ぶつぶつ日記
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最近「川上弘美」さんにやられっぱなしである。 この人は才色兼備な芥川賞受賞作家。 芥川賞作品は、あまりにも結末が抽象的過ぎ、 あまり好きではないのであるが、 何冊か、何編かに完全にやられてしまった。
本好きではあるが、現在人気のある生きている作家の小説はほとんど興味がない。 吉本ばななも両村上も読んだことはあるが、 それ以上読みたいと思わなかったし、 名前を見知っているだけの作家ばかりで、 どうも読もうと言う気が起こってこない。 その中で、この「川上弘美」なる人の本はなぜか読んでみようと思った。 こう言う時の勘は、はずれる心配はまずないのだが、 それにしても、やられ過ぎである、自分。
最初に読んだ本は「センセイの鞄」だった。 昨年最高のレンアイ小説との呼び声も高いが、 想像するような「レンアイ小説」とは全く趣が異なる。 布団の中で読み終わって、暗闇の中で、 泣いた。 悲しい?とはちょっと違う。 感動した?ともなんだか違う。 「やられた」と思った。
この人のレンアイ小説の主人公は、 かなり不器用な、全然おしゃれじゃない、お金持ちでもあまりない、 30代後半の女性が多い。 どう考えても、レンアイをエンジョイするようなタイプでもない彼女達のレンアイは、 ばかばかしく、そして暖かく、そして月並だが、切ない。 切ないけど、清々しい。 それが私を打ちのめす。
年末からすでに、3回以上も川上さんにやられてしまっている。 今週は2回もやられた。 昨日も暗がりの中で、私は泣いた。
読み終わり、枕もとの明かりを消す。 胸がドキドキしてきて、鼻の奥がつーんとしてくる。 寝ようと思って閉じているまぶたの間から、 じわじわっと涙が出てきて、 私はしばらくそのまま涙を流しつづける。 涙が耳にまで届く頃、 「ふー」っと暗闇に大きなため息をつき、 子供のように手のひらでごしごしと涙をぬぐって、 布団を首までしっかり持ち上げて、 私は眠る努力をする。
そして私も、「150年生きたい」と思っていることに、 気が付くのだった。
2002年01月08日(火) |
言いたかないけど、言っちゃうもんね。 |
今日は思いっきり悪口です。
先日某欧州系エア会社の日本人スッチーを見ていて、 私はやはり「日本人らしい接待」ってのは素晴らしいんだなと 妙に日系企業を誉めたくなってしまった私。
アジアやあまり所得の高くない国では、 スチワーデスやパーサーというのはエリート職だが、 欧米では完全な肉体労働である。 実は英語もそんなに大して話せなかったりするんじゃないかと、 私は密かににらんでいるんだけど・・・ (それでも日本人よりは話せるだろうケド)。 だからと言うわけではないかもしれないが、 全然サービスがなっていない乗務員が多いのは、 ほとんどの日本人旅行者が経験済みだろう。 (だからといって、日系エアのあの慇懃さも、 時としてうざったい瞬間もあったりするのは確かだが。)
さて、先日乗ったエアにも日本人スッチーが何人か乗っていた。 結構おばさんなのは別段全然かまわない。 私は男じゃないから、スッチーにホステス業は求めないし。 そして最悪なことに、この時は現地人パーサーの質も、 これまた最低であった。 まずだらしない。 シャツのすそがパンツからはみ出してるっつーの(^^;)。 そのうえ、ラテンの血潮みなぎり、うるさい。 しかも身内同士でうるさい。 これって最低。 この中に、いかにも現地なれした化粧の日本人スッチーが加わる。 この人、年のころ30前後か。 現地なれしているだけあって、客にはめったやたらと無愛想である。 接客8大用語など、もちろんそんなのは日本に置きっぱなし。 「ちょっと〜してくれません?」と 尊大に客に言いのけるタフさをお持ち合わせである。 ここまでは良いだろう(本当は良くはないけど)。 私が(−−;)となってしまったのは、 この彼女が、キャビンでしたくしている間中、 パーサーとはきゃっきゃ言っていることである。 おいおい・・・。 私はちょっと、夜の六本木で外国人相手に きゃっきゃ言っている女性の姿を思い出してしまった。
同僚と仲良くするのは全然かまわない。 それと同じように、営業用スマイルでいいから、 客にむけられないものだろうか?
