甲子園で2勝した能代商業の地元の練習グランドがTVで報道された。同校は2年連続出場だが、昨年は鹿児島実業に0-15(相手23安打、能代商3安打)「で大敗している。その屈辱を晴らすべくそのときのスコアボードが掲示されていた。1年間、これを掲げてプレーしてきたのだ。そして今年、再び当たった鹿児島代表校に5−3で勝利した。捲土重来の精神で成長する選手の姿を見て、勇気付けられた。
今年の甲子園の高校野球は本塁でのクロスプレー&タッチアウトが多い。かつてはそれが奇跡のように言われたが、今では当たり前の光景になった。選手がイチローや松井選手のレーザービームを観練習を積んだ成果だろう。イチローや松井選手は内野手の方が優れている、花形といわれた外野手のイメージをガラリと変えた。直接指導することのなくても憧れが存在することは、人財育成上欠かせないのだ。
UFOキャッチャーばかりのゲームセンタを覗く。その店の景品の人形の6割が「ワンピース」キャラだったので驚いた。「麦わらの一味」だけでなく、長い連載の中で一瞬だけ出てきたような敵キャラも多数存在。おそらくUFOキャッチャーでしか手に入らないレアものも多いのだろう。このフィギュアのために何千円と突っ込む中高生が目に浮かんだが、自己投影心を煽るこんな企画を考えた人に脱帽だ。
子供と故郷の川で遊んだ。流れに乗って泳ぐ・岩場から飛び込む・ヤマメを釣る・アマゴを潜って突く…やれることはこのくらいなのだが、どれだけやっていても飽きない。悲鳴を上げるほど冷水と、これ以上はないという透明な波に流されると、大人も子供もすべてを忘れて童心に返る。帰りに息子が「今日は遊び尽くした」と言ってくれて嬉しかったが、人生のデザートというべき最高の贅沢タイムだった。
墓参用の花を買いに行く。いつもの店でいつもの花を頼むと、いつもより綺麗でない。「?」と思って店の奥を見ると、「浄財」の張り紙。今日は店主のおじさんが出てこなかったが、おそらく店主であるおじさんが亡くなり、奥さんと息子さんでやっているのだろう。「追加料金を払うのでもう少し綺麗にして」と頼み対応してもらったが、個人技を標準化しておかないとサービス業は安定したCSを提供できない。
プロ野球を観る。外人投手の投げ合いで、非常に試合進行のテンポが良かったが、日本人投手に代わった途端に進みが悪くなった。投手によって投球の間合いが全然違うのである。長い投手は、一球毎にプレートをはずし、ロージンを触り、帽子を取って汗をぬぐい、 何度もランナーを見る。これで、途中の1分20秒。他の投手は10〜12秒。一球が命がけというのはわかるが、サッと決めサッと動くのが気持ち良いのはどの仕事も一緒だ。
喜多川泰氏の『賢者の書』の中に、武士道精神誕生に関する記載があった。江戸時代は身分差が厳しく、「何になるか」を選べなかった時代。よって武士は「どんな武士になるかを考えて生きる」ことにこだわり、それが武士道精神となったという。今日、職業は誰でも自由に選べる。その中で「何になるか」ばかりがクローズアップされ、「どんな人間になるかを考えて生きる」ことを忘れてしまったと、喜多川氏は警鐘を鳴らす。その警鐘は、私のような愚かな人間にも届いた。
野口嘉則氏の『いつだって、うまくいく!』の中に、こんな話が紹介されていた。フランス革命史の著者は、不運なことにその原稿を完成させた後に、その原稿を消失してしまう。その失意のどん底の中で「これくらいのことでくじけるような人間が書いたフランス革命史には価値がない。この本は誰が書いたかが問題なのだ」と意を決し再び著作に挑む。その姿勢に感動するとともに、本を書くことの本質を見た。
某外食チェーンの社長と話す。同社は価格ではなく、味と前後のサービス品質によって顧客から評価される会社を目指している。そのため同店は実際に高い客単価にもかかわらず行列ができる大変魅力的な店になっている。その社長が上場したいという。が、上場が必要か、慎重に考えたほうがいい。株主が増えると、個性的であり続けることが難しくなる。多店舗化より、個性を慕うファンを育てるべきだと思う。
沖縄に出張。ランチタイムにクライアントの女性が連れて行ってくれた店は、探さないと見つからない看板しか出ていない「隠れ家」のような存在の店だった。古民家を改造したそのレストランに入ると、那覇市内の特有の雑踏と熱砂から開放された。メニューはなく、決まった定食しか出さない。三種のサラダとテビチーとコーヒーがバイキング。都心にありながら沖縄の田舎を体験でき、大満足だった。