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2005年05月25日(水) ■
98映画ノートから「真昼の暗黒」

98.2.15. オリエント美術館
「真昼の暗黒」
監督今井正/脚本橋本忍/撮影中尾俊一郎/音楽伊福部昭
草薙幸二郎/左幸子/北林谷栄
1956年作品キネマ旬報第一位
八海事件を元にした、冤罪事件支援作品。
しかし、そこにあるのは一地方都市の貧しい日本の姿であって、「35円かけうどん」の食堂、老母と若い女性も、内職(懐かしい麦わら帽子のこより)でその日暮しをする毎日。私たちは「戦後」になる直前の日本の姿を見たのだろう。だからこそキネマ旬報一位になったのだと思う。しかし、この作品は完璧に埋もれてしまっている。今見ても、見ごたえのある作品なのだが、当時の今は忘れられた冤罪事件の支援作品であるという宿命によるのだろうか。北林が若い。左がかわいい。

《現在の感想》
ラスト近く弁護士が、もし容疑が成立するとしてどのような犯罪だったら容疑者が殺人を犯すことが出来るのか、再現フィルムのように説明するくだりがある。つまり容疑者はスーパーマンみたいにものすごいスピードで犯罪を犯したという説明になる。この再現フィルムで観客はこれが全くの冤罪事件であったことを確信するのであるが、それまで重い人間ドラマが続くので、このラストのたたみかけはものすごく効果的である。これと全く同じ構成の作り方を、オリバー・ストーン監督が「JFK」で行う。ケネディを撃った人物はひとりではなく、もしひとりだとしたら弾は超能力で縦横に曲がったのだということを証明してみせる、あの語りと全く同じである。もちろん「真昼の暗黒」のほうがずっと前に作られている。単なる偶然とは思えない。
この映画は岡山映画鑑賞会の努力で上映された。ほとんど上映の機会がない作品である。もっと注目されてもいいと思う。



2005年05月24日(火) ■
98映画ノートから「ピース・メーカー」

98.1.17. メルパ
「ピース・メーカー」
 ミミ・レダー監督 マイケルグリロ/ブランコ・ラスティング製作総指揮
ジョージー・クルーニー/二コール・キッドマン/マーセルユーレス 
ドリーム・ワークス第一回作品(SKG=スピルバーグ・カッツェンバーグ・ゲフィン) START(核削減条約)によって廃棄処分にされるロシアの核兵器が、テロ組織によって盗まれる。時間稼ぎのために、10発のうち一発の核兵器を爆発させるという冒頭。スピルバーグにしてこれである。私は最初から暗たんたる気分になった。この映画の評価はあとで述べるが、それにしてもアメリカ映画における核兵器の扱いを観ると私は憂鬱な気分になる。そもそもなぜ「時間稼ぎ」というほかにも置換えが可能ないい加減な理由によって、わざわざロシアの地で核爆発を描かないといけなかったのか。話の都合上、核の恐怖を影像で見せるにはそれしか手がなかったというのか。それならそれで爆心地にジョージー・クルーニーを下ろすような場面を描いてもよかった。生き残った人間がいかに悲惨な目にあっているか、もっとリアルに描いてみろといいたい。草原での爆発ということもあって、爆発直後、1500人の犠牲があった、と二コール・キッドマンが事務的に報告しただけで映画の中の関心は、ウィーン、ボスニア、ニューヨークへ向かっていく。
 アメリカ人は、核兵器といったときにその圧倒的な破壊力には恐怖を覚えるが、放射能については、頭では知っていても、全然怖がっていないことをいくつかの映画を見ると容易に知ることができる。一番私が頭にきた映画は『トゥルーライズ』(94年)。水爆を盗んだテロ組織を、政府のスパイが悪役としてやっつけるという単純な活劇であるが、なんと、ラストでついに水爆は爆発し、悪役は吹っ飛んだ、ヒーロー、ヒロインは助かった、ということでキノコ雲を背景にキスシーンで締める。「ちばんけんな!」という気がしましたが、なんとこれが大ヒットしていしまうわけです。監督のジェームスキャメロンは決して反動的な人ではない。その証拠に今公開中の彼の作品『タイタニック』はいい映画です。(ラストで不覚にも涙してしまいました…)『トゥルー…』を作った人たちは「そもそもこれは反核映画じゃないし、放射能のことなど考えなくてもいいじゃん」ぐらいの気持ちだったのかも知れない。しかし核放射能を恐ろしさを知っている私たちは、水爆が地上で爆発したあとはいかに悲惨な出来事が起こるかしっていて、とてもこの映画がハッピイエンドで終わったと思えないわけです。次に「バカな…」と思ったのは、『ブロークン・アロー』(96年)。ジョン・トラボルタが見事な悪役を演じた映画。彼が演じる米軍パイロットが演習用の核兵器を盗む物語だが、途中天然地下壕でその一発が爆発してしまう。この年は、フランスの核実験に対する反対運動が非常に盛り上がった年で、放射能の危険に対する言及も何度か映画内でされている。しかし、地下壕からヒーロー・ヒロインが脱出するのは、地下の川からなのである。しかもここは、国立自然公園の中なのである。いくら地下だといっても、相当の放射能汚染が広がるはずなのである。しかし脱出したヒーロー(クリスチャン・スレイター)は「放射能の危険はない」という。そして映画の関心は爆発から完全にはずれていきます。
「ピース・メーカー」作品自体はハリウッドらしく、派手に盛り上げて、最新情報をちりばめて、ハッピィエンドで終わる。可もなく不可もなし。