外国人の中で働くことは大変だと思う。 肩肘張っていかないとならないこともあるだろう。 確かに私たちは「旅行者」だ。 イタリア語も離せないし、短い旅行で急いで日本に帰る。 そんな姿が馬鹿らしく思えるのかもしれないが、 でも、「そのお客」で食べていってるんでしょう、あなたは。 客にお愛想笑いの1つも必要じゃないか? 正直、アエロフロートの迫力あるおねーさんたちや、 エジプトエアのパーサー達の方が、 まだしも愛想がよく、いい気分で旅をさせてくれたぞ、 と妙に点数が厳しくなってしまった私であった。 実際、ああいう日本人スッチーなら、 いない方が潔い。
いきなり残業してしまいました(^^;)。 私それほど労働熱心じゃないんですけど、 致し方ない。 学校の事務方のPCの調子がどうも今ひとつ(いや4つくらい)で、 昨日もそれを見ておりました。
オフコンをオンライン化しようとしているのですが、 PCを大量導入する時から、 やること全てが「点」。 今後どうしていくのか、見通しを立てないまま、 ぶつぶつ勝手に進んできているみたいです。
「みたい」と他人事なのは、 気が付くと「そう言うことになっている」ので、 問題が発生して初めて私たちPC部隊に「そうなっていた」ことがわかる。 んで、「どうにかしてくれ」となるわけなんです。 いくら「事前に私たちに相談してください。」と言った所で、 どうもここの人たちは事前報告とか、相談とか、 事後報告とかってことの重大さがわかっていないらしく。 えまーじぇんしーコールのみがかかる日々なのですね。
その効率の悪い動きを見ていて私は思った。 人生も、「点」ばっかりじゃじゃだめだぞ。 一見「点」に見える行動でも、「線」をイメージして行かないと。 点が集まって線になっていくようにしないと。 などと思った仕事始めでした。
2002年01月06日(日) |
海に帰ることなく・・・。 |
旅行に行っていて知らなかったのですが、 ジャック・マイヨール氏が自殺していました。 「グラン・ブルー」という映画が大好きなので、 そのモデルとなったマイヨール氏も何となく 憧れのような目で見ていました。
自然を愛した人がどうして自殺を選んだのか。 今となっては「グラン・ブルー」のラストシーン、 妊娠している恋人の静止を振り切って、 イルカと共に帰ることない海を泳ぎだした主人公の姿が、 なんだか暗示的に思えます。
どんな勇士にとっても老いは恐ろしいことなのでしょうか。 勇士だからこそ、耐えられないこともあるのかもしれない。 海に帰ることなく、土の上で死を選んだ彼の魂は、 それでもイルカに導かれて海に還っていったのでしょうか。 そうであることを願います。
また1人、偉大な魂がこの世から消え去りました。 彼らの意思を引き継げる器の大きさが、 私たちに、これからの子供たちに残っているでしょうか。 小さくまとまりがちな現在。 魂のヴァカボンドを求めたいと思う今日この頃です。
2002年01月05日(土) |
ブランド価値としての日本人 |
久しぶりにエジプトで「観光客」をしてきて改めて思った。 「日本人(の特に女性)」って言うのは、 世界に名だたる「ブランド」なんだと言うことを。 同じアジア人だとしても、申し訳ないが他のアジアの国よりも、 日本に対する興味はダントツであった。 エジプト人だけではない。 エジプトで出会った様々な国籍の人が(特にこちらが女性なので男性が多い)、 「君は日本人?」と声をかけてきた。
それは多分、車とか電気製品とか、ヒロシマとかヤマトナデシコとか、 日本には彼らにもわかりやすいイメージがあるからだと思われる。 中国や韓国もがんばって輸出をしているが、 今一つそれが大きなイメージにはなっていないらしかった。
私は声をかけられて下心があまりなさそうだなあと思うと、 エジプト人でも外国人でも、 とりあえず話をしてみることにしている。 彼らがどんなことに興味があるのか、 こちらも興味があるからだ。 今回もルクソールの空港で飛行機を待っている間、 国籍不明なルックスのアルジェリア人観光客と色々話したし、 土産物屋の正直そうな若いにーちゃんとも、 お茶を飲みながら世間話をした。
