ぶつぶつ日記
DiaryINDEXpastwill


2002年06月28日(金) 贅肉

贅肉というものは、なんにしても嫌なものだ。
現在の私には、贅肉がつきまくっている。
体につくのも、生活につくのも全くの困り者。
何もかもが、重くて重くて仕方がない。

体につく贅肉も厄介だが、それよりももっと厄介なのは、
生活につく贅肉、じゃないかと思っている。
本当はヴァカボンドに憧れていて、
いつでもかばん一つでふらりとどこかに行ってしまえるように、
そういう生活を夢見ているのだが、
現実は全然そうじゃない。
気がつくと、家の中を居心地よくするために、
色んなものを取り揃えてしまっている。
それはそれで、悪いことじゃないんだけど、
時として、それらが自分の足かせのようで・・・。

でも今も頭の中は、壁がきれいになった家のレイアウトを
どう変えようか、
楽しみにしている自分もいる。

さて、どうやって折り合いをつけたものか。


2002年06月27日(木) まったりとした、豊な時間

今カイロにいる友人のHPを見ていたら、
エジプトでの時間の流れを、久しぶりに思い出した。
テレビを見るわけでもない、本を読むわけでもない、
手作りを楽しむわけでもない、
でも、気がつくとほの暗いろうそくの中で、
真夜中へと時は黙って進んでいて。
夜明けのアザーンの声を聞いて、
私たちはようやくおしゃべりを止め、
眠ることを思い出すのだった。

昼間のカイロはあわただしく、ほこりと喧騒にまみれていて、
それだけで心の不快指数の針がびーんと
あがってしまうこともしばしばだけれど、
私たちが今もカイロの生活を懐かしく、
そして取り戻したいと思うのは、
夜の、こうした時間を持つことが、
日本では本当に難しいからかもしれない。

カイロで出会った友人知人というのが、
他の地で出会った誰とも違う意味を持つのも、
こうした時間を共有できたからと思うからだろう。
100%分かり合えていたわけではなく、
反発や嫉妬や、そんなマイナスの感情がないわけじゃない。
それでも、最後までこの人たちは私のことを見つづけてくれるような、
そんな、底の方に流れる絶対の信頼感。
遠く離れていても、どこかでお互いを気遣っている、
そんなことがわかる。

あなたたちはきっと、世界中のどの恋人たちよりも今、
幸せで濃密な時間を過ごしていると思う。
日本に帰ってきて、時間に余裕がなくなって、
けんかをしたりすることもあるだろうけど、
ある一瞬に、ふっと、
自分たちがカイロにいるような気分になることがある。
それは、何にもかえられない、仲直りの魔法になると、
私は思います。
お幸せに。


2002年06月25日(火) 優等生の殻

あるサイトを見ていて、その女性の生き方にため息が出た。
もちろん、外国で暮らしていくこと(しかも自由業)は
並大抵の努力では出来ないことだろうけど、
それを実現している彼女がうらやましかった。
だんなさんがその国の人だから、とか、
きっとおうちがいいんだろう、とか、
自分とは違うことを考えようと思えば、
いくらでも逃げられるけれど、
まず第一に、私にはそこに飛び込む「勇気」が、
今は全然ないことに気がつき、
なんだか、涙が出てきた。
エジプトに行ったことで、私の勇気は全部使い切っちゃったのかな
(お金を使い切ったことは、間違いないけど)。

ずっと、私は優等生の殻をかぶっていて、
それを脱ぐことがなかなか出来ない。
思春期に反抗期もなく、大して親の手を煩わせることもなかったが、
唯一思い切った行動がエジプトに行ったことくらい。
それも、ハメをはずすわけでもなく、
きちんと生活し、きちんを戻ってきて、
前の仕事には戻らなかったし、お給料も悪いけど、
それなりにまた仕事をして毎日生活している。
仕事場と、家との往復で、
無断で外泊をしたことなど、
この年になっても一度もしたことはない
夜遊びは、それなりにしたけれど、親が心配しない範囲を、
自分で見極めていたので、怒られたこともない。

このままずっと優等生のままで行くのかな・・・。
それが嫌で、仕事的に落ち着かないんだろうか。
どうやったら優等生の殻を脱げるのか、
この年になっても、私は全然わからない。
閉塞感を、感じる。


