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V字経営研究所・酒井英之の4行日記 DiaryINDEX|past|will
毎朝のウォーキングで山形市内を歩いたときのことだ。いつものようにその町にある神社に立ち寄りお参りしていたら、頭の中で急に赤く光る蛍が何匹もふわふわと浮かんだ。そしてそれらの蛍が、私の手のひらから飛びたち、やがて若者と思しき人たちの黒いシルエットの胸の当たり忍び込んでいったのである。そして、シルエットたちの胸で朱色にホウッホウッと光ったのである。これが何を意味するか分からない。ただ、毎日祈っているとこのような啓示が降りてくる。だから人は祈り続けるのだろう。
山形市内で夕食を頂いたのは「香味庵まるはち」。蔵の中が座敷に改造されていて、食事と場の雰囲気がとてもマッチしていた。徹底的に郷土料理にこだわり、海の幸も、その昔、山形に運ばれてきた時と同じ状態の料理が出る。加工調理品が普及する一方で、忘れられていく食文化やそれを育んだ風土。その喪失感に歯止めをかけ守り続ける。「香味庵まるはち」はそんな安心感と癒しをくれる。
山形の視察で、直径6mの大鍋で煮る「芋煮会」に参加した。そんな大鍋で煮ておいしいのかしらん…と心配したが、食べてみてこれは美味いと感じた。9〜10月には各家がバーベキューをするかのように河原で芋煮をするという。誰かと食を共にする風習は、コンビに弁当を一人で食う個食の時代に帰って輝いてみえる。人と出会うことが贅沢に思える時代の秋の外鍋は、全国に普及するだろう。
山形県に視察旅行で訪問する。松尾芭蕉で有名な山寺を訪問するため調べていたら、「不易流行」は芭蕉の言葉だという。そこで有名な句を調べてみるとご当地の「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」はもちろん「古池や蛙飛びこむ水の音」「夏草や兵どもが夢の跡」「この道や行く人なしに秋の暮」「荒海や佐渡に横たふ天の河」などは共通点がある。それは変わらないものに小さな変化が起きて、変化が終われば又事の姿に戻る様子が描かれていることだ。まさに芭蕉の句は「不易流行」を描いたものだったのだ。
某社で部者研修を受講する。この中で行なわれたケーススタディの題材が「部下が犯したコンプライアンス違反」。もし、あなたの職場でこんな事件が発生したとき、部長職としてどのように対処すべきかグループ討議し発表するというものだ。即座にトップに伝えるのは当然だが、どこまでがコンプラ違反として問えるのかとなると考え方は人それぞれ。部長研修もこれぐらいリアルが題材だと面白い。
昨日まで「天の声」を続けて書いたが、天の声と言えば、故福田総理の「天の声にもたまには変な声もある」を思い出す。予備選の結果を聞いたときの言葉だが、予期せぬ結果を受け入れられない=頭の硬直化であり、それは進歩の停止を意味する。仕事柄、自分の否を認めず「わからないあなた方が馬鹿だ」と開き直るおっさんを見かけるが、実にみっともない。もっと素直に成長できる自分でいたい。
こうした天の声は同時期にいくつも届くものだ。昔から付き合いのある銀行員から電話をもらった。異動した横浜支店で何件ものクライアントを何件か紹介したいという。彼曰く、「理屈を固めるようなコンサルタントは嫌うが、浪花節も語れる実行派のコンサルタントの酒井さんならピタッとはまりそうな社長が何人か居る」。そんな期待に応えられるか分からないが、こう評価されて自分が貫くスタイルが見えた。
昨日の天の声は、一箇所からだけではなかった。故あってが私の著作物を全部再読したという雑誌社の元編集長は「酒井さんはやっぱ『提案型営業の3行』と『お客様から言われてみたい言葉』だよね」と断定してくれた。これが昨日のクライアントの指摘と同じなのだ。それもそれぞれのテクニックではなく、その本質を伝えようとする姿勢に価値があるという。テクニックより姿勢を説く・伝える。時代は、そこを求めている。
あるクライアントから、次の営業担当者研修には私の昨年のテキストを使わず私が一昨年作成し用いたテキストを使って欲しいとの依頼を受けた。詳しく聞くと、昨年のテキストは少しテクニックに走りすぎていて、研修のテーマであるソリューションの本質が薄まっているとの指摘だった。確かにこの2年くらい、もっと簡単簡潔にソリューションを伝えようとしてテクニックに走りすぎたようだ。
岐阜駅のタクシー行列。この客待ち運転手にヤクルトを売るヤクルトレディを見つけた。こんなところにも売るんだ…と感心していると、運転手の一人が「けっこう売れるんですよ。みんな買いますからね」。見ていると、多くの運転手が運転席に座ったまま買っていた。それもヤクルトお姉さんとの会話を楽しみながら。健康と会話を買う一石二鳥。客待ちの、こんな充実した時間の過ごし方もないだろう。
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