ぶつぶつ日記
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2002年01月24日(木) |
何がしたい?何が言いたい、イスラエル? |
イスラエル、今度は小学校に講義。 新聞見ました? 重信房子の娘が小学校で異文化交流。 そこでイスラエルの戦車に石を投げる子供の写真を見せた。 それはいかん! という講義です。 (そしてびっくりしちゃうのは、 それをイスラエル大使館にたれこんだのが その学校の父兄だってこと。 何を考えてたれこんだのか? 思想教育許すまじっていう正義感? イスラエルの方がよっぽど思想教育だと思うけど。) もし、同じことをこの学校の先生がしたらどうだろう。 きっと父兄がイスラエル大使館にたれこむこともなく、 イスラエル大使館が講義することもなかったと思う。 写真を見せたのが、重信房子の娘だから。 そして彼女はパレスチナ人だから。 だから父兄もイスラエル大使館に教えたのだろうし、 イスラエル大使館もこの学校に講義したんだと思う。
私は、パレスチナテロもひどいことだと思うし、 それで亡くなった人に対して同情も感じることがあるが、 じゃあ、パレスチナ人はどうしたらいいの? 彼らはどうすればいいの? 失業率70%以上、毎日戦車はやってくる、 ミサイルで攻撃もされる。 パレスチナ人が彼らの存在をアピールする、 他どんな方法があるんだろう? あったらきっと、その方法をとっている。 パレスチナ人は別に血に飢えているわけではないんだから。 イスラエルは一体何をしたいのか、 こうなると全然わからない。 とにかく、パレスチナ殲滅? そんなこと、自分たちが生き残ってるくらいなんだから、 無理に決まっているのにね。 選民意識ほど始末に終えないものはない。
ナチズムはシオニズム(ユダヤ人のホームランド思想)のネガティブと言われている。 つまり、ユダヤ人を迫害したナチスの思想とシオニズムは、根本の所で同じようなもの。 血を重んじ、他者を排斥する。 ユダヤ人をガス室に送ったナチスは極悪非道。 パレスチナ人を攻撃しているイスラエルは正当防衛? それって、都合がいいと言わないか、イスラエルよ。
そう言えば、なぜかアフガン復興会議が 日本の高輪プリンスホテルで行われていましたね。 カルザイ氏をはじめとした主だったアフガン暫定自治政府の 閣僚が来て、熱弁を振るっていました。 カルザイ氏はグッチから「今最もファッショナブルな注目すべき男性」に 選ばれたんですよね。 今回も、スタンドカラーのシャツでノータイ、 スーツの上にアフガンの民族衣装を軽くはおり、 なかなかのフォトジェニック振りでした。 その他の方々も、さすがアフガンの「名家」の出身、 ヨーロッパナイズされた、洗練された服装でした。
そして、私はものすご〜い、違和感を感じています。 アフガン難民の姿と、彼らのそのすっきりとした姿に。 ドスダムをはじめとする、アフガンに残って群雄割拠していた指導者達と、 今回の暫定自治の中心人物たちは、果たして話しが通じるんだろうか? そのくらいの差を感じてしまいます。
ドスダムのように、ずっと国内にとどまってた者にしたら、 彼らは金持ちで、外で安穏と暮らしていた者に思えるだろうし、 カルザイにしてみれば、ドスダムは単なる田舎者?
