ぶつぶつ日記
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2002年02月09日(土) |
オリンピックとかに味噌チャーハン |
今日は家に1人。 夜ご飯は何にしようかな〜と、 冷蔵庫をごそごそ。 妙に家事好きの母親に甘やかされて育てられたので、 カイロに行くまで家事という家事をちゃんとしたことがなかったのだが、 家事好きの母親の姿を横目で見ていたおかげか、 最初から割とてきぱきと家事がこなせたのはありがたかった。 初めてなべでご飯を炊いた時から、一度も失敗したことはなかったし、 大家さんには「いつもきれいな部屋ね〜、前よりもきれいになったわ。」と 言われたこともあった。 カイロで一人暮らし(+他人との共同生活)をして気がついたことだが、 私は料理の本を見て料理を作るのは面倒くさいと思ってしまうのだけれど、 冷蔵庫の中にあるありあわせのもので料理を作るのは、 かなり楽しいと思える方らしい。 てきとうー、と言うのがいいのだと思う。 それでおいしいものが出来たら、 料理の本通りに作って出来たがったものよりも 満足度が高い。
今日は寒いのでお使いにも行きたくないし、 ちゃぶ台には昨日の夜ご飯の残り物らしい(私はいなかった) 餃子が一人前くらいあった。 冷や飯もある。 こうなると思いつくのはチャーハンか。 具になりそうなものを探してみると、 かに味噌風ソース、カニ缶、 野菜室にはキャベツにたけのこ、長ネギ。 タマゴもちゃんとある。 これはなかなかうまそうなチャーハンが出来そう( ̄ー ̄)。
てきとうーに野菜を切って、てきとうーに味付けして、 出来上がったかに味噌チャーハンはかなりナイスな出来。 餃子をあっためて、インスタント味噌汁でもつければ、 立派な中華定食、所要時間15分ナリ。
ソルトレイクの開会式で持ち込まれたWTCのボロボロの星条旗と、 満足そうなブッシュを見ながら食す。 「いいけどさ〜、オリンピックを私物化していないか、ブツブツ・・・。」 と思いながら、香港から来たおいしい中国茶と、 エジプトから来たゴライエバというクッキーを食後に食べて大満足。
ふと。 こうしてたらふく「家にある」食料で満腹になり、 暖かい部屋でぬくぬくとオリンピックを見ている自分は、 世界でも恵まれた「特権階級」であると気がつく。 オリンピックの華やかな世界の届かないところで、 今日もたくさんの子供が凍えていることを、 忘れちゃいけないんだ、と思う。
2002年02月08日(金) |
恋愛における価値観ー大好きな人3ー |
正直言って、この人のことを個人的に好きか、 というとはなはだ心もとない。 もし、会社の上司にこの人がいたら、 ちょっとやっかいだろうな、という気もするし、 さばさばしているもの同士、意外と大丈夫な気もする。 こちらが、きちんとなすべきことをするならば、 という大前提が必要ではあるだろうが。
私の彼女に対するイメージは、「雄雄しい人。」であろうか。 男性に混じって、政治論などを堂々と討論できる。 むしろ、ほとんどの男性は彼女にかなわないだろう。 男性的な政治的視点を持っている、珍しい人だと思うが、 その視点が十分に生かされている現在のローマ人シリーズよりも、 彼女の女性的生命力が溢れている、 初中期の作品が私のお気に入りだ。
塩野七生 1937年7月、東京生まれ、イタリア在住。 作家
同じイタリアで生活していたにもかかわらず、 この人のイタリアと、須賀さんのイタリアは、 全く別な国に思える時がある。 それは須賀さんが最初はローマに居を構えたものの、 ミラノというイタリアでもどちらかというと 「日本人の考えるイタリア」とは気質を異にする土地で、 ドイツ人的な北方の気質を色濃く受け継いでいた ミラノの人たちとの関わりが大きかったからかもしれないし、 単に、気質の違いなのかは私にはわからない。
塩野七生という人が好きなのか、 そこまでの見極めが出来ないのが、 彼女のエッセイの特徴のような気もする。 決して、自分の私生活というか心の中まで踏み込ませないような、 透明な壁。 自分自身のことを語っているのに、 他人の目を持っているような、そんな感じ。
