ぶつぶつ日記
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2002年07月25日(木) 憎しみを煽る戦略?

ガザにいる友だちからのメールが、
たった一日で内容ががらりと変わってしまった。
前日は、ちょっとのほほーんとした雰囲気のガザ。
次の日のメールは、攻撃によって緊張した雰囲気に包まれるガザ。
この違いはすごい。

イスラエル側は、「ターゲットの側に民間人がいたとわかっていたならば、
攻撃方法を変えていただろう。」と言っている。
しかし、いくらハマスメンバーの多い地区の
ど真ん中に住んでいたと言っても、
周りが100%ハマスってことはありえないだろう。
妻子もいるだろうし、年よりもいる。
それともハマスメンバーの家族は殺してもいいってことだろうか?

実際、極悪非道の犯罪者の家族だからと言って、
攻撃したり、殺したりしていいって法は、
世界のどこにもない。
別の個人なのだから、家族だとしても。
保護されてしかるべきだし、
ましてやご近所に住んでいるだけで巻き添えになる人たち。

シャロンをトップにしたイスラエルは、
パレスチナを攻撃して、
パレスチナ人の憎しみを煽りたいだけなのかもしれない。
憎しみを煽って、テロを起こしてもらいたいのかもしれない。
テロが起きればまた、イスラエル人の憎しみも増長する。
何度でも言うが、どんなことをしても
どんなに否定しても、
「パレスチナ人」はいなくはならない。
ユダヤ人が、この世からいなくならなかったように。


2002年07月24日(水) ちょっといい日

ものすごーーーく久しぶりに、古着のワンピースを買った。
若い頃の数年間、ほとんど古着しか着てなかったことがあったくらい、
実は古着が大好き。
今は、60'sだろうと、70'sであろうと、
どんなファッションもレプリカチックな服があって、
サイケだろうがフォークロアだろうか、
はたまたサタデーナイトフィーバーだろうが、
簡単に手に入ることができるけれど、
私が遊びたい盛りの頃はまだまだそんな流れは全然なくて、
「それっぽい」かっこうをしたければ、
古着屋に行って「本物」を探して買うしかなかった。
久々の古着屋さんはやっぱり雑然としていて、
そこから掘り出し物を探すワクワク感はやはりトキメク。
昨日買ったのは、チャイナカラーの化繊のワンピース。
スパッツとメッシュのベルトを合わせると、
そこはかとなく80'sで、それでいて中近東チックになりました。
しかも、値段は800円だぜい(笑)。
なおよろしい。

そんなこんなで、ぷち気分転換が出来て家に帰ると、
電話をかけて欲しいなーと思っていた人からも電話がかかってきた。
思わず顔がにやける。

いいこともあり、悪いこともあり。
すごくいい日、よりも、
ちょっといい日、がとても好き。


2002年07月23日(火) ごますり君

どこの国も、ごますりがうまい人はそれなりに出世する。
日本然り、エジプトなんてもっと然り。
でも、ごますり君の多い会社は、
あんまり発展していかないように思う。
なぜなら、ごますり君の仕事はごますりなので、
思い切った行動とか、冷静で客観的な判断とかが出来ないから。

だからごますり君が、ごますり課長やごますり部長になると、
その課なりその部なりは、大変ウエットな環境になるだろう。
実力のある人、でもごますりできない人は
憎まれこそすれ、適正な評価はしてもらえず、
おいしい目に会うのは、プチごますり君たちだけ。
そんなになったらもちろん、
業績はさして上がらない。
それをまた、自分の思い通りにならない人のせいにする。
「人のせいにする」これもごますり君のストラテジーの特徴か。
あと、むやみに人の足を引っ張るとか。

ごますり君たちが今日も元気に、せっせとごまをすっている音がする。


2002年07月22日(月) 日本語教師の資質について

この場合の資質とは、教師としての(つまり教えるための)資質、ではない。
そんなことを堂々と述べられるほど、私にはまだ経験がありません。

なりたい自分」「天職」「自分らしく働く」という
うたい文句を掲げた雑誌が数多くあるけれど、
電車の中で社内広告をみていたら、
いまだに日本語教師がすばらしい職業みたいに歌われていて、
はっきり言って苦笑いした。