しかしそれと同時に、誰かが私の好意を持っていると言う風な時、 その人は果たして「私」に好意を持っているのか、 「日本人」の私に好意を持っているのか、 意地悪く考えてしまう自分がいる。
その国に長く滞在していていたり、 仕事や友だちのつながりで誰かと出会った場合、 多分最初はその人が「日本人」の私に興味を持っていたとしても、 段々「私」個人に興味を持ってもらえるだろう。 日本人だからこう、ではなく、 私だからそうなんだ、という風に…。 しかし、とても意地悪なようだが、 旅行中に出会うエジプト人が日本人女性に声をかけるのは、 十中八九、「日本人」だということに興味を持ったに過ぎない。 それは個人的な魅力を認められたと言うことでは、 ほとんどないと思う。 だから、あまり声をかけられても、私はうれしくない。
最近、エジプトの新聞にこういう記事が出たそうだ。 「エジプト経済がますます低迷している中、 チャンスを物にしようと、手当たり次第外国人女性に 声をかけているエジプト人の若者が大変増えている。」
外国人女性をゲットすること、 それイコールエジプトからの脱出のチャンスを意味する。
別に旅先で知り合った人との縁を、全く否定するつもりはない。 それで幸せになれる人もいるだろう。 しかし少なくとも相手のバックボーンにある色々な状況を、 冷静に見つめられるシビアさは、旅行中にも必要ではないだろうか。 特にブランド価値ある国に生まれたからには、 それを利用しようと狙う人がたくさんいると言うことは、 頭の片隅に入れておいても、無駄にはならないはずだ。
2002年01月04日(金) |
ちょっと遅いですが、あけましておめでとうございます。 |
本日帰国しました。 エジプトでは、お気に入りの店を再訪しおいしいものを食べ、 デルエリルバハリに花をたむけ、 土産物屋の怪しげな日本語を厳しくチェックし、 日本の不景気を行く先々で風潮し、 なかなか充実した休日を過ごしてきました。 帰りには3時間ほどミラノの街に出て、 何年かぶりでドゥオーモも見ることが出来ました。 何となく幸先が良いぞ。 本格的な日記は明日から再会する予定です。 カイロの報告もぼちぼちするつもりですので、 こちらもお待ちください。
今年もよろしくお願いします。 そして皆様にも、たくさんの良いことがありますように・・・。
2001年12月22日(土) |
ちょっと早いですが、来年の目標です。 |
まだまだ今年は残っていますが、 明日から非日常生活に突入するので(笑)、来年の目標を立てていきます。
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【銀関係】アートクレイ、PMCの枠を越えたネットワークで活動する。 ・まず第一弾として、5月のデザインフェスティバルへの参加。 ・オフ会&勉強会を定例化できるようにする。 ・チャリティーバザールを年に何回か行い、アートと社会活動を両立する。 ・ネットショップをもっと立派にする(^^;)。
【仕事】学校の体制に流されず、自分自身のスキルをアップさせる。 ・日本語教師としての知識や経験。 ・PCのスキルもあげる。
【勉強】あきらめずに続ける。 ・放送大学の卒論の準備を始められるように、単位を計画的に取得する。 ・アラビア語や、英語など、既習の語学をブラッシュアップできるようにがんばる。
【その他】 ・旅に出よう。 ・お金を貯める(実はこれが一番難しい)。 ・余計なものは買わない。 ・ビジョンを持つ努力をする。 ・人見知りしない、出不精にならない。
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なんか取り留めないですけど・・・。 来年も、元気に毎日を過ごしたいです。 そして攻撃的に行動的に(笑)、 人生を構築できるような、自分自身を養いたいと思います。 来年も、よろしくお付き合いくださいませ。 皆様、良いお年を。 行ってきます(^^)。
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