ぶつぶつ日記
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2002年10月18日(金) 本がきた!

家に帰ったら本が届いていた。
作るのに、私が関わった本。
と言っても、最近匂わせているものではないんですけど。

ずいぶん前に手伝った、中国で出版するための日本語の本。
先生のポケットマネーから私へのバイト代が出ていて、
そのバイト代のほとんどは、
先生の研究室に通うための交通費に消えてしまったように思う(苦笑)。
でもやっておけば、何がしかのキャリアになるかなと思って、
最後までがんばったのだけれど。

北京出版社と言うところから出されたその本は、
背表紙に先生の写真も載っている、
思っていたよりも立派な教本になっていた。
実物の先生は、もっとハンサムなのにな〜、
などと思いながらページをめくってみた。
ああ、この絵は書くのが大変だったんだよーとか、
これはやっぱり良くなかったかなーとか。
色々なことを思う。
そして、最初の方に私の名前もちゃんと見つけた。

この本がこれからの私に、どんな機会を与えてくれるのか
全然わからない。
むしろこの本があるからと言って、何かが変わるとも思えないけれど、
やはり、何かが形になるのはとてもうれしい。
これからも、続けたことが少しずつでも形になっていけば、
それでいいと思う。




2002年10月17日(木) 構想3分

構想はいつも3分。
こうする!って決めるは時間が短ければ短い方がいい。
いつも何かを決める時、何かをする時、
長い間悩んではじめたことは、
結局うまく行かなかったり、中途半端で終わったりする。
「やる!」と決めるまでに時間がかかっちゃだめなんだ。

もちろん、それを実現するのは3分ではとても無理(笑)。
時間もお金もかかる。
でもやりたいこと、やることを自分の中でいきなり決めて、
それにむけて着々と準備をするのは好き。

さあ、今回も構想は3分。
そしてあっという間に情報も集めた。
着々と、動き出しましょう。

来年の私をお楽しみに!



2002年10月16日(水) 時間の流れ

最近、なんだか一週間がとても早く終わってしまう。
それは仕事や私生活が充実しているってことではなくて、
急かされて追われて時間が過ぎ去っていく感じ。
だから、あまり達成感や充実感はないし、
気持ち的にどんどん余裕がなくなっていくような感じ。

時間は、本当に主観的で、全然一定のリズムじゃない。
ゆったりと過ごせる時間。
ぐずぐずして全然進まない時間。
楽しすぎてあっという間に過ぎていく時間。
何かに追われてふと気がつくと逃げてった時間・・・。

自分の感情は、ある程度コントロールできる。
それもなかなかストレスがたまるけれど、
時間は全くコントロールできないものの1つ。
なんとなく、「モモ」の灰色の男たちになっている気分になる。
1つ違うのは、貯めておくための余った時間などないことだ。


2002年10月15日(火) しっかりしてちょうだい

世の中色々ビックリすることは多いのだが、
最近ますます思うようになっているのは、
いい大学を出て、
いわゆる一流な会社で働いているからと言って、
一概に常識があるわけではないし、
ましてや仕事ができるとか、
マネージメント能力があるわけではないんだなってことだ。

あの大学を出て?
あの会社で部長してて?
で、なんでそんな簡単なこともわからんの???
で、本当にそんな経営方針で大丈夫なわけ???
というのを身近で感じていると、
もしかして、ほとんどの会社のお偉いさんが、
こんな感じなんだろうか?と、
冷たい汗が流れてくる。
もしそうだとしたら、
そりゃ日本の経済、よくなるわけないよな。

どなた様もこなた様も抜本的改革の前に、
いらん、しかも勘違いしているじじい連中に、
物理的に消えてもらった方が、
簡単に会社は好転するかもしれない。
そして腹立たしいことに、
こういうじじい連中ってのは、
私たちの何倍も給料もらってるんだよね。
頼むから、しっかりしてくれ!!!
それが出来ないんだったら、
若いもんに任してください・・・。


