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| 2004年09月01日(水) ■ |
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| 「ホテルカクタス」集英社文庫 江国香織 佐々木敦子 |
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「ホテルカクタス」集英社文庫 江国香織 佐々木敦子 3人はたまたま住み始めたアパートの住人で、そしてすぐに友人になる。3人の関係は微妙に素敵である。3人の性格は見事に違う。3人とも同じ女の子を好きになり、同時に振られる。女の子は3人の弱点を見事に付いていて見事だ。「一人はちょっと軽薄だし、一人はとっても優柔不断で、一人はひどくむさくるしいんだもの」そういう風に性格違う3人だが、いいところもある。一人はさっぱりしていて、一人は几帳面で、一人は懐が深いのです。3人は毎日のように部屋に集う。3人はお互いを尊重して干渉しあわない。
これは人と人との素敵な関係を描いた「寓話」である。3人はそれぞれ違う孤独を抱えているが、外的要因でアパートを立ち退くまで「関係」を続ける。3人は同じ競馬を楽しみ、女の子に振られ、同じ音楽に感動し、旅を愉しむ。人生で必要なのは、そういう関係なのかもしれない。
私はむさくるしいけど懐の深い「帽子」がお気に入りです。彼が二人には決して語らない「思い出」をアパートの中庭にいる黒猫に語るところが好きです。
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| 2004年08月31日(火) ■ |
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| 「蹴球戦争フットボール・ウオー」文春文庫 馳星周 |
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「蹴球戦争フットボール・ウオー」文春文庫 馳星周 02W杯観戦と99から01年の欧州「フットボール」観戦を日記で綴る。
自他共に認めるサッカーファンの文章である。ここには試合の解説など微塵もない。試合の日、どのように朝を起き、飯を食べ、電車に乗り、スタジアムに何時に着き、試合を見て家に帰ったか、要するにそれだけの文章が続く。その中で馳はひたすら怒り、感動し、叫び、憮然とする。そうだ、2年前のW杯の日々、馳ほどではないが私もテレビを見ながらそういう日々を送っていた。
私はひたすら馳の文章に共感し、知らなかった事には素直に感心していた。このての文章に対して、私は珍しくも一つも反発を感じなかった。「トゥルシエは無能だ。」そうなのかもしれない、いや、そうだったのだ。「イタリアのくそリアリズムはつまらない。イングランドは時代遅れだ。」2年前なら本当か、と疑ったかもしれない。しかし今の世界の状況を見るとまさにそのとおりだ。韓国のW杯は素晴らしかった。「代表の快進撃だけでない。サポーターの熱気、スタジアムの出来、外国人サポーターを迎えいれる暖かさ、韓国を世界にアピールしようとする情熱、」悔しいけどまさにそのとおりだった。
未だに欧州と日本の力の差は歴然であろう、しかし、馳と同じように私は日本代表の試合を見つづける。文章家の馳が日本対ベルギーの試合については「鈴木が同点弾を叩きこむ。私は壊れた。絶叫した。」としか書けなかったように、私もあのような「絶叫」をもう一度したいから。
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| 2004年08月30日(月) ■ |
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| 「星を継ぐもの」創元SF文庫 J.P.ホーガン 池央アキ訳 |
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「星を継ぐもの」創元SF文庫 J.P.ホーガン 池央アキ訳 25年前、私はSF少年だった。とはいってもおもに読んでいたのは日本SFで、ときたまアシモフやらブラッドべりやらクラークやらを読んでいたに過ぎない。その後、読書傾向はお決まりのように推理小説畑に移っていく。本当に長いあいだ海外SFなど読んでいなかった。それどころではなかった。ミステリ世界のとてつもない荒野が私の目の前に広がっていて私はいまだにその中で逡巡している。それに付け加えて世には他にも読みたい本があまりにも多い。例えば考古学関係の本なんかそれである。だからこの本に出会ったのはまったくの偶然である。目に付いたのは帯のこの文句。「SFにして本格ミステリ。」なるほど、それならミステリの一分野として読んでおこうか。
