ぶつぶつ日記
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最近の私は、多分サボテンです。 体中にトゲトゲが出ていると思います。 それでも1,2ヶ月前に比べると 刺はずいぶんへったと思いますが、 それでもまだかなりとげとげしいでしょう。
ぷるるん、とした人になりたいと思いますが、 どうも当分無理みたいです。 心頭滅却すれば火もまた、なんでしたっけ(^^;)?
いかん〜、最近はどうも息切れ気味だわ〜。 ねたが思いつきません。。。。 体のサイクルは思いっきり狂ってるし、 お気に入りの石鹸は買い損ねちゃうし。 試着したパンツは小さかったし・・・。
くさくさしたので、 今朝はカフェでご飯を食べてから仕事に行きました。 家に帰って来て、ペディキュアを塗って、 全身オイルマッサージしました。 明日からは、夜ご飯を軽くして 朝におかずを食べようと思います。 夜ご飯が遅いのはデブの元。 私はお腹にぴろりちゃん飼ってないし。
さ〜て、明日も無事に乗り切れますように。
馬鹿ップルの話もあったけど、 ガザとかジェニンとかラマッラ辺りにまで、 野次馬で行ってる日本人旅行者も、 いるみたいですね。
この時期、イスラエルに旅行するのは、 もう各自の問題だと思います。 ルールを守っていれば大丈夫な気もするし、 それで自爆テロに巻き込まれたとしても、 それはその人の判断ミスだと思う。
ただ、今この時期に、 ジェニンやガザやラマッラに行くのはどうなのかな、 と正直思う。 「自分で見たことを子供たちに伝えたい!」と 単身占領地に入っ森沢さんのように、 自分の目で見て来たことを、広く伝えようとする意思があれば、 その行動は意味のある行動になると思うけど、 戦闘が終わったばかりで、 心身ともに傷ついている人たちのいる場所を ただ見に行ってきて、 日本に帰ってきてうれしそうに、 「行ってきたんだ!」っていうのは、 わたしは絶対に反対したい。 それは人間の良心の問題だと思う。
デザフェスの準備やら当日やら、 仕事も忙しいままずーーーと来てしまい、 そして新しい仕事も始まってしまい、 お疲れちゅ、でございます。 実際、週の半分以上、12時間も職場にいると、 情報を集めるどころか、何も考えられなくなりますなー。 これで週末たっぷり休めればいいんですけど、 そこはほれ、悲しい日本語教師なので、 バイトに出ていたりするし(苦笑)。
そんな生活、当たり前だ! と言う方も多いのかもしれませんが、 私は結構嫌です、こういう生活。 今は、新規の仕事が始まったばかりなので、 それを軌道に乗せるまでは仕方ない、 と割り切れなくもないですが、 自分の時間がどんどん削られるのは ちょっと勘弁して欲しいのよね〜。
仕事は生きていくために必要だし、 嫌いな仕事はいくら割りが良くても続かなさそうだから、 割の悪い日本語教師なんて好きでやってるけど。 どうも気が多い性格なので、 仕事だけっつーのは、出来んのです。 自分が萎んでいく気がするんですよねー。
おかげで、デザインソースになりそうな本とか、 新しい画材とか手法の道具とか、 憂さ晴らしに買ってしまう私なのでした・・・。
2002年05月19日(日) |
喉もと過ぎれば熱さを忘れる |
それにしても、恐ろしいまでに見なくなってしまった。 パレスチナ関係のニュース。 まだ終わっちゃいないだろう! ジェニンの真相究明はどうなったんだ! と怒りつつも、 自分もすっかり引いていたりして、 ジャーナリズムのことを非難していられない。
考えてみると、 酒鬼薔薇も、カレー毒入り事件も、 様々な事件が起こっては忘れ、 忘れては起こり・・・。 覚えていなくては!とその時は心に誓うものの、 日々の雑務にまぎれて忘却の彼方に去っていく。
「女は、忘れることによって行き続ける。」 とは池波正太郎先生の小説のせりふだが、 それにしても忘れすぎていないか。
そして今年も、まだ半年も経っていないというのに、 忘れ去ってしまったことが、 あまりにも多すぎる。
2002年05月18日(土) |
私のことを覚えていてください |
