ぶつぶつ日記
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2002年07月17日(水) 夏休みの計画

今年は冬に旅行に行こうと決めているので、
夏はどこにも行かないはずだったのですが、
どーーーも、やはり行きたくなる。
仕事に疲れると、ネットで色んな所の情報を探ってしまいます(^^;)。
そう言えば、去年の今ごろも予定外の旅の準備をしていた。
行き先はドイツでしたけど。
チケットが取れなくて、イライラしたものです。
旅行業界では3ヶ月前が鉄則、らしいですが、
そんなのねえ、いきなり行きたくなる&行くことになるんでい!
でもチケットって、こんな混んでいる時期でも、
根気よく探すと結構見つかるもんなんですよね。
予算はオーバーするけど。

今年の夏は、とある大都会に1人で行って、
渋く大人の女性ぶってみようかなと思ったのですが、
う〜ん、やっぱりチケットが高いなあ。
日付変更線もきついし・・・。

ってなことで、行きたい気持ちは一段落。
多分行かないでしょう、多分ね(笑)。
そう言えば、東京の街も大分変わりました。
大分、色んな街から遠ざかっています。
今年の夏休みは一つ、
おのぼりさん気分で、東京を巡ってみようかな。
東京生まれのくせに、根津とか行ったことないし。
博物館や美術館なども、面白そうなのがありますよね。
うん、なかなか充実しそう。
でも、夏休みはまだまだ先の話しです(笑)。




2002年07月16日(火) アメリカのイスラムバッシングについて考えてみる―その2―

アメリカのイスラムバッシングについて考えてみる―その2―
(専門家、について)

アメリカの中東研究っていうのは、なんだかんだ言って
やっぱり大したもの、なんだそうだ。
日本人専門家の中には、アメリカでずーっと中東問題を研究していて、
アラ語をあまり解さない人もいるらしい。
つまりは、別にアラ語を解さなくても、
それなりの研究が、アメリカでは出来てしまうということだろう。
カイロの語学学校にもアメリカ軍関係の人が来ていたりして、
幅も層もとても厚いんだろうな、と思っているが、
それにしては、どうしてああいうことをするのか、
研究と政策が全然伴ってないんじゃないか?
と疑問に思うこともしばしばである。
どうしてそこまで研究しているのに、
アラブ人の神経を逆なですることをするかな・・・みたいな感じ。

ところで、現在のイスラムバッシングの中心的トピックは、
「文明の衝突」であるけれど、
これを声高に唱えているSという「研究者」が、
実はアラブ専門どころか門外漢ってことをご存知だろうか。
彼の専門がなんだか忘れてしまったが、
全然アラビスト(アラブ研究専門家)ではない。
そんな人物が、ある日突然「専門家」になってしまうのはなぜか。
ちなみに、こう言う門外漢の人物がある日いきなり何がしかの「専門家」になるのは、
何もイスラムバッシングからではないらしい。

アメリカと言う国はそもそも、ヨーロッパからの脱却を目指した単独国家であるので、
政策も昔から孤立路線。
そしてアメリカ=善であるというイデオロギーを持っているので、
いつも何か対立するものが必要らしい。
冷戦時、それが旧ソ連を中心とした共産圏だった。
しかし、共産圏は崩壊してしまい、
イデオロギー対決をするほどでもなくなってしまって、
仕事にあぶれた共産圏の専門家が、ある日いきなり「日本経済」の
専門家として、バッシングをはじめた、ということもあったそうだ。
自分たちも仕事にあぶれちゃ困るし、
イデオロギー対決もなくなっちゃ困るってことですかね。

んで、イスラム。
価値観の置き場が全然違う。
そしてイスラムもイデオロギーばりばり。
こりゃまあ、対決するのに困らないわけだ。
かくして門外漢や2,3流の中東研究家が、
マスコミに過激な論調を撒き散らす。
対話路線よりも、その方がおもしろいから、
過激な方が世間を騒がす。
それに反応して、イスラム側も色々やってくれちゃう(^^;)。
卵が先か鶏が先か、
今日もイデオロギーが戦っている。


2002年07月14日(日) まわるサダカ

在日のムスリムの中には、とにかく清貧にこだわる人も多く、
家族4人で15万円で生活しているとか、
仕事よりも金曜礼拝を重視しているため、
すぐに仕事を首になっちゃうとか、
自分が望んでいるとは言え、
はたから見ると、家族に迷惑をかけているんじゃないの?
と私なんかが思ってしまう人も多い。
それはその家族の生き方だし、友だちでもないから
余計なアドバイスはしないけど、
なんかちょっと?

