ぶつぶつ日記
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2002年01月17日(木) 戦う私(夢の中で)

子供のことからよく夢を見ます。
しかも全フルカラー。
かなり大人になるまで、みんなの夢も色つきだと思っていたんですけど、
そうでもないんですね?

おととい見た夢は色んな掲示板に書いたんですけど、
バターやクリームから、
小さなあおいナメクジ状の生物が湧き出てきて、
おたおたすると言うものでした。
ああ〜、気持ち悪い〜(吐)。
色はきれいだったけど。

そして昨日の夢は、学校みたいなところにいて、
これまた謎の生物だかロボットだか、
ビー玉状のものを、人目から隠して移動させる、
と言うもの。
これがね〜、監視人がいて、なかなかうまく移動させられないの。
その合間に、誰だか知らんけど大好きな(と言うことになっている)
歌手かなんかに握手求めに行ったりして。
んで、一番ちびの謎の生物が、
監視人にぐりぐりされて動かなくなりボーゼンとしたり。
忙しい夢でした。

実際、夢の中で地球防衛軍(?)なることが多い私。
よく、地球のために戦っています(爆)。
ゲームもやらないし、漫画も読まないのに、
どうしてこういう夢を見るのかなあ。
結構謎です。

でも、夢を見るのはタノシイ。


2002年01月16日(水) 世界はやっぱり広いのだ

仕事で在日大使館関係の住所を調べていて、
外務省の各国情報にはまっています。
いや〜、世界ってほんっとに広いですね〜。
知らない国がいっぱいです。
オーストラリアの側に、たくさんの独立した島国があるって知っていました?
私は全然知りませんでした。
大島の4分の1しかなくても、「共和国」だったりするんですよ〜。
そこの在留邦人の数や、在日該当人の数を見るのがまた楽しい。
在留邦人は0人のことが多いのですが、
どんな小さな国でも、必ず1人くらいは日本に住んでるんですね。
どんな縁で日本に来ることになったのでしょうか。
彼らにとって、日本はどんな国なのかな。
今、幸せなんだろうか。
幸せに、元気で暮らしていて欲しいなあ、なんて思ったりします。

私の好きな中東に目を当ててみると、
やはりエジプトが在留、滞在ともダントツに多いですね。

そして次に住むんだったら、
日本人の少ない国に住んでみたい、と思った私です。
それはそれで、とっても!たいへんなんですけど、
チャレンジャーが結構好きなのよね(爆)。


2002年01月15日(火) 母の外孫たち

昨日は成人式。本当は今日が成人の日。
テレビでは相変わらず「荒れる」成人式を取り上げていたけど、
いっそのこと、無視してしまえばいいのに、と思う。
年末の暴走族もそうだけと、
取り上げるから余計に調子に乗るってことも、あるんじゃないかな。

と、本題からそれてしまった。
さて、ニュー成人。
昨日うちにも1人、ニュー成人が挨拶に来た。
この子は生後数ヶ月から1年以上、母が手塩にかけて育てた子である。
全くといっていいほど家事能力のない母と
妙に家事能力のある子煩悩な父と言う共働き家庭に生まれた彼は、
日中我が家に預けられていたのである。
この子の弟も、うちで預かっていた。
母親は悪い人では全然ないのだが、
職場でも有名な「浮世離れした」人物で、
子供に対する興味が低いと言うか、
とにかく、仕事でも子育てでも、自分のこと以外は
あまり眼中にないタイプの人だったため、
いっかな、うちの母親が色々心配して何くれとなく子達の面倒を見てきた。
また今度成人した長男は、我が家に初めて来た「新生児」だったので、
家族そろって(父も兄も、そして私も)、
彼に対する思い入れは他の子達の非ではなく、
なんか本当に親戚みたいなかんじである。

んで、そのぷにぷにのぽよぽよ、コロコロだったお子は、
今では身長185センチ以上、ひょろひょろに育って、
浪人中にコンピューター関係の仕事を見つけひょっこり就職して
システムエンジニアかなんかの卵になっている。
昨日、うちに挨拶に来た時、彼は彼女の運転する車で来ていたらしい。
血のつながらない「育てのママ」に、
「一緒に行こうって行ったんだけど、行かないっていうから。
彼女、年上なんだ。」などと話して帰ったらしい。
実の親にはまだ言ってないけど、ママには先に言う所が
またかわいいじゃああーりませんか。

うちの両親は、「じじばば」になったのがとても早かった。
母は40代で「おばあちゃん」になり、かなり憤慨もしていた。
だからうちの内孫たちはこのジジばばのことを「パパとママ」と呼ぶ
(ちなみに、私のことも決して「おばさん」などとは言いません)。
しかし、嫁さんの実家は気がついたら孫がもう5人になったのに、
うちの両親、気が付いたら、孫はその2人で打ち止め。
目の前には、いつまで〜も嫁に行きそうにない
(そして行く気のない)娘が行ったり来たりするばかり。

でも、いいではないか、母よ。
血のつながらない外孫が、たくさんいるのだから。
新年の挨拶、入学の報告、七五三の顔見せ、運動会参加、
血はつながっていないものの、
「ママ〜。」と言ってくれる子供達がたくさんいるのだから。
やがて、「ひ孫」の顔を見せてくれる子も現れるだろう。

血がつながっている以上の不思議な縁が、
母と、そして私たち家族を取り巻いている。


2002年01月14日(月) 子供?大人?

