ぶつぶつ日記
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本屋は何よりも好き。 最近は時間短縮もかねて、買いたい本が決まっている時は ネット書店を利用しているけど、 妙に疲れている時など、なんとなくふらふらと本屋によることがある。 イタリアやスペインに短期滞在していた時も、 言葉も分からないくせに、観光に飽きると本屋に行って、 色々な表紙の本を、手にとって見たものだ。
そうかと言って蔵書家というわけじゃなく、 もったいないお化けと戦いながら、 数年に一度、本の整理をしたりして、 今は本だな2つぶんに本を納めるように努力している。 何せ、日本の家は本を蔵書できるようにはできていないから。
一階にどんと2つ鎮座している本だなの前で、 家庭内立ち読みをすることも多い。 思い出せないイスラームのハディースを探すために。 気休めに読む漫画を選ぶために。 忘れてしまった日本語の文法をチェックするために。 今日は新作のイメージを形にするために、 アラビックカリグラフィーの本を引っ張り出してみた。 どれも、カイロから買って帰ってきたもの。 はてさて、どんなものができるのでしょうか。
私の夢は、はしごのついている書庫のある家に住むことです(笑)。
現在私の母が日中預かっている女の子は、 いわゆるわけありの母子家庭の赤ちゃんである。 はっきり言ってしまえば、 お母さんは不倫でこの子をうんだ。 だからといってそれを隠すわけでもなく、 堂々としたものだ。 母も、こう言う子だからと言っていじめるわけはない。 仕事だし、他人だし。 しかし、元々潔癖なところがある性質ゆえ、 どうしても納得できないらしい。 それもまあ、当然と言えば当然。
それで、毎日のようにこの親子の話をされてしまう。 時にはお父さんが来ることもあるので、 ますます母は納得できなくなるらしい。 先日は区役所から担当の人が来た。 この人も立派な奥さんであり、お母さんである。 この人もまた、嫌悪感を持っているらしい。 近所のおばさん達も、別にこの子は可愛いと思っているし、 お母さん自身も悪い人ではないと思ってはいるが、 やはり、何かわだかまっているようだ。
それは、、、確かにわからなくもない。 世代も違うし、そして何よりも、 彼女たちは皆、「妻」だから。 不倫の子供をうんだ愛人よりも、 裏切られた妻のことを考えるのは当然のことなのかもしれない。
でも、と私は思う。 自分自身、そう言う恋愛をしたことがある。 その時、別に奥さんや彼の子供の不幸を願ったわけではない。 でも、だからといって自分ばかり、自分の気持ちをサーブし、 見つめてばかりもいられなかった。 突っ走る気持ち。 全てのリスクを背負い、ただ突っ走る気持ち。
どうして皆、「彼女」がやがて不幸になると決めるのだろう? しっぺ返しが来ると? すでに彼女は大きなリスクをしょっている。 それでいいではないか。 妻側のありとあらゆる人たちの、どこかにあるわだかまり。 彼女はそれを日々感じながら生きているし、生きていく。 母の口からそう言う言葉を聞きたくない。 叫び返したい。 でもできない。 鬱々と感情がたまる最近。
2002年09月21日(土) |
ブランド考〜子どもの頃の思い出と〜 |
初めてそのブランドのバックを見たのは、 多分まだ私が小学生の時だったと思う。 母がいくつか持っていて、「丈夫でしっかりしている。」 といっていた記憶がある。 その使い勝手が気に入っていた母は私に、 「お勤めするようになったら、バケツ型のバックを買って上げる。」 と言ってくれたのだが、小学生ながらこの母の仕込みで、 こと服装に関しては好きなものは好き、 嫌いなものは嫌い、と言う選別を生意気にもしていた私は、 「その模様(ブランドロゴマーク)が嫌いだから、いらない。」 とむげにも断ったのだった。
東北出身で高校に行かずに理容学校を卒業し、 理容師として単身東京に出てきた母と、 向島の玉の井の花街近くに生まれ育った生粋の職人階層の父が、 どうしてあそこまで子供の靴や服装に、 こだわりを持って選別していたのかは、 いまも聞いたことがないのでわからない。 子どもの頃、靴は絶対に銀座のワシントン靴店に買いに行ったし、 洋服は日本橋の高島屋が多かったと思う。 同じクラスに同じ服を着ている子がいるなんて絶対にいや。 それに靴はいいものをはかないと体に悪い。 そんなことを母はよく言っていた。
だが、その他の余剰なものかなり厳しく買ってもらえなかった。 おもちゃなどは誕生日とクリスマスだけ。 おこずかいも決まった額しかもらえなかったし、 友達が買った大きなぬいぐるみも、 自分のおこずかいから買うと言ってもだめだしが出たくらいだ。
貧しかった子供時代に、 貧しくてもつねにこざっぱりとした服をすること、 家の中をきれいにしておくことを 母は両親から叩き込まれたようだ。 年長の兄に作ってもらったコート、 初めてのお給料で思い切って買った万年筆・・・。 そしてふがいない父の代わりに家族の収入を支えながら、 独身時代には冬山登山をして何度も遭難しかけ、 結婚後はへらぶなつりに血道を上げ、名工の竹ざおを手に入れ、 その手入れを怠らなかったまだ若かった父。 彼らは、誰に教わったわけでもなく、 連綿と続いている店の腕のよさや信頼性、 職人の仕事、そう言うものが値段になり、 その値段は人を裏切らないことを肌身に知っていたのだと思う。
そして今、ブランドに群がる人たちを横目で見ながら、 彼らは名はなくても安くても、品質のいいものを選別している。 ブランドバックなんて持たなくても、今はいいものがあるわよ。 そうかと思うと、いきなりどかんと言う値段を出して、 絶対にいいものを買ったり。 近くの釣堀に名工の竿を持ってほいほいと釣りに行ってしまったり。 そう言うメリハリが、とてもいいと思う。
