ぶつぶつ日記
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2002年06月11日(火) |
1人じゃのんびり出来ない |
マグロの話を友人にした。 自分では、自分を止めることがなかなか出来ないので。
時には公園にでも行ってのんびりしなさい、 後ろを振り返ることも必要でしょう。 と言われたけど・・・。
「1人」じゃのんびりできないんだよ。 本当にのんびりする時は、「1人」じゃだめなんだ。 心安らげる人の体温が、 私の「のんびり」には必要なのです。 時々、しっかりつかまえて、止めて欲しいと思う。
これは別に、日本語教育上の「僕はうなぎだ」文ではなく、 最近、私は自分が「まぐろ」的である、 と思うようになっているのです。
マグロの特性=泳ぎつづける、止まると死んじゃう。
すごく、すごーーーーく、休みたい、のんびりしたい、 という気持ちも確かにあるんだけど、 どうしても「何かする」方向に気持ちと体が走っていく。 止まってちゃいけない気分になる。 こういうのって、精神衛生上あまり良くないことらしい。 なぜなら本当に止まった時に、やばいから。
でも、今日も私は走るのだ。 また新しい方向に向けて。 自爆するとわかっていても。
2002年06月09日(日) |
colacaco的イスラムの楽しみ方 |
イスラムの中で、誰が一番すきでしょうか? 由緒正しいムスリミーンの皆様は、そりゃ預言者ムハンマドと答えるでしょう。 でも私は由緒正しいイスラム「おたく」なので〜、 ハーリド・イブヌ・ル・ワーリド=サイフ・アッラーか、 2代正統カリフのウマル=アル・ファールークか、 悩んじゃう所です。 この2人とも結構激情型で、荒々しい。 そして3高(古い言葉ですが)で、ハンサム♪ ウマル=アル・ファールークはものすごい正義感で、 曲がったことが大きらい、なのですが、 自分が間違ったとわかると、 おいおい泣いて反省してしまう純粋な部分があって、 そこが女心をわしづかみにするし、 ハーリドは軍を率いていたこともあり、 征服した地で女性に手を出して非難されたり、 ウマルとの間に確執があったりして、 全く完璧な人物ではないけど、 ウマル=アル・ファールークがカリフになり、 自分が失脚していく時であっても、 今までの確執を捨てて、オマルを支持する矜持を持ち合わせている。 そこがまたかっこいいくて、胸がキュン、となってしまうのだ。
アブー・バクル・シッディークもお父さんだったらいいかもしれないけど、 まじめすぎちゃって、男としてはちょっと面白くないかも。 預言者はですね、「預言者」なので、ちょっと雲の上の人っぽい。 だから、感情移入があまりできないー。
ちなみに女性では、ハディージャ=全信者の母と、 アスマ・ビント・アブーバクル=サファタイニ(二つ帯びの君)が 大好きです。 彼女たちは、よよと泣き崩れるような柔な女性たちではない。 その上感情をきっちりコントロールできる大人の女性です。
預言者の娘ザイナブ(だったと思う)の悲恋話は、 イスラム史上ナンバーワンのラブロマンスで、 女性だったら涙なくしては読めないだろうし、 預言者を巡る妻たちの話は、「渡る世間は鬼ばかり」も真っ青。 人間くさくて、おかしくて、それに振り回されてしまう 預言者の姿がなんだかとってもほほえましい。
クルーアンやハディースだけを読んでいると、 なかなかイスラム創世記の人々の生き生きした姿を知ることが難しいけれど、 人物伝を読むと、ものすごく生き生きとした当時の躍動感が伝わってくる。 そして、この人たちサハーバ(預言者を知る第一世代の信者たち)の生き様を通して、 本来イスラムではどんな人々が尊ばれたか、 理想とされる人物像はどんなものなのかが、 おぼろげながら見えてくる。
そして、前から言っているけれど、 私は現代の「アブ−・ターリブ」になりたい。 良きイスラムの隣人を目指します。
ワールドカップの陰で、 印パはきな臭くなっているし、 パレスチナも一向に落ち着く気配がない。 昨日送られてきた広河隆一さんのメルマガを読んで、 背筋がぞっとした。 イスラエルのタンクローリーに爆弾が仕掛けられ、 あわや10万人被害、に発展する危険性があった、 というものだった。 幸いにも(誰が何と言おうと幸いにも!)、 タンクローリーは爆発し、被害者も出たが、 日常的な数字でなんとか、すんだ。 広河さんは言っている。 「パレスチナ人はよく、『パレスチナの血の最後の一滴となっても、 我々は戦いつづける』と言うが、 実際にそうなったら悲惨なことになる。 大半は子供と女性たちなのだから。」
広河さんは、パレスチナ側にも自制を求めている。 上記のテロ、もし成功していたら 最低でも5000人、下手をすると10万人のイスラエル人が 一気に「蒸発」してしまう危険性があったそうだ。 そうなったら、全てのパレスチナ人が自治領から追い出され、 世界はそれを黙ってみているだけだったろう、と書かれていた。 それはそうだろう。 5000人が被害になったら。 ましてや10万人だったら? そして追い出されたパレスチナ人はどこに行くのだろう。 しばらくは周辺のアラブ諸国に。 そしてそのアラブ諸国では大きな混乱が起こり、 人々のフラストレーションは、急速に、 そしてかつてないほど高まるだろう。 その先にあるものを考える時、 誰が枕を高くして眠れるだろうか?