いやー面白かった。確かにミステリではある。しかも、考古学的「発掘もの」である。しかしそれ以上にスペースオペラである。あるいは「人類創世記」である。少年期にSFにかぶれるのには訳がある。「人間とはなにか。自分は何者か。」いわば哲学的な問いに答えてくれそうな読み物だからだ。久しぶりにあのときの気持ちを思いだした。今は改めて新鮮な気持ちで、エンターテイメントとして余裕をもって、その問いに立ち向かえる。人類の正体はなんだろう。未来の科学者たちの問答からいろんなことを考える。冷戦が永遠に続くかと思われた時期に書かれた二つの星の運命。この作者の理想主義が私には嬉しい。
この25年間、アメリカは偉大なSF作家を一人誕生させていたのだな、といまさら気が付いた。なんとこの作品はシリーズ化されているらしい。楽しみが一つ増えた。困ったことに。
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| 2004年08月29日(日) ■ |
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| 『ファウスト第一部』集英社文庫 ゲーテ 池内紀訳 |
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『ファウスト第一部』集英社文庫 ゲーテ 池内紀訳 本来全編にわたり詩編からなる『ファウスト』ではあるが、日本語で韻律を再現する事は難しい。ならば「詩句をなぞる代わりに、ゲーテが詩体を通じてて伝えようとしたことを、より柔軟な散文でとらえることはできないか。今の私たちの日本語で受けとめてみてはどうだろう。」という事で生まれた新訳。確かに読みやすい。しかも私には旧訳よりも物語の構造が非常によく分かる。
韻律等の約束事を気にせず、ストレートに言葉の持つ主張、比喩あるいは諧謔が伝わってくるために、読んでいて楽しい。「開幕前」の座付き作家、座長、道化の3者会話はまるで現代の映画プロデューサー、監督、コメディアン俳優の会話そのもの。あるいは三人問答によって明かにされる映画製作の問題点だ。いずれにせよ、古典を読めばいろんな発見がある。
その次ぎの「天上の序曲」。主と三大天使とメフィストとの会話。今回主(神?)の度量の広さというか、ずいぶんといたずら好きな部分に気が付いた。だって悪魔にファウストの堕落をけしかけたのは実は主であったとしか思えないのだもの。「お前たちは楽しい連中だ。」
さて、ファウスト博士の独白から物語は始まる。私ずっと勘違いしていました。ファウスト氏は当時の知識人の代表だと思っていました。だって主があんなに目を掛けているのだから。でもどうやらゲーテ以前に知られていたファウスト伝説では錬金術師だったみたいですね。いわばマッドサイエンティストに近い人みたいです。おっと、もう字数が一杯。まだ本文に至っていないのに。皆さんはまずはこの分かりやすい新訳を読んでもやってくださいね。お楽しみはこれから。人間の本性というやつは…。私は第二部に取り掛かるとしよう。
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| 2004年08月28日(土) ■ |
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| 「父と暮らせば」新潮文庫 井上ひさし |
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「父と暮らせば」新潮文庫 井上ひさし 全部広島弁ばー(ばかり)の劇じゃけん、地域によったら読むのはしんでー(しんどい)かもしれんけど、速よー読む人で一時間、おそー読む人で2時間(わしのことじゃ)で読んでしまえる井上ひさしの戯曲じゃ。今度、映画になるうゆうて、宮沢りえ、原田芳雄、が出とるということじゃ。わしゃあ、どんな映画になるんか想像しながら読んでみた。こんな事は珍しいんじゃけど、それだけ井上戯曲が台詞の「間」というもんに大きな意味っつうもんを置いてくれるせいじゃなと思う。いわば、黒木和夫監督とわしとの勝負じゃな。実はまだ勝てる自信はち−とも(少しも)つかん。初めの父親の登場場面からして、娘の「ギクリが半分、うれしさも半分」というト書きにどういう表情を付けようかとわしゃあまだ迷っとるわ。まあ、まだ時間はあるけー(あるから)自分なりの「父と暮らせば」を創って行くわ。
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| 2004年08月27日(金) ■ |
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| 「超・殺人事件」新潮文庫 東野圭吾 |
