今週の仕事終わりました。 帰ってきてたまたまついてた子供の心臓移植のテレビ。6歳か。子供の脳死が問題になってましたが、正直複雑だと思います。けいちゃんが脳死になって1年8ヶ月。その期間がけいちゃんにとってよかったのかどうかはわかりませんけど、私には生きてくれてありがとうって思う。例え脳死であろうとも生きていれば体の温もりも感じることができたから。もっと生きて欲しかった。でも、もし全く回復することがないのであればその元気な部分だけを他の命へバトンタッチをするのもいいのかもしれないけど、私はやっぱり生きてほしいです。だから1年8ヶ月頑張ってくれたことに感謝です。 これからの季節私がまた凹む季節が始まりました。その兆候として同じくらいの年の子供をみたらけいちゃんの姿を重ねてしまっています。そしてそれは決して9歳のけいちゃんでなくて、6歳や4歳の子供の姿に当時のけいちゃんを重ねようとしています。本当なら9歳のけいちゃんはもう少し子供らしくおにいちゃんになってるはずなんだけど、私の頭の中ではけいちゃんの姿は4歳で止まってるんです。
今日初めて、職場でけいちゃんの他界の話をしました。ある人から子供は二人?って聞かれて、すぐ出てきたのが、本当はもう一人居たんですけどね。って。それから事情を簡単に話したんですけど、元気な職場だから、あんまり暗くしたくないから、もう平気に振舞ってるんですけど、本当はこれから凹む季節なんだけどって思いながらも、作り笑顔で仕事してる自分がいるんですね。机におかれた鏡でふと自分の顔をみたら、ほんまに作り笑顔。そしてわざとトーンをあげてしゃべる私のトーク。こんなことしてたら疲れるのもわかってるけど、それが仕事と割り切って頑張っています。これから凹む自分と反比例するようにもう一人の作った私が出来上がるのです。そして夜になると、いえ、一人の帰路になると、不安と寂しさがのしかかってくる時間がやってきます。何が不安?これ以上大切な人を失いたくないから。 年老いた両親にも多分近い将来やってくる別れ、その不安です。そしてこの世の中、主人にもそして子供達にもどんな事件がおきるかもわからない不安がやってくるんです。
明日は一ヶ月ぶりのカウンセリング。自分の正直な気持ちを話してきます。
けいちゃん、1年8ヶ月頑張ってくれてありがとう。
|