2002年10月14日(月) うれしくない、「エジプト式」の輸出

バリでテロ事件があった。
イスラム過激派の犯行の線が濃厚のようで、
実際またしてもがっくり・・・と言う感じである。
インドネシアは世界でも一番イスラム教徒の多い国だが、
事件の遭ったバリはちょっと違う。
バリヒンズーの色が濃く、それを求めての観光客が多く、
島自体も潤っているようだ。
そこを、狙われたのだろう。

あ、エジプト式。
ニュースを見てすぐにそう思った。
何がエジプト式か。
それは観光地で観光客を狙い撃ちするやり方が。
不名誉なことだが、この方法を一番最初に
組織的に行ったのは、
エジプトのイスラム過激派である。
ルクソールでのテロの記憶も、まだまだ新しいだろう。
その前からずいぶん、外国人観光客が狙われるテロが起こっていたのだ。

バリも、エジプトも、
おもな収入は観光による。
観光客がテロで命を落せば、その唯一ともいえる産業が滞り、
エジプトの場合は仕事を失った人たちの不満が政府に向かう・・・。
そう言う図式を狙っている犯行である。
そして、大体において、観光客は非ムスリムであるし・・・。

世界は確実にリンクされていると実感する。
しかし、それはうれしくない、苦い実感である。


2002年10月13日(日) 少しだけ、豊かな気分

まだ乾燥しきっていない、
フレッシュなローズマリーをもらった。
はてさて、どうしよう、うれしい悲鳴。
おすそ分けをおすそ分けして、
それでもまだまだたくさん。

ローズマリーの匂いは、なんだかしゃきっとさせる。
元気が出る匂いなのだ。
天井からぶら下がっている小さなかごにいけてみた。
きっと不機嫌に仕事から帰っても、
匂いが迎えてくれるだろう。
それだけで、少しだけ豊かな気分になれる。


2002年10月11日(金) 難しい仕事

ようやく、その本を手にした。
ずっと、何年も、ある本を読んだ時から、
名前も知らないその本を読みたくて読みたくて。
しかしその本は、それを私に教えてくれた人の訳ではなく、
全く新しい本として再度登場してきた。

「翼よ、北に」アン・リンドバーグ。

これを訳した人のプレッシャーはどんなものだったろうと、
「サヨウナラ」と題された最後の章を開いて思う。
多分、この本を買った人のかなりの数の人が、
まさに、この章を待っていたのだ。
そしてほとんどの書評も、この章にふれている。
「須賀敦子」という人の名と一緒に・・・。

須賀さんが私たちに残してくれたたくさんの、
形容しがたい宝物のような記憶の断片。
その中でもひときわ鮮やかに記憶される、
アン・リンドバークの「さようなら」。
私たちはアンが書いたのでもない、
そして多分一番最初にその本を訳した人の文章でもない、
須賀さんの記憶の言葉として語られた文で、
「さようなら」の意味を知った。

他の章は多分、訳者にとっても楽しめたのではないかと思う。
でもこの章を訳す時、その人はどれだけ緊張しただろうか。
どれだけの言葉が書いては消され、消されては書かれただろうか。
英語で書かれたものは1つしかない。
でもそれが日本語に訳される時、
訳し手の言葉を選ぶ感覚、受け取り方、言葉の配置、
そんなもろもろの事で、同じはずの文の印象は
天と地ほども変わることがある。
ましてや、これを読むだろう未知の読者のうち、
一体何人が須賀さんを通してこの本を読むことを待っていたか考えた時、
筆の進みが速くなったとは到底考えられない。

比べるのはやめよう。
須賀さんの文章と、今回の訳と。
いつだって、思い出の中の文章の方が美しいものなのだ。
訳者の緊張を伴った難しい仕事、
それがあるから、私たちはこの本に出会えたのだから。
そして出来たら、
アン自身の言葉を読んでみたいと思う。
私自身の、言葉の理解で。


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