現在、日本ではまだまだ脳死状態での臓器移植には、 かなりの制約があり、 本人が望んでいて、家族がそうして欲しいと思っても、 それが文章に残されていなかったり、 三等親内の反対があったりすると、 断念せざるを得ない場合も多いようだ。 私の友人のお母さまがなくなったときもそうだった。 お母さまの意思だった。 それを知っているだんなさんや子供たちが その意思を生かそうと臓器提供を申出たのに、 三等親内からの反対があり、 結局、実現しなかったという。 この人に、何の権利があったのかなと、 実際に腹立たしい思いを感じた。 反対した人には、反対した人なりの故人への思いや善意や、 そして死の観念があっただろう。 しかし、それが逆に故人の最後の願いを踏みにじってしまったのは、 なんとも残念でならない。
今朝見た番組のご家族も故人の意思を生かそうとして 生かせないかもしれない、というジレンマを経験していた。 しかし病院側と(珍しく)警察の全面バックアップにより、 故人の意思を生かし、いくつかの臓器の提供ができた。 19歳で死んだその人の臓器は、 40代の男性に移植され、仕事にも復帰できたという。 家族は、移植された男性だけでなく、 その家族をも息子の、兄の命が希望と生きる道を与えたことに、 深い救いを見出す。 (お兄ちゃんは死んでしまって悔しい)という思いがあったとしても・・・。
脳死での臓器移植を望む人、脳死を死と認めない人。 死についての観念は、人それぞれで違うもので、 そのどちらが正しいとかより良いとか、 そういう善悪の問題では割り切れないのが この問題だと思う。 どちらの言い分も筋が通っており、 どちらの言い分もたぶん、正しい。 だから自分の考えが、 自分自身の死にきちんと当てはめられればいいと思う。 望まない臓器摘出を無理やりしない、 望んでいる臓器提供を「本人以外の考えで」拒否しない。 そういうスタンスが必要なんじゃないかなと思う。
私は、ドナーカードを持っている。 脳死状態になったら、心臓停止を待たずに 臓器提供を行って欲しいと、 家族と話しあってある。 今まで何一つ、人のためになどならなかったとしても、 自分の意思に反して、 望まないのに死ななくてはならなくなった時, 誰かに私のことを覚えておいて欲しいと思う。 その人が、それが「私」であると永遠に知ることがなくても。
2002年05月17日(金) |
一息&チャリティー案 |
色々なことがいっぺんに動きがあって、 そしていっぺんに一段落したので、 今日はちょっと虚脱気味〜(−−)゚゚
んで、ぼーーーーーと仕事に来る道々、 7月のチャリティーのことなんぞ、考えまして。 今回もお子様がらみにしようかなと。 何せおこちゃまフェチなもんで(怪しい意味じゃないですよ!!)、 すみません(^^;)。
具体的には児童売春や 戦争で少年民兵にさせられた子供たちのための更正施設とか、 もちろん、紛争地域の子供への援助とか、 そういう団体に寄付しようかな〜と。
イスラエルの超オーソドックスの子供(中学生くらい)が 「自分たちを守るために、他の人が傷つくのは仕方のないことだ。」 と言っていたそうです(番組を見た友人が教えてくれました)。 子供はなんでも素直に吸収してしまう。 それがどんなに良くないことだとしても、 彼らにはそれを判断することは難しく、 判断できるまでに育ってしまったら、 もうその習性が染み付いてしまっていて、 それを捨て去ることは出来なくなっているでしょう (それが、大人になる、と言うことでもあると思う)。 イスラエルの子供が上記のように思っている限り、 パレスチナにも平和は来ないし、 またパレスチナの子供たちも、イスラエル憎し、の感情を 自分たちの親からも、教えられていることと思います (それをイスラエルの攻撃が全面的にバックアップしちゃってますね)。
もう大人になってしまった私たちは、 負の遺産を子供たちに残さないように、 出来るだけのことをしていきたいと思うのです。
詳しい日程などはこの週末に考えます。 またご協力をお願いいたします。
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