイスラエルはアラファトとの断絶を決定。 日本の「欧米報道の記事直訳の」報道は、 全ての原因が「アラブ、パレスチナ、イスラム」に あるような記事を相変わらず載せつづけているが、 一連のイスラエルの行動には「影のシナリオ」があると思ってしまう私が、 アラブ・イスラムに思考を犯されている、 おろかな人間なのだろうか?
パレスチナと正面に向かい合っている入植地に住んでいるのは、 「豊かな恵まれた」イスラエル一級市民達ではない。 彼らの多くは、「遅れてきたユダヤ人」である。 出生率がイスラエル人よりも上回るパレスチナ人に人口で負けないために、 イスラエル政府によりロシアやアフリカから呼び集められた、 「いい生活」を夢見てやってきた、 まだイスラエルでの生活基盤がしっかりしていない人たちが多いという。 彼らは入植地からどこかに移ることは難しい。 彼らもそこにしがみつかなくてはならない理由がある。 そして彼らの住宅を守る有刺鉄線のむこうには、 彼らよりも行くべき所のないパレスチナ人たちがひしめきあっている。
どこかで誰かが、生きている人間を単なる駒として利用している。 誰が死んでも、胸の痛まない誰かが、 「影のシナリオ」を書きつづけている。 それを書き換えることは、不可能なのだろうか?
2001年12月13日(木) |
ひがみじゃないけど。 |
日本人は経済的な観点から自分たちを「西欧」と 一体化して見ている所があって、 アジアの国のことを見下している人も少なくない。 でも欧米から見るとどうかなと思うと、 彼らにとっては全然「同列」ではなくて、 逆にアジアとか中東の人たちのほうが 一歩先行く自分たちの仲間って感じてくれているような気がします。 そう言う人たちと連帯していった方が、 これからはいいような気がしますが。
第3国に関わると資金援助が大変って思われがちだけど、 欧米との付き合いだって、 結局日本は金の無心をされているだけでしょう。 国連に一番お金を払っているのは日本です。 それでいて「同列」と認められないなんて、 なんだかしゃくです。
|