《現在の感想》
このときがドリームワークスの旗揚げだったのか。彼のもくろみは見事に成功する。ハリウッドだけが、映画の殿堂ではない。インディペンデンス映画だけが、ハリウッドに対抗するのではない、ということをちゃんと示した。

アメリカ国民の核兵器に対する態度は、その後日本人の常識になっていく。もうあきれて、「何をかいわんや」になっていく。しかし、本当はそれではだめなのだ。日本人はもっと声高に核の恐怖を言うべきだ。アメリカの映画を例にとって観ると、アメリカの核意識が非常に良く分かる。



2005年05月23日(月) ■
98映画ノートから「世界中がアイ・ラブ・ユー」

98.2.1.       シネマクレール
「世界中がアイ・ラブ・ユー」
ウディ・アレン監督・脚本・助演 ディック・ハイマン音楽
アラン・アルダ継父、ドリュー・バリモア長女、ルーカス・ハーフ長男、ゴールデン・ホーン母、ギャビィ・ホフマン妹、ナターシャ・リオンDJ、エドワード・ノートン婚約者、ナタリー・ポートマン妹、ジュリア・ロバーツ恋人、ティム・ロス元囚人、
 終わって明るくなってみんなが帰ろうかと席を立つ。その時のみんなの顔はみんな晴れ晴れした笑顔だ。質のいいミュージカルコメディを観させてもらった。街の人が突然歌い出し、踊り出す。NYの姿と顔のままで。『エブリワン・セズ・アイラブユー』『アイム・スルー・ウイズ・ラブ』…。エドワド・ノートンの歌のたどたどしいこと、しかしそれが人のいい婚約者の内面まで描いてるようで、すっかりウディの術中にはまっている。祖父の幽霊が仲間の幽霊とともに歌い、踊る。「誕生日ごとに月日が過ぎていく。気がつけば、すでに中年だ。楽しまなかったと後悔しても遅い。希望を抱いて楽しく生きよう。」『エンジョイ・ユアセルフ』思わず隣の美女の顔を見た。
 これはまるでNYの『男はつらいよ』だ。しかし、この映画のよさは、中年にならないと分かりずらいかもしれない。人生の悲哀がそこにあるからだ。日本のそれのように人間の善意を肯定してはいない。しかし、前の作品ぐらいから、ウディは若い女性の恋の指南役、恋の語り部を始めたみたいだ。よって若い人にうけるような物語になりつつある。そこらも寅さんとにている。柴又とNYの幸せの求め方は違うが、どちらも幸せを求めている点では同じであり、どちらも普通の庶民を描いている点では同じなのである。癖になりそうだ。