今日は成人式ですが、
この頃毎年のように、「荒れる」成人式が問題になりますね。
考えてみると、「荒れる」式と言うのは、
何となく中学とか高校の卒業式というイメージがあります。
青春ドラマの影響でしょうか(^^;)。
それが今では成人式かあ。

20歳の成人式の自分なんて、
もうほとんど思い出せないくらいです。
すごく子供だったように思います。
でも、人の大勢いるところで騒がないとか、
そう言うことは当たり前ですがわかっていました。
それに、式に賛同していなかったので、
地元の式にも出なかった。

式には出る、でも暴れる。
それって暴れる=目立つ=かっこいい、っていう情けない図式なんでしょうか?
少なくとも、その人とかっこいいと思う人なんて、
同じような大馬鹿者しかいないと思いますが、
憧れる大馬鹿者が多いから、毎年成人式は「荒れる」んでしょうか。
なんだか、寒寒しい話です。

20歳になったからといって急に、
人は大人にはならない。


2002年01月12日(土) ヘジャーブ考

昨日はイスラム原理主義(かも、と自ら言っている(笑い))の
日本人ムスリマの友だちと会いました。
彼女とは、イスラム的な知識量が同じくらいで
(近いうちに完全に追い越されると思いますが)
ムスリマと非ムスリマなのに、イスラム観みたいなものがとても近く、
話していてとても面白い。
ちょうどラマダン時期にカイロに滞在していて、
すっかりヘジャーブが板についており、
昨日も可愛らしいサーモンピンクのヘジャーブ姿だった。

日本人ムスリマの間でムスリマの誰かを評価する時、
すぐに取りだたされるのがこのヘジャーブ(スカーフ姿)。
しているしていないで、ムスリマとしての姿勢が問われるって感じだろうか。

エジプトでは最近、とみにこのヘジャーブ姿のお嬢さんが多くなった。
しかし、彼女たちのムスリムとしての姿勢はどうかと考えると、
別にヘジャーブはあまりそれをはかる目安にならないような気がする。
カジュアル・ヘジャーブという感じで、
前髪を出したり、ぴったりとしたパンツとあわせているような子も多いからだ。

ある程度の知的なムスリマ女性には、
「自分はまだ、ヘジャーブをするほどにはなっていない。」
という謙虚な気持ちを持っている人もいることを、ご存知だろうか?
彼女たちはヘジャーブに憧れを持っているが、
ヘジャーブをかぶるだけの内容がまだ自分にはない、
早くヘジャーブと自分自身がつりあうような人間になりたい、
そう聞かされたことが何回かある。
先日会った友人には今度アズハル大学で教鞭を取る話が持ち上がっていた。
彼女もヘジャーブをしていない。
そして上記のように思っている女性の1人である。
アズハルに入るのに、ヘジャーブは必須だと思っていたら、
彼女が聞いた話では、門を入る時には必要だが中では脱いでも良いらしい、とのこと。
アズハルで、それでいいの?と私たちは大笑いをした。

ヘジャーブに対するクルアーンやハディースの解釈は様々だ。
はっきりとヘジャーブをしなさい、とか、
ニカーブ(目だけを出したあの真っ黒尽くめベール、ブルカもこれの一種)をしなければならないとか、
はっきり書いてあるわけではない。
「長衣を身に着けなさい。」とか
「男も(!)女も恥ずかしい部分は見せないように。」とか
確かその程度の記述だったはずだ。
だからこそ、その国々、人々によって解釈が違ってくるのは仕方ない。

またアフガンのブルカ、サウジやイランのアバヤ着用が
人権侵害かどうかよく取り上げられるが、
私個人の意見としては、国なりがそれを着る事を強制するのは、
やはり人権侵害ではないかなという気がする。

そして人権侵害といえば、フランスなどで問題になったように、
ヘジャーブを身につけたいと思う女性から
誰かが無理やりにヘジャーブを奪うこともまた、
重大な人権侵害だ。

身につけるか、つけないか。
それは国や回りが決めることではなく、
本人が決めるべき問題だと思う。
ヘジャーブを身につたいと思い、それができる環境なら、
日本だろうがどこだろうが、どんどん身につければいいと思う。
しかしそれぞれの事情でヘジャーブを身につけぬ人を、
糾弾したり、それだけで良いムスリマではない、と決めるけるのは
あまりにも短絡的過ぎると思う。
そしてヘジャーブを身につけているから仕事に採用されない、
それは差別であると言うのなら、戦っていけばいいと思う。

