ぶつぶつ日記
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2002年08月15日(木) 魂修行中、神様に反抗期中

以前、エジプトでガイドをしていた時に、
アテンドした添乗員さんに言われたことがあるのだが、
ガイドや教師など、人をアテンドしたりする職業につく人は、
魂の修行をしている人なんだという。
また、彼女いわく私は、
「神様の決めた運命に、ことごとく逆らって生きている人。」
なんだそうだ。

ガイドを辞め日本に戻ってきて、
でもやっぱり魂の修行が必要なのか、
教師職を選んでしまい、今に到る。
元々どんな運命かなんて、自分ではわからないんだから、
逆らってるっていわれても、
困っちゃうんだよなーと言いながら、
でも自分でもものすごい天邪鬼に生きている気もする。

子供の時の夢は学校の先生だった。
でもそんな堅苦しさが嫌でデザイン畑の仕事に入り、
本当はデザインに関することが大好きなのに、
あっさりそれを捨ててしまい、
気がついたら、人に何かを教える仕事をはじめてしまって、
それでもなお、デザインに関わる事が止められない。

最近は自分の事を、
お釈迦様の手のひらの上を飛んでいる孫悟空なのかもしれないと思う。
それもまた良し,
今日も元気に魂修行中、神様に反抗期中。


2002年08月14日(水) 崖を歩く

246の地下道での、
ホームレスと管理局の熾烈な戦いは、
道路交通局の勝利に終わった。
つまり、そこをねぐらにしていたホームレスの人たちは、
散り散りに、どこかに行ってしまったわけだ。
みんな、どこに行ってしまったんだろう?
ほとんどの人のことは、正直言ってどうでも良いが、
1人だけ、どうしても気になるおじさん(おじいさん?)がいて、
地下道を通る度に、なんだかとても心配だった。
ちゃんと屋根のある場所を見つけたかな?
荷物は全部持っていけなのかな?

お盆中の東京はとてもすいていて、
渋谷の空もなんだかきれいに見える。
でも暑さにばてながら職場に向かっていると、
246沿いで、おじさんとすれ違った!
何ヶ月ぶりだろう?
おじさんはあまり変わっていなかったけれど、
もしかしたら、少しからだが弱っているのかもしれない。
前は使っていなかった杖を、今日はついて歩いていた。

私は、ホームレスの人たちに対して、
あまり暖かい気持ちを持っているとは自分でも思えない。
特に、20代30代でホームレスをしている人を見ると、
何となく腹立たしい気持ちになる。
いくら仕事がないとは言え、ホームレスするくらいだったら、
何か仕事はあるだろう、
単に働きたくないだけなんじゃないの?
という疑問が湧いてくるからだ。

それでも、年配の人や女性のホームレスを見かけると、
彼らの人生の見えない部分がなんだか気になる。
おやじ狩りをする若者のように、
彼らのことを「世の中にいなくてもいい人種」
と言う風には、とても思えない。
私たちが知らないホームレス達の人生は、
どんなだったんだろうか。
耐えられないほどつらいことがあったんだろうか。
それとも、何となくただ落ちていったのだろうか。
不幸だったんだろうか・・・?

残念ながら、世の中の全てが1+1で割り切れる答えで成り立っていわけではない。
彼らのような人もまた、世の中の一部を確かに成している。
その差は一体なんだろう。
私たちはみな気がつかないだけで、
崖のぎりぎりの所を歩いているのかもしれない。
少しの差が、崖にとどまるか、落ちてしまうかを
分けているような気がする。


2002年08月13日(火) すっかり・・・

ご無沙汰してしまいました・・・。
毎日書くっていったのに、も〜。
すみません。

チャリティーの終了間際になって、
大きな事件が動き出し、
あたふたしております。
とーーーーってもうれしいことなので、
全然苦ではないのですが。
もう少し具体的になったら、
皆さんにもお知らせできると思いますので、
もう少々お待ちくださいね。

それにしても、少しでも頑張っていけば、
やっぱりいいことがある、
と思うのでした。


2002年08月09日(金) ちょごり制服

ずっと着てみたいと憧れていた制服は、セーラー服なんかじゃなくて、
在日コリアンの子達が着ていた「ちょごり制服」だった。
なんていうか、本当の名前は知らないので,
いまだにちょごり制服と読んでいます。
ちなみに、私が好きなのは夏用の上が白で下が黒か紺のもの。
同じ職場の女性は冬のが好きって言ってます。

私が中高生くらいの時には、
このちょごり制服をよく見かけたけど、
色々ばかばかしい事件があって、
最近では全然見かけなくなっていた。
なんだかな〜、日本人って・・・。
同国人としてそして女性として、
とても腹立たしかった。
韓国や朝鮮と何か問題が起こるたびに、
電車の中や街中で、
彼女たちのちょごり制服が攻撃の的になる。
身の危険を感じ、普通の日本っぽい制服に変えた学校が、
多かったんですよね。

最近ではそれでも、在日コリアンで有名人も出たりして、
コリアン名で生活する人も多くなったけど、
ほんの少し前までクラスメート全員から
「チョウセンジンは国に帰れ!」と罵倒されたり、
先生からいらぬ疑いをかけられたり、
そんなことが日常茶飯事だったらしい。
今は、そんなことが少なくなったと思いたいけれど、
実際、今も差別は残っているんだろう。

