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2005年01月18日(火) 早起き

ただいま午前7時40分。こんな時間に起きているのは私にしては珍しい。
昨日はなぜか11時半頃には眠気がもよおし、そのまますっと眠りにつくことができた。目覚ましをかけていなかったのだけれど、今朝は6時45分頃ふと自然に目が覚めました。気分がいい。夜になると、もっとやらなければ、というような気持ちになったり、一日にしたことが不十分に思えたりすることがある私だけれど、昨日は早めに休んで、今日、こうして早起きをして、すがすがしい気分を味わうと、なんだか嬉しくなる。


2005年01月17日(月) 普段の一日に戻って

目標としてがんばってきたコンクールが終わった。
今回は予選落ちしましたが、やはりベートーベンを約4ヶ月という私にしてみれば短期間で仕上げられたし、最後に先生の前、他の学生たちの前でピアノ伴奏で演奏したときは先生はその出来に本当に喜んでくださったので、私はもうすでにそれで満足でした。

今日は明日の室内楽やオーケストラのリハーサルの準備と生徒たちへのレッスンで一日が過ぎていきました。ベートーベンとの熱く激しい対話を繰り返していた日々に比べるとなんと穏やかで余裕のある一日。

演奏会やコンクールがあってもなくても、このように穏やかで余裕のもてる一日を送っているのがいいのだろうな、と思いつつ、自分にとって無理のない、と同時に建設的になれる練習量、勉強量、と同時はいったいどの程度のものなのか、と考える。

コンクール前後の日記はこれから少しづつ加えていきます。


2005年01月07日(金) クラス内演奏:ベートーベン協奏曲(全曲)

一日中雨。今朝は楽器に楽譜やノートの入ったバッグ、そしてコーヒーを片手に、傘をさしながら歩くのはなかなか大変でした。寒いので今日は手袋も忘れずに。先日、手袋をせずに歩いていたら手がものすごく冷たくかじかんでしまって、痛みすら感じるほどだったし、その後、楽器を持ったときにウォームアップにかなり時間がかかったので。

今日はクラスで他のヴァイオリンの学生たちの前でベートーベン演奏。やはり耳の肥えた聴衆を前に演奏するということで、多少の緊張がありました。そういうときは音楽に集中するのが難しくなってしまう。やはりこんなときこそ良い練習のを積み重ねのみが頼り。ベートーベンの冒頭はとくに難しくて有名なので、それを念頭に練習しているけれど、やはりまだまだ充分な練習を積んでいるとはいえないよう。(笑)2楽章ではバリエーションをひとつスキップしてしまうというハプニングがありました。(笑)こんなことはこれまでで初めての経験で、少しびっくり。でも、今日経験できてよかった。

今日の演奏の録音を聴いてみて、なんだか興奮してしまった。私は私自身ののベートーベンを好きだと思えるようになってきたから。今日の演奏は音が美しく、音楽的な意図が大分はっきりと見える、また自然な流れのあるもので、もちろん、音をはずす、音楽をスキップするなどの傷はあったけれど、私の演奏としてはいい出来だったと思った。演奏しているときは少し集中力に欠けていたので、決していい演奏ができたとは思わなかったけれど。(笑)

5日にレッスンを受けたときには音色のことについて注意を受けたので、それ以降それについて考え、実践した。ピアノであっても楽器が鳴っている状態を保つ。あたりまえのことではあるけれど、それができていなかった。やはりししっかりとした音を出そうと思うと弦の表面だけをこするような弾き方はできないし、そうなると自然に音量も少し上がってしまう。以前はそれが怖くて、ピアノとかかれているところがWeakな音になってしまっていたように思う。録音を聞いてみるとその差は歴然。恐ろしいほど印象が違うし、今の方がずっと良い。まだまだ自分のものになっているような感覚は薄いけれど、音色の大切さについては身にしみて感じている。


2005年01月05日(水) 大学院冬学期開始、「あなたは偶然に存在しているのではない」

とうとう大学院が始まってしまった。金曜日から授業が始まるのが常だったけれど、今年は水曜日から。なんとなくいつもと違うリズムに戸惑いを感じながらも、一日が無事に過ぎていった。

今日は先生の前でベートーベンを全楽章演奏する日。とりあえず、今日を目標に毎日一生懸命練習してきたし、その成果を出せたように思う。そのときの録音は後で聞き、細かな点はそのときに反省するとしても(笑)、過度な緊張をすることなく流れをもって弾き通すことができたことをとても喜ばしく思う。先生も「休みの間、いい練習をしてきましたね」と言葉をかけてくださった。

私の生徒のお母様でクリスチャンの方がいるのだけれど、その方からある本を借りている。つい最近になるまで忙しさにかまけて開くことがなかったのだけれど、ここ数日になってようやく少しづつ目を通している。

その一節に「あなたは偶然に存在しているのではない」とあった。「神は私が生まれる前から私をご覧になっておられ、私がまだ呼吸を始めないうちに私の生涯1日1日のスケジュールを作られました。」(詩篇139:16)(LB)とにかく、神は私を神のお望みのようにおつくりになり、また私に対して、緻密なプランがおありになるという。ふと思うとこれは初めて耳にしたことではないけれど、今の時点の私にはとても深くゆっくりと確実に心の奥まで染み通ってくる。