アフガン復興、成功してもらわなくては困るんだけど、 そうそう安穏ともしていられないですよね。 すでに、内部抗争も起こって死者も出ていますし。 人間って、やっぱりおろかなのかなあ・・・。 それでも、解決の糸口はあると信じたい、 私は楽天家。
今日は、とある大学の留学生入試試験の発表の日。 最近の合格発表は、簡単なものである。 インターネットに受験番号が並んでいる。 「おめでとう」の一言もない。 電報で「サクラサク」、「サクラチル」なんて、 かなり高度な日本語力と日本事情通でないと理解できないから、 そんな手の込んだものはいらないけど、 ここまで無味乾燥でいいのか、などと思ったりするが…。
学生が、授業を抜け出しコンピューター室にやってくる。 自分が教えたことのない、名前も知らない学生だが、 私も一緒にドキドキしながらページを開いていく。 学部を見つけ、番号を探し・・・。 「はっ」と本当にはっとして、 「あった〜!!!!!」とうれしさのあまり、 体が勝手に動き出す彼ら。 「よかったね〜、おめでとう。」と私が手を差し出すと、 ぶんぶんと両手を握り返してくる力強さ。
もし合格していなかったら・・・。 その無味乾燥なページは本当に無味乾燥で、 冷たく恨めしく目に映るだろう。
今日見に来た学生2人は合格組みだった。 その無味乾燥なページは、多分彼らには 光り輝いて見えたことだろう。 ついでに私にも、燦然と輝いて見えた。
彼らの喜びがマブシイ。
アフガン暫定自治政府のカルザイ氏がいやに派手にクローズアップされている。 確かに、この人はとてもハンサムで、その上民族衣装をうまく取り入れた服装、 物腰もやわらかく、「紳士」という感じがする。 「今年もっとも注目すべきファッショナブルな男性」と グッチに称されたのも、妙に納得である。
彼を見ていると、もしマスードが生きていたら、 ここにはマスードが立っていたのかな、とふと思うことがある。 しかし、それと同時に、 現在のお祭りムードとも言える国際舞台に立つマスードは、 想像しにくいとも思える。
彼を初めて目にしたのは、いつのことだろう。 まだ、ソ連がソ連であり、アフガンに侵攻していた頃だったと思う。 なんとまあ、かっこいい人だろうか、と彼を見て思った。 そして、彼は彼らしく、最後までアフガンにとどまり、 暗殺者によって、非業の最期を遂げてしまった。 数ヶ月後の現在の、平和への扉が開くのを待たずに・・・。
マスードのことを精錬潔白な人物と称するのは誤りかもしれない。 彼もまた、アフガンの多民族国家に住む指導者として、 敵対する部族の村を襲撃、虐殺すると言う愚を犯している。 そして、彼は「天才なカリスマ」ではなかった。 その証拠に、彼はソ連撤退後の混乱するアフガンを掌握することは出来なかった。 しかし彼は、まれに見る努力家だったと思う。 現在のアフガン自治政府の閣僚達のほとんどが 混乱するアフガンから一時脱出していたにも関わらず、 自分はおろか、家族すら国外に逃がすことなく、 妻と5人の娘とともに、アフガンにとどまった。 2度と同じ失敗を繰り返さないために、 しっかりと自分自身を抑え、着実に、そして粘り強く、 アフガンで指揮を取り続けていた。
彼はマスコミをうまく利用する術も知っていたが、 やはり、現在のような華やかなスポットライトの中心に立つ、 洋装のマスードなど私には想像できない。 アフガンの荒涼とした山岳地で、 緑なす草原の村で、 アフガンの民族衣装を身につけ、 日差しがまぶしいような、恥ずかしがっているような、 そんな目をしていた、その姿こそが彼らしいと思う。
そして、ブルカを脱ぐこととかぶる事、 その両方の権利を守ることを知っていた父親の遺志を受け継ぎ、 未来の平和になったアフガン政府の中心で、 亡き父の意思を受け継ぐ女性閣僚に、 彼の5人の娘のうち成長した誰かの姿を見たいと、 心から願う。
2002年01月20日(日) |
日本に来なくていいナンバーワン |
シャロン、というかイスラエル。 ついにラジオ局まで襲撃ですか。 さすがにパパ・アサドが死んで少し大人しくなっていたシリアが、 抗議声明出しましたね。
