ぶつぶつ日記
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最近、何人かの友だちとカルトの話しになった。 某世界宗教を信じているにもかかわらず、 その言動がいかにもカルトチックな人が多いよねー、 と言う話しだったのだが、 考えてみると、この「カルトチック」な人というのは 何も宗教関係者だけではなく、日常的にもたくさんいる。 その反面カルト的に扱われる宗教を信じている人でも、 全くカルト的ではない、普通の人もいる。 最近まで私の職場にバイトに来ていた女性は輸血しないことで有名な とある宗教の熱心な信者だった。 大学を卒業して、週のうち半分くらいは布教活動をしたいので、 普通に就職できない、というかしたくない、 と言う話しこそするが、その他はいたって普通。 こちらに宗教をごり押しするわけでもなく、 こちらの無信心ぶりを見下すわけでもなく。 こう言う人だと、私たちも色々アドバイス的な話しもできるし、 どうしたら時間を有効に使うか、一緒に考えてみたりもした。 彼女が布教している時にはきっと、また別の顔があるのだと思うが、 布教と仕事と学校と、きちんと分けて考えられるのはとってもいいことだと思う。
翻ってみると、人にはそれぞれ「こだわり」というものがあり、 その自分のこだわりをあまりに周りまでに振りまき、 その反面、周りの人のこだわりを認めないような人は、 やはり「カルト的」人物であると言えるのではないだろうか。 もちろん、誰にでも自分のこだわりを守る権利はあるけれど、 それを理由に他者を見下したり、糾弾したりするのは、 心も視野もせまいとしか言いようがない。 概してそう言う人は、他人には他人の生活や考え方、 そして生き方がある、という至極簡単なことを 想像できない人が多いような気がする。
自分が一番正しい、 自分が一番頑張ってる、 自分の信じるものが一番素敵。
自分のこだわり(でも生活様式でもなんでもいいが)が 一番すばらしいと思うのは全く勝手だが、 それと同じように誰かの人生もまたすばらしいのだということを、 忘れたくはないと思う。 人は案外簡単に、日常的カルトに陥っていくから。
一期一会、とは言うが、同時期にカイロに住んでいた人、 と言うのは、まさにマーシャアッラー、 何か運命的共同体的なつながりがある人たちかもしれない。 昨日は久々に、そんな女子9人が一堂に会して一席設けた。 私たちがカイロに住んでいたのは、 大体95年から97年、98年にかけて。 気がつけば7年の歳月が流れていた。
カイロに住んでいた時は、年齢の多少に違いはあれ、 私たちは同じようなポジションだった。 何かを学ぶ学生やボランティア、 ガイドと言う名のフリーター・・・。 とにかくそんな風な、何となく自由な外国人だった。
カイロから日本へ戻って働き始めた人。 そこからまたシリアやヨルダンで数年過ごした人。 エジプトに残っていた人、現在夫の国に暮らす人。 結婚離婚結婚出産を経験した人。 サウジ・パキスタン・日本と言うアジアをまたにかける 血を持つ子供をお腹の中に育てている人。 一見普通に結婚した人。 エジプト人と離婚して帰ってきた人。 大きな声ではいえないが、わけあり恋愛驀進中な人。 恋愛にはあまり興味がなさそうな人。 目下彼大募集中(しかも濃い系)な人。
歳月は確かに私たちの上に流れ、積み重なり、 あの頃とは少し違う顔をしている私たちがいる。 けれどこうして集まれると言うことは、 カイロでの歳月がどうであれ、今がどうであれ、 少なくともきちんと生活していけているという証拠だと思う。 会いたくても会えない人、連絡を自ら途絶えた人、 会う度に心配する人がいる。
これからも、静かに、時には激しく、 年月は私たちの上を通り過ぎていくだろう。 けれどいつまでも、時にはこうして皆で集まり、 大エジプト悪口大会をしていきたいと思う。 それは特別な時間。