人間的にも外見的にも大して好きではないし、 どちらかと言うと、昔は嫌いな部類に入っていたのだが、 最近、カズ(サッカーの)と桑田(巨人)に対して、 「よくやってるな〜(感心)」という感情を持つようになった。 怪我をしたり、チームから追い出されたり、 負けてばっかりだったり、ワールドカップに出られなかったり、 結構踏んだりけったりな時期もあって、 いっそのこと、現役を引退して、 タレント活動でも(解説者でもいいだろう)した方が、 精神的にも収入的にも楽なんじゃないの? と意地悪く思う人も多いと思う。 実際私もそう思うし(笑)。 でも彼らは、プレーするのが好きなんだなあ。 最近、そんな単純なことに気がついた。 負けても、怪我しても、例えどこでも、どんな時でも、 きっと彼らはプレーすることに、生きがいを見出しているのだろう。 プレーしている姿こそが、自分自身だと感じているのかもしれない。
不器用な生き方だが、そんな生き方もいいと思う。 なかなか味のある、男の生き様ではないだろうか。
どこかで必ず生きていると信じて、行方の知れない家族を待ちつづけるのと、 死んでしまったとはっきりと知らせを受け取るのと、 果たしてどちらがよりつらいんだろうと思った、北朝鮮からの知らせ。
家族の怒りと悲しみ、やるせなさと疑問。 どれ1つも粗末にしてはいけないと思う。 けれども、国全体があまりにも感情的になって、 せっかく開きかけた門が、 再び閉まってしまうのも防がなければいけない。 それはとても複雑すぎて、 どうしたらいいかわからない問題ではあるけれど・・・。
あまりにも色々負の感情が堆積していて、 糸が解けなくなってしまったように見えていた日本と北朝鮮の間。 でもそれは、北朝鮮だけではなく, 日本と韓国の間にだって、いまだに濁ったおりのように、 同じような負の感情がある。 二度とこんな悲劇が起こらないように。 北朝鮮ばかりを責めるのではなく、 日本に対する負の感情がどうして残っているのか、 そのことも思い出さなくてはいけない。 とてもつらくて、嫌な作業だとしても。
そして拉致された人たちとその後家族の無念さを思うのだったら、 日本にいる弱きものに対して、 脅迫したり、カッターで切りつけたり、 そんなことはかえって彼らの気持ちを傷つけるだけじゃないかと思う。 ご家族はきっと、帰ってこない息子や娘のかわりに、 誰かを傷つけたりなんかは絶対にしたくないはずだ。 家族を奪われる悲しみを、充分すぎるほど知っているのだから。 心無い人たちの行動が、二重にご家族を苦しめるんじゃないかと思う。
一日も早く拉致された方が無事に日本に戻ってきますように。 そして亡くなられた方のご冥福をお祈りします。
続きです。 どうも最近、女子高生乱れる性、みたいな特集が多いんだけど、 確かに、そう言う子達もどうしょうもないなって思うんだけど、 でも! 買う方はどうなってるんだ!!って言いたくもなるわけです。 買う方の常識なしも取材してくれと思うわけです。 そう言うのを「それが男性の性だから。」とかって、 軽軽しく言って欲しくはないんですよね。 こう言われて迷惑している男性だっているだろうし、 我慢することも必要でしょう。 性衝動は泌尿器系欲求とはちょっと違うんだから〜。
自分の孫はそうじゃないんだから、 別に憤慨することはないのだろうが、 少々潔癖な母にしてみたら、どうしても納得できないのだろう。
時折、テレビで現代若者事情的な特集があるが、 その中で取材されていたローティーンの少女は、 関係をもった相手が80人以上。 彼女たちは、10人や20人は当たり前だという。 欲しいものがあるから、これが私たちのバイト、 と言って売春することにも後ろめたさはない。 家に帰ってもつまらないから(そしておこずかいも少ないから?)。
結果、すでに10代でエイズ感染している少女は3人程度確認されていて、 性病は蔓延。 もちろん、この子達は一種特殊なケースだけれど、 制服姿で、発情している子供たちなんて、 今はもう珍しくない光景になっている。 彼女たちを駆り立てるものはなんだろう。 性に対する興味や欲求の強弱は人によって違うので、 早い遅いの差はあるだろうと思う。 早いから悪いとも一概には言えないが、 遅いから恥ずかしい、と言うような風潮が、 なんだか感じられる気がするのは、気のせいなのか。
それにしても、 日本と言う国はなんと女性の性が安売りされる国かと思う。 こんな少女たちに眉をひそめる大人たちは、 新聞や週刊誌や漫画などで、 裸身をくゆらす女性を毎日のように目にしている。 例えば、女優と言う人たちはその映画の中で必要であれば、 惜しげもなく体当たりでその体をさらす。 しかしそれは演技のいったんであるはずだ。 ペネロペ・クルスやヘザー・グラハムは いつもサービス満点にその体をスクリーンで披露してくれるけれど、 裸を見せるだけの写真集など絶対に作らない(作ったら、売れると思うけど)。 ところが、この国の大女優たちは先を争って体を見せるための写真集を作る。 お金のため? それも演技だから?
少女たちが自己弁護をする常套句 「自分の体なんだから、人に迷惑をかけてない。」 そう、自分の体だから、人は誰も守ってくれない。 リスクから身を守るのは、自分ひとりしかいない。
日本では性はかなり安く売られている。 でも、そのことを真剣にそしてオープンに話す風潮はない。 リスクを知らないまま、あるいはリスクを見ようとはせず、 女性が率先して自分たちを安く切り売りしているのではないだろうか。
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