NHKの年末特有の番組「○○この一年」。つい見てみようかな、という気持ちが沸くのは、それが長く親しんだ恒例の行事だからだろう。大掃除して、紅白を見て、親戚と飲んだくれて、初詣に行く。そんなことよりも世間様のように、スキーや温泉に行ったり海外に行ったりできたらどれだけいいだろう。しかしそれを選択しないのは自分。本音を言えば面倒で習慣を変えるエネルギーが沸かないのだ。
近くの公園に行く。そこで見たのは「餌をあげないで」の立て札にもかかわらず、鯉に餌をやる家族連れの姿。違反者の大半は65歳以上のおじいちゃんだ。豊かな日本を築き上げてきたこの人たちは、どこかで「俺だけなら構わない」で生きてきたのだろう。成長を優先する余り、それが許された時代があった。しかし今は違う。そのことをこの人たちに分からせるのは無理かもしれない。
横浜のヨットクラブで開かれたパーティに出た。その昔は英国人が遊び場にしていたという由緒あるところらしい。見た目は質素で、色使いはいかにもブリティッシュ・トラッドな感じだ。しかし、その構造は…何とも大雑把。これを比較して改めて和魂洋才の価値を感じてしまった。確かに日本人は大きなモノを生み出すことは苦手だ。しかし、細部に神経を配る点では格段に優れた民族だ。
クリスマスで子供がいろんなおもちゃをもらった。それらを使い比べると、メーカー間でかなり品質・精度にばらつきがあると感じる。例えばプラスチック同士を組み合わせるときに「カチッ」っという安心音がなかったり、組み付けたときの安定性に不安を感じたり。中には来年まで持たないだろうと予感させるものもある。日本人のモノ作りに対する価値感が壊れつつあることを実感した。
経営者数名と観光ホテルで忘年会。その後、ホテル内の温泉に入る。皆、タオルで前を隠すことなく、堂々としたもの。イチモツを晒したまま風呂のヘリに腰掛け、会話は尽きることがない。裸一貫で生きてきた自信がそうさせるのだろう。対して「男の価値はイチモツの大小ではない」と思いつつ、恥ずかしさでつい隠してしまう自分。そのサイズよりも、晒せぬ己の心の小ささが情けない。
会社の片隅にスーパースーツストアの紙袋。「誰だい、これ着ているのは?」「お前なあ、コンサルだったらオーダーで作らんかい」。部下は『人は見かけで判断するもんやない』と言いたげな顔。「それは自分が他人を見る時の考え方や。が、他人は人を見かけで判断するんや。人前で話すのが仕事ならビシッとせい!」。知識や智恵は勿論、格好でも世の社長達といつでも渡り合える武装はしておきたい。
大雪に見舞われた土曜日、いよいよスタッドレス購入を決意する。問題は交換したタイヤ4本の置き場だが、雪の日に平気で外に出かけら隣人曰く「トヨタ店に預けていますよ」。聞くと預かり料を年1万円強支払うだけで、取付け賃は0円だという。しかも、タイヤは他店からの持ち込みも可能。狭い家に住む者には何とも有難く、ますますトヨタファンにさせられてしまった。
8月決算の某社は賞与を年4回出す。世間と同じく6月と12月に出す賞与は、業績とは無関係の最低限の固定的賞与。他に3月と9月にも支給する。こちらは2月までの上期決算、8月の下期決算に連動して支給する成果的賞与。こうすることで、人件費の年平準化が図れる上、税金を払い過ぎずに済む。社長はこの方式を会計士に学んだという。こんなアドバイスのできる会計士は一流だ。
昭和時代懐古ブームである。田舎育ちなら地縁・血縁・職縁等、酒を飲んだときに話題には事欠かない。しかし、都心で核家族化の中で生きてきた世代は、地縁も血縁もない。あるのは情報縁や商品縁。同じTV見ていたとか、同じ商品を買ったとか、同じ雑誌を講読していたとか。縁までもがマーケティングに依存した時代。ヒット商品番付や流行語大賞などはその縁を演出するものだ。
メールを見たり打ったりしながら歩いている人が多い。何でそんなに目の前の人とではなく離れた他人と繋がる必要があるのだろう。メールを打つとき、人の五感は携帯に集中する。そのため、周囲の環境・自分の前方には全く注意しない。傍から見ていると、触覚を失った蟻と同じだ。総勢100人を超える新幹線運転士の写メールが問題になったが、触角のない蟻に安心して乗れる人はいないだろう。