少なくとも自分では (そして一部のベテランからも太鼓判を押されているが)、 昨日今日ムスリムになった人たちよりも、 自分の方が「知識」はあると思っている。 信仰心は、明らかにないけれど。
すごく不思議なのだが、 ムスリムになった途端に誰もが血相を変えて アラビア語のクルアーンを「読もう」とする。 それってはっきり言って、無理。 だって、ネイティブだって正確に意味を取れてるわけじゃないんだから。 そのためにイマームやウラマーがいる。 わからないことはエキスパートに相談しなさいってことなんだ。
日本語の解説クルアーンを持っているが (ちなみに色々攻撃される某文庫版ではなく、 れっきとしたムスリム団体発行のアラ語ー日本語のものです)、 イスラムの真髄をそこから読み取るのははっきり言ってむずかしい。 読んでて大して面白くない、性質上。 クルアーンを無理に読むくらいなら、 テープを流してその音の美しさに身を浸した方が、最初は絶対にいい。
そして偏見丸出しの私に イスラムの素晴らしさを教えてくれたのは、 全て日本で買える本だった。 日本のアラビストの人たちは欧米と違って、 イスラムを「理解しよう」という視点に立っていると思う。 だから、イスラムを攻撃している本を探す方が難しいくらいだ。 イスラムについての基礎知識が、 コンパクトにまとめられていて、勉強しやすい。 ムスリムが書いていないからと、 彼らの著書をそれだけで判断する人もいるが、 彼らが人生をかけて研究していることは、 決してまちがっていないし、 少なくとも、一般的なムスリムの知識よりも豊富な知識を持っていることは、 否定できないんじゃないだろうか?
それからムスリム協会から出ている人物伝は、 ハディースもたくさん載っているし、 かなりお勧めなんだけれど、 どうもあまり読んでいる人がいないみたいで、 すごいもったいない。 もし、あれらの本を読んだなら、 妻に手を上げるのがハラームかハラールかなんていう、 くだらない質問は出てこないと思う。 イスラムの生き方、理想、そんなものぎっしり詰まった本なのに。
日本人にかぎらず、改宗ムスリムと言うのは 言うなればイスラム的知識から言うと、 ボーンの子供たちと同じようなもの。 ボーンの子供たちは、それはもちろんクルアーンに慣れ親しむ時間もあるが、 いわゆる「人物伝」みたいなものを読んだり、 折に触れ年長者たちから、偉人の話を聞かされて大きくなる。 私は改宗ムスリムの人たちにも、 こういう時間が絶対に必要だと私は思う。
お局イスラムおたくは、 そうして今日も人物伝を手に取るのであった。
今週は月曜日からとある機関の研修に出ていた。 普通の日本語学校は大体夏休み中だし、 結構すぐに定員いっぱいになってしまったのだが、 思ったよりはこじんまりした研修になったようだ。
研修自体は研修と言うよりも 新しい研究会発足と言う感じ。 でもなかなか普段つかえないWEB展開などが期待できそうで、 行ってよかったと思う。 しかしそれ以上に、同じ職場にいるだけでは知り合えない人と、 直接知り合えるのがこういう機会の最も大事な点ではないかと思う。 別段肩書き重視なわけではないけれど、 一介の日本語教師が、大学の教授・助教授や、 公的機関の専任講師などと言う人たちと 気楽にディスカスできる機会というのはそうそうないものだ。 学会などでは発表する立場の人と、 それを公聴する立場になるだろうし、 そうなると「ありがたく話を伺う。」という受身の姿勢になる。 でも、肩書きも経歴も年齢も関係なく、 そう言う人たちとワークショップなどすると、 ある程度同レベルで話が出来るんだ、ということに良い意味で驚く (もちろん色々な意味でこちらの知識はまだまだだが)。
こういう空気の入れかえって、とても大事だ。 少なくとも私にとっては。
異国から戻らない夫を50年間待ちつづけた妻がいて。 異国から来た夫を38年間守りつづけた妻がいて。 彼女たちが「夫」と呼ぶ日本人男性は、同一人物だった。 日本と、ロシアと。 誰が悪いわけではない、むしろ全員が、 戦争の被害者であった、戦後の50年と言う年月。