一瞬考えてみる。
どうして彼女たちが「在日コリアン」なのか。
彼らは出稼ぎ目的で今日本に来ているような人たちとは、
明らかに入国経路が違っていて、
そして「2世、3世」になっているのだ。

それは、戦争のせい。
来たくなかったのに、強制的に来させられた人がほとんどで、
そして戦後のごたごた,朝鮮戦争のために、
帰りたくても帰れなかった人たちが、在日コリアンになった。
そしてちょごり制服の彼女たちは、その人たちの子供や孫なのだ。

白い制服が夏の日差しにまぶしい。
来年の夏も、これから先の夏もずっと、
街角で、彼女たちのちょごり制服を見かけたいと思う。
彼女たちがちょごり制服を着ていても、
安全な日本であって欲しいと思う。


2002年08月08日(木) 自分の見たいものしか見ない

広島と長崎への原爆記念日。
もちろん、忘れちゃいけないし、核の悲惨さを訴えていくのが
唯一の被爆国たる日本の義務。

そしてもうしばらくすると、終戦記念日と言われる敗戦日がやってくる。
歴史の教科書問題や靖国問題を見る度に、
「自分が見たいものだけ見ていれば、それでいいのかな。」
という気持ちになる。
日本を誇らしく思うのはもちろんいいこと。
自分の国を守る気持ちを持つのも、とてもいいこと。
けれど、第2次世界大戦に関し言えば、
日本は「防衛国」ではなく、完全に「支配侵略国」だった。
そう言う負の部分を見ないように見ないようにして、
日本の歴史の教科書に神経を尖らす韓国や中国の人たちのことを、
「他国の歴史に口出すな」とかって、どうして言えるのだろうか。
そうして、そんなことを言ってしまったら、
良い関係なんて絶対に築けないんだけど、
そう言う人たちは別に良い関係なんて、築きたくないのかもしれない。

自分たちの過ちを認めること、
それはそんなに恥ずかしいことなんだろうか?
認めた上での愛国心というのは、ありえないんだろうか。
愛国心とは、ただ単に自分の国を賛美すればいいというものではないだろう,
間違いを知ってなお、国を良くしていきたいと、
そう国を思う気持ち。


2002年08月07日(水) あちあち

暑いですね〜。
脳みそ溶けかかっています。
なんだか思考がまとまらないー。
夏はものを考えるには、
あまり向かない季節なのかも・・・・。


2002年08月05日(月) 何が正しいか決めるのは。

ろくに説明もされないうちに、住基ネットなるものが始まろうとしている。
8桁の数字(10桁でしたっけ)で、国民一人一人の情報を管理しようというもの。
杉並区や国分寺市など、独自に不参加を表明する自治体も出始めている。
政府はプラス面ばかりをクローズアップするし、
反対派はもちろん、 マイナス面を強調する。
でもなんだか、よくわからないし、
大体、どこからこう言う草案が出てきたのかも、
そう言えばしらないんだけど、
櫻井よしこさんへのインタビューを読んでいて、
一瞬背筋が寒くなったことがある。
それは、「自分はなんらやましいことがないから、管理してもらってもかまわない。」
という人々に対して、
「悪いか悪くないか、あなたが判断するわけではない。それに、ありとあらゆる自分に関する情報を相手が持っているとき、本当に対等の立場でその人と話せるか、考えてほしい。どこかでひるんでしまい、上下関係、隷属関係が表れるはず。国家が国民の個人情報を管理すれば、そういうところに行き着く」
という一文を読んだときだ。

一般常識的に悪いことって何だろう。
犯罪を犯していないとか、脱税していないとか、
まあ普通に考えればそんなことくらい。
でも国や政治というのは、もっと複雑で恐ろしいものだと私は思う。
例えば、今後考えうるシナリオとしては、
特定NGOなどへの参加の情報が、
私たちの行動を規制する材料にされることもありうる。
支援しているのがとある国のマイノリティーな独立を目指している団体で、
下手にアメリカなんかと敵対していたら?
スタディツアーに参加したことが、その後一生の監視体制につながるなんて、
被害妄想的な荒唐無稽なことだろうか。
国内の自然保護運動も、かなり政府と敵対しているから、
これも赤丸チェックされてしまうかもしれない。
自分だけではなく、自分の親兄弟までもが、
このことで不当な扱いを受けるとしたら・・・・。
考えすぎかもしれない。
しかし最悪のシナリオをたどるのが、今までの人類の歩みであっと考えるなら、
あながち一笑に付すことはできないと思う。

私は逆に顔写真入りのIDカードを持つことには反対ではない。
エジプトでもスペインでも、この手のIDカードはとても重要で、
スペインなんかでは、クレジットカードで買い物をする時にも提示を義務付けられている。
このIDカードは写真に名前、住所、自分の所属する(?)警察署での認印くらいの簡単なもので、
落としたらそれなりに大変かもしれないが、ありとあらゆる情報が流出する恐れはない。
また免許証を持たない人の身分証明が不確かな現状を考えると、便利なものではないかという気もする。
盗難クレジットカードの乱用や戸籍の不正利用などを防止するには
顔写真入りのIDカードの方がいいと思うし、
法務省も住基ネットカードではこれらの問題は防げないとあっさり言っている。
何でもかんでも最先端がいい、という短絡的な考えで、
国民不在のままことを進めるのは、いい加減にやめにしてくれないかなあ>小泉君。


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