ぶつぶつ日記
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痴漢やストーカーなど、行う方が完全に悪いとは思うものの、 気がつかないうちに、それらを呼び寄せてしまうことがあり、 巻き込まれないためには、 ある程度自衛の意識をもたないとだめだ、 と思うことが先週あった。 ほんの些細なことだけれど、見ていてかなりドキドキした。 そしてそれは犯罪に結びついていないので、 注意をする勇気もこちらにはないし・・・。
仕事から家に帰る道すがら、いつもの地下鉄。 私の隣には、ちょっと小汚いおたっきーな男性が座っていた。 別にそれをとやかく言うほど心は狭くないので、 日常的な雰囲気。 次の駅に着くと、隣の男性が席を立った。 何気なく降りるであろう、その男性を目で追っていると、 なんとこの人、降りない。 そのまま斜め前のとある女性の前に移動。 「?」と思い、今度はその女性を観察すると、 この女性、浅めに椅子に座り、 一心不乱に何かを書いている。 手紙?レポート?とにかく何かはわからないが、 夢中で書いている。 そして、ぞーっとしたのが、私の隣に座っていた男性は、 彼女の前に立ち、彼女が書いているものをじーっと読んでいる! 彼女が手紙を斜めにして彼の位置から見えなくなると、 右に左にかすかに移動して、彼女の書いているものを読もうとしている。 その上、女性は書くことに夢中になるあまり、 ミニスカートが腿のかなり上の方までめくれていることに、 全く気がついていないのだ。 私の席からそれが見えるってことは、 今彼女の前に立っている、私の隣にいた男性にも見えていただろう。 怖い、怖すぎる・・・。
幸いにも男性の方が先に下りていった。 でも、こう言う「出会い」がストーカー行為に発展したり、 痴漢行為になったりすることはないんだろうか? きっとあるような気がする。 電車の中での化粧もそうだが、 年齢にあまり関係なく(実際上記の女性も30歳くらいだった)、 公共の場で自分の世界に入り込んで、 周りが全然見えなくなる女性がとても多い気がする。 そしてそう言う行為が自身を犯罪の渦中に引き込むこともあるだろう。
平和と水と空気はただ・・・。 以前はそうだったかもしれないけれど、 残念ながら時代は変わってしまった。 自衛すること。 女も甘えてはいられないのだ。 それは自分を守るために。
ああ゙〜またやってしまった・・・。 うっかりミスによる書類提出忘れを(−−;)。 願書も買ったのにな〜。 心の中で受けることを拒絶してるのかもー。 いかんなー、なんか余裕がなくなっているのか、 興味の方向が完全に別の方に言っちゃってるのかもしれません。 こう言うのって、日本語教師には向いてないのかなー。 日本語だけに集中できないとだめなのかなー。 でも仕事だけだと、もっと行き詰まっちゃう。 もっと将来が不安になっちゃう。 それにしても、ああ゙〜〜〜。
2002年10月24日(木) |
なりたい自分(おしゃれ考その2) |
なりたい自分と本当の自分、とか。 似合うものと好きなもの、とか。 そう言うものが一致しない人は結構多いんじゃないかと思う。 実際、体型などでどうがんばっても着られない服もあるだろうし、 どうしても似合わない色もあるだろう。 じゃあ、大して好きじゃないものでも、 自分に似合えばそれで良いんだろうか。 私はそうは思わない。
おしゃれって言うのは、食事にちょっと似ていると思う。 生きていくだけの最低限の食事なら、大してこだわる必要はない。 とりあえず健康に気をつけるだけなら、味は二の次でもいいだろう。 でもものすごい好きな食材だって それを生かせない料理じゃあまずいって思うし、 大して好きじゃない食材だったとしても、 「うううーーん!」とうなるほどおいしいものもある。 楽しくおいしく食べたい!って思ったら、かなりの工夫が必要。
似合う服と好きな服、多分この差は、 イメージの問題なんだと思う。 周りがとらえている自分と、自分がなりたいイメージって言うのは、 結構な差があるものだ。 じゃあ、周囲の人がとらえている自分のイメージは 本当に自分の内面と一致しているんだろうか? そんなことを考え始めると、おしゃれ考というよりも 自分探しの旅という、壮大で深遠で不毛な話題になってくるけど、 もしなりたい自分があって、今の自分とは微妙にずれているのだったら、 軌道修正してみる価値はあると思う。
ボーイッシュな服ばかり着ているけど、 実はどこかで楚々としたお嬢様風に憧れているなら、 自分に似合う楚々とした服を探して足を棒にしてみれば良いとおもう。 本当はおとなしい女の子よりも、ちょっとビッチっぽい女の子に憧れるなら、 いつもよりマスカラを濃く塗ってみるとか。 それも、1回や2回であきらめちゃだめ。 変えた最初は違和感があるものだから。 変だなー、おかしいなー、やっぱり似合わないのかなー、 そう自問自答してしばらく我慢(最低でもワンシーズン)。 ある日、なりたい自分が鏡の中に見られる人もいるだろうし、 どうしても違和感がぬぐいされない人もいるだろう。 そうしたらまた、軌道修正すればいいのだ。
何度でも何度でも、 命短し、おしゃれせよ、乙女。
2002年10月23日(水) |
マニュアルはない方が楽しい |
手作り化粧品でお世話になっている人とメールをしていて、 「マニュアルがないと不安な人がおおいみたいです。」と 言う話しになった。 手作り化粧品は確かにお肌に良いんだけれども、 どうしてかわからないけれど、 合わないとなるとてきめんに痒くなったりする。 そして、今まで大丈夫だったはずのものも、 体調によっていきなり使えなくなったりする。 これはしばらく経つとまた使えるようになるのだけれど、 こういう状況に戸惑う人が多いらしく、 明確なマニュアルが欲しくなるのだろう。