私は彼女の初中期の、史実や実在の人物をモデルにしながら、 豊富な裏付けと類まれなる想像力で生み出された小説が、 とても好きなのだが、 それは、この人とは価値観が多分とても似ている、と思える一点があるからだ。 いつもいつも、読み終わるたびに、 「こういう風に、誰かを愛したい、誰かに愛されたい。」と思わされる。
特に私が好きなのは、「レパントの海戦」のバルバリーゴとフローラの恋。 そして「黄金のローマ」「銀色のフィレンツェ」「緋色のベネツィア」3部作の 娼婦オリンピアとマルコの関係。 この3部作にはもう1つ、切なさにどうしょうもなくなるくらいの、 悲劇に突っ走るマルコの友人の恋愛も描かれている。
彼らは多くを求めない。 そして自分の気持ちを密やかに、強く、持ちつづける。 見返りも求めず、 相手のために自らを犠牲にすることもある。 それは、「自分」が望んだこと。 悲劇的な結末を迎えても、誰をうらむわけもない。
彼女は言う。 「誰かから心から愛されたことのある女は、 その後一生、孤独を感じることはない。」 そっと、悲しみを自分の心に宿しつづけていたとしても。
バラエティー番組などとばかにしていると、 以外とそう言う番組で泣かされることが多々ある。 調度、仕事から帰ってご飯を食べ始める時間にやっている番組の中で、 ある一日をアットランダムに選び出し、 その日に輝いていた人にトロフィーを渡す、というコーナーがある。 毎回毎回、色々な人が紹介されてとても面白いのだが、 昨日紹介されていた人は、はっきり言って あのコーナーだけにとどめておくのには、 もったいないような人たちだった。
40年前、縁あって結婚した日本人男性とイタリア人女性。 彼らはカーデザインの会社で世界的に成功を収る。 それだけでももちろんすごいのだが、 本当にすごいのはここから。 四男一女の自分たちの子供たちの他に、 国籍も性別も問わず、何人もの子供たちを養子にし、 実子共々しっかり育て上げたのだ。
韓国人、インド人、イタリア国内から、そして多分東欧から・・・。 養子をもらうこと、それはまず第一に子供たちに迷惑がかかる。 彼らは、自分たちが会う前に、子供たちに次に家族になる 未知の子供に会いに行かせる。 そうして相談する。 もちろん、そんな両親に育てられた子供たちが、 新しい家族の登場に反対するわけもない。
短いコーナーでは紹介されなかったが、 もちろん子供たち同士の揉め事も会っただろう。 でも、今では「本当の」家族だ。 血のつながり有無は、大して問題ではなく・・・。 「家族は愛情の結びつきだと思う。 それがだんだん大きくなって、やがて世界につながっていけばいいと思う。」
この機会に全ての子供たちから寄せられた両親へのメッセージ。 「愛しています、今までありがとう。」 シンプルなメッセージが、よけいに胸を打った。
結婚する時に二人が作りたいと思った家族、La famiglia aperta 「開かれた家族。」 子育てを終えた今の二人は、 大きな農園を買い取り、アグリツーリズものできる施設を作った。 ここにやってくるのはやはり、 障害のある子ども、家庭環境に恵まれない子供、 薬物やアルコール中毒の問題を抱える人、 社会的に弱者の人々。 彼らの「開かれた家族」は、今も確実に広がっている。 いつか、世界中を結ぶことを夢見て。
2002年02月06日(水) |
粋でいなせな女ー大好きな女2− |
粋でいなせな、小またの切れ上がった女性、 と言ったら誰を思い浮かべるだろうか。 絽の着物の似合う、背筋のしゃんと伸びた江戸の女をイメージする言葉だが、 私が最もこの形容を謙譲したいと思う女性、 それはマレーネ・ディートリッヒだ。
マレーネ・ディートリッヒ 1901年ドイツ、ベルリン生まれ 1992年パリにて死去 女優
