前潟都窪の日記

2004年09月14日(火) 【石灰岩が削られてできた美しい白砂海岸が続き、珍しい動植物の棲息する国・・オーストラリア西�◆�

 朝早くホテルを出発してバスで長駆、ナンプング国立公園へ向かった。コアラがユーカリの木の枝の上で寝ているところや、カンガルーやワラビーが餌をついばんでいるのを途中ヤンチェブ動物公園に立ち寄って見学した。



 やがてナンプング国立公園に到着し、ピナクルズでは奇岩の建ち並ぶ砂漠を小一時間散策した。このような奇岩はもともと大きな石灰岩の岩の塊が雨風に晒されて、小さなひびが入り、そこへ水がたまり穴となり植物の根が入り込んで岩を長い年月かけて割っていくのである。岩質の弱い部分が雨風と植物の根によって次第に破壊され、削られて固い部分だけが残って現在の奇岩を形成するのである。「砂漠の墓標」との異名があるように墓石のような形をした奇岩がいたるところに林立している光景は壮観である。

 ビナクルの観光を終えてランセリーという村の砂丘で四輪駆動のバスで砂丘下りをした。直径が1.5mほどもある大きなタイヤをつけた25人程乗れるこの車に乗り込むといきなり、勾配が45度位はあると思われる高さ20m位の砂丘の頂上から下り降りるのである。車は左右に大きく揺れるし乗客は悲鳴を上げるしでとてもスリリングな30分を楽しんだ。勾配のきつい急斜面の砂丘を急降下するので一瞬車が転覆するのではないかとの恐怖に襲われるが、そこはよくできていて車輪が砂にめりこむためスピードも自然に抑えられて乗客の悲鳴をよそに平地へ軟着陸するのである。

 このあと一路パースの町へ向けて帰還したが往復600kmにも及ぶ長いドライブであった。

 このドライブの過程で目撃した面白い光景は道路の交叉する十字路には必ずといっていい位に郵便箱がいくつも建ち並んでいる。この国では郵便屋さんは戸別に配達はしないで最寄りの道路に設置された郵便箱に置いていくのである郵便箱の設置者は自宅からここまでは郵便物を取りにこなければならないのである。流石広大な土地のあるオーストラリヤならではの光景であると感心したり驚いたりであった。

 また道路沿いに生えている立ち木は過半のものがユーカリ科のものでその種類は600種にもなるという。そしてユーカリのように背の高い木もこの国ではブッシュと呼んでいるのである。

 また行く先々でブッシュが黒く焼けた火事の後を何カ所も目撃した。これはブッシュファイヤーと称して自然発火して火事が起こり自然鎮火した後だという。ユーカリを初めブッシュは油分が多いので燃えやすく、朝露がレンズの役割をして自然発火は頻繁に起こるらしく、特別のことがない限り自然鎮火に任せるのがこの国のやり方なのだという。ブッシュファイヤーがないと林が活性化しないともいう。焼き畑農業のことを思い出させる光景であるヨセミテ公園でも山火事は自然鎮火に任せるのだという話を思い出した。日本との国土の広さが桁違いに大きい国ならではのことだなと思いながら説明を聞いた。

 フリーマントル港から高速遊覧船で30分程のところにロットネス島はあるこの島は全周約40kmで面積1900ヘクタールの小さな島であるが、美しい海岸があり、西オーストラリア有数のリゾート地になっている。島の住民は200人で小学生は25人しかいない。

 この島には大きな鼠に似たコッカという野生の有袋類の動物が約1万2千匹棲息しており手厚く保護されている。コッカはカンガルー等と同じように後ろ脚が大きく前肢が小さいのが特徴的である。コッカを保護するため島にはペット類は持ち込めないし、自動車も乗り入れることができない。島に居住できるのはこの島の管理業務に従事する公務員だけで、営業店舗の従業者は本島から連絡船で通勤しているのである。



