ぶつぶつ日記
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2002年06月19日(水) |
だからこそ、「実感」 |
最近、年下の子と話していてよくするアドバイス。
「本当に自分の好きな仕事をしたいんだったら、 ある程度の稼ぎのあるだんなさんを見つけて、 結婚した方が良いよ。」
これ、実感。 結婚しているからと言って、生活の保障はないが、 少なくとも、だんなさんが真っ当に働いていてくれれば、 家族の食い扶持くらいはまかなってくれるものだ。 その上で、自分の仕事があれば、 自分的にも家計的にも良いだろう。 だんなさんの給料で足りない分を、 足してあげればいいのだし、 浮いたお金は子供や自分に使えるし。 老後のために貯めても良いし、 家を買う足しにしても良いしね。 だんなが定年後は(今のところは)年金もあるし、 子供と言う保証もある。
と、までわかっているが、 自分はどうもそうしないらしい。 だからこそ、「実感」してしまったりするのだった(^^;)。
日曜日はとある人のお葬式でした。 密葬ではなくて、会社組織でのお葬式。 この方のことは、実はよく知りません。 私が知った時にはすでに病気がちになっていて、 先輩たちの話を通してしかイメージがない。 そんなこんなで、大往生され・・・。 私は母が以前、親類が死んだ時に言った言葉を、 この一連の騒動の中で、思い出していたりします。 それは、 「どんなに良い人やすばらしい人と思われていた人でも、 死んだ後に、本当の真価がわかるのよね。」 って言うものです。 その時、うちの親戚は故人の生前の行いによって、 葬式の最中につかみ合いの喧嘩になってしまったのでした(^^;)。 とっても穏やかな良い人、だったんですけど・・・。 その人の行動で親子がいがみ合う結果になってしまいました。
それで、先日の葬儀。 とても盛大に、とは言えないものでした(会場その他は盛大だったと思います)。 関係者の列席が多かったので、なんとか場所が埋まった感じ。 なんと、親族がほとんど参列しなかったんですよ! 会社組織の葬儀って、そんなに親族が来ないものなんでしょうか。 聞いた所によると、そんなことはないそうです。 お子さんたちですら、ほとんど参列なし。 この家族の確執の噂を目の前に見せられたみたいで、 なんだか寒々しい思いがしました。
故人が病に倒れてからこのかた、 この組織は「今が最低。」らしい(長くいる人に言わせると)。 その状態はしばらく続くでしょう。 その間に経営が傾かなければいいんですけど(^^;)。
自分が死んだ後はどうなるんだろう。 できるだけ噂の種にならないよう、 身辺には気をつけて置かないといけないのだな、 と思う今日この頃なのでした。
2002年06月17日(月) |
colacaco的エコライフ |
私は何かを絶対悪と決めるのはあまり好きじゃない。 例えば、核兵器は確かに絶対悪だが、 原子力発電が絶対悪か、それは一概に言えないような気がする。 もちろん、私の中では原子力発電は反対なのだけれど、 それは廃棄物や安全性の問題がクリアになっていないのに、 先走って利用しているからで、 もし廃棄物の問題と安全性の問題がクリアになれば、 やはり便利なものなのかもしれない、と思う。
エコライフを実践するのはとても楽しいが、 それは私がそう言うものが好きだからで、 省エネを心がけるとか、できるだけゴミを減らすとか、 環境に優しい物を使うとか、 確かに個人でできる事は取り入れていった方がいいのだけれど、 ヒステリーにそれを実践しない人を攻撃するのは、 全然心がエコじゃない気がする。
無理やりそうしようと思っても、 楽しくなかったり、使い心地が悪かったりしたら、 やっぱり段々面倒くさくなってしまうだろう。 生活に追われて、日々を過ごすのが精一杯だったら、 やはり目先のことに囚われて、 エコライフ、なんて言っていられないのもわかる。
とりあえず、自分が気持ちよく。 そして無理しなくてもできることから、 始めてみよう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・ 私が心がけている、エコライフ
・使わない電気は消す(コンセントも抜いておく) ・必要のない大きなものは買わない>ゴミを出さないようにする ・使えるいらない物は、フリーマーケットなどで売る>これまたゴミを出さない ・紙類はきちんと分けて廃品回収に ・リサイクルペーパーなどの商品を選ぶ ・自然に優しい洗剤や石鹸を使う ・ケミカルに頼らない ・必要なものを必要なだけ食べる
何気ない言葉が、ずしんと胸にのしかかることがある。 「子供たちが、戦争をはじめたんじゃない。」 その言葉をパンフレットに見つけた時、 その当たり前の事実が、私を強く揺さぶった。 アフガンでも、シエラネオネでも、アンゴラでも、コソボでも、 スーダンでも、そして、パレスチナでも。