戦中、スパイ容疑で逮捕拘束された男性は、 強制収容所を生き抜き、 しかし戦後もスパイ容疑が晴れずシベリアに残らざるを得なかった。 娘を連れて日本に戻った妻は、 戦後もずっと帰ってこない夫の戸籍を抜かず、 女で1つで娘を育て上げた。 戸籍を抜かないこと。 それが彼女を支えていた50年という日々。
自身も無実の罪で強制労働の経験を持つもう一人の妻は、 40歳になってこの異国人である男性と結婚する。 まるで子供を守るように、 いつまたスパイ容疑で連行されるかわからない夫を守りつづける。 物音1つにも怯えるような、そんな38年間という日々。
やがてソ連がロシア連邦になり、 50年ぶりに男性は母国である日本と連絡が取れると、 そこには「妻」が自分の帰りを一人待っていた。 もう一人の「妻」はここで決心する。 男性を日本に帰国させることを。
戻ってきた夫が、見知らぬもう一人の女性の手紙を食い入るように読み、 文字の乱れに健康を案じ電話をかける姿を 「一人では生きられなかったと思う。 (ロシアの女性が)生かしてくれたんだと思います。」と 何も言わずにそっと見つめる日本の女性。
つかの間の再会と、もう二度と会えないかもしれない別れの後、 ロシアの女性は言う。 「私は38年間、ずっと彼と一緒にいた。 ロシアの餃子を一緒に作ったり、楽しい思い出がたくさんある。 でもその間、彼女は一人でずっと帰りを待っていた。 私は、思い出だけで十分、生きていけるのです。」
優しいからこそ、切ない瞳をした人たち。 3人が3人とも80歳を越え、死が目前に迫り、 それでも誰かを思いやり、 譲り合う心。
「美談を望んでいたわけではないのです。 でも、人の不幸の上に、自分の幸せは築けないのです。」
シベリアの本当に小さな村で。
何がドつぼって、そりゃ自分のチェックミスです。 さくさくと、卒論テーマなど考え、 質問表なども送り、 あとは本番の卒業研究申請書を出すばかり! って思ったら、 一番肝心なものを出すのを忘れてた・・・・。 それは2学期の授業登録申請( ̄□ ̄;)。 もうとっくに過ぎてるよ・・・。 チャリティーなんて言ってる場合じゃなかったのね(号泣)。
予定では今年の2学期に7教科くらい取っちゃって、 来年は単位は少なく、んで卒論〜♪ なんて余裕かましてたのに・・・。 来年の2学期で残りの全単位を取りつつ、 卒論も書かなくてはいけないわけですね (申請が通れば)。 はあ〜。。。。。
やるしかないから、やりますけど。 来年も同じつてを踏まないようにしないとなあ(−−;)。 恐ろしい。 全てはこの余裕のない生活が悪いのさ・・・。
問題続出、というか、問題しか見えてこない住基ネット。 今度はハガキに記載されている番号が透けて見えてしまう、 という問題が発生している。 それに対する、自治体のコメントは、やっぱりというか、 この国のお役人の人たちの、 危機管理意識とか、情報漏洩に対する認識の甘さを浮き彫りにしている。 いわく、 「太陽にかざすことまで想定していない。報道されるから苦情が増える」(都内の自治体担当者)。 「郵便局に直接持ち込んでいるため、他人が見る余地はほとんどない」(鎌倉市)。 足立区は「不愉快な人は、申し出れば番号を変える。気にしなくてもいい」。 んで、もし番号を変えたい時は、 わざわざ会社を休んで届を出しに行かなくてはならないわけだ。
この番号を、クレジットカードの番号に置き換えたら、 この人たちも少しは騒ぐ市民の気持ちがわかるのだろうか。 誰だって自分のクレジットカードの番号を、 他人には知らせないし、知られたくない。 偽造カードや不正利用の可能性が、ぐんと増えるからだ。 住基ネットと言うものは、本当はこれ以上に 他人に知らせてはまずいものなんじゃないのか? 簡単に考えすぎて、 簡単な問題点を見落としている。 責任は、誰に?
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