 島の中を州政府管理の観光バスで周遊したが、白砂の長い海岸線には水に戯れる行楽客が多数見かけられたし、エメラルドグリーンに輝く海の色はとても美しかった。しかも海面にはクルージングやセーリングを楽しむボートやヨットが沢山浮かんでいた。

 フリーマントル港から高速遊覧船で30分程のところにロットネス島はある。この島は全周約40kmで面積1900ヘクタールの小さな島であるが、美しい海岸があり、西オーストラリア有数のリゾート地になっている。島の住民は200人で小学生は25人しかいない。
 島の名前のいわれは最初この島へきたオランダ人がコッカのことを鼠と間違えて 「ラットネス」と呼んだのが転化して「ロットネス」となったと言われている。

 この島には大きな鼠に似たコッカという野生の有袋類の動物が約1万2千匹棲息しており手厚く保護されている。コッカはカンガルー等と同じように後ろ脚が大きく前肢が小さいのが特徴的である。コッカを保護するため島にはペット類は持ち込めないし、自動車も乗り入れることができない。島に居住できるのはこの島の管理業務に従事する公務員だけで、営業店舗の従業者は本島から連絡船で通勤しているのである。 島の中を州政府管理の観光バスで周遊したが、白砂の長い海岸線には水に戯れる行楽客が多数見かけられたし、エメラルドグリーンに輝く海の色はとても美しかった。しかも海面にはクルージングやセーリングを楽しむボートやヨットが沢山浮かんでいた。風が強いので島には背の高い樹木はなく背丈の短いブッシュや草だけが繁っておりサイクリングやハイキングを楽しむ若者や子供達に何回も出くわした

 この日はゆっくりホテルを出てコフヌ動物公園へ行きコアラを抱いて写真をとった この動物園ではカンガルー、エミュ、カモノハシ、アルパカ、エギドナ(針鼠)、ワラビー等の珍しい動物を見学した。
 パースは3カ月〜半年位のロングステイに適した街だと思う。
 その理由は
 1)治安がいいこと。
 2)英語圏だから片言だが英語しか喋れない日本人にも言葉が通じるし、車が右ハン ドルであること。
 3)気候が夏でも蒸し暑くなく空気が乾燥していて凌ぎやすいこと。しかも冬寒くな 4)都市の中心地に頻繁に無料の公共バスが運行していること。
 5)物価が比較的安く年収280万円が平均的な生活であること。
 6)住居が比較的安価に借りられること。



2004年09月13日(月) 【石灰岩が削られてできた美しい白砂海岸が続き、珍しい動植物の棲息する国・・オーストラリア西� �

オーストラリアの旅2 パース、フリーマントル、ピナクルズ、ロットネス島
                 2002年2月11日〜2月15日

 最初キングスパークへ行った。パース市内を俯瞰できる場所にあり、眺めはとてもよかった。パース市内を東西に貫流するスワン川は市内ではとても川幅の広い川で湖かとの錯覚に陥る程の広さである。川向こうに建ち並ぶパース市内の高層ビルは新しいものが多い。ガラスの塔という鋭い穂先を持つ緑色の塔もパースのランドマークになっている。現地の人々はゴキブリタワーと悪口を言っているということだが、特徴のあるデザインはなかなか面白い。

 キングスパークはディズニーランドの7倍もの広さを誇る広大な公園でユーカリの木が沢山植えられていた。ユーカリの木には600種類程も品種があるということでとても生命力の強い木である。この木が一本庭に生えると他の植木は枯れてしまう程の逞しさであるという。



 次にモンガー湖へ立ち寄ってこの西オーストラリア州の州鳥「ブラックスワン」を見学した。カンガルーも何頭か目撃することができた。西オーストラリアでよく見られるカンガルーにはグレイカンガルーと赤カンガルーとがあるということであるが、モンガー湖で目撃したのはグレーカンガルーであった。



