すごい地震がおきてますよね。思わず阪神大震災を思い出してしまいました。あの時はまだけいちゃんが産まれてなかったんだけど、怖かったです。 ここんところ、台風といい、その前の和歌山の地震といい、日本列島どうなるんだろう?って感じですよね。
昨日は久々に入力の仕事をして、あとで考えたらミスってるかも? そんな不安を取り消すように帰ってきたら地震の報道。びっくりです。 私もネットの知り合いが新潟にいるので、そく携帯に電話してしまいました。とりあえず車の中に非難してるみたいなんですが、 雨でないのがよかったみたいですね。
昨日ピアスをおしゃれのものに変えました。 いい感じです。夜は妹がきて、ピーズの探し。自分でもチャレンジすろとかで、ほしいビーズ持って行きました。妹にできるかな?やりだすとアレンジは得意分野なんですけどね。一番下の妹は全く駄目な人なんですよ。
台風次は大丈夫と思ってたら、進路を急転換しています。もういらないよって。
私、実は小5の時に祖母を。そして高2のときに祖父を亡くしました。 その時に「人間の生死」について真剣に考えたときがあります。でも、誰に聞いても答えは教えてもらえなかった。例えば「死んだら、魂がどうなる?」「今私がこうして話ししたり行動してるのは私なの?私の体がそうなだけに、もし違う体だったら、自然にある花とかだったら?」って魂のことを含めて真剣に考えました。その答えはもちろん、ヒントも教えてもらえなかった。その後、私は非常に人の「死」に触れるのがとっても怖かった。 親戚や知り合いの「死」に出会ったとき、私はどうしても行かなくては行けないところしか行かないようにして、仮に行ったとしてもその場から逃げるように帰ってきました。そしてそれから私が無になるとそのことを考えるようになるので、できるだけ、頭は無にならないようにしてきました。 ところが、自分の子供が亡くなったとき、再びその問題を抱えるようになりました。でも、今回は恐怖はなく、正面からその問題に立ち向かえるようになりました。まだまだ答えは出ていません。もちろん、答えはでてませんが、真正面から真剣に考えるようになれたのは、周りに同じ体験をしてる人、そしてそのヒントを教えてくれる人がいるからなんです。そう思えば、 変な言い方だけど、けいちゃんは私にその問題から逃げてた私に再び向かい合うように、そしていつか親との別れ、そして自分自身にやってくる自分自身との別れを恐怖で送るのではなく、前をむいたままで安らかに迎えるときができるようにとして教えてくれるために私の前に現れてきてくれたように思えると、桂ちゃんがとても尊いものだったように思えます。そしていろんな人に出会いを結びつけてくれた縁をつないでくれたけいちゃんに感謝です。これから頑張って瞑想をしようと思います。
さて、昨日プリンター買い替えたんで、そのセッティングをするかどうかわかりませんが、今日、明日じと夫婦して休みなので、主人はイカ釣りに行きたくてって感じです。
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