2002年06月24日(月) 試されている

友人とメールの飛ばし合いをしていた時、
彼女の一言であるアニメを思い出した。

パレスチナ問題と言うのは、
人類史上先史にない領土問題である、と言うこと。
元々その土地に住んでいた者と、
一部はその土地に住んでいたが問題が勃発した時には、
ほとんど部外者であった者との領土問題
(イスラエルは本来ユダヤの地で・・・
とまだ言う人がいるのには驚かされる。
ユダヤ発祥の地であることは確かだが、
ユダヤ民族がイスラエルを領有していた時期は、
あまりに短くそして遠い歴史上のお話だ)。
どの国も誰も、歴史から学べることが何もなく、
全てを手探りで解決していかなければならない問題だと
彼女は言っていた。

私が思い出したアニメの名は「イデオン」。
宇宙開拓時代、とある惑星で一体のロボットが発掘され、
それを巡って2つの民族が対立する。
一方が地球人であることは言うまでもない。
敵同士、愛し合ったり、
姉妹なのに、憎みあったり・・・。
結局、彼らは神に試されているのだった。
もし、その2つの民族が融合できたら、
世界は完璧となり、連綿と未来が続いていく。
しかし、もし2つの民族が憎みあい、戦いつづけたら?
宇宙はもう一度、生まれ変わらなければならない。

彼らは、融合できなかった。
引き金となったのは、親子や兄弟といった肉親同士の無理解だったが、
結局神は全てを最初からやり直すことに決める。
ビックバンが起こり(確か)、
彼らは滅び、新しい宇宙史が始まる。
せめてもの救いは、登場人物たちが
新しい世界へと、生まれ変わっていったことくらいか。
(それも、イスラム的には受け入れられない世界観ですね)

パレスチナでも、私たちは試されているのかもしれない。
彼らが(私たちが)問題を解決した時、
世界は、すこしは完璧に近くなるのかもしれない。
でも・・・、
今見えている現実は、アニメのラストを報復とさせる。
世界の、滅びの予感。


2002年06月22日(土) 「私たちはなぜ、難民なの」

「私たちはなぜ、難民なの」
「どこにいっても、私はよそ者。」
難民キャンプを出て、少しはましな生活ができるようになると言うのに、
その少女の手紙は後悔と苦渋に満ちていた。
書いたのはパレスチナ人のティーンエイジャー。
彼女たちは、レバノンの難民キャンプで育った。

ずっと借りっぱなしだった、ビデオを観た。
「夢と恐怖の狭間で」。
レバノンとベツレヘムの難民キャンプに住む子供たちが、
メールや手紙で交流し、
2000年5月のイスラエル軍のレバノン南部からの撤退を受け、
国境で鉄条網越しに対面し、
友情を暖めていく姿を追った、ドキュメンタリー映画だ。
13歳のモナと14歳のマナールを中心に、
ストーリーは進んでいく。

ベツレヘムに住むマナールは踊りが大好きで、
学校帰りの制服のまま、イスラエルの監視に石を投げたりする。
レバノンのモナは、まるで詩のように言葉を操る。
「私の夢は鳥になること。最初は蝶々がいいて思ったけど、
あまりに美しすぎて人間に捕まえられて、本に挟まれちゃうから。
鳥になって故郷に飛んでいくの」

映画の冒頭映し出されるキャンプはまるでスラムである。
しかし、彼女たちの家はそれなりにしつらえられ、
暖かな家族との生活は、
一見するとアフリカやアフガン難民の生活よりも、
全然上等に思える。
しかし、彼女たちの生活を追ううちに、
その「難民生活」がどれほど異常なものなのかが、
少しずつクローズアップされる。

マナールは自分のアイデンティティを知るために、
祖父に連れられ出身の村まで行ってみる。
そこには祖父が育った家の外壁がまだ残っていた。
アフリカやアフガンと違って、
内戦の最中なわけじゃない。
故郷に住んでいながら、
どうして彼女は「難民」なんだろう?

鉄条網越しに、肉親を、同じ村の出身者を、
見知らぬ誰かを探し、手を握りあい、抱き合おうとし、
様々なものを交換するパレスチナ人たち。
そして、その大半が女子供と年寄りであるにも関わらず、
警備にあたるイスラエル兵はつねに完全防備である。

「勉強してもどうにもならない。大人になったら夢なんて見ていられないし、
どうして勉強しなくちゃいけないのかと思う。」

「難民キャンプはまるで鳥かご」

「私たちデモをするけど、でも何も変わらなかった。
このままでは、いつかパレスチナ人は爆発しちゃう。
それが怖い。」

平和な時は、あまりに短い。
その時はそれなりの夢を見て、
淡い濃い恋心を抱き、
笑い、踊り、笑顔を見せる子供たちは、
あっという間に大人になる。
大人になっても、鳥かごであることに変わりはなく、
行き場のなさはもっと募る。