 カンガルーは哺乳類・有袋目・カンガルー科の草食性動物であり、オーストラリアタスマニア、ニューギニアにしか棲息していない。胎盤がないため胎児は受胎後約二週間程で体長約2cm位の大きさで生み落とされるが、前肢の鋭い爪で母親の母嚢のなかに入り、乳頭に吸いついて受乳しながら生育する。又有袋類の動物でコアラ、コッカはこの国だけのものであり、特に珍しい動物ではカモノハシがある。この大陸だけでしか見られない動物達が沢山棲息していて珍しい。

 地質時代の古生代ペルム紀(約2億8千万年前〜約2億4千万年前)から中生代ジュラ紀(約2億年前〜約1億4千万年前)にかけてゴンドアナ大陸というのがあって現在のアフリカ大陸、インド半島、オーストラリア大陸は地続きで南半球に広がる一つの大陸であったと考えられている。それが相次ぐ地殻変動により次第に姿が変わり凡そ3万5千年前の氷河期にオーストラリアは分離して孤立化し現在の大陸の形が出来上がった。

 その後約1万5千年前に原住民のアボリジニが東南アジアの島々で僅かに繋がっていた元のゴンドアナ大陸から島伝いにこの地へ歩いて渡ってきたと考えられている。その時アボリジニはデインゴという犬に似た動物をペットとして連れてきたらしい。それ以来、海に遮られてオーストラリア大陸へは外部から動植物が入ってこなくなり独特の進化をとげ現在見られるような他の大陸では見られない珍しい動植物が棲息し繁茂しているのである。
 そのような事情もあって、この国では他の大陸では見られない珍しい動植物の種を保護し保存するため、外敵となりうる外来種の輸入に対する規制には大変厳しいものがある。

 一例をあげれば、観光客が入国するに当たっても食品類の持ち込みは大半のものが禁止されている。食品に付着して入ってくる種子や菌等がこの大陸の植生に悪影響を及ぼすことを極端に警戒するからである。例えば米について言えばこの国にも市場に米は流通しているが、これは農産物としての米を輸入したのではなく、厳密な検査を行った上で輸入した種子をこの地で育成栽培した自給農産物なのである。日本の「越ひかり」に品質的にひけをとらない「オーストラリア産越ひかり」が日本の十分の一位の価格で販売されている。

 入国の時、空港では必ず携帯品の申告をしなければならないが、見ていると日本人観光客は殆ど全員が携帯荷物の内容物について逐一、厳密に個別検査されている。それに対して欧米人観光客は自ら食べ物を提示して簡単に検査を終了している。

 日本人観光客に対してだけ何故検査が厳しいのかと現地ガイドに聞いてみると、日本人とオーストラリア人の国民性や精神風土、習慣の相違を際立たせる話を聞かせてくれた。

 それは提出する書類の中に「食べ物を持っていますか」という質問項目があるが、過半の日本人は「ノー」にチェックをつけるという。そして署名欄には機械的にサインをする。

 実際に荷物の内容を検査してみると「煎餅」「海産物の加工食品」等の所謂ビールのつまみや飴玉やスナック菓子のような食べ物が必ず出てくるのだという。指摘されると「入れていたのをうっかりして忘れていた」等と言い訳をする。

 オーストラリア人の検査官に言わせれば「あなたが携帯した食べ物は火が通っていて包装もしっかりしているから持ち込みは認められますよ。何故正直に申告しないのですか。何故持っていないと嘘をつくのですか。サインをしているではありません か」ということになる。日本人のこのような性癖を最近の検査官はよく理解しているから「食べ物は持っていません」と申告した日本人観光客の携帯荷物は必ず開けて内容物を逐一検査をするようになったという。 「食べ物を持っています」という欄にチェックをして申告した人に対しては「食べ物はどれですか」と提示を求め、申告した食べ物を検査するだけで他の内容物の個別検査はしないで通すことが多いという。

 契約社会における「サインの持つ意味の大きさ」や「自分の証言に対する責任」を重視するオーストラリア人と「この程度のことなら誰でもやっていることで、嘘も方便だ。嘘でも百回つけば真実になる」と考える日本人の精神風土の特異性や物の考え方の相違を気づかせられる話であった。

