今日はなにしたかなぁ
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夕方帰宅途中にガソリンを入れてスタンドで おしゃべりをしてると、息子のバイクが目の前 を走っていった。やがて私も我が家へと向かった 私のほうが早く着いて、すぐ息子がそしてまたまた 今度は妻が帰ってきた。5分以内に3人が一緒に 帰ってきたのも初めての出来事だ。
| 2002年12月09日(月) |
すすす、すごいことが(笑) |
今日は、新入組合員歓迎会が予定をされてましたが それにあわせて、プラス一人加入に成功して、本人 に参加してもらいました。やはり日頃のお話が積もって いて予定時間をオーバーして、盛り上がりました。 こんな素敵な夜なのに、明日早い勤務のために1次会で 帰ってきました。 自分の主張が受け入れられたことはやはりうれしいですね 経団連が春闘方針で、賃下げを主張してる報道をみて 使用者側が完全に主導権を握って、更なる搾取を狙ってる ことに憤りを感じた。
母の葬儀がおわって1週間が過ぎた 葬儀屋さんにも支払いが終わりひと段落。 両親がいなくなって、次は自分の順番がくるわけ だけど、親としての責任がちゃんと取れるだろうか? 子供たちはもう大人だけど、私が母に育てられたことに 感謝したように、彼らもいつの日かそう気がついて くれるとうれしいんだけど。。。
最近家庭でのイルミネーションは豪華ですね 妻があちこちの家の写真を写しにいくそうです 実は我が家のすぐ近くの家も今年はすごいんです とても一般家庭とは思えないくらいな派手派手 なんです。 私も、わが団地の入り口の斜面につける予定だったけど 今一乗る気がそがれてしまって今年は実現が 不可能かもしれないなぁ、、、
| 2002年12月06日(金) |
あっという間に12月 |
久しぶりに出勤した。 会葬のお礼に職場をウロウロして疲れた たくさん人がいると誰に挨拶したかが わからなくなる。 一応名簿は持参してるけど、とにかく 不規則な勤務だからあえないんだよね。 日付を見ながら、エ〜もう12月も6日? 改めて思ってしまったσ(^◇^;)
母が死にはや7日が過ぎた、覚悟はしていたものの やはり、寂しい限りだ、事故なんかだともっと 悲しいと思うけど。。。 肉体的より精神的に疲れていて、朝もぐっすり 寝込んでいる。 明日から仕事だけど、無事勤まるか心配だ(笑) 残務整理があるけど一気には難しいから ぼちぼちしないとね。
母の逝去により当分日記は休みます
| 2002年11月27日(水) |
かわいい妻には。。。 |
月曜日から、大阪に遊びに行ってた妻が帰ってきた 今回はきっと一人で目的地までいけると思ってたのに またしても新大阪までのお迎えつきだった(笑) 往復高速バスで、乗り場まではもちろん私の送迎。 彼女がいない間、家事全般は問題なかったが、私も 仕事で、火曜の夜はいなかったので息子がひとり がんばってくれたし、ちゃんと台所も片付けて あった。もちろんできる年齢だけど日ごろさせてないから どうせしてないと思ってる分、一応よいっしょて してあげた。
一転して、母は意識を取り戻してきた 顔ははれっぽいけど、腎臓が低下してるから 回復にはもう少し時間がかかりそうだ。 今後の治療について、医師より話があり 病棟を移動することになった。 安心して、仕事の出かけてたら、息子から メールが、新しい病棟から電話があり 毛布がほしいとのこと、妻もいないし、、 ちょうど姉が病院に向かっていたので 頼んだので、なんとかなったけど。。。 いつも、ハプニングの後は必ず不足するものが 出てきて自宅に着いてから電話がかかってくるのだ 最初からいってくれ〜( ;^^)ヘ..
夕べ8時半ごろ、母が入院してる病院から電話で すぐに来てほしいと連絡があった。二人ともビールを 飲んでたから、タクシーで行こうと思ったけど、とにかく 早くこいとのことだったので、友人に送ってもらった。 病院に着くと、口から管を入れて人工呼吸状態だった。 心臓停止と窒息で30分は過ぎてたらしいとの説明だった 体中点滴状態で。口には人工呼吸と、食道にたまったたん を取り除く管が入ってるため、とても苦しがっていた 鎮静剤を注射したけどなかなか効かなかった、最後には なにやら連続して注入する注射をしたら何とか静かに なってなんとか寝てくれた。 付き添いで泊まったけど、頻繁に看護婦が出入りをするので 起きたか寝たかよくわからない状態だった。 今日の午前中にはすっかり落ちついてきて、自力で呼吸ができるようになり 午後には管も取り除くことができたのでほっとした。 今夜は付き添いもなくて大丈夫なようだったので、自宅待機 になって、安心と不安が交錯してる。 今度異変があるときっと助からないだろう。
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