初めてディートリッヒの映画を見たのはいつの頃だろうか。 それは多分、ファッション系の専門学校に入学し、 「ハリウッドの商業映画なんて、いけてない(今風に言うと)。」 とななめに構え、 単館ロードショーのヨーロッパ映画や、 リバイバル映画を観に行っていた頃だったと思う。 最初に見た映画は、ビリー・ワイルダー監督の「情婦」。 ここでのその粋な悪女ぶりに、 今までいいとこアメリカの女優くらいしか知らなかった私は、 どっか〜んとノックアウトされてしまった。 日本人の言う「大人の女」と言うのが、 彼女の前ではほんの小娘、 本当の大人の女ってのは、こういう人のことなのかあ、と ワクワクしたことを覚えている。
「情婦」でも、その他の映画でも、 彼女のイメージは奔放で退廃的な悪女が多い。 しかし、彼女が単なるセクシーな悪女を演じているだけだったら、 こんなに伝説にはならず、遠からず消えていく運命だったと思う。 そして、私も大してあこがれることもなかったように思う。 スクリーンで見る彼女は、確かに奔放で大胆、 男を破滅させるファムファタル、であるのだが、 しかしそれと同時に、心底惚れた相手には、 尽くして尽くして、自己犠牲を全く厭わないという、 2面性を持っている。 また、どんなに惚れた新しい相手が出来ても、 弱っている夫や恋人を、残酷に切り捨てられない母親のような一面も。
実際のディートリッヒも、スクリーンと同じような奔放な女性であったようだ。 結婚して子供がいたにもかかわらず、様々な男性と浮名を流している。 しかし映画そのままに、このドイツ時代に結婚した夫と離婚することはなく、 少々風変わりではあるが、家庭自体は円満だったと言われている。
わがままで気まぐれだったようだが、 その反面、時間に追いまくられながら彼女のドレスを作っている、 デザイナーのところの職人を自宅に招き、 手ずからスパゲッティ-を振舞うような気さくな一面もあり、 彼女を愛する人たちも多かった。
第2次世界大戦中には、祖国ドイツの敵に回り、 連合軍への慰安部隊に所属し、兵士たちに混じって野営もした。 彼女が歌った「リリー・マルレーン」は、 それを聞いたドイツ兵の士気を落としたと言われており、 もともとドイツにディートリッヒを抱きこみたかった ヒットラーから懸賞金をかけられていた時期もあった。 例えそれが祖国であったとしても。 正しくないのであれば、自ら望んで敵に回る。 それで、今後ドイツに帰れなくなったとしても・・・・。 (実際戦後、彼女はかなり長い間ドイツには帰れなかった)
晩年はパリに住み、主にリサイタルなどで活躍していたが、 70歳過ぎても往年の曲線美は健在で、 年をとることも全て、大らかに受け止めてどっかり生きている所に、 ドイツ人らしさを感じてみたり、 それでも「私は女よ。」と、 いくつになっても女を捨てていないところもあり、 バイタリティー溢れる意地悪婆さん、みたいな老後もいいなと思う。
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「モロッコ」のラストで、金持ちの婚約者を振り切り、 ハイヒールを脱ぎ捨て、愛する男の跡を 砂漠へと追っていく彼女の姿は、 虚構のものだけではない気がする。 その道がどんなに過酷でもつらくても、 自分が望む道を正しいと信じて歩いていく。 例え愛する男とはぐれ、砂漠で死ぬことになっても 後悔はしないだろう。 そう思わせる瞳の強さが、とても好きだ。
お勧め映画 ・情婦 ・監房X27(漢字忘れました。っていうような題名だったと思う) ・モロッコ ・天使(エルンスト・ルビッチ監督作品)
2002年02月05日(火) |
ちょっとハムレットの心境 |
(多分)真のネット好きだし、 PC自体もとっても好き(って割には大したスキルはないけど)。 それに近々、職場がADSLを導入する前に、 自宅で設定とかをやってみたい。 んが、問題が。
万年金欠病の私は、 今の個人専用電話をひく時、加入権を買わなかった。 そこで、ライトISDNという回線の契約をした。 これは最初に加入権を買う必要がない代わりに、 月々の基本料がちょっとお高く、 9年以内の使用だったら、「正規の」加入権を買うよりも、 エコノミーってもの。 一応、希望的には9年以内には一人暮らしなり、 海外脱出なりしたいという野望もあり、 それを実現する理由付けとしても、 まあいいかな〜とこれにした。 こんなに早く、ISDN以上の速度のものが来るとは、 専門じゃないからわからなかったんだもんね。