 最近話題となった、或るNGOのアフガニスタン復興会議出席拒否問題を巡って発生した外務大臣と族議員との間の「言った、言わない」論争も案外こんなところに共通の根があるのではないかと一人思いを巡らせていた。

 スワン川下流の港町フリーマントルへ行った。この町は1830年頃からパースの外港としてヨーロッパからの入植者達によって開拓された町であるがイタリアからの移民が多い。レストラン等もイタリア式のものが多く、美味しいエスプレッソを飲ませる店もあった。

 この町は各国の南極探検隊の最後の補給基地としても有名である。海岸には大きなクレーンが林立し、広大な敷地には荷揚げされたコンテナーや船積みを待つ荷物が幾重にも積み重ねられていた。

 ここでは岸壁に建てられたラウンドハウスという小麦倉庫を見学した。今は歴史的な記念館となっていて建物だけしか残っていないが、倉庫の部屋は監獄として使われたこともある。また建物の中央部は横穴があいたような作りになっているが、これは昔、鯨を海から引き上げてこの穴のあいた場所で解体作業をやったのだという。

 パースでもここフリーマントルでもそうであるが、市内には無料の公営バスが頻繁に往来しているし、町並み自体は美しく整備されていて如何にも裕福そうな市街地を形成している。そして治安は非常にいいので女性が夜中に町中を一人歩きしても問題は起こらず安全だという。

 また西オーストラリアでは日本よりは物価が多少安く、平均的な年収は280万円程であるという。

 西オーストラリアの海岸は石灰岩が削られてできた白砂の美しい海岸が多く海の色はエメラルドグリーンに光っていてとても美しい。しかも盛夏だというのに湿度が低く空気が乾燥していてとても凌ぎやすい気候である。海から吹き上げてくる風が強く肌に快い。老後ロングステイをするには適した町だなとの印象を受けた。



2004年09月12日(日) 【湯煙たなびく牧羊の国、移民の国・・ニュージーランド�◆�

 昨夜泊まったホテルを朝早く出発してフッカー谷のトレッキングのため、マウントクックビレッジのヘリテージホテルへバスで移動した。このホテルのある村はマウントクックへ登山するための基地になっていて標高は七六0mである。日本人の若い男性ガイド二人が大きなリュックサックを担いで我々のグループが到着するのを待っていた。生憎雨が降っており、夏とは思えない程の寒さである。この地は国立公園になっていて樹木の伐採や植物の採取は禁止されている。また公園管理者及びガイドとその家族だけしか居住できない定めになっているし、新たな建造物の建設も禁止されているそうである。人間が入り込んできて環境が破壊されることを防止するための措置であるという。原生林をそのままの状態に維持するために今では国を挙げて取り組んでいるのである。

 小雨がそぼ降る中をバスでホッカーバレーのキャンプ地まで運んで貰い、ここからU字谷の砂利道を登ったり下ったりして、左右にモレーン(氷河で押し流され堆積してできた小高い丘)を見ながら、ミューラー湖の岸辺にフッカーズ氷河の先端が迫っているところまでトレッキングした。往復約二時間の距離であったがマタゴオリと言われるトゲの生えた原生植物やワイルドスパニッシュ等の植物の説明を受けながら、途中フッカー川にかかる吊り橋を恐る恐る渡って目的地まで到達した。今はマタゴオリやワイルドスパニッシュと呼ばれる原生植物は保護しなければならないほど少なくなっているがこの地へ初めて人間が調査に入った頃には密度濃くマタゴオリが繁っていたしかし入植した村人達が原生林を伐採して薪にしたため現在のような見る影もない姿になったのだという。

 フッカーズ氷河は一見砂利の集積した河原にしか見えない。然し説明されてよく見ると、河原の所々に逆三角形の形をした白い割れ込みがあるのが判る。これが氷河の先端であって、白く見えるのが氷なのだ。この地の氷河は長い年月をかけて地下に潜り込み土石を下流に流していくのであるが、地球の温暖化の影響を受けて一部が融けだし、今我々が逆三角形の白い形として観察しているのである。ノルーウェーで見学した氷河の先端は十数mの高さにも及ぶあたかもビルデイングの如き氷の壁であったが、ここでは河砂利の下に僅かに顔を覗かせているだけの氷河であった。同じ氷河と言っても場所が違えばこのように違うものかとの思いで一杯であった。