日本語教師がつまらない仕事であるとは、
もちろん全く思わない。
けれども、この職業を選ぶには、あまりにも失うもの、
あきらめるものも多いことも事実で、
実際大学の日本語科関係者の人たちは、
入ってくる学生たちに正直に言いたいことがたくさんあるという。
でも、大学の、業界関係の、思惑ばかりがあって、
実情をなかなか伝えられない、と言う話しを聞いたことがある。

私が考える日本語教師の「物理的」資質はこうだ。

(1)東京近郊に、日本語教師たるいい年した子供を住まわせておけるだけの
家を持っている親がいる。

(2)ある程度の会社に勤めている男性と結婚している。

(3)OL、サラリーマン時代に稼いだ貯金が結構ある。

(4)いくつになっても仕送りしてくれる親がいる、もしくは親の名義のアパートなどが東京近郊にある。

(5)かけもちバイトをこなしていけるだけの体力と、図太さがある。

1つだけでもあればやっていける場合もあるし、
私の場合は自嘲気味に、2つの資質が自分にあると思うっている。
それは(1)と(5)。
両親はかなり近接した場所に2軒の家を持っていて(しかも都内)、
ぼろいが雨露しのげる家賃なし、の家がある。
そして、土曜日や日曜日に、バイトに出かけられるだけの
精神的・肉体的タフさもあると思う。

よく、大学生などに日本語教師になりたい!と言われることがあるけど、
同僚の先生と言うのは、
「とりあえず、普通の会社に勤めて、好きなだけお金を使ってからにしたら?」
日本語教師と言うのは、掛け持ちして掛け持ちして、
もしくは常勤になったとしても、
月の稼ぎの目標が20万円の世界。
「せめて、20万はもらいたいよね〜。」
がみんなの口癖。
そういう低賃金の世界なんです(−−;)。
人間、「真っ当な金額」のお給料を使って、
やれブランドだ、海外旅行だ、イタリア料理だ、エステだなんだ、
と言う時間を持つのも、人生経験として大切だと思う。
そして、「普通の会社の」企業経験を身につけた人に日本語の先生になってもらって、
健康保険も厚生年金も、健康診断も厚生福利もなくて当たり前、
なこの業界のどうーしょうもない体質を、
みんなで変えて行きたい、と思うのだ。
日本語教師は確かにボランティア的な部分もあるけど、
少なくともこれだけの業界が出来上がっているということは、
立派な1つの「仕事」と言えるのだから。


2002年07月21日(日) ご褒美

時折、ご褒美かな?と思えることが、思いもかけない時に起こる。
そう言うことがあるから、
人生はこうして続いていけるのかもしれない。

でも、そのご褒美に気がつかない人もいるのかも。
なんで私ばっかり?とか、
何にも面白いことがない、とか、
目の前にそっと下りてくるご褒美を、
受け取れない人がいるのかもしれない。

突然来るご褒美をご褒美と理解できるように、
心をクリアにして前向きにしていたいと思うのだった。


2002年07月20日(土) アメリカのイスラムバッシングについて考えてみる―その4―

アメリカのイスラムバッシングについて考えてみる―その4―
(一国支配が進む)

アメリカの外交(というかアメリカの国の成り立ちが)、
独立主義でイデオロギー的、と言う話は前にした。
911後、アメリカの一国支配がどんどん進んでいて、
それに対抗するだけの力を持つ国はもはや、
この地球上にはいないようにさえ思える。
ソ連との核の傘を武器にしたパワーバランスはもちろん誉められた見本ではない。
そのために、現在の核の分散があるのだから。
しかし、何もかもがアメリカの思惑で進む世界と言うのが、
果たして明るいものなのか?
こういうことを書くと、在米の人からお叱りを受けることが多いのだけれど、
懐疑的にならざるを得ない。
まず1つの理由が、私自身がアメリカの政策を全く信用していないと言う、
個人的な思想理由から。
そしてもう1つ、明らかにアメリカの政策と言うのは、
世界平和を目指しているのではなく、
世界での自国の利益を拡大する方向である、と思うからだ。
国連での様々な決議拒否を見ても、
パレスチナでのイスラエル寄りの調停案を見ても、
公平とはなんだろう?と思わざるを得ないし、
紛争地域への介入にしても、
えり好みをしている、としか思えない。