今回のコンクールのことでも、やはり練習を重ね、演奏がある程度のレベルに達するとやはり勝つことが頭の片隅に浮かんできてしまう。けれども、もうこのコンクールの勝者は神によって決定付けられていて、私は私のベストを尽くすのみである、ということがはっきりすると、不安が消え、とてもすがすがしい気持ちになる。

また、外出時、とくに移動の時になると時間を無駄に使っているような気持ちになって、ついつい急いでしまうのだけれど、この瞬間に私が歩くことはすでに神によって予定されていた、と思うと、ではその時間を充分に楽しみたいいう気持ちがでてくる。気持ちが落ち着いて、道端の草花や木々に目が向いたりする。

「主は私に対するご自分の目的を果たされる」ために私を動かしてくださっている。そう思うととても気持ちが楽になる。私がいくらあがいても、辛い、苦しい思いをしても、ある意味では何も変わらない。そう思うと何も心配の必要がなくなる。自分でコントロールしよういとするのではなく、神の与えられた流れにうまく乗りたい、身を任せたい。そう思うと肩の力が自然と抜けてくる。

また私たちには二人のマスターは要らない、というようなこともかかれてあった。ときどき、私は自分の先生の言葉に翻弄されてしまうことがあるけれど、やはりまず神の言葉に耳を傾けなければならない、と感じた。

私はまだ未熟なので、この本に書かれていることを全て理解し、受け入れられているわけではないというのが本当のところで、疑問もたくさんある。けれども、上に書いたような概念を深くAppreciateできるだけでこの本に出会った価値は充分にあると思うし、それこそお導きだったのだろうと思う。この本を貸してくださった生徒のお母様にもお礼を申し上げたいと心から思っている。


2005年01月01日(土) 新しい年を迎えて

何人かの人と言葉を交わし、必ず「あけましておめでとうございます」と新たな年を迎えて喜ばしい挨拶を交わしているけれど、つい先日のインドネシアスマトラ沖でおこった津波の被害は大変なもので、「おめでとう」といいながらもふとそのようなことがおこっている現実を心の片隅で痛みに思っている。

そんなことを心の片隅で感じながらも、私は私なりに新年を迎えている。昨日の大晦日には日系マーケットへ買い物へ行き、おせち料理のようなものを求めてきた。毎年テレビで眺めているニューヨークのタイムズスクエアのカウントダウンに年越しそば。

今朝は夫と新年のあいさつを交わし、お雑煮と巻き寿司ではじまり、午後には日系マーケットへ琴の演奏を聞きに行ったり、アメリカの書店でカレンダーを求めたり、またその店内のカフェでコーヒーをいただきながらのんびりと気になる本に目を通してみたり、夫と持参した新聞のクロスワードを楽しんだり。結局、夫の体調のせいでその後、モールを歩き回ることはあきらめて帰ることになったけれど、愛猫のえさを求めに家の近所の小さなDepartment Storeに立ち寄った。必要なものをカートに入れてうろうろしていると、ふと目についたものがあった。「これは夫へのプレゼントに最適!」とひらめいて求めることにした。

なんだか少し具合が悪いという夫を車のなかで待たせてしまったのは申し訳なかったけれど、これは絶対に喜んでくれるという確信をもっていた。帰宅後早速ラッピングをして、夕食前に、あたかもクリスマスの当日かのように、プレゼントを渡す。それはベッドトレイ。ベッドの上では折りたたみになっている足を出して使えるトレイ。彼は睡眠が不規則になることが多く、そんな眠れぬ時間をベッドの中でクロスワードをしたり、軽食をとりながら過ごすので、とても喜んでくれた。

夕食には昨日求めた大ぶりのえびを調理し、おせちとともに頂いた。

今日は練習も休んで本当にゆっくりして、楽しい一日となりました。


2004年12月30日(木) 人を遠ざけている?

今朝は6時半頃の目覚め。
それは気持ち良い目覚めではなくて、歯痛のせい。
でも、普段は見ることのない日本語放送に触れることができました。

毎日の生活の中心には練習があって、
昨日、メールで私の意思の強さに感心すると同時に立ち寄り難いものすら感じるというコメントを頂いて、ふと考えさせられました。
練習をすることで、他のことから逃げてしまっているかもしれない私。
練習(努力)は絶対に私を裏切らない。
でも、人は毎日変化し続ける。
そんな変化によって、多少傷つくこともあって。
だから、コンクールなどを理由に練習に没頭して、
人を遠ざけてしまっているのかも。


2004年12月29日(水) やっぱりダメだ…

今日は全楽章暗譜でベートーベンを録音してみた。

ダメだ…
音楽的にあいまいなところがあるし、
カデンツや3楽章などでは音程が不安定な部分もある。

昨日は間に合う!と大喜びだったけれど、
しっかりと地に落とされた感じ。(笑)

でも、やるしかない。


けい |MAIL

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