この10年間で紛争で命を失った子供は200万人、 重傷または回復不能の障害を受けた子供は600万人、 家を追われた子供は、2200万人もいるそうだ。 世界の、どれだけの子供たちが、 逆に命の危険のない世界で生きているんだろう。
今日も手のひらの隙間から、小さな命が落ちていく。 この瞬間にも。 それがわかっていても、 私たちにはなす術がない。
絶版になってしまったパレスチナ人作家 ガッサン・カナファーニーの本を貸して欲しいと言われたので、 相手に送るために学校にもってきた。 久々にぺらぺらとページを捲ってみたが・・・。 この本はいつ読んでも最後まで読みきることが出来ない。 辛すぎるのだ。 日本で、のほほーーーんと大きくなり、 ぼーーーーと生活している私には、 苦しすぎる。
ガッサン・カナファーニーは一時PLFPのスポークスマンとして 注目されていた人だったが、 それが災いし、72年7月、自動車に仕掛けられた爆弾により、 暗殺されている。
彼の小説、「太陽の男たち/ハイファに戻って」は まさに、彼の目にしてきたパレスチナ現代史の縮図であり、 そこには、なす術もなくパレスチナから追い出された第一世代の無気力感、 子供たちの鋭いまなざし、そんなものがぎっしり詰まっている。 彼が死んだ72年7月に生まれた子供は、 来月で30歳になる。 彼らはずっと、 閉じ込められ奪われつづけている、という感覚の中で育ってきているのだ。
イスラエル人と親しくしている人たちの中には、 この間のジェニンも、以前の虐殺も、 誇張されたものであり、イスラエルを国際社会から孤立させるための デマゴーグである、と言う人たちが多い。 その人たちにも、この小説を読んで欲しいと思う。 パレスチナ人と言う部分を、ユダヤ人に置き換えたら、 パレスチナ人の感情の発露は、ほとんどユダヤ人が味わってきたものだろう。 そして、虐殺とは実際に何人が殺されたかと言う数の問題ではなく、 そのことによって家族や友人を失った人が存在する、 そしてそれを実際に行った国や組織がある、 と言うことが問題なのではないかと思う。
ジェニンで何人死んだか、あんなものは嘘なんだという人に言いたい。 ホロコーストで死んだユダヤ人の数も誇張であるという、 根強い批判があるということを。 そしてそんな批判は、許されることではないと言うことは、 私たち共通の認識であると思う。 翻ってみれば、ジェニン虐殺への批判はどうなのか? そして南京は?
Eメールを使う前は、ずいぶんと手紙魔だった。 都内に住んでいる友人にも なぜか手紙を書くことが多く、 切手代で何分話すことができるんだろうね、 などとお互いに笑いあったものだ。
そんなんだから、エジプトに住んでいた時、 ものすごい量の手紙を書いたと思う。 送る人の顔を思い浮かべて、 できるだけ安っぽくない葉書を選ぶことに、 かなりの時間を使っていた。 内容はともかく、 「すごく素敵な葉書だった。」と言われるのが、 とてもうれしかった。
手紙魔だからと言って、別に返事が欲しいわけじゃない。 返事をくれる人はあまり多くなかったが、 返事をもらいたいから書くのではなく、 書きたい書く。 正直、もらう人は迷惑な話である。
メールを使うようになってから、 ずいぶんと手紙を書かなくなってしまったけれど、 今度はちょっとしたものをプレゼントする楽しみを味わっている。 誕生日とかクリスマスとか、そう言う決まった日にではなく、 なんとなく、ちょこっとしたものを贈る楽しみ。 お返しなんていらないんですけど、 迷惑がらずに受け取ってくださいね(笑)。
パレスチナでは、また自爆テロとその報復のための イスラエルの攻撃が繰り返されている。 モサドの陰謀説とか、そう言うことではなく、 素朴な疑問なのだけれど、 どうして、そんなに厳しい検問を(しかもいくつもの!) 自爆テロをする若者が、腹に爆弾巻いた状態で、 潜り抜けられるんだろうか? 国連の現地職員ですら、 朝8時にキャンプにある自宅を出て、 オフィスについたら4時だった、 なんて笑い話みたいな本当の話しが しょっちゅうあるのに? 自爆テロを起こす子達はほとんどみな、 キャンプで生活している、 つまりほとんど包囲されている場所に住んでいる子達なのに。 大学にすら、満足にいけないくらい、 検問は厳しいって聞いているのだけれど。
もちろん、パレスチナ側の 自爆テロ抑制のための政策や行動も必要だけど、 イスラエルの警備はどうなっとるんじゃい、 と、イスラエルについつい厳しい 私はどうも言いたくなってしまう、 昨今の自爆テロ多発なのであった。
どなたか、ご存知ですか?
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