まあ、それはそうだろうと思う。
アメリカ大統領と言えども、神じゃない。
生身の、自分たちが一番な人間だ。
公平さを求める方が、理想主義者なのかもしれない。
だからこそ、一国の支配力ばかりが強まるのは、
いかがなものか、と危惧する。
少し前のサイエンス・フィクションでは、
独裁的な中央集権国家に支配される、という設定が多かった。
それは今から考えると、旧ソ連圏にありがちな
共産的な独裁の姿に似ていたけれど、
私が思い描く最悪な独裁は、
「自由と平等」の名のもとに、
自分たち以外の思想を、何も受け入れないという姿だ。
支配している、されている、のならば、
反発するのも戦うのも簡単だが、
一見「自由で」「平等な」国として機能しているものを否定し、
寄りよくしようとするのはかなりむずかしい。
アメリカは、そうなってはいないのか。


2002年07月18日(木) アメリカのイスラムバッシングについて考えてみる―その3―

アメリカのイスラムバッシングについて考えてみる―その3―
(ユダヤロビー)

アメリカのあらゆる分野で、ユダヤロビーが動いている。
何も、ユダヤ人だけがロビー活動をしているわけではない。
ではなぜ、政治の動きの中でユダヤ人の意思が反映されることが多いかというと、
やはり、ほとんどのアメリカ人がいわゆるノンポリ、だからだ。
だからユダヤロビーほどすでに形が出来上がっていて、
行動をすばやく起こし、票をまとめられる団体が動くと、
それが実現されることが多いという。
なるほど。

現在、入植地に入植している人たちの中に、
アメリカ生まれのニューオーソドックスの人たちが多くなっているという。
彼らの思想は大カナン思想。
エジプトまでイスラエルだったりする(^^;)。
中学生くらいの子供に「ユダヤ人が幸せになるためには、
自分たち以外の多少の犠牲は仕方ない。」
なんて言わせてしまう親たちが、
死守!イスラエル!って感じでアメリカからイスラエルに「リターン」する。
そうなると、てこでも入植地からは動かないですよね。
何せ、「使命感」ですから。

でも、ほとんどの在アメリカのユダヤ人にとってイスラエルは、
「かわいくてしょうがない、甘やかしてしまってしまった放蕩息子」で、
自分たちがそこで苦労(テロの脅威などにさらされていないという)をしていないことに対する負い目を持っていると言われている。
そのためにどんなわがままも聞いてあげたい。

アメリカでのアラブ人口の比率と言うのは(イスラムを入れたらなお)
決して割合的に低くはないと思うのだが、
残念ながら、アラブ(もしくはイスラム)と言うのは、
そう簡単に一致団結が出来ない。
なぜならアラブ・イスラムの中がまず多民族であるから。
またそんなに昔からアメリカに入り込んでいたエスニックグループというわけではないので、
生活第一、生きていくための基盤を作っている段階から、
まだ抜けていないのかもしれない。
そんな中で911が起こり、彼らの立場はますます厳しくなっている。
法による人種差別的な規制も新たに作られそうだが、
それを「人種差別」として糾弾してくれる、
サポーターを得るのも難しい状態だ。

そんな中で、一つの新しいユダヤロビー活動が今年になって始まったそうだ。
この団体は、イスラエルが占領地から全て無条件 撤退するまで、
アメリカ政府にイスラエルへの軍事支援をしないよう要求し、
パレスチナ人の人道確保の支援もするというもの。
ユダヤ人からこう言う動きが生まれたことは、
何にもまして心強いし、希望がもてる。
きっとユダヤ人の中でもマイノリティーな動きかもしれないが、
在米のアラブ・イスラム団体が、
彼らのような新しいユダヤロビーと一緒に活動していければ、
アラブロビーとしての活動も、
広がっていくんじゃないかと思う。
その時に、ユダヤだからとかアラブだからとか、
そういうつまらないカテゴリーを打ち破れるだけの度量を、
アラブ・イスラムの人たちにも持って欲しいし、
私も持ちたいと思う。




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