この回線からADSLにするとなると、 金の問題うんぬんよりも、 電話番号が変わる、というのがめんどくさい。 でも、やっぱブロードバンドでしょー、 と新し物好きの悪魔な私が耳元でささやく。 う〜ん、ADSLニスルベキカ、シナイベキカ。 ハムレットな私。
私は自分のことを、善人面したやつだな〜と思うことがある。 きっと、私のことを、そう思っている人もいるだろうな〜とも思う。 理由の一つはこの日記であり、 今度第2回を行うチャリティーなんだけど。 「っけ、善人面しやがって、大したことも出来ないくせに。」 と思ってこのHPなりを見ている人もいそうだ。
自分でも、大したことはできないことはわかっている。 でもだからといって何もしない、何も言わないんじゃ、 だめなんじゃないかと思い、 色々主張もするし、行動も起こす。 今のところ、それで誰かに迷惑をかけてはいないだろうし (チャリティーに参加していただいている人には、かけているか)、 まあ、いいんじゃないか、この善人面も、と 自己弁護が甘くなる。
しかし、どうしても私の理解の範疇を超えるのが、 善人ぶって、それを理由に他人を攻撃する人たちのことだ。 つい最近では雪印事件。 確かにあの一連の騒ぎは消費者の信用を愚弄したが、 だからといって、「一営業マン」にけりを入れたり、 営業の車に石を投げつけたり、 雪印の看板に悪口を書いたり、 それに一体何の意味があるんだろう? まっとうな一般人にしてみれば、 後ろ指差される雪印社員の姿は、 明日はわが身?かもしれず、 とても罵声を浴びせようとは思わないはずじゃないだろうか?
自分の不満を「正義感」と言う言葉にすりかえて、 他者を攻撃することのは、 病んでいる、と思う。
2002年02月03日(日) |
大好きな女(ひと)〜シリーズ1〜 |
須賀敦子さん 随筆家、イタリア文学翻訳家、他 昭和4年〜平成10年
ミラノ、という街に言いようもない甘美な響きを覚えるようになったのは、 自分があの街に何度か行ったからでは決してない。 ラベンナへ行く道すがら、通りすがって何日か滞在したミラノは、 私にとってはあまり印象に残らない、 大して好きになれない街だった。 それが今では、ミラノ、と聞くと、 切なさが胸いっぱいに広がる。 それは、「私」のミラノの記憶ではなく、 「須賀敦子」という人のミラノの思い出が、 あまりにも甘美で、懐かしく、そして優しいからだ。
英語が公用語だったという、まさに選ばれた空間で教育を受け、 船でヨーロッパへ留学したと言う、 日本の最後の綺羅の時代に育った女性ならではの、 不思議な浮世離れ感と、それでいて正しい道徳観を併せ持った、 古き良き香りのする彼女の文章に、 平等という名のもとに、私たちが失ってしまったものを感じる。 パリで、そしてイタリアで悩みながら勉強を続けていた、 彼女の青春時代がとてもまぶしい。
何か、心が沈んでいる時、悲しい時、元気がない時。 気がつくと、彼女の本を手に取り、 繰り返し、繰り返し、そのページをめくっている。 電車の中で、何度何気ないページに涙を流しそうになったことか。
透明な、悲しみ。
彼女の本の中には、悲しみがたくさんつまっている。 そしてそれ以上に、人の背中をそっとなでてくれるような、 そんな暖かさも。
彼女のページの底に流れている悲しみ。 多分それは、せっかく出会った(しかも運命的な)愛するだんな様を、 本当に短い結婚生活で亡くしてしまったことによる、 行き場のない消失感なのかもしれない。 そして暖かさは、悲しみの中から立ち上がり、 思い出を胸に、もう一度人生を立て直した人の、 自信と強さから来る大らかさに違いない。
初めて降り立った冬のミラノの街の冷たい空気を 胸いっぱいに吸い込み、 私も、悲しみや辛さに目をそむけないで生きていきたい、と思った。 きっとその度に、ページの中から須賀さんがそっと、 私の背中をなでてくれるだろう。
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