ぶつぶつ日記
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2002年03月18日(月) |
神託を受ける巫女の衣装のように〜大好きな人5〜 |
カイロから初めてスペインに行った時、 「どこに行きたい?」と聞いた友人に、 私は一番に彼女のショップの名前をあげた。 企画デザイナーという仕事をしていた時、 ほとんど彼女の服だけを着て過ごした時期もあった。 複雑なカッティングと微妙なそして強い色合い。 まだ見ぬスペインと言う国のイメージにとても合う、 それでいてどこかミステリアスな神聖さを感じさせる服。 今でも、一番好きなデザイナーは?と聞かれると、 「シビラ」と答えるだろう。 その名前は古代オリエント宗教の、神聖な神託の宮があった場所の名。
シビラ・ソロンド デザイナー 1963年、ニューヨークに生まれ。 父はアルゼンチン人、母は、ポーランド人。7歳の時、家族ともどもマドリッドに移住する。 1980年、17歳でパリに渡り2年間滞在。イブサンローランのもとで働く。
彼女の経歴が彼女にどのような影響を与えてきたか、 シビラ自身が語っているのを聞いたことはない。 しかし、この複雑な環境の中で、 彼女は誰も想像しなかった「シビラカラー」と言われる色使いと、 複雑なデザインの服を作り上げていったことは確かだ。 トマトレッドとオリーブグリーン、 何色ともいえないブルーとモーブ、 私は好んで、補色の色を組み合わせてシビラの服を選んでいた。 それでも、クレイジーカラーにならない深みのある色たち。 自宅で洗濯できない特殊な素材、 時にはそのカッティングのせいで動きやすいとは決して言えない シビラの服なのだが、 着ると、体の線とか動きとか、そして自分が優雅になれる気がした。 仲良くなったショップのマヌカンの人が言っていたが、 彼女はどんな人が自分の服を着ることも厭わないそうだ。 「好きだと思う人が、好きに着てくれればいいの。」 そう言っていたと聞いたことがある。 誰が着てていても、街ですれ違ったらすぐわかる服。 それほどの個性を持っていながら、誰にでも似合う服。 個性と没個性のぎりぎりのところにある服だと思った。
世界中にシビラのショップが出来て、大成功を収めたシビラは現在、 子どもと共に山の上にある僧院だった建物を改造した広大な家で、 有機栽培などに取り組みながら、 マイペースで作品を発表しつづけている。 一時期、パリコレなどにも参加していたときもあったが、 現在ではほとんど表舞台にでることはなく、 自分のスタンスで、ゆったりと、物作りをしているようだ。
夕暮れ時、自らがデザインしたソワレを着てオリーブ畑にたたずむシビラは、 遠い昔、神託を受けていた巫女のように静謐で、穏やかだった。 デザイナー自身がめまぐるしく自分自身を打ち壊し、 新たな流行を作っていくファッション界において、 永遠に変わらずに「シビラ」である彼女の作るものたち。 マンネリが個性になる、幸福な一瞬。 彼女は決して、消耗することなく、 自分自身の分身たちを、作りつづけていくだろう。
それはまた私が理想とする物作りの姿なのだ。
18歳。 私は何を考え、何をしていたんだろうか。 ほとんどのほほんと、学校に通い、将来の夢を抱き、 この平和が世界中のものだと勘違いしていた、世間知らずの私。
18歳。 私の姪はあと2年で18歳になる。 歯科矯正もまだ終わらない、おっとりとしたこの子が、 もしイスラエルに生まれていたら。 後2年でその手に銃を持ち、 パレスチナに敵対することになる。
18歳。 全イスラエルの18歳のうちの、ほんの一握りの少年少女は、 世間の冷たい目や、将来受けるであろう差別の中で、 兵役拒否の運動をはじめた。 戦ってきた大人たちは全く理解できないであろう、 新たな選択。 激しさを増すテロと占領地への攻撃の繰り返しの中で、 彼らは銃を持つ戦いではない、 別の戦いの道を歩みだし、 西岸やガザなどの占領地に行く代わりに、 刑務所に入れられてしまうのだ。 それはきっと、銃を持つ戦いよりも孤独な戦い。
でも、今年生まれた子どもたちが18歳になった時、 世界が少しでもいい方向に変わっているように。 パレスチナの少年少女を支援するのと同じに、 イスラエルの新たな潮流の兆しを、 支援していきたい。
いつでも次の時代を作るのは、 人生の経験を積んだ人間ばかりではないのだから。
2002年03月16日(土) |
2つ以上の目覚し時計と。 |
昨日は学校の1つの科の卒業式だった。 この科は一時クラスを持っていたこともあるし、 コンピュータ指導のクラスも担当していたので、 私も式にカメラマン兼として参加した。
式の後のパーティで、学生の作った短編ビデオが上映された。 主人公は、新聞奨学生の学生。 大量の新聞を準備し配るのは、昔から苦学生の仕事。 最近では国内でその人数を集めることが出来ないので、 韓国、中国、台湾、そしてタイの学生が、 その奨学生として日本語学校にやって来ている。
外はまだ真っ暗、夜中と言える時間に映し出される目覚ましは2つ。 少しずつベルがなる時間がずらしてある。 それでも時折寝坊して、店長に怒られる。 眠い目をこすり歯を磨き、急いで新聞配達店に向かう。 新聞の中に広告を折り込み、大量の新聞をバイクに積んで向かう先は、 高層マンション。 階段を使い一軒一軒に新聞を配り、 ぐったりしたまま、本来の「仕事」である学校へ。 夕方も仕事。思わずエレベーターの中で居眠り。 それでも時折友だちとカラオケに行ったりして楽しいこともあるが、 留学生活は大体において辛い・・・。 卒業式にふさわしく、 主人公の学生は(本当に!)日本語能力試験1級を合格し、 大学も合格した。
この生活を1年も2年も続けて来たなんて (そして大学や専門学校に進んだ後も続けるなんて!)、 それだけで私はすごいことだと思った。 いつもニコニコして、辛い顔など見せないタイの学生が なんだか別人のようにまぶしく見えた。 この笑顔の下で、どんな苦労を彼はしていたのだろうか。 大丈夫だよ、T。 例え、一級を合格できなくても日本語が大して上達しなくても、 この生活を頑張って続けられたのだから。 それは大きな成果だと、私は認めてあげたい。
2002年03月14日(木) |
全てを奪う者?〜エルサレムで何が起きているか〜 |
今朝知人から6枚の写真付のメールが転送されてきました。 3月10日、エルサレム路上でのことです。 1人のパレスチナ人の若者が、路上で警察に止められ、 その場でで殺されるまでの写真でした。 彼が何がしかの組織のメンバーだったとしても、 路上で無抵抗のものを撃ち殺すことが、 果たして正義なのでしょうか? 法とは、正義とは一体なんなのでしょうか。 私にはわかりません。
エスカレートするパレスチナ、イスラエル双方の報復合戦。 パレスチナ「テロ」に反対するデモで、 まだ若いイスラエルの女性は 「パレスチナ人は私たちから全てを奪おうとしている、もう我慢できない。」 と言っていました。 でも。 『全てを奪おう』としているのは、パレスチナなのでしょうか? イスラエルはパレスチナから『何も』奪っていないのでしょうか?