この間はガザ空港が破壊されました。 自治政府関係の建物も、たくさん壊されました。 ヘリポートも壊されました。
これらに、一体いくらの私たちの税金が使われたか、 ご存知ですか? 日本はパレスチナ自治政府への援助として、 ガザ空港建設のための費用を、半分負担しているのです。
私は別に、パレスチナ支援に私の税金を使うことには文句はありません。 アフガニスタン復興支援に使ってもらっても構わない。 でも、例えばそれがどこかの先進国によって攻撃されて、 支援が瓦礫の山になるのは、 やっぱり嫌なのです。 そして、パレスチナでは見事に瓦礫の山になりました。
現在、なぜかシャロンまで来日の希望を表しています。 何しにくるんだか、わかりません。 多分、パレスチナによる「テロの恐怖」とアピールし、 「イスラエル支援」を求めるのでしょう。
私はシャロン来日のための警備その他に、 私の税金が使われるのは絶対にいやです。 そして、私の兄が、シャロン警備の任務にかりだされるのも、嫌です。
今の所、私の中での、「日本に来なくていいナンバーワン」、 それはシャロンです。
誰かの歌に「希望ばかりがひしめきあう。」というフレーズがあったが、 そう歌い切ってしまえるのは、やはりこの国が基本的に豊かだからだと思う。 希望とは、情況を変えられるという確信みたいなものと、 誰かが同じように情況を変えたという先例がないと、 なかなか持てるものではない。
少し前のアフガンや、現在のパレスチナ。 そして何がなんだか全然私たちにはわからない、 とにかく混乱と殺戮ばかりのアフリカ内戦。 そこで暮らすほとんどの人にとって、 希望を持つと言うことは、なんと贅沢なことだろうか。 明日生きているかわからない人たちは、 ほんの少し先のことなど考えも及ばない。 とにかく、今、そして明日。 生きているか、子供たちを生かせるのか。
それでも、人々は希望を持つ。 平和な時代を知らなくても、平和への希望を。 自由な生活が想像できなくても、自由に発言できる世の中を。 暖かい家を、学校を、仕事を、家族を・・・。 子供たちが「知らない、わからない」から持てる希望。 そして、大人たちはその子供たちに希望を見る。
確かに世界中には希望がひしめき合っている。 そのほとんどが絶望的に思えても・・・・。 私たちは希望にしがみついて、 ようやくこの星の上に生き長らえているのかもしれない。
昨年の暮れからとあるPCのOSにうなされている私達。 PC本体が悪いのか、それともOSが悪いのか、 はたまたネットワークに何か問題があるのか、 システムエンジニアの勉強をしたわけではない私たちには、 な〜にがなんだか、全然わからない。 分からないなりにも、どうして不具合が生じたが、 今回はその原因はわかっているのだけれど、 それがどう〜してそうなるのかは、全然わからない。 昨日はそれでPC本体のメーカーの人が来ていたのだが、 その人にもどう〜なっているのか、全然分からないとのこと。 ああ〜、もう! なんで推薦アップグレードをしてセキュリティーホールの穴を埋めたら、 動かなくなるんだ! 説明しろマ〇〇ロソフト! だからウイスル攻撃されるんだ!!!! などと怒鳴っていた私。 昨年暮れから何度、PCのLAN接続をやり直したことか・・・。
所が、である。 アルハムドリッラー!なことに、 こんな腹立つことが役に立ってしまった。 海外に住む友人とネット上で顔を合わせたところ、 まさにLAN構築していて、わけがわからない!とのこと。 説明できちゃうじゃん、そのくらいだったら。 私ってば。 少しは株が上がったか( ̄ー ̄)。
とまあ、どこで何が役に立つかわからない。 あまりに文句を言わないのも疲れるので、 きっとこれからも文句を言い続けるだろうけど、 すこしは「いつかは役に立つかも・・・。」 と、文句を減らしてみようかな、 などとおもった金曜日の深夜3時のことでした。
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