イスラムという宗教には、基本的に「隠遁生活、修道生活」と言うものがない。
隠遁し、世俗とはなれて宗教にだけ没頭するというものは、
基本的にはイスラムのルールの中では異端視される。
普通に生活し、家族を持ち、社会の中で居場所を確立する。
初代正統カリフとなったアブー・バクル=シィッディークは、
カリフに選出された次の日も、今まで通りに商売に出かけようとし
「あなたはカリフなのに!」と止められて、
「じゃあ、私はどうやって家族を養えばいいんだい?」
と、とっても困ってしまったというほほえましいエピソードがある。
働くこと=良いこと。

もちろん預言者をはじめカリフたちは清貧生活で有名だった。
家族にも、それを徹底させていた。
が、ここで注目すべきは、
彼らが「持てざる者」ではなかった点だ。
彼らは仲間内でももっとも成功した財産家たちであり、
ムスリムになろうが、カリフになろうが、
自分たちの商売を捨て去ったわけではない。
むしろ、今まで以上にきちんと商売を続けた。
しかしその資産を自分や家族のためにだけ使うのではなく、
より広く社会や貧しいもののために使っていただけだ。
友だちのだんなさんは、こういうことを
「まわるサダカ(喜捨)」と言っているそうだ。
自分には余剰分が、誰かには必要分となる。
仕事が回っていけば、雇用も機会も増えて
安定した生活を送れる人も増えていく。
「まわるサダカ」は本当にまわっていく。
当事者、そしてその子供、そのまた子供へと・・・。

貧乏から抜け出せる状況にあるのに、
それを努力しないでただ礼拝しているのは、
男としてなさけない、という考えもあるという。
成してこその清貧。
ふむ、いい言葉だ。
「まわるサダカ」。


2002年07月12日(金) アメリカのイスラムバッシングについて考えてみるーその1−

アメリカのイスラムバッシングは「正しい」のかーその1−
(イランの場合)

アメリカはイランが大嫌いである。
ここ数十年単位で、他国への侵略などしていないのに、
悪の枢軸国呼ばわりである。
お仲間はイラクと北朝鮮。
どうしてだろう。
自分たちが肩入れしていたパーレビ政権を倒されたから?
これまた自分たちが肩入れしていたイラクと戦争したから?
イスラム国だから?
はっきりした理由はあるような、ないような・・・。

今朝、高橋和夫先生の放送大の教科書を読んでいて、
イランって言う国は、
やっぱり大した国だなあと感心してしまった。
国境を接していると言う事もあるが、
アフガン内戦時から現在まで、イランには多数のアフガニスタン難民が生活している。
その他にもクルド難民なども。
現在でも250万人くらいの難民がイラン国内で生活しており、
ざっと計算すると人口の3.7%に当たる難民を受け入れている。
日本に当てはめて考えてみると、なんとその数、
横浜市と川崎市の市民丸々難民と言う計算になるそうだ!
そしてこれほどの規模の難民を、これほど長期にわたり
ほぼ独力で受け入れている国は、他にはない。

イランが天国のような国、というつもりは毛頭ない。
国内経済は停滞しているし、
その国なりの問題は確かにあるだろう。
しかし、イスラム革命によって伸びた識字率、
医療制度による乳児死亡率の低下、
識字率の上昇に伴い、人口抑制政策も著しい効果を見せるなど、
やることはやる姿勢ってのは、
アラブ諸国には残念ながらほどんど見られないものだ。
その上、選挙によ自主的な穏健政権への移行!

考えてみると、パレスチナ問題の一つの問題点として、
彼らを正当に難民として、
受け入れているアラブ諸国がとても少ないことがあげられる。
(そのなかでもヨルダンはちょっと異例だが)。
湾岸戦争のとき、ウエートやサウジにいたパレスチナ人は、
サッダームを支持したということで、
一斉に追い出された。
ウエートやサウジの近代化のほとんどは、
パレスチナ人やエジプト人という非自国民の力のよるものだったのに、
彼らにはとうとう最後まで、真っ当な市民権など与えられなかった。
口ではどんなにパレスチナを支持しても、
結局はアメリカの怒りを買うことが恐ろしく、
中東和平のイニシアチブなど取れる状態ではない。

脅かそうが何をしようが、そんなものには屈しず、
彼らには彼らの意思があり、実際にそれを実行してしまう。
テロを支援していると声高に叫んでみても、
実際に支援されているのは、ほとんど一般市民である。
アメリカが肩入れしているアラブ諸国にはない
公正な選挙制まである。
イランと言う国は、アメリカにとって、
なんとも扱いにくく厄介な国なのだろう。

だからと言って、「悪の枢軸国」?