少なくとも、パレスチナ自治警察にはイスラエル人を検問し、 その場で射殺する『権限』はありません。 そして一般市民には、イスラエルの若者のように、 外国に出て行ける自由な『パスポート』すらありません。 どう考えてみても、奪われているものが大きいのは パレスチナの方が大きい。 せめてその不均衡をなくすこと、それくらいを求めることもが、 「全てを奪う」ことなのでしょうか?
2002年03月13日(水) |
イッツァ・スモール・ワールド |
♪世界中、どこだあって、笑いあり涙あり♪ なわけで、 会社には会社のカラーとか方針とか、 やり方とかルールとかがあるわけだ。 そのこと自体、否定も肯定もしない。 問題は、自分が所属するイッツァ・スモール・ワールドが、 オール・オーバー・ザ・ワールドになってしまうことではないかと思う。
もちろん、自分の所属するイッツァ・スモール・ワールドに満足すること自体は、 悪いことではないとは思う。 その方が精神的に穏やかに過ごせることは確かである。 しかし、そのような満足とその世界=全世界、という認識には雲泥の差がある。
その世界=全世界と思っている人にみられる性癖に、 「新しいものを認めない。」と言うのがある気がする。 もしくは「自分が理解できないものは認めない」でも良いか。 経験はお金では買えない得がたいものだが、 現在のように情況がめまぐるしく変わる世の中では、 今までの経験にそぐわなくても、 自分自身のやり方を変えなくては、 生き残っていけないことが多い。 営利を目的としている一般企業では、 うまくいっていなくてもそう言う努力をしているところは多いだろうし、 多分、現状維持しか考えられないイッツァ・スモール・ワールド的な会社は、 ますますスモールになっていってしまうのだろう。
大丈夫ですか>私の職場? 良かったですねえ、法人で。 でなかったら3回くらいつぶれていることでしょう。 そして恐ろしいことに、こんなことを日々考える私が、 イッツァ・スモール・ワールドでは「狂人」なのですね。 でも、オール・オーバー・ザ・ワールドではどうだろう?
ただいま、ヨーグルトが品薄気味だそうです@スーパー。 あるあるとか試して、とか、 とにかくそう言うので紹介されると、 なんでもかんでもすぐに大ヒットする。 日本人ってアメリカ人並に健康お宅だなあと思う。
でも、ちょっと待てい。 所詮はそういう食事療法って一時しのぎ、 というか、「ならないために気をつける」とか、 「なってしまったものをこれ以上悪くならないようにする」とか、 そういうとても防衛行動だと思う。
でも、実は花粉症発病の原因ですら、ストレスが原因のことも多かったりして、 そういった防衛行動だけを実践するよりも、 皆で少し考え方を変えて、 社会のシステムを少し変えて、 働きやすい、勉強しやすい環境を作った方がいいんじゃないかと思う。
根本的ストレス等が解決しない限り、 原因や不安要因は消えないでしょう。 いくら体にいい物をたくさん食べても、 毎日サービス残業で睡眠時間がとても少ないとか、 食事の時間がぐちゃぐちゃだったら、 何の効果が期待できるんだろう? どんなものにも抜本的改革が必要なんだ。
ムネオ騒ぎをみて思う。 ムネオは速やかに辞めてもらって、後は刑事責任でも追及してくれ。 どうも騒動ばかり取り上げて、 話しをはぐらかされてはいないか? コイズミ、そしてマスコミ。 抜本的改革はどうなってるんだ!?
自分の生活で手一杯になると、 日記を書くのもなかなかたいへんになってくる。 まず第一に、ニュースやテレビ、新聞など、 情報を仕入れる時間がなくなる。 そして、目先のことばかりに気を取られて、 何かを考察したりすることが、難しくなる。
横目で、パレスチナの写真を見ながら、 アフガンの特集記事の写真だけ見ながら、 今日も何も考えられないで一日が終わる。 それを「平穏な幸せ」と言う人もいるだろう、 毎日のローテーションの中で。 でも私は、 書けない自分がとてももどかしいのだ。
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