《現在の感想》
これミュージカルだったんですね。全然そんな印象はなかった。むしろ、ウッディ・アレンの「しゃべり」に感心して、ずいぶんといい気持ちで映画館を出た記憶がある。
バリモア、ノートン、ポートマン、その当時まだあまり注目されていなかった役者を起用するあたりはプロデューサーとしてもすごいものがある。
寅さん亡き後、ウッディ・アレンを毎年の好例映画にしようとしたみたいだ。しかしそのことは、二つの理由で挫折する。ひとつは、次の年こそアレンは映画を作ったものの、その後作品を作らなかったためであ。もうひとつは、やはり、アレンの持つ「幸せ感」はやはり都会人の持つそれであり、私には合わなかったみたいである。
でも彼はまた最近新作を作ったみたいだ。早く岡山に来ないかなあ。



2005年05月22日(日) ■
98映画ノートから「萌の朱雀」

98.1.17.      シネマクレール
「萌の朱雀」
 河瀬直美監督・脚本 國村隼 尾野真千子 和泉幸子 柴田浩太朗 神村泰代
 奈良県吉野郡西吉野村
 鉄道敷設の中断によって、結局過疎の村を離れざるを得なかった家族の離散、を描く。しかしこれは不幸な物語ではない。例えば、アニメ『蛍の墓』の12才と4才の兄妹が普通の農村で生きたならこうなったかもしれない、と思わせる幸せな時間を映した映画である。(そう思ったのは子役の山口沙也加があまりにも節子の声に似ていたからではあるが)しかし、その「幸せ」は微妙なバランスの上に立っていることを私たちに突きつける。 本当は前半の30分でこの映画の魅力は80%語り尽くしている。国際的評価を得たのはむしろ後半60分であろう。ここで夫は謎の死を遂げる。そのあと言葉にならぬ言葉を語る日本人を細かに描いたことで、そしてその基盤がいかに微妙な関係で成り立っているかを描いたことで、大きな評価を得るのだ。しかし、日本人にとっては自明のことなのである。冒頭の朝食を作る場面、人々は呼吸を合わせて生きているのである。
 後半はむしろ、河瀬直美の家族との別離という自分史を描いたにすぎない。
 ただ、尾野真千子と神村泰代はよかった。
 シネマクレール初日だからだろうか、河瀬直美監督と20センチのニアミスをした。本物の目はまっすぐで、肌はきれいだった。

《現在の感想》
今ではカンヌの新人賞と言われてもそんな大きなニュースにならないかもしれないが、このときは久しぶりの受賞だったので驚いた。
しかし観客を選ぶ作品である。
監督はあまりにも自然な映像を追及するあまり、自然な演技さえも拒否しているように思える。物語の拒否。ともいえるかもしれない。この作品は成功しているだろうと思う。
しかしここで書いているように、この日は監督と鼻がぶつかりそうになるくらい偶然接近してしまった。肌は荒れていたが、目は非凡であった。本物はやはり間近で見ないとわかりませんね。

