ロングバージョン
破水しているので、おなかの中にもお子をあまり置いておけない。
6:00から子宮口を開かせる薬を飲むことが決まった。 横のLDR(陣痛から回復まで1つのベッドで過ごす部屋。) では冷静にお産が進んでいる。
3:00頃から陣痛が10分間隔になるが、 まだ耐えられると思っていた。
6:00に薬を1錠飲む。 30分おきに飲むようだ。 飲んだらすぐに陣痛がきつくなった。 すぐに旦那に電話する。 タオルとお茶の追加を頼む。もう、あとはのた打ち回るしかない。
7:00前に旦那がくるも声も出ない。 さすってもらう指示も出せない。 喘息が出ないか様子を見ながら、 結局、3錠飲む。
いきみたい感じというのが、妊娠中はさっぱりわからなかったが、 要はトイレに行きたくて仕方がない感じ。 トイレから出られなかった。ずっとトイレにいた気がする。
9:00前に子宮口が全開になっていたようで、 あわててLDRが準備される。
やっといきんでいいと言われる。 此処の産院はソフロロジーという呼吸法で出産する。 ラマーズみたいな呼吸とは違って、 ひたすら、息を吐くことを意識する。
旦那はずっとトイレにいると思ったらしく、 旦那がいない。看護婦さんに呼んで貰う。 すぐにDr.も来た。
え?もう生まれるの??って感じ。 酸素をもらいながら、必死に呼吸する。 頭が見えたりするらしい。もう、必死。 できるだけ、長く息をしようとする。 9:46 3,232g で生まれた。 すぐに泣いた。 心音も0にならなかった。
旦那を見たら、顔を真っ赤にして泣いていた。 あたしは泣かなかった。というより、泣けなかった。
旦那がへその緒を切る。 血が天井まで飛んでしまって、一同大笑い。 先生も、院長に叱られるから、拭いといてー。と看護婦さんに言う。
お子がきれいになる間に処置。会陰切開の時の麻酔の痛かったこと。 聞いてへんて、そんなこと。 処置も時間がかかる。 そんなに縫うの?って感じ。 頭は妙に冷静で、先生と、 さっき生まれた子がへその緒が巻いてて大変で・・・。なんてハナシをする。
処置が終わって、旦那とお子が戻ってきて写真を撮ったり。 LDRで2時間を過ごす。 産院はめっちゃセレブな病院で、食事も豪勢。 朝食は旦那がほとんど食べた。
車いすで部屋へ。もちろん個室。 少し眠った気がする。 動けないので、介助が必要。 だんだんと傷が痛くなる。 歩けない。
旦那は面会時間一杯までいくれた。
誰もが、掃除のおばちゃんまで旦那に似ているというらしい。 それはそれで嬉しい。 でも少し寂しい。
夜に実母と種違いの妹が来てくれた。
2004年10月19日(火)
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今日も検診へ。 行く気がなくて、仕事中の旦那に送ってもらう。
結果。 明日、入院することになった。 あたしの胎盤の機能が落ちているのと、 予定日を5日過ぎているのもあり、陣痛を起こさないといかんらしい。 おまけに、またお子の心拍が落ちる始末。
お子も下がってないし、子宮口も開いてないしで、 まず、子宮口を開かせる薬を飲むよう。 その薬が喘息を起こす可能性があるらしく。 (あたしは喘息もち。)
いきなりの帝王切開は抵抗があったので、まずは薬を選択した。 そこから、うまく子宮口が開けば、陣痛促進剤の投与となるらしい。
喘息が出たり、陣痛が起こらなかったら、明日の夕方に一旦帰宅。 そこから、帝王切開になるのかな。
数日中には娘と会えるはず。 しかし、縁起でもないことに今日、妊婦が帝王切開で死亡って ニュースを耳にする。
はぁ。 今までの親不孝が今になって一気にかえってきたよ。 妊娠生活も悪阻に悩まされた以外は、 体重も順調だったし、運動もそれなりにこなしてきたつもり。 今になって、えらいことに直面してる気がする。 気がする。じゃなくて、現実なんだけどさ。
お子が無事であってほしいのと、 旦那にどうしてもへその緒を切らせてあげたい。 そのためには、あたしの喘息が出ないことを祈るだけ。
日記が更新されなくなったら、生まれたか、もしくは・・・・
------------- <追記> 入院準備や夕食の支度をして、洗濯物をたたみ終わる。 みんなにも電話して入院の旨を伝えた。 19:00頃バツッバツッと音がした。何がなにやらわからずトイレへ。 破水だった。
あわてて、お子のオムツをあてて、やよいをゲージへ。 旦那に電話して、家の近くだったので迎えに来て貰う。 車の中で陣痛もくる。20:00に病院へ。
NST(分娩監視装置)をつけると、陣痛は2〜3分間隔。 そのうちに4〜5分に遠ざかる。 ごはんを食べているうちになくなってしまった。
24:00まで旦那に付き添って貰うが、生まれそうもないので、 帰ってもらうことにした。
2004年10月18日(月)
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