今日というかこの日記書く前に行ってきました。どこへ?って視覚障害者の施設。先週お話してて、今日出かける前に再度電話させてもらって行ってきました。なんかすごいんですよ。病気や事故で視力を失われた方、生まれつき弱視の方、40人ほどいらっしゃるみたいですが、とても障害をもってられるように思わないぐらい、みんな頑張ってられます。そこの作業として陶芸、箱つくり、ミシン、点訳、それから洗濯のしわをのばすこととあるんです。年齢層も20代から60代くらいまでの方。今日は職員の方と、ボランティアの方が少しいらっしゃいました。 全盲のかたでも、直線縫いのミシンをかけられたり、箱を器用におられたりしています。ずっと同じ作業なんで大変だと思うけど、必死に生きようとされてるんです。まじめに地道にやられています。ボランティアの方がするのは、どうしても見ないとできない作業。例えば、ミシンをかけた後の糸の始末。それからパンフレットを箱に挟む作業。それから陶芸の最終仕上げなんかです。点字プリンターも初めてみせてもらいました。職員の方の話では、「ここはあくまでも作業の訓練の場所。でも、このご時世、普通の方でもリストラされる時代に、障害をもってられるかたの就職は不可能ですが、受け入れ場所も少なく、施設に入りたくても入れない方も沢山いられる。職員も人数的に足りなくても補ってもらえることもないから、結局はボランティアに頼るしかない。だから1日3時間でもいいから、ボランティアしていただける方を募集してるんです。」って。1時間弱でしたが、いろんな話をしていただきました。障害者の方への同情はいらない。ただ、できない部分を補ってあげるだけでいいということも。例えば、物を落とされたから拾ってあげるのは、親切じゃないんです。それは自分で落とされたから自分で拾うのが当たり前なんです。ただ、いつまでも出来ないとき、それを手助けしてあげるだけでいいんですって。道で白い杖を持ってられる方をみたら、「どこかへいかれるのですか?お手伝いしましょうか?」って声をかけてあげることが大切で、必要とされる方は頼まれるでしょうし、必要でない方は断られるみたいです。 1時間弱ほどお話を聞かせてもらって、私自身の考えの浅さを実感させられました。私は本当の意味でのボランティアをしようとしてるんだろうか?それとも単なるお節介をやこうとしてるだけではないんだろうか?いや、もしかしたら、自分のボランティアをすることで、自分の満足感を得ようとしてるだけではないだろうか?けいちゃんへの思いをごまかすための時間をつぶすだけの材料として利用しようとしてるだけなんだろうか?って思います。 施設の職員の方は、「気軽に難しく考えないで1度参加してみてください。是非お電話お待ちしてます」って言って貰いました。帰り道、けいちゃんと1,2回歩いた道を一人歩きながら考えてみました。これだけ社会福祉って言われてる世の中だけど、まだまだなんだって思いました。
昨日、お風呂に入ってるとき、何故かけいちゃんのことが浮かんできました。私と入るときはすごく甘えてました。いっつも湯船も頭を洗うときも抱っこしてたんです。なんかけいちゃんがいるような予感がして抱いてあげようと思ったのに、けいちゃんいなくて悲しかった。けど、お風呂からあがっても、しばらくなんかけいちゃんがいるような感じがしてました。 もしかして、頑張ってる私に会いにきてくれたのかな?でも、泣き出しそうにしてた私を見て、まだやっぱりだめって思って夢にでてきてくれなかったのかな?
施設からの帰り、幼稚園に行ってみようかと思ったけど、やっぱり行けなかった。まだまだだね。ゆっくりでいいよね。
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