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「超・殺人事件」新潮文庫 東野圭吾 この文庫には解説がついていない。当たり前である。この短編集の最終編、「超読書機械殺人事件」のあとに解説など載せようものなら……。 この短編には「ショヒョックス」なる機械が出てきて、ありとあらゆる本の書評を10分そこらで作ってしまう。誉めるのもけなすのも自由自在。「現実味のないトリック」もおべんちゃらモードでは「幻想的な仕掛け」になるし、「人間が描けていない」のも「人物の本性を巧みに隠してある」になる。機械に任せていては個性が無くなるのでは、という心配もやがて解消する。そうしているうちに読者である私たちは確かにそうだよなあ。ミステリーの書評なんてどうとでも書けるよなあ(機械に任せなくても)と思ってしまう。帯に『日本推理作家協会除名覚悟!』とあるのも肯ける。もし除名なんてことになれば出版社が困るのでは、という心配はおそらく無用。この短編集には「超予告小説殺人事件」というのもあって、売れない作家の小説がある現実の事件によって急に売れるようになるという話である。本や雑誌というのは作家や作品が話題になればなるほど売れるのである。この短編集に見事に流れるテーマは「本が売れるのは内容に関係無い」という出版業界の「常識」なのである。「超長編小説殺人事件」での「本が厚くなればなるほど売れるようになる」という現象には笑った。私は著者のブラックな『告発』を充分楽しんだ。その他、「超税金対策殺人事件」が秀逸だった。 一つ心配なのは、この書評のモードは「甘口」だったかも。ということだ。
(この文章はどうやらアマゾンコムで没になったみたいだ。書評自体の無能を評したのが悪かったのだろうか。そもそもアマゾンコムの書評がOKとなる基準がいまだに藪の中である。一度たずねた事がある。教えてくれなかった。最近では問い合わせ自体が出来ないようになっている。)
では、改めて、「無難」な書き方をしてみる。
作家には2種類のタイプがある。一つのテーマを変奏曲の様に何度も何度もくり返すタイプと、次ぎから次ぎへとテーマだけではなく文体まで変えてしまうよなタイプである。どちらがよい悪いではない。後期の夏目漱石のように同じような話を何度も書いていても文豪と評される事もあれば、森鴎外のように私小説まがいのものから史論までいろんなタイプの文を書いてもやはり文豪になる事がある。東野圭吾は推理小説畑の中では「森鴎外派」であり、しかも文豪ではないが、「代表格」である。
彼のようにいろんなタイプの小説を書いているとやはり悩みは尽きないのだろう。本が売れる要因は「内容が面白いからなのだろうか」。おそらくそういう自問自答の中からこのブラックユーモア溢れた短編集は生まれたのだろう。自分の営業上の悩みさえも作品として反映させる。まったくもってテーマ万能型の雄ではある。
話題にのりさえすれば、本は売れる。単行本の厚みが増して本屋の中で目立ちさえすれば、本は売れる。そして書評なんかは書きよう次第だ…。ユーモアにかこつけた彼の本音が随所に出ていて、私はずいぶん楽しんだ。
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| 2004年08月26日(木) ■ |
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| 「夕陽妄語�察彡�日新聞社 加藤周一 |
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「夕陽妄語�察彡�日新聞社 加藤周一 朝日新聞月一の連載の単行本化7冊目である。2001年1月より2003年12月までが収録されている。単行本の帯にはこう記されてある。「ぶれない・流されない・こわばらない 20年間の定点観測が教えてくれる抵抗のかたち」なかなか的確なキャッチコピーだと思う。加藤周一の意見はずっと変わっていない。しかしこの20年間変わってきたのは日本と世界の政治状況であろう。「大勢順応主義」に陥りやすい日本のことをその文化の根本からずっと批判してきたのは加藤周一である。(ぶれない流されない)しかし彼の関心はいつも政治に向かっているのではない。むしろ、この数年間は「日本美術史序説」の完成に向けてアジアに散らばる仏像と日本との関連、あるいは雪舟の事、あるいは淋派の事、あらゆる美術を精力的に見ていた。(こわばらない)ただこの連載の三年間の途中でその研究を一時中断してまで取り組まねばならない出来事が起きたのだと、私はこの単行本の目次を見て気が付いた。2001年9月11日の同時多発テロに発する、アフガン征伐とイラク戦争、そしてそれを積極的に「支持」する日本政府と「改憲」策動である。9.11以降の28ヶ月で直接間接にこれらの事に関して言及しているのは、私見によれば20ヶ月にも及んでいる。長い連載の中これほどまでに具体的な政治状況にコミットしたのはなかったと思う。この連載の外では精力的に講演もこなし、反対宣言も幾つか出し、そして関連の本も書いている。1919年生まれの加藤周一氏であるから今年85歳のはずである。私は氏がこの連載中二回も紹介した木下順治作「巨匠」の事を思いだしている。老知識人は自分がそれを言いだせはナチスに殺される事が分かっていて自分の芸を披露する。その事がなによりも大切な自分の生きている証だったからであり、抵抗のかたちだったからである。失礼な事を充分承知しながらあえて言えば、私は日本を代表する知識人・加藤周一がこの老知識人のように「最後の闘い」に打って出ているのだ、と何度も何度も感じてたいた。