昨日今日と、予定が合計5つも入っていて、まるで売れっ子タレントみたいに時間区切りで移動していた。毎週土日は忙しくなりそうだ。゜



2005年05月21日(土) ■
98映画ノートから「GAMA月桃の花」

98.1.17. オルガ
「G A M A 月 挑 の 花」      
大澤 豊監督  朝霧舞 沖田浩之
 途中から絶える事なく涙が出てきて、こういう体験は初めてだった。今まで、沖縄旅行で読んで聞いてきた体験と、何度か観た10フィート運動のフィルムが結びつき、想像していた以上の沖縄戦の悲劇が浮かび上がった。アメリカ軍が撮ったフィルム、焼き払うとうもろこし畑、爆弾を投げ入れるガマ(馬乗り作戦)、雨のような艦砲…その下に今まで影像では観たことない沖縄の人々がどうしていたか、どうなっていたか、観てしまうことの凄さ。最初、宮里キクと和子だけは生き残ったのだなと思っていたが、和子の鳴き声を止めるために思わず窒息死させていたというラスト近くの「事実」。
 丸でウソのようなことばかりが描かれているが、実は事実より若干甘い影像であることを私たちは知っている。演技が若干素人臭いことはこの際どうでもいい。本物の役者は極力押さえ、沖縄の顔と方言を使い切った。そのことが非常な「力」となる映画だった。

《現在の感想》
こんなに泣いた映画はその後10年間あまり覚えがない。たぶん一番ないたのだろう。「ちゅらさん」で有名になった、「おばあ」の女優ももちろん出ている。と言うか彼女は沖縄一の女優なので、本土で公開されるこの手の作品に出ていないはずがないのではあった。
感想に書いているように、この作品に感動するためには事前に沖縄に行っておく必要があると思う。しかも、生存者の体験を聞き、沖縄祈念館で二時間ほど、体験者の手記を読み、「安保の見える丘」で、思いやり予算で次々と建ててられた施設を観たあとでなら、大きな感動を呼ぶだろうとおもう。
要は、映像の下に隠されたものを見ることのできる「想像力」の問題である。
ビデオで出回っているのを観たことがない。できればリクエストしてでも見ることをお勧めする。



2005年05月20日(金) ■
98映画ノートから「CURE」

昔の映画を語りだしたので、
もうしばらく語ろうと思う。
97年の映画ノートは紛失している。
98年はまだインターネットを始めていなくて、
これらの文章は今回初発表の文章ばかり。
とりあえず記録のためにいくつかピックアップして発表したい。
96年もそうだが、実際はこの3倍くらいの映画を映画館で見ている。

98.1.2.        SY松竹
「CURE」
黒沢清監督   役所広司 うじきつよし 中川安奈 萩原聖人 蛍雪次郎 洞口依子 でんでん 大杉漣

非常に疲れる映画だった。普通の人の中にある「人を殺したい」といった欲望を催眠術をつかって、その規制をはずさせるという物語だということはわかった。しかし私自身は「人を殺したい」と思ったことはない。「疲れる…」というのは、「果たして君はそういい切ることができるのかな…」と薄ら笑いの製作者の姿が見えるからである。それは人間本来の姿は人を殺す動物だとでもいう思想に裏打ちしている。その考えがあっているかどうかはわからないが、その考えの元に不特定多数の人に見せる映画を作ることは不愉快感を感じる。
 役所が中川を殺す場面が省略させられたのは、作品の完成度を低めたが、救いであった。
 こんな映画案外評価が高いようだ。そういう世の中に興味を覚える。

《現在の感想》
黒澤清の映画を観たのはこれが初めて。非常に不快を感じたが、忘れることの出来ない作品であった。「殺してみたいから殺す」そういう映画は現在なら普通に成り立つだろう。現実がそういう事件であふれているから。私の感じた不快感というのはそういう現実の先取りに反応したからなのかもしれない。そういう意味で黒澤清という作家は、確かに最初から侮れない監督ではあった。



