吉野家はじめ牛丼屋の牛丼が豚丼等を変わるという。一方、米国産を国産牛に代えても牛を提供し続ける店もある。吉野家は「美味い・安い・早い」がお客様との第一の約束だから、商材を代えてもこの約束は守れる。一方牛を出し続ける店は、「牛を出す」ことがお客様との第一の約束だったのだ。危機に瀕したときに、それでも守り続けようとするお客との約束は何か。そこに企業の基本姿勢が映る。
もうすぐバレンタインデーだが、いつの間にかどうでもよくなった。「女の子が好きな人に愛を告白する日」という間は良い習慣だと思っていた。それがいつの間にかホワイトデーという「返礼する日」が誕生して、嫌になった。これじゃあ単なる消費交換で、そこに存在するのは「特別なこと」ではない。それでなくともこのご時世、OLが義理チョコ配りするようなノンビリした職場はあるのだろうか?
洗車機の洗車代がオイルショックまではタダだったと聞き驚いた。有料化したのはオイルショックのとき。不況で売れなくなった洗車機メーカーが新たにワックス塗布機能を付加し、300円/回で展開。これが大当たり。少しでも売上が欲しいGSがワックス対応機を積極的に導入し、有料で提供しはじめたのだ。不況期はいかに安く売るかより、値段を上げても売れる方法を考えるチャンスなのだ。
どんな会社でも設計と営業は仲が悪い。両社は売れたときは手柄を取り合い、売れないときは責任を押し付けあう関係だからだ。こうした弊害を取り除くには合宿してくたびれるまで議論するといい。コツは「設計は営業から何を期待されているのか?」「営業は設計から何を期待されているのか?」など、「期待」という言葉を使うこと。すると双方から前向きな回答を引き出すことができる。
70歳代の女性が元気だ。この世代は生まれた頃は軍国主義。戦災・疎開を経験し、青春時代は焼け野原。高度成長のモーレツ時代を働き抜いて、バブルの頃に引退した。ファシズムも民主主義も、列島改造も自然保護も、清貧も贅沢も、学歴社会も個性尊重も経験。おそらく「世の中ってコロコロ変わる」と達観しているだろう。今、時代と家族から開放されて、人生を謳歌。その姿は神々しくさえある。
写真館での講演後、ある若い社長から礼状が届いた。「…写真館のあり方を見直す足がかりとなりかなりのカルチャーショックを受けた次第です。今すぐ変えられる事と変えられない事があるかもしれませんが、変えられる事は今から変えようと強く心に刻みました。今後共我々の業界のような中小企業に勇気と希望を与え続けてください…」。この素直さはどうだろう。これこそ心の大きさに感動した。
会員制のサロンに社長ばかりを集め、昼食を兼ねての講演会。終了後、喫茶室で休憩をしていたら、同じ喫茶室の片隅に先ほどまで受講していた某社長を見つけた。よく観るとスタイルの良い女連れである。どうやらこのサロンが絶好の隠れ家になっているようだ。職業柄こうした社長の女を連れ歩くシーンを何度も見る。英雄色を好むというが、男と女の弱さが見えるのはもてない者の僻みか。
中国の写真館では、若者を激写風に撮影し、全18ページの写真集に編纂するサービスが大流行。値段は2万円と一か月分の給料相当だが、産児制限の影響でそんな写真集を残すことに親も熱心なのだ。私の友人も、自分の写真集をわざわざ台湾まで作ってきた。万人向けのサービスを行えば、客はご近所止まり。が、サービスを特化すれば商圏は限りなく世界中からやってくる。国内写真館の盲点だ。
写真館がオンリーワンになるための発想法。まず、世界でたった一人、来て欲しいお客様を決める。例えばイチロー一家の七五三写真だとする。次に彼に選ばれるにはどうしたらよいかを考える。他にはない独自の優れた技術が必要だろう。そのために技術を磨く。そして、そんな技術があるという情報イチローに届ける。イチローが本当に利用すれば後はその事実が口コミで広がり、世界中に客ができる。
写真館での講演の続き。写真館が写真館と呼ばれだしたのは江戸時代末期であろう。以来、130年近く。未だに写真館と呼ばせているのはおかしい。現代の庶民はカメラもデジカメも当然のように持っている。それなのに、カメラがなかった時代と同じ呼び方をさせているのは、写真館が進化していない証明だ。写真館らしいサービスではなく、その店ならではのサービスを打ち出して欲しい。