ぶつぶつ日記
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最近、私の使っているPCが調子が悪い。 朝仕事に来て立ち上げようとすると、 ビープ音がして立ち上がらない。 色々格闘すると、何とか立ち上がるのだけれど、 一度ハードディスクをばらして見ないといけないらしい。 今朝、その覚悟を決めてドライバーを借りに行ったら、 職場にはろくなのがなく、あけることが出来なかった。
そこで午後、のんきに散歩と決め込んで、 ドライバーを買いに行ってきたのだが、 246をいつもと反対に15分ほど歩いただけなのに、 そこには渋谷に向かう道とは全然違う、 私の知らない街が広がっていた。
どんな街でも、全く知らない街を歩く時は少しドキドキするものだ。 氷川神社のそばには、目黒川が音を立てて流れていた。 コンクリートで固められた川だけれど、 水が流れている音というのは、なんとも言えずに良いものである。 春には桜が咲いて、それなりにきれいだろう。
街自体は、高速道路の高架下に広がる、ちょっとごみごみした町で、 下町のにおいを感じさせた。 私が行ったのは、町の金物屋さん。 近くには老舗っぽいケーキ屋さんがあり、 ランドセルをしょった小学生が追いかけっこをしていた。 晩御飯の買い物をする主婦も多い。
神社にお参りするなんて、何年ぶりだろう? 階段には太ったトラ猫が座っていて、 人が通っても全然驚かない。 霙がちらつく境内には、誰もいなかった。 鐘を鳴らし、手を打ってしばしお参り。 何を願ったわけではない。 ただ急な階段を上がってきて、苦しい息が落ち着くまで、 静かに手を合わせていた。 一瞬、面影が胸をよぎったけれど…。
大きく深呼吸して周りを見ると、 境内の紅白の梅がもう咲いていた。 知らないところで、春の準備が進んでいるのだ。
ゆっくりと、買ったドライバーのビニールの袋を元気に振って、 来た道とは反対に戻る。 そうすると、行きには気がつかなかったけれど、 職場のすぐ側に古めかしい建物をある。 「東京ナザレア教団」という名前にふさわしい、クラッシックな建物で、 そこだけ時代がタイムスリップしているみたいだった。
たまには、道を逆行してみるのも楽しいなあと、 ゆるゆると職場に戻る。 多分、春はもうすぐ。
教えるのって楽しいなあ、と思った本日。 色々なことがあって、今は学校では教える仕事はしていない。 100%していないわけではないけど、 日本語を教える仕事は、今は出来ていない。 それは今の段階では仕方ないことなのだと、 自分でも思ってはいるものの、 本来は教える仕事がしたいから、焦っているのも確か。 段々、雑務にまぎれてしまって教えられないんじゃないかって、 怖さもあるし・・・。 準備をしなくてもいい生活が、楽に思えて、 それが当たり前になってもいやだし。
久しぶりに教える機会があって、 あ、やっぱり私はこのことが好きだな、 とあらためて思った。 その気持ちを大事にしよう。
貧乏性と言うか、何と言うか・・・。 忙しく働くのは嫌いではない。 んが。 大丈夫なのか>自分。 と今後のスケジュールを頭に浮かべながら 思ったりしている。 趣味の方でのデザフェス参加。 それ以前に注文品を5つ以上抱え、 今度から知人のプライベートレッスンを頼まれていて、 仕事の量も増えるわけだし・・・。
まあ、過労死するまでぶっ飛ばすのもまあいいか、 などと辺に開き直っていたりするんだけど。 途中でぶち切れて、出奔するかもしれません(^^;)。
2002年02月14日(木) |
ネットとの付き合い方 |
初めてPCを使い出したのはエジプトにいる時だったが、 その時はインターネットもこんなに簡単ではなくて、 何とかメールをやり取りするくらいだった。 アメリカの主婦がネットサーフィンにはまり、 子供の世話をしなくなったとかで、幼児虐待で有罪判決を受けたニュースを聞いたことがある。 その時は、「PCに何でそんなに夢中になる?」と思ったものだが、 日本に帰ってきてからまず、自分もチャットにはまって ものすごい電話代になってしまった。 その後、自分のHPを開いてからは掲示板めぐりが主になっているが、 それでも仕事に疲れるとちょっとネットショップめぐりをしてしまったりして、 散財している(もともと通販好きでもあるので)。
ネットは確かに楽しい。 今まで知らなかった世界を見せてくれたり、 今まで知り合う機会がなかったような人たちとも、 海を越え山を越え、点在する人たちとも知り合うことができる。 今開催しているチャリティーのように、 PCがなくてはできなかったことも、自分の意志さえあればできるようになった。 私たちの手段は、確実に増えている。