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| 2004年08月25日(水) ■ |
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| 「日本の民俗学者−人と学問」神奈川大学評論ブックレット 福田アジオ |
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「日本の民俗学者−人と学問」神奈川大学評論ブックレット 福田アジオ 柳田国男研究の第一人者福田アジオが柳田を担当。柳田の民俗学を3期に分けて的確に評価していた。折口信夫、宮田登も第一人者が執筆。それぞれ短文ながら、その「人と学問」が分かりやすくまとめられている。
「日本民俗学は若い学問である。その学問を作った人物、柳田を超えようとしてまだあがいているような状況である」と20年ほど前大学の若い民俗学者が言っていた。その状況は今はどうなっているのだろうか。おそらく幾つかの領域で柳田の評価と限界が示され、幾つかの領域でまったく新たな場所に光が当てられているのだろう。坪井洋文の「イモと日本人」、宮田登の「鯰絵」「ミクロ信仰の研究」。それらの著作の持つ意味を今回初めて知った。「まだあがいている」かもしれない。でも確実に学問として成長していると、感じた。現代民俗学俯瞰図としては分かりやすいテキストではある。
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| 2004年08月24日(火) ■ |
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| 『アイヌ神謡集』岩波文庫 知里幸恵編訳 |
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『アイヌ神謡集』岩波文庫 知里幸恵編訳 ここにある世界はキリスト教の『神』の世界とはまったく無縁である。神は人を罰しない。『仏教』とも無縁である。輪廻転生はない。天国と地獄もないみたいだ。
そこにあるのは人と動物が対等な世界。善悪の区別は近代的な倫理観とは無縁なところにある。そこは読んでもらうしかない。独特のリズム感。見事な詩情。それは若くして死んだ女性、知里幸恵嬢の才能なのかもしれない。明治時代の近代教育の成果なのかもしれない。そしてアイヌというまだまだ知られていない『民族』の持つ伝統的な『力』なのかもしれない。
ここにある豊かな自然と素朴な倫理観。『ユーカラ』の世界への第一歩を踏みこんでしまった自分がいる。
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| 2004年08月23日(月) ■ |
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| 「静かなる謎北村薫」宝島社 「このミステリーがすごい!」編集部・編 |
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オリンピックモードが終わった。 またいつもの日常に戻りたいと思う。 それにしても柔道は凄かった。 青春の日々、6年間、柔道をしていたものにとって、 至福の日々でした。
「静かなる謎北村薫」宝島社 「このミステリーがすごい!」編集部・編 デビュー15周年といいながら、今までに出た本の数は(アンソロジーを除いて)20冊である。寡作のほうに入るだろう。よって1冊づつの評論も可能だ。キャラクター分析、作品ツアー、キーワード事典など一応、ムック本としては揃っている。年表はいまいち。もう少し突っ込んだものが欲しかった。気に入ったのは「〈私〉と円紫」シリーズの〈私〉の出来事と本棚の年表。彼女が四冊の本の中で読んでいる本の題名は並べてみると凄いものがある。「エピクロスの園」(アナトール・フランス)を読んでいるのはまだいい。『ドン・キホーテ』をきちんと読んでいるのはさすが文学少女。『真珠夫人』(菊地寛)を読んでいるのは時代の先駆けといえるだろう。しかし『フローベルの鸚鵡』(ジュリアン・バーンズ)まで読んでいるとは。まったくもって「本の虫」である。いや〈私〉がではない。北村薫が、である。
ロングインタビューにおいて、北村薫は言う。「これは偶然なのですが、でも自分の深層心理としてはそうなのだろうと感じます。やはり『スキップ』の真理子は、『秋の花』の真理子が蘇ったと考えたいですね」北村薫もそう感じていたと知り、それだけでこの本を買った甲斐があったと思った。私はずっと密かにそうであればいいなと思っていたのだ。そうでなければ、真理子さんが17才から42歳にスキップしてもう帰れないという残酷な処置の理由が見つからない。
北村薫の全てを知るわけにはいかないが、多くを知ろうとするには必読の本である。
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