2005年05月19日(木) ■
96映画ノートから「わが心の銀河鉄道」

96/10/19    東映
「わが心の銀河鉄道」
保坂嘉内(椎名桔平)の存在が大きい。賢治が人類全体の幸福を求めるため、頭だけで考えることからしだいに成長していったこと、それでもそれはまだ空想でしかなかったことをきちんと描いている。賢治の素晴らしさと切なさ。
汽車の中で少女が賢治に石灰が詰まったトランク(農薬の営業をしていた)に「何が入っているの?」と聞く。「夢が入っているんだよ。みんなが幸せになるためにはどうすればいいのか。」と答える。
保坂が、家内や子供に「グスコブドリの伝記」の最期を読み聞かせる。「イハートブはどうなったの?」子供が聞く。「幸せな国になった」と答える。ここはこの映画のオリジナルで、感動的なところだ。脚本が良かった。賢治ファンでないとかけない脚本だ。
賢治とトシが元気で明るく、少し近代的過ぎた。

(goo資料より)
わが心の銀河鉄道 宮沢賢治物語(1996)
作家・宮沢賢治の半生を描いた伝記ドラマ。監督は「緊急呼出し エマージェンシー・コール」の大森一樹。脚本を「地獄堂霊界通信」の那須真知子、撮影を「極道の妻たち 危険な賭け」の木村大作が担当している。主役の賢治にふんしたのは「きけ、わだつみの声(1995)」の緒形直人。共演は、今作でキネマ旬報助演男優賞をはじめ各映画賞を多数受賞した渡哲也、「虹の橋」の水野真紀、「渚のシンドバッド」の袴田吉彦、「GONIN2」の椎名桔平ほか。宮沢賢治の童話世界のイメージをスクリーンに再現するため、CGやアニメーションを合成した豊かな映像が展開されるファンタスティックな作品に仕上がっている。宮沢賢治生誕100年記念。

《現在の感想》
この年は、宮沢賢治生誕100年記念ということで、神山征二郎監督「宮沢賢治ーわが愛」 と競作になったが、わたしは大森一樹監督の作品のほうに軍配を上げる。ひとりの空想的理想主義者のすばらしさと限界を描いて秀逸だった。脚本は去年「デビルマン」で散々な作品を作り、「北の零年」でいまいちの脚本を書いた那須真知子。でもこの作品の本は素晴らしかった。
この次の年の冬、私は「宮沢賢治を訪ねる旅」と自分でテーマを決め、岩手県に行く。冬の岩手は格別だ。「みぞれがびちょびちょふってくる」「なまりいろの空」雪に埋もれ賢治が農作業をしていた(しかし当時としてはモダンな)「かやぶきの家」、4時半になるともう真っ暗になる東北の冬を満喫した。今思えば贅沢な旅だった。




2005年05月18日(水) ■
96映画ノートから「学校��」

96/11/9    松竹
「学校��」
山田洋次監督 西田敏行 永瀬正敏 いしだあゆみ 神戸浩 吉岡秀隆
今度の学校は、北海道の知能障害の子供たちの自立を扱った物語。
リュー先生が「生きていて良かった」とつぶやく。そのとき初めてこの子達は大変危ない橋を渡っていたのだと気がついた。
ホテルで働く先輩が、「そりゃいやなことはある。でもそんなことをいっちゃいけないと思うんだ。ここで働けるだけでもラッキーなんだから。」という。仲良しの女の子の親に「もう来るな」といわれて、それでもすべてあきらめざるを得ない現実に何度もぶつかってきた彼。ほんとに仕事付けの生活をしながら「ラッキー」といわざるを得ない彼。
最後の場面で、最後まで声を発しなかった女の子が、誰も見えない赤い風船を目で追う。
人間は社会の中で人間になる。しかし人間であることの基準はまだ誰も定義できていない。文学者が何度も何度もたとえ話を作っているだけだ。