が、しかし。 それでもやはり、コンピュータというか、ネットの怖さはあると思う。 私がチャットに夢中になっていた時、私は日本語教師になるために午後、 学校に通っていたので夜更かしが出来た。 もしあれが、仕事をしている時だったとしたら、 私は絶対に体を壊していたと思う。 そしてもし、私が自分の時間を全て自由に使えるような身分だったら。 もしかしたら年がら年中、ネットのことばかり考えて、 本来やるべき仕事を放棄してしまうかもしれない。 それから、とても怖いのが、ネットの中での人間関係が、 実生活の人間関係を凌駕することではないかと思う。 ネットの中でのみの関係は、強いようでとても独り善がりな部分があるような気がする。 メールでも掲示板でも、結局は「自分の都合のいい時間」を優先していて、 相手のペースやスケジュールに合わせるわけではない。 それがある意味とても心地よく感じるのは、当たり前だと思う。 私にはネットで知り合った知人がたくさんいて、 会ったことはなくても、とてもいい関係が作れていると思うが、 それでもやはり、会ってみて初めて「友人」と言えるようになるんじゃないだろうか。
私はかなりのネット中毒だ。 でも幸いにも、というか、会社づとめをしていて、 そうそうネットばかりやっているわけにはいかない。 アクセサリーも作りたいし、アラビア語も勉強したいし、他にやりたいこともある。 普通の生活、それがあってこそのネット生活。 自分とネットのつながり、付き合い方は正しいかな? などと思う今日この頃である。
2002年02月13日(水) |
働きつづけるということは |
この頃ではすでに、「わたしゃ結婚しないんだよ。」などと言っている私。 ってことは、一生働きつづけなくてはいけないわけだ (結婚しても働きつづける人もいるけど、とりあえず1人ってことで)。 30過ぎてようやく、 働くってことはこれ、日々理不尽との戦いのわけなのね、 などと思い始めている。 だからといって、その理不尽を達観できるほど、 冷めてもいないし、人生捨ててもいないんだけど。 父親の会社の愚痴がわかるようになってきたのは収穫なのだろうか?
今日の私は機嫌が悪い。
2002年02月12日(火) |
何かをすれば、何かが変る |
その町の名前は何度となく聞いていた。 それも、全く別々のところで。 だから、私の頭の中で、その2つの町が同一の町であるということが、 今まで全然、結びつかなかった。
一年前、ハワイ沖でアメリカ海軍の潜水艦に衝突され、 沈んでしまったえひめ丸の町。 そして、ネットで知り合った銀粘土の先輩であり、真珠のエキスパート、 私たち若葉マークのインストラクターの良きアドバイザーTさんの町。
「宇和島」。
あれから一年経って、結局1人の高校生の遺体が見つからないまま、 えひめ丸も海底に沈められた。 あの時、アメリカ側の心無い対応にたくさんの日本人が激怒した。 私はアメリカにも腹が立ったが、 正直、国の対応を腰抜け、と思った(今も思っている)。 肝心な時に、日本の政府は何もしてくれない。 また日本のマスコミも、アメリカの心無い報道をただ日本側に伝えるだけで、 それを変えようとしたとは思えない。
そんな中で。 地元宇和島ですぐさま行動を始めた人たちがいた。 T氏は日記にこう書いている。 「CNNでもABCでもニューヨークタイムズですら 水産高の実習船の事を[Fishing Vessel](漁船)として表現していたのです。 高校生が乗る実習船をただの漁船として表現されていた事で アメリカでのニュースサイトの中のBBSに 信じられない書き込みが目立ち始めました、 「真珠湾の入り口で日本の漁船が操業している事がおかしい」とか 挙句の果ては「海の底を洗い浚い取ってしまう日本の漁船に天罰が下ったのだ」等です。」
外務省も報道も何もしてくれなかった。 だったら、自分たちで何かをするしかない。 彼らの起こした行動は、アメリカでの報道の姿勢を少しでも変えることに成功する。
私たちはいつも、「自分たちは何も出来ない、何も変えられない。」と 何かをする前にあきらめてしまう。 でも、目に見えた変化はすぐには見えないかもしれないけど、 何かをすれば、きっと何かが変る。 その時は無駄に思えたり、ばかばかしかったり思えることもあるだろうけど、 でも、何かしなければきっと、何も変わらないのだ。 待っているだけでは、何も変わらない。
「えひめ丸」 アミ・エ・シン・パール http://shinjuya.com/ リンクのページのタイトルの下にある小さな葉っぱのアイコンが 上記の記事の入り口です。
2002年02月10日(日) |
よろしくお願いします。 |
チャリティーが始まります。 今回も色々な人から、色々なものが寄せられました。 本当にありがたいです。
買ってね。買ってね(笑)。 よろしくお願いします。
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