ぶつぶつ日記
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2002年10月01日(火) 先生運

先週から歯医者に行っています。
なんだかちょっと痛い???くらいだったのですが、
歯医者の痛さは苦手なので、あまり痛くない時にさっさと行ってしまいます。
元々歯や骨は家系的に丈夫なこともあり、
あまり歯医者に行かないし、
海外に行ってたり、職場もよく変わるので、
行きつけの歯医者と言うのがありません。
んで、職場に一番近い歯医者に行ってきました。

最近のお医者さんは、インフォームドコンセントがしっかりしてますね〜。
でも先生、説明に感情こもってないです、
ちょっと怖い(^^;)。
でも説明されていたので、治療した所が痛くても、納得は出来ましたが。
かぶせた歯も、なかなかしっかりはまっているようです。
今回の先生運も、まあ当たり〜。

先生運って、良い人と悪い人がいると思います。
それはお医者さんだけじゃなくて、学校やお稽古事の先生も。
考えてみると、私が今曲がりなりにも「センセイ職」をしているのは、
今までの人生の、先生運が良かったからなような気がします。
ずーーっと、優等生の学級委員長でしたが、
決して典型的優等生でもなく、
むしろ先生に対しても、生意気な理論を堂々と述べるような学生でした。
でもそれで怒られるわけでもなく、割と好きにさせてもらえたというか、
頼られていた部分もあったっていうか・・・。

結局、今の仕事を選んだ理由の一つも、
カイロのアラ語の先生たちが良かったから。
ものすごいエンターテナーで、サービス満点、
実際彼らのおかげで上達したと思っているし、
彼らが先生じゃなかったら、こんな風にはならなかっただろうなと言う気すらする。
だから私も、学生が何年か経ってから、
思い出してもらえるような先生になりたいと思う。
そして、自分の先生運は良かったなーと思ってもらえるような。
そのためにはやっぱりサービス精神が大事ですかね(笑)。


2002年09月30日(月) 本当の所は・・・

何気なく言われた言葉で、勝手に傷ついてしまうのは、
いつものこと。
どういう気持ちでそれを言ったのか、
勝手に想像して勝手に納得して、
そしてまた自分を傷つける。
そのことに対して、相手に抗議をする気もないし、
問い詰めることも出来ない。
どちらかというと、
そう言う感情をうんしょっと飲み込んでしまう性質(たち)。

でもその人がどうしてそう言うことを言ったのか、
その裏に何があるのか、
どうしてそう言う風に思うようになったのか、
勝手な想像だけに、全く見当違いなことを思っているのかもしれない。
本当の所は、全然わからない。

そう思ってまた、ちこちこと、自分の傷口に薬を塗っている。


2002年09月29日(日) モルジブが沈む

京都議定書は全然進みそうにない。
なぜならアメリカが反対しているから。
でも、このまま温暖化が進むと、
アメリカだって自然災害を蒙るのは同じだ。
実際アメリカでもトルネードの発生や竜巻、洪水など、
今まで以上に数も増え、規模も大きくなっている自然災害がある。
でも、この国の例えば石油関係の会社の影響も大きいし、
オゾン層破壊による温暖化を懐疑的にみている学者も多いそうだ。

このまま地球がどんどん温暖化していくと、
まず最初にこの世界地図からなくなってしまうのは、
アメリカであるわけがない。
それは太平洋に浮かぶ、自然だけが美しい、
経済的にもまだまだ苦しい島国たちだ。
日本人にもなじみの深いモルジブもその1つで、
大統領は温暖化による海面上昇、
それによる国土の縮小に日々心を痛めている。
とめたいと思っても、とめられない。
そして地球が温暖化しているのは、
決してそれらの小さな国の責任ではなく、
工業化と都市化が進んでいる、
いわゆる西側諸国の栄華のせいだ。

今の、豊かで便利な生活を全部捨てることは私にも無理だけど、
ほんの少しの我慢や生活の変化で、
温暖化を食い止められるのなら、
そう言うことはできると思う。
どこか1つにしわ寄せが来るのではなく、
少しずつ少しずつ・・・。
皆が我慢する。
どうして、そういうこともできないんだろう。
いつかアメリカは自分の国をドームで被い尽くすかもしれない。
その時、きっと日本の国土も、
海のそこにたくさん失われているかもしれない。


2002年09月27日(金) 色あせない

エジ友達(エジプト関係の友達)から2冊の本を借りた。
どちらも書かれたのは私が生まれる前や生まれて間もない頃。
そして残念ながら、今では入手がかなり難しい本だ。
1つはドイッチャーの「非ユダヤ人的ユダヤ人」で、
もう1つはエジプトが誇るノーベル文学賞受賞作家、
ナギーブ・マフフーズの「蜃気楼」
(ちなみに私はカイロ滞在中、彼の自宅のすぐ側に住んでいた。
イスラム原理主義者に襲撃された後、彼の家にはいつも警備の兵士が立っていた)。