2002年07月11日(木) 傍観者

最近社会のことよりも、自分自身のことがとても気になる。
考えても仕方ないが、気になるのも仕方ないので、
自分の性格について、考えている。

一見すると社交的なようだが、
実は私はかなり人見知りをする、というか、
人に会うのが面倒くさい部分がある。
友人関係でも恋愛でも、いつもいつも会って、
逐一連絡し合わないといけないようなのは、
ちょっと出来ない。
大勢で集まるのもきらいだし。

エジプトやアラブやイスラムは大好きだけど、
100%手放しにはのめりこめないし、
警戒心が強いので、
旅に出てもそうハプニングにもあわない。

どうも、童心に返るとか、一体感とか、
そう言うのを斜に構えてみている部分があって、
グループで何かをしたり、
自己を忘れてはしゃいだりすることは全くと言っていいほどない。
どんなににぎやかにしていても、
それをはたから眺めている自分がいるって言うか・・・。

「傍観者」というのが自分に当てはまる言葉かもしれない。
いつもじっと、何かをみている。
見ているだけでとどまりたくはないので、
それだけは気をつけよう。


2002年07月10日(水) 夢の扱い方

自分の夢や願望、希望扱いは、人によって千差万別だと思う。
そっと胸に秘めている人がもしかしたら多いのかな。
日記に書く人、も居そうだ、もちろん。
こんなものに、どの道が正しいなんていう答えはないので、
本当に行く通りもの扱いがあるだろう。

さて、私。
私は言っても差し支えがない夢や願望は、
とりあえず周囲に宣言しておくことにしている。
本来私は口先ばかりで努力が伴わず、
飽きっぽくてこらえ性がない。
だから、願望を願望として自分だけの胸にしまっておくと、
そのために何も努力をしないで、
結果夢は結局見果てぬ夢、で終わってしまいそうな気がするのだ。
周囲に宣言しておけば、
良い頃合に「そういえば、あれはどうなったの?」
なんてことを言ってくれる人がいたり、
そんなこと誰も覚えていなかったとしても、
自分が誰かに宣言したという事実が自分の中に残るので、
口先ばっかり、といわれるのが嫌で、
なんとかかんとか、実現に向けてのたのたでも進めるような気がする。

このやり方が自分には良いらしい、と気がついたのは、
ずいぶん大人になってからだ。
もう少し若い時にこのやり方が身についていたら、
もっとマシな人生だったかな(^^;)。
まあ、気がついただけマシとしよう。


2002年07月09日(火) うんざり

アメリカ軍がまたアフガニスタンを攻撃したニュースを聞いた時、
なんでだよ!今更!と思ったのですが、
アフガン副大統領暗殺のニュースまで伝わってきて、
平和と言うのは、一筋縄ではいかないものなんだな・・・、
とがっかりしています。
アフガンに関しては、心の隅っこの方で
「これで本当に収まるのか????」
というクエスチョンマークが100個くらい点滅してはいたんですけど・・・。
そんなもの、予想が当たっても全然うれしくない。

パワーバランスで、政治的なパワーをダッシュ出来なかった者が、
安易に暴力の行使に出てしまうのは古今東西よくあることですが、
これだけ長い間苦しんできていて、
ようやく訪れた平和なのに、
やっぱり簡単に暴力行使に戻ってしまうのは、
暴力に支配されていた時間が長すぎたからでしょうか。

と言っても、そう言う暴力を使ってしまうのは、
ある意味戦乱中でも特権を持っていた人たちだったりして、
どんな時でも、一番苦しい生活を強いられる市民は蚊帳の外。
アフガンだけじゃなく、
一見平和な日本もそうですよね。
国を動かしているのは一部の人たちだけで、
本当にその人たちが自分の支持者たちの気持ちを代弁してるかっていうと、
全然そんなことはない。
自分たちの私利私欲と、自分のやりたいことをやってるだけな気がすることがほとんど。
うんざりする、夏の一日です。


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