しかし、考えてみれば、普通の会社の営業マンが
背広は着たくない、ジーンズでお得意周りをしたい、
背広を着ろというのは人権侵害だ、と言い出したら
それはその人が会社にあわないという事で、
会社が考えると言うよりは、今後その会社で働きたいのかどうか、
その人自身が考えなくてはいけない問題のように、
社会生活をしていく上では、
どうしても譲歩しなくてはいけない部分もあるんじゃないかと思う。
少なくともエジプトですら、ホテルのフロントで働く女性に
ヘジャーブ姿はほとんど見られないし、
ニカーブの女性は職探しがかなり難しいようだ。

まだ何の実績もあげていない情況から、
ヘジャーブを許可しろ、礼拝をさせろ、
そうじゃなくては宗教差別だ、
と言うのは、あまりにも子供の理論のような気もする。
入って1週間でいきなり10日間の有給休暇が許可されないのと、
根本は同じ気がするのは、
それは私が非ムスリマだからだろうか。
職種によっては絶対に無理な場所もあるだろうかが、
人間関係さえきちんと築いて評価されていれば、
すんなりヘジャーブを許可してくれる会社も、
案外あるんじゃないかと思う。
そしてもし周りにそう言う人がいたら、
見かけではなくその人自身と向き合って付き合っていきたいと思う。
そして彼女はどんな時でもヘジャーブをかぶって生活したり働いたりできるように、
支援してあげたいと思う。


2002年01月11日(金) あんたモスレム?そう、ムスリム!

本日、とあるエジと会う約束があり、
仕事の昼休みを利用して渋谷駅前まで下りました
(仕事場からだと、本当に「下りる」って感じ)。
初対面の人だったのですが、来た瞬間にわかるほどのエジ度。
そしてエジ英語なのであった。

昼飯は食べたか?ということになり、
彼が一度行ったと言うハラール食の店に行ったのだが、
そのビルの前に、これまたいかにも「それらしい」異国人が二人。
そこで連れのエジは彼らに「このレストランはハラールか?」と聞くと、
「知らないけど、多分ある。」と教えてくれた。
どうやら片方はほとんど日本語がわからないようで、
日本語で答えた人がいちいち会話を通訳している。
んで、この人に「『モスレム』ですか?」、
「どこの国?」と日本語で聞かれた連れのエジは、
「エジプト、あなたは『ムスリム』?」と聞き返した。
彼はイラン人だそうで、
このイラン人が「そう『モスレム』!」を答えた途端、
エジとイランはにこやかに笑いながら、がっしり握手を交わしたのだった。
お互い、同じだね〜、って感じであろうか。

私はこういうイスラム教徒の一体感って、
結構いいものだなあと思う。
実はスンニ派であるエジプト人はシーア派(イラン人はほとんどこのシーア派である)に対して、
「自分の体を傷つけるなんて、変だ。」とか、
「アリーを神格はしているなんて、おかしい。」とか、
色々文句も持っているのだが、
こう言う時はスンニだとかシーアだとか、そう言うことはどうでもよくなり、
『自分たちはイスラム教徒、だから兄弟』という一体感に包まれるみたい。
ほんの一瞬のことだけど。

考えてみると、日本人がこんな風に、
「あなたも日本人?私も!!」という風に、がっちり握手を交わす姿なんて、
そうそう海外では見られないような気がする。
(日本人バックパッカー常宿の安宿だったらあるのかもしれないけど)
それはもしかしたら日本人の性質なのかもしれないし、
じゃあ自分も海外で会う日本人にオープンマインドか、
と言うと時と場合によってしまうので、あまり大きいことは言えないし。
だからこそ、「ムスリム!」の一言でいきなり一体感を持ってしまう彼らが、
ちょっとうらやましいのかもしれないなあ。



2002年01月10日(木) 自分自身の中にイメージを記録し、そして遊ぶ。

私はあまり写真を撮るのが好きじゃない。
特に、旅行先の普通の人たちにカメラを向けることに、
自分でもどうしてだかわからないがものすごい抵抗があって、
ほとんどそういう写真が残っていない。

別段人を被写体にすることにとやかく言おうとは思わないし、
うまく現地の人の写真を撮る人はすごいな、と思う。
多分、そう言う人は何の気負いもなく、
何も気にせず人に接して、心のそして興味の赴くままに、
自然な写真を撮れるんだろうな。
私は結構、なんにしても身構えてしまう方なので、
とてもとても、そんな風に素直な写真を撮ることは無理なのだ。

本当なら、目で見えるもの全てを記録に残しておきたいが、
そんなことは到底無理。
でもある時、私は自分がかなり視覚的な人間であることに気が付いた。
目の前に対象がなくても、
かなり細部までその情景やものを頭の中で再現することができる。
もちろんそれは多少違っていたり、
細部があやふやだったりするが、
そのイメージを遊ぶことの楽しさに気が付いたとき、
私は写真というものにこだわらなくなった。

私が見たもの、そして記憶に残しているものを
私以外の人に物体として見せることは出来ないが、
それはそれでいいだろうと思う。
私の話しを聞き、聞いた人がイメージを膨らませ、
そしてそのイメージを、自分自身で確かめれば良いと思う。
その人はまた、私のイメージとは全く違う、
自分だけの写真を撮ってくるかもしれないのだから。


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