そんな話があって、今朝新聞を見ていたら、 同じような記事が載っていた。 原宿にある絵本の店でも、 あまりに要望が強すぎて年齢別の区切りをはじめるという。 主催者の人にしてみれば、そんなことはしたくない。 乳幼児なんて特に年で区切れるものではないし、 いくつだからこの本を読まなければならないとか、 逆に読んじゃだめとか、そんなルールはない。 その時に興味を持ったものを読ませればいいはずなのだが、 とにかくお母さんが何らかのガイドがないと 本を選べなくなっているらしい。
パソコンの操作もそうだけれど、 意外とプロでやっている人たちに限って、 マニュアルを重視していなかったりする。 習うより慣れろ、って感じなんだけれど、 それが一番難しいのだろうか。
私もマニュアルは好きじゃない。 もちろん最低限守らなければいけないコードって言うものは存在するが、 マニュアルとはちょっと違う。 コードをある程度守って自由に行動する所には、 創造性とかそう言うものが存在してくる。 でもマニュアル通りに何かするのには、 創造性とか工夫とかって、全然必要ない。 そして万が一マニュアル通りにならなかった時の対処は、 そう言うマニュアルには載っていないのがセオリーだ。
失敗しても回り道しても、自分の頭で考える方が楽しい。 絵本だって子どもには難しすぎることもあるだろう、 つまらないって言われることもあるだろう。 化粧品だって合わなくて、材料が無駄になることもある。 でも考えた時間と言うのは、絶対に無駄にならない。 なぜなら、人間は「考える葦」なんだから。 考えない先には、「創造」というのは生まれてこないのだ。 創造がなくなったら、この世界はとってもつまらない。 そう思いませんか?
2002年10月22日(火) |
おしゃれ考(多分その1) |
電車の中で、時折ものすごいブスな子を見かけると、 「自分のことがわかってないなー。もったいない!」 と思ってしまう。 顔の造作というのはそう簡単には変えられないが(手術が必要だし)、 自分に似合ったかっこができれば、 ブス度は限りなく下がっていく、と言うのが私の自論である。 実際、スタイルも悪くない、顔もまあまあなのに、 全然垢抜けない、パッとしない人も多いでしょう? そう言う人を見ると 「この人は子供の時から、自分自身に似合うものを探すことも、 その訓練もしないで、 無難な服、無難な髪型、無難な化粧で過ごしてきたんだろうな。」 と思う。
生まれながらにおしゃれな人、って言うのは実際にいないと思う。 生まれながらにして備わっているのは、 おしゃれを楽しんで追求できるか出来ないか、 その興味の度合いの強さであると思う。 興味が強い人は子どもの頃から常にアンテナを尖らせて、 たくさんのものを見て、着て、そして大失敗して(笑)、 自分の似合うものを選別する能力を鍛えてきているのだ。 化粧もそう、髪型もそう。 流行のものを取り入れればそれでおしゃれ、 には残念ながらならない。 大事なのは「選別能力」。 どれを取り入れ、どれを捨てるか。
そして最後に必要なのは、まっすぐに前をみて、明るく輝く表情! 辛気臭い美人より、明るいブスの方が、絶対に素敵だから。
同僚とは話合った。 大してかわった事はないけれど、 取り合えず、連絡はきちんとすることにした。 今までは同じ部屋にいる気安さで、 あまりきちんと「ミーティング」を持たなかったけれど、 これからは意識してそう言う機会を持つことにする。 私の職場の人々は、平気な顔で 「それは私の仕事じゃないから知りません。」 と言い切ってしまうけれど、 少なくとも小さな同じ部署の人が何をしているか、 完璧に判っていなくても、 その人が休んだ時にある程度対処できるようにしたい。 学校全体がそうなるのは果たしていつのことやら。 でも、私たちのところはそうなりたい、そうしたい。 それは同僚も私も、お互いが思っていることなのだ。
気持ちを引き締めて、やっていきましょう。 そで触れ合うもなんとやら。 とにかく2人きりの部署なのだから。 気持ちを引き締めて、一から仕切りなおし。
久々に同僚に爆発してしまいました・・・。 おかげで一気に精神消耗の週末。 悪い人ではない、むしろ良い人。 その上真面目で、異常に要領が悪い。 そして日本語の先生なのに、口も重い方。 でも負けず嫌いだから、 どこからどこまで手伝ったらいいのか、 果たして手伝って欲しいのか、 計りかねてはや何年・・・。 授業とPCのことと、兼務していて手一杯なのがわかっているし、 色々聞いても答える時間もおしいだろうな〜などと思って、 聞かない私もわるいのですが・・・。
これが数人の部署ならまだ薄まるのだけれど、 たった2人の部署なので時折、 「一体私が何のためにここにいるのか、わかってるのか???」 と言う気持ちになってくる。 いなくていいんだろうか。 そう思ってないか?と言うことを時折無意識にしてくれるのだ。 悪気がないと判っていても、馬鹿にされたような気になる。 いることが必要なら、時には相談もしてもらいたいし、 仕事と割り切っているから、やるべきことはやると言う気持ちは、 私にだってある。
いい人だからといって何を考えているかわからないと、 本当に判断つきかねる。 私のような単純者には、どうしたらいいかもうわからん。
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