《現在の感想》
この年のベスト作品であり、五つある「学校」シリーズの中で、この作品がベストである。もちろん私にとって、ではある。何がいいといって、女の子が風船を目で追うところでガツンと来た。
吉岡秀隆の障害の程度は低い。だから彼の挫折(就職が決まりそうになって断られるところ)は共感しやすい。しかし、神戸浩の演技はまるで演技に見えない。(私は最近まで彼は重度の障害者だと思っていた。)あの演技を引き出した山田洋次には脱帽する。しかし、彼にも最後のほうでは共感することが出来る。そこで終わったら単なる感動物語だった。しかし、最後で、それまで全く風景の一部だった女の子の「心の風船」を描いたのである。私はいったい何を見ていたんだろうと思った。「人間とはいったいなんなのだろう」永遠の問いかけがこの映画にはある。
山田洋次はいつも不幸になる一歩手前で物語を終える。山田洋次を幸せを描く監督だと思っているといつか痛い目にあうことだろう。






2005年05月17日(火) ■
96映画ノートから「恋人までの距離」

96/10/12
[恋人までの距離(ディスタンス)」
イーサン・ホーク ジュリー・デルピー
ドラマでもない、ドキュメントでもない。18時間で恋は生まれるかという実験。恋愛指南にもぴったし。
夫婦喧嘩に嫌気がさした23歳の女子学生(仏)が、男の旅人(米)に声かけて、すぐ盛り上がる。どちらも一人きりというのが第一のミソ。男は女を食堂に誘う。話は弾む。男は少年のときのおばあちゃんの幽霊の話しをする。女の表情は変わらないが、キュートと思っているらしい。男は汽車を出るとき、思い切って女を誘う。「明日の朝まで泊まらず、夜通し語らないか?途中でいやになったら消えればいい、」と。「将来君は結婚して夫との生活に飽いてくる。そういう時、昔あった男のことを思い出す。君は未来から来た現在の女だ。」……このくどき文句使えるかも!?最初は気まずい雰囲気だ。やがて二人はバスに乗る。質問ごっこだ。「初めてセクシーと感じたのは?」「恋は?」「怒っていること、不満に思っていることは?」二人は歩きながら、人生観を語る。二人とも豊富な話題、これは本当に脚本無いの?観覧車で第一のキス。女はまだ戸惑っている。男と女のテーマで意見が分かれる。「これはケンカ?」友達への�笋里�けっこをして二人は恋をしているのを確認する。「その男のいやなところは?」見事に男の弱点を付く女。二人は半年後にまた会おうと約束する。深いキス。要は二人は目を合わせたときから恋をしていた。しかしそれだけで恋は恋にならない。

《現在の感想》
細かい会話のやり取りまで感想に書いているのは、この会話の妙を学んで実地の参考にしようと思っていたのに他ならない。しかし何の役にも立たなかった。会話は反射神経である。理屈では分からない。
この映画去年続編が出来た。半年後に会おうといいながら約10年後になったというわけだ。まだ観ていないのでなんともいえないが、どちらもベテラン俳優になっている現在、果たしてどんな作品になっているのだろう。





2005年05月16日(月) ■
96映画ノートから「ツイスター」

96/7/6    SY松竹
「ツイスター」
スピルバーグ製作 ヤン・デ・ボン監督
次々と発生する竜巻(F3からF5まで)の映像はすごいものがあるが、みんな心動かしたのは知人の老女を救ったときだ。みんなまざまざと阪神大震災を思い出していた。「警報が鳴らなかった」「鳴ったと思ったら来ていた」「新しい警報システムを作るのよ」健全なアメリカの姿だ。
ヤン・デ・ボンは畳み掛けるように見せ場を作る。しかしスピルバーグは今回も人間ドラマを作れないことを実証した。これだけの惨劇に死人が二人しか出ないのだ。

《現在の感想》
思えば、この作品のCGはすごかった。CGパニックものの走りではないだろうか。スピルバーグはやはりこの方面では常に最先端を行く。「プライベートライアン」では戦争映画の革新を起こしたし。今度の「宇宙戦争」も楽しみではある。
感想の中に「阪神大震災」のことがあり、あのころはすぐにそのことを思い出すほど、生々しかったのだなあ、と感心した。今はもうあまり思い出さない。というか、この映像を見て思い出すのはまずスマトラ沖地震だろうな。