イスラエルが建国されてもうずいぶん経ち、
情況は決してその当時と同じではない。
しかし、ユダヤ人として東欧に生まれ、天才的なラビ候補として
重い巻き毛両耳の上にたらして育った少年が、
やがてコスモポリタンなコミュニストとなり、
非ユダヤ人的ユダヤ人として
イスラエル側にもアラブ側にも等しく向けられる厳しい目と、
そこから導き出される解決策は、
これを明日誰かが言ったとしても、
全く違和感がない。

そして現代の日本の片隅にはたくさんの、
マニアルで暮らす小説の主人公が生活している。
その成長過程での愛情過多と対人コミュニケーションの欠落、
不器用さと頑固さ。

本当にすごいものは、時代に関係なく色あせない。
そして人間もまた、時代に関係なく、
同じように悩み、苦しみ、喜ぶのかもしれない。




2002年09月26日(木) とりあえず

今回は提出日を間違えず、何とか卒論申請を出しました。
自分で認識していることですが、
多分来年度に残り全ての単位を取るのは無理でしょう。
その前に、この申請書が通るかもわかりませんが、
とにかく出してみて、それから考えようと思いました。

私は3年に編入した関係で、
スクーリングもほとんど取らなくていいため、
自分が果たしてどこまで進んでいるのか、
実感することが難しく、
幸いにも日本語学校に職を見つけることも出来ているので、
「大学なんて卒業しなくても・・・。」
と何度となく面倒くさくなってしまいました。
でも、今いる場所が最終目的地ではないのですから、
あきらめてはその目的地に行くための、
バス乗り場にすら着くことは出来ない。
そう思い出しながら、忘れないようにしながら、
ここまで単位を取ってきました。

もうちょっと。
もうちょっとなんだ。
それを確認するために、卒論申請をして、
単位も取れるだけ取れるようにがんばろう。
自分で確認する作業が、とても大切です。


2002年09月25日(水) プライバシーの垣根の高さ

実は私はあまり、「言論の自由」という言葉が好きじゃない。
理由は、現在の日本では、本当の意味の言論の自由じゃなくて、
発信する側の自己責任のない、手間勝手な理論を
代弁しているような気がするから。
マンガの暴力シーンや、過剰なセクシャルな紙面や、
そういったものの負の影響力を意識して、
本人たちがそれを行っている分にはまだいいが、
何となく、「ただ部数が伸びればいい」、
「自分たちの手を離れてしまったものに関しては、
それを読み手がどう受け止め、それからどう行動しようと知らない。」
そんな風潮が気になってしまうのだ。

某女流作家の著作が発売停止になった。
彼女もやはり言論の自由の侵害を声高に唱えていた。
私はこの人の生き方自体があまり好きではないので、
本も読んでいないし、
この本がどれだけ訴えを起した女性の
プライバシーを侵害したかはわからない。
でも何となく、万人を感動させることが出来るからと言って、
たった一人の人をないがしろにしていい、
と言うものでもないんじゃないかという気がする。
ましてや彼女たちは面識があり友人関係を築いていて、
明らかにその女性の話を元に小説が書かれたとしたら。
それも彼女たちの関係が良好であれば許されたことかもしれないし、
感情論にまで発展してしまう問題なので、
なかなか難しいものではある。
ただこの女流作家の生き方、
自分の人生を赤裸々に語る所を見ると、
多分、彼女自身のプライバシーの垣根はとても低い。
垣根の高さは家によって違う。
目に見えないプライバシーを守る垣根も、きっとバラバラ。
彼女は自分のものさしで、
他の人のプライバシーも見てしまったのだろう。
でも高さがとても違っていたんだよね。
そう言うことは、日常的にもありそうだ。








2002年09月24日(火) 逆切れさせないために

様々なマスメディアで、北朝鮮との問題をアンケート調査しているが、
国交回復は急がなくてもよいが、
調停は必要という答えが、調停を即刻中止せよ!
という回答を上回っていた。
もっと感情的になっていると思っていたが、
それでも見るべきところはみな見ているわけなんだなーと思う。

今回、拉致問題に関しての発表は、
(信用しきれない部分もあるが)
日朝の間の進展であったとやはり言えると思う。
その反面、(信用しきれないとしても)これだけの事を発表するからには、
北朝鮮側に切迫したものがあるのではないか、と推測も出来る。
そしてもし、この発表を受けて、
日本側が交渉を打ち切ってしまったとしたら、
今までのことを考えても、北朝鮮が、
「そうですよね、私たちが悪かったんですよね、
だから反省しますから交渉してください。」
などと思う国であるわけがなく、
「なんだよー、こっちはこれだけやったっていってるだろう、
聞くだけ聞いておいて交渉止めるってのはどういうことなんだ!
やっぱり日本は信用できない!」
と逆切れされるのが関の山。
そうなったら東アジアの安全は、またもや風前のともし火、
になってしまうと考えられる。

なんであんな国に援助だのなんだのしなくちゃならない!
というのはもちろん私もそう思うのだが、
野放しにしておけないのだったら、
監視しておく必要はあるだろう。
そのためには、ベールを被った国のままにしておくわけにはいかない。
問題児をなだめすかし、理解し、更正させるような忍耐力が、
私たちには必要なのかもしれない。


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