パレスチナ人に、限度を越えて欲しくないのなら、 イスラエルの現在の限度を越えた状況を変えなくてはならない。 限界が、近づいている。
が、やはり優しくなれない最近の私。 仲の良いイスラム友だちとメールを飛ばしあっていて、 ちょっとどきり、とした。 出来るだけ気持ちいい人間関係を作りたいのは誰しも望むこと。 でも、気がつくとそうじゃない。 どーろどろした人間関係に引き引きずり込まれてしまいがち。 それは自分に原因があるのかも・・・、 と言うようなことを、彼女は書いてきた。 ・・・確かに。
マイナスがマイナスを呼ぶ、ということがよくある。 テロが攻撃を呼ぶ、の小さいバージョンみたいなものか。 現状を受け入れつつ向上心を持っていたいのだが、 どうも現状攻撃が激しくなってしまう。 はてさて、どうしたものか。
2002年06月04日(火) |
大人の居場所、子供の居場所 |
サッカーワールドカップ、乳児の入場拒否。 大会運営組織のやり方にも問題があったのかもしれないが、 私はこういう場所に子供を連れて行くのは、 はっきり言って反対である。 せっかくのチケット、行きたい場所、見たいもの、 もちろんその気持ちはわかる。 しかし、非難をごうごう受ける覚悟で言うが、 私は大人と子供の居場所は分けるべきだと思う。
最近では、幼い頃から色々な経験をさせる、 という常套文句があるが、 それは、子供の経験のため、ではなくて、 単に親が行きたいから行くのであろう。 子供は出来るだけ混雑した場所から遠ざけた方がいいので、 サッカー好きの3歳には、 おうちのテレビでだいしゅきな選手をまじかで見ながら、 ゆったりと観戦する方がよくわかるし、 楽しいし、体にもいいはずだ。 ましてや1歳半の乳児にサッカーの何がわかるというのか。 サッカー場での観戦なんて、うるさくてつらいだけだと思うけれど。
サッカー観戦はそれでもまだましかもしれない。 最近びっくりするのは、 ベビーカーを押したほろ酔い加減のママが、 夜の街を歩いていることだ。 お酒を飲む席というのは、大抵タバコが充満していて空気が悪い。 そんなところに子供を連れて行って、 あまつさえ酔っ払ってベビーカーを押しているのを見たときには、 その人だけでなく、一緒にいる大人たち全員の神経を疑った。
義務とか責任とか、子供のいない私が言うのもおこがましいけれど、 子供を産み育てる、というのはそういうものから 逃れられない時間なのだと思う。 一度、子供を産んでしまったら、 自分の欲求よりも、子供のことを優先させるべきことが多くなる, それが親になることではないかと思う。 その自己犠牲の時間と引き換えに、 親となった人はそれ以上のすばらしい贈り物を得られる。
そしてまわりも、自分の時間を犠牲にしている親たちに対して、 好きなだけ時間を使える自分たちと 同じスタイルでなければ生活を楽しめない、 という風にするのではなく、 少しだけ、彼らの生活に自分たちを合わせてあげられれば、 子育ての負担というのは減って来るんじゃないかと思う。 例えば、大きな美術館や映画館に託児所を設けるとか、 夜の飲み会を企画するのではなく、 週末のランチタイムを一緒に過ごすとか。 それは行政と個人が一緒になって考えなくてはいけない問題であろう。 子供を大事に思うのなら、 大人の都合に子供を合わせるのではなく、 大人と子供と、双方の居場所を正しく造ることが大事だと思う。
2002年06月01日(土) |
楽しみながら年を取る |
気が付けばストレス太りをしているし、 お肌もかさかさすることが多い最近。 適度な運動が必要な事はわかっているけど、 スポーツクラブに通うお金も時間もなくて、 基礎化粧品にはそれなりにこだわっていても、 いつも体調が100%ってのはむずかしい。 んで、三日坊主を覚悟で簡単なエクササイズをしてみる。 たまたま目にしたメイク方法を試してみる。
そのどちらも参考にしたのは 40代後半くらいの女性が書いた本。 体に無理なくできそうなのに、 それなりにエクササイズはきついし、 見よう見真似でやってみたフェイスマッサージは、 ビックリするほど体までほかほかしてしまった。
日本の文化は10代の子達が作る、 といわれて久しいけれど、 実はその影で、40代50代の女性たちが作っている 一連の流れにも目が離せない。 若者文化のようにがつがつはしていないけど、 今のありのままの自分を、 ちょっとだけ良くして、 生活を楽しくしていきたい、 そんな風な流れ。 実際,日本の50代はきれいで元気がいいなあ、 とつくづく思う。
私もいくつになってもはつらつとした、小奇麗な人になりたい。 そして生活を楽しみ、いつまでも、ちょっとした向上心を持っていたい。
さあ、ゆるゆると楽しみながら年を取っていきましょう。
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