ぶつぶつ日記
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2002年02月27日(水) 励ましたい人に、励まされる

友だちが、ちょっと状況どん底です。
励ましたいと思うのですが、
なんと言っていいかわかりません。
私は相談に乗ったり、優しい言葉をかけたりするのが、
とても苦手。
その人がとても苦しんでいたとしても、
その人に非があると思えば、
はっきりそう言ってしまったりするし、
親身になって愚痴を聞くのも、
あまり向いていないみたいです。

今日も、なんて言ったら良いかわからなかった。
優しい言葉をかけたかったけど、
優しい言葉は出てこない。
私に言えるのは、状況から見た事実だけで、
その事実からこれからどうしたら良いか、
自分で決めていくしかないんだよ、
という突き放した答えだけ。

それでも。
彼女は言ってくれました。
「colacacoの言うことは他の人とちょっと違う。」
「2つのことに対して、公平。」
「それはとても貴重。」
だと。

こういうの、なんだろうなあ、と思う。
いつもいつも、結局励ましているのは私ではなく、
励ましたいと思う人から、
私が励まされる。
そしてそれがうれしくて、同時に彼女の気持ちを思うと辛かった。


2002年02月26日(火) テロ資金調達係???

意外と簡単に、メイ・マスリーさんのアカウントがわかったものの、
そうは簡単ではない、中東への送金。
あちらの方と結婚している友人に聞いたところ、
特に911以後海外送金全般が難しくなり、
ちょっとでも怪しいと資金凍結されているとのこと。
家族送金でも、送り手の家や会社に電話がかかってきて身元確認、
受け取り手も同様に厳しい身元確認をされるらしい。
個人で、親類縁者でもない今回のような送金は、
かなり根掘り葉掘り聞かれることは間違いないようだ。
また、マスリーさんの基金に関係なくても、
アカウントのある銀行にテロ関係の入金があったりした場合、
やはりその銀行への送金自体がストップすることもあるらしい。

昨日も、某銀行に問い合わせの連絡をしたら、
かなりねっとり色々職質された。
んで、結局、返事は遅れるかどうか、ルートがあるかも
よくわかりません。
おいおい、相手の銀行は地方の弱小銀行じゃないのよね。
多分、ヨーロッパ辺りにもきちんと支店を出している、
アラブでも大手の銀行なのに。

やっぱり、テロの手先と疑われている?
せっかくの善意が、こういうつまらない国際情勢に左右されてしまう、
それが現実なんだなあ。
テロ防止のため、仕方ないとは言え・・・。


2002年02月24日(日) しっかり

助けたい人がいるなら、
力になりたい人がいるなら、
自分がしっかりしないとだめ。
その人に引きずられて、自分も途方にくれてはだめなんだ。
唇をかみ締め、まっすぐ前を見よう。
途方にくれている人が、
いつか光を見つけられるように。
急な階段を上れるように。
何も出来なくても、
ここにいるよ、とメッセージを送りつづけたい。


2002年02月22日(金) 怠け病

この頃、週末になると体調が悪くなる。
そのため、用事や約束をキャンセルすることが多いので、
なんだかいろんなことがはかどらない。
もともと、人よりもたくさん寝ないと参ってしまう方なのだが、
今週はそれに拍車がかかっていて、
とにかく眠くて起きていられない。
風邪が流行っているし、引きたくはないので、
これ幸いとばかりに、子供みたいに早い時間に寝てしまう。
残業もあり、家に帰ってご飯を食べて、お風呂に入ってすぐ寝る生活。

ストレスがたまると、とにかく外出したくなる人も多いようだが、
私の場合はどうも、家にこもりたくなるらしい。
明日も約束があるが、体調不良を口実にキャンセルしてしまおうか、
いやいや、こう言う時こそ出かけないと、
ぐだぐだしている金曜日の夕暮れである。


2002年02月21日(木) 政治的フォトワ

パレスチナのイスラム的指導者であるヤーシーン師が、
パレスチナ女性による自爆テロに関して、
イスラム法的に合法ではない=してはいけない、
というフォトワを出した。
フォトワとは、まあイスラム的お墨付きみたいなもので、
合法とされるものもあるし、
今回のように違法とされる場合もある。
難しいのは、このフォトワを出す人物が
それぞれの国などにいることで、
こっちは違法といい、こっちは合法と言う、
と言うことが無きにしも非ず、と言うことだろう。

今回の女性による自爆テロに関してヤーシーン師が出したフォトワについて、
エジプトや色んな国のイスラム指導者が 「政治的だ」って非難している。
こういうの聞くと、とてもがっかりする。
女性団体も「イスラエルのテロで死んでいるのは 男性ばかりではない、差別だ」
と言っているけれど、
あんたたち、こういう問題以前にもっと 騒がなくっちゃいけない差別問題が
あるでしょー!と思い、ため息が出た。

エジプトのイスラム指導者なんてそれこそ、
年がら年中、政治的なファトアを出しているくせに、
こう言う時ばっかり、いい顔すると言うか。

実際、ヤーシーン師のフォトワは政治的だと思うが、
彼だけでなく少しでもパレスチナ問題に興味のある者にしたら、
例えここでOKのフォトワをが出なくても、
1人出てしまったからには、
これから女性の自爆テロが続くことは 絶対にわかっていることだ。
また、本当はアラブ人の多くが、
パレスチナ問題なんて目の上のたんこぶ、 と思っていることも、
少し中東問題をかじったものにはわかっていること。
パレスチナの平和よりも、自国の利益を優先しつづけている国ばかりなのも。