どうして、彼女たちは「難民」なんだろう?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「夢と恐怖の狭間で」については、
下記サイトをご覧下さい。

http://www2.mnx.jp/~jyb2774/P-Watch_02_02_06.txt



2002年06月21日(金) 「壁」を壊す

イギリスのブレア首相夫人が、
「(パレスチナ人の若者が)自爆する以外に希望をもてないと感じてい
る」という発言が
「自爆テロ」を容認していると取られて猛烈な批判を受け、
首相ともども謝罪をした。

それにしても、どうして「自爆する」パレスチナの若者に対して同情的になると、
短絡的に「自爆テロを容認している。」と批判を受けなくてはならないのか。
私自身釈然としないものを日々感じている。

パレスチナ支持のスタンスを持つ人々のほぼ全員が、
自爆テロには反対していることは間違いない。
自爆テロで亡くなった方には同情するし、
ご家族の気持ちは想像して有り余るものがあるが、
じゃあ、同情すべきは「被害者」たるイスラエル人に対してのみ、
許させるものなのか。

パレスチナ問題が始まってはや80年、
こんなに直接的にパレスチナ人がイスラエル人の命を奪うことは、
これまでになかったことだ。
じゃあ、どうして「今」なのか。
昔と今と、何が違うのか。

まず、占領されている時間が長期化し、解決の見込みがないこと。

自治政府と言ったってそんなものは形だけのもので、
実際はイスラエルの良いように「国境」は閉鎖され検問され、
そして自治領が蹂躙されていること。

人々の生活は良くなるどころか悪くなる一方。
失業率は80%以上で、それから抜け出せる道もないこと。

国際社会からの孤立、自分たちは見捨てられていると言う思い。

簡単にあげるだけでこれだけのものが出てくるし、
実際はパレスチナ自治政府の無力化とか、
数え切れないほどのことが考えられるだろう。

なぜ自爆テロに向かう若者があとを立たないのか。
それはハマスだとかジハード団だとか、
そういう組織のなせる技というのはちょっと違うと思う。
どうして、彼らが自爆を望むのか。
心の壁を壊して、
パレスチナの若者の心に耳を傾ける時、
そこからは悲鳴しか聞こえてこないだろう。
私には想像も出来ない、閉塞感と絶望感。

世界が壁を壊してパレスチナへの同情を態度で示せれば、
自爆テロ多発、という現在の最悪の状況は、
変わってくるように思える。

誰にも、死なないで欲しいと思う。


2002年06月20日(木) 「壁」を作る

どうして、あんなに検問が厳しいパレスチナ自治領から、
爆弾抱えてイスラエル領内には入れるんだろう?
ずーーーと考えているけれど、わかるようなわからないような…。
内部に手引きするものがいる、
たぶん。
そして検問以外の手薄な場所を越境するとか、
多分。

そうこうしているうちに、シャロンはついに
「壁」を作る。
文字通り、囲い込みをしてパレスチナ人がイスラエル領内に入り込むのを
防ごうってことか。
意外というか何と言うか、
アルジャジーラネットのこれについてのアンケート、
賛成、反対、調度半々くらいだった。
反対する人たちはきっと人権のことを考えているんだろう。
そして賛成する人たちは、
そこまでイスラエルにやらせてみて、
それでも自爆テロがなくならないことで、
この問題の本質をクローズアップさせればいい、
って思っているかもしれない。

囲っても、囲っても、
検問を厳しくしても、検問を封鎖しても、
きっと自爆テロは続くんだろうな、と絶望的に思う。
なぜなら、「そういう」問題ではないから。
イスラエル側のセキュリティーを強化すればなくなるとか、
パレスチナを完全に閉じ込めればなくなるとか、
そんな単純な問題じゃないから。

自爆テロは最低最悪な、自己アピール。
でもこれを、善悪の二元論で論じられるんだろうか。
自爆テロで亡くなっているイスラエル人のほとんどは一般人。
でも、閉じ込められ、虐げられ、
未来の希望を奪われつづけているパレスチナ人も、
やっぱり同じ一般人なんだ。

壁の外側からでなく、
壁の内側から世界を見た時、
そこには、私たちが見ているものとは
全く違う世界が広がっているはずだ。
壁の外と内から見た世界が、等しくなった時初めて、
イスラエルはパレスチナの自爆テロを、
完全悪として非難することができるだろう。
今は、まだそうじゃない。


colacaco |HomePage

My追加