しかしそれは、仕方ないことだと思う。
誰も自分の生活で手一杯なのだから。
それを責めることは出来ないけれど、
当事者が搾り出して決めたフォトワを、
蚊帳の外から何やかんや言うのが、
それがイスラムの正義なのか?と言いたくなってしまうのだ。


2002年02月20日(水) 香りの記憶

香水なんて・・・と長いこと思っていたのだが、
今では、香水を付け忘れたことに気がつくと、
なんだか下着をひとつ、身に付け忘れたような
所在無さげな気分になる。
職場の人が、私のつけている香りがいいから、
名前を教えて、と聞かれた時も、
恋人を横取りされたような感じで、
あまり教えたくなかった。
ものすごく香りにこだわっているわけではないのだけれど、
ないとなんだか寂しい。

香水(というかオードトワレだが)をつけ始めたのは、
多分25歳くらいにことだ。
最初は柑橘系のフレッシュな香りのものをつけていた。
何年もそればかりつけていたけれど、
ヨルダンの空港で出会ったフランス製の香水の
どことなくイスラムを思わせるような青いボトルに惹かれて、
それを買った時から今まで、
浮気をしないでその香りを身にまとっている。

私の勝手なイメージだが、
香水は自分自身とは反対の性質のものを選ぶといいような気がする。
「可愛らしい」女性だったら、柑橘系のちょっとボーイッシュな爽やかな香り。
派手さはないけれど、どことなく甘い女っぽさを感じさせる人だったら、
スパイシーな甘くない香り。
クールなスーツには絶対に濃厚なミルとか、ゴージャスな香りが似合うと思う。
私のように、どちらかというと「女性らしさ」とか「色っぽさ」に
縁のないような人間には、古典的なフローラルな香りがいいように思う。

ある時友人が、職場で下を向いて仕事をしていた時、
ふっと私が使っている香水と同じ匂いをかいだ。
その時その人は「あ、カイロの香りがする。」と思ったそうだ。
それはたまたま職場に来た人が私と同じ香水を使っていただけだったのだが、
一瞬、その人はカイロの記憶=私、を思い出した、と言う。

フランスの鼻(ネ)という香りのスペシャリストの称号を持つ人たちの
トレーニング風景を見たことがあるが、
彼らは何百もある香りを覚えるために、
一つ一つ、その香りと自分の記憶を結び付けていく。
「この香りは、あの夏の日の午後、〜していた時にかいだ香りに似ている。」
闇雲に香りを記憶しようとしても、人はその香りを記憶できない。
でも、思い出が結びついた時、
一瞬の香りが記憶のふたを大きく開け放つ。

私の香水の香りをかいで、
カイロの記憶=私、を思い出す人がいる限り、
私は自分の香水をかえることはないだろう。
同じ香りが、私にはその人の記憶につながるのだから。


2002年02月19日(火) 偽物と本物〜大好きな女4〜

どこでその人の名前を知ったのかは、実はよく覚えていない。
でも、本屋に行くたびに、ちらちらと横目で本を眺めていた。
すごく、読みたい。
でも題名を見ているだけで、ブレーキがかかる。
「まだまだ、私には早いぞ。」
そう言う気がしていた。
ようやく、読んでみよう!と思ったのは最近。
30歳をいくつか越えて、本物とか、品格とか、そう言うことの大切さを
理解したいと思うようになってからのことだ。
本の中から声が聞こえる気がする。
「背筋を伸ばして、しっかりものを見なさい。」

白州正子
1910年〜1998年
随筆家

この人はなんなのだろう?
本を読んでもよくわからない。一流の目利きであることは確か。
一流の書き手であることも確か。
でも、肩書きは?
1つの肩書きはつけられない。
華族の名家に生まれ、ティーンエイジャーをアメリカ留学で過ごし、
結婚後は一流の文士や収集家と交流を深め、自分自身も彼らと同じようになった。
いや、彼女は師事したどの人物よりも、今日私たちに知られていて、
私たちにいろいろなことを教えてくれる。
お能がまるでロックのように前衛的であること。
骨董収集の魅力と怖さ、だまされることもまた楽しいこと。
本物の『民芸』と民芸品の隔たり。
そして、古きよきブルジョワの生活の豊かだったこと。
森鴎外の読み方。
西行について。

今もたくさんの「奥様」が色んな事業をして本を書いているけれど、
この人には、そういった人たちの多くがが醸し出している
「奥様の」という雰囲気がほとんど感じられない。
夫君である白州次郎氏が言っていたように
「ばあさんはえらいよ。書く時は必ずその場所に行ってみる。
想像で書くようなその辺のやつらとは違う。」
自分が見たもの、さわったのも、聞いたもの、
そして、「良いと思った」ものを書く。
多分それ以外のものは書けなかったのではないだろうか。
無骨な、と言って良いような真剣さ。

とにかくたくさんの良いものを見ること。
人でもものでも、映画でも、なんでも、
見て見て見て、ようやく本物がわかるようになるのだろう。
でも、いくら本物でも、好きになれなかったらしょうがない。
嫌いな本物を箱にしまって持っているくらいだったら、
大好きな偽ものを大事にして使いたい。
彼女の収集が魅力的なのは、
「愛着」ということを私たちに教えてくれるからだと、
いたずらな表情の写真を見ていて思う。

偽ものでも、「本物」があると言うこと。
本物でも、偽物以下があること。
「本物」のブランド品を持っているのに、
全然「本物」に見えないたくさんの日本人女性を見たら、
彼女は何と言うだろうか?
きっと、鼻で笑って引っ掛けることもないに違いない。
「本物を持ったところで、自分が『本物』にはなれやしないのよ。」と。


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