 フッカーズ氷河の見学を終え、再びテカポ湖畔の「羊飼いの教会」まで戻ってくると丁度日本人同志の結婚式が行われており、花嫁が父親に腕を預けてバージンロードを行進しようとしているところであった。

 翌朝九時にオークランドのホテルを出発してロトルアへ向かい、途中パームスプリングという場所で羊の毛刈りショーを見学した。ショーは羊の群れを巧く柵の中へ追い込む牧羊犬二種類の実演と羊の毛をバリカンで素早く刈り取る実演が行われた。三八秒で一匹の羊の毛を一本も残さず刈り取り、しかも羊の体に切り傷一つもつけないその手際よさには感心したものである。



 ロトルアではテ・ワカレ・ワレア・タンガオ・テ・タウア・アワヒ・アオという舌を噛むような名前の国立公園で間歇泉の噴出する状況を観察した。ここはもともと先住民であるマオリ族の人々が温泉の湧き出る神聖な土地としてその領有を争った所である。今は屈指の観光地として賑わっており、この柵で囲われた公園の中にはマオリ族の装飾を施した神聖な集会所も設置されている。公園の中ではマオリ族の女性が龍舌蘭の葉に似たフラットと呼ばれる植物繊維で民俗衣装を織る実演をしている。この夜は民族舞踊を鑑賞後温泉に入り気分よく盃を重ねたので酔いも廻って快眠を貪った。

 翌朝は最後の観光地ワイトモへ長駆バスドライブである。ここでは蠅の仲間であるグロー・ワームが光を発する所を鍾乳洞内で観察した。この虫は昆虫や虫を捕獲して食べる習性があり、獲物をおびきよせるために光を発するのである。このグロー・ワームは学名アラクノエアンパルミノサと呼ばれ通常「土蛍」の名前で知られている。湿気が多くて餌も豊富な、そしてぶら下がることの出来る岩壁があるところに生息している。土蛍は粘液とシルクで空洞のチューブ状の巣を作り、シルクの糸でこれを洞窟の天井に接着する。巣の下には釣り糸の役割を果たすねばねばした粘液でコーティングされた二十〜三十本の糸がぶら下がっている。これに吸着された虫を捕らえて餌にするのである。

 洞窟の中の池にはボートが用意されておりこれに乗って約五分間、真っ暗な中を声をださないようにして就航し、天井に光輝いている土蛍の発光を見学する仕掛けになっているのである。暗闇の中で天井に無数に光輝いている有り様はまさしく幻想的なパノラマの世界であり、星空よりも密度濃く土蛍が瞬きもせず静かに光っている。

 このあとニュージーランドでしか見られない夜行性の飛べない鳥キウイが真っ暗な飼育場で飼われているところを見学することもできた。この鳥は光や物音に敏感なため、撮影禁止となっており、明るい所では剥製でしか見ることができない。



2004年09月11日(土) 【湯煙たなびく牧羊の国、移民の国・・ニュージーランド� �

湯煙たなびく牧羊の国、移民の国
ニュージーランドの旅 クライストチャーチ、ホッカーバレー、ロトルア、ワイトモ
                 2000年2月11日〜2月17日

 二月十二日オークランドで乗り継ぎクライストチャーチへ到着した。機上から俯瞰すると樹木の生えていない山が多い。山並みの北側と南側では樹木の生え方が違っている。北側で濃度が濃く南側で薄い。これは太陽が北側を通るせいであろうか。南半球だからこその植生である。一瞬焼き畑かと紛うほどに黒く見える箇所がある。これは松や杉などの針葉樹が植林されている場所である。

 クライストチャーチでは美しい花の咲き乱れるモナ・ベイル邸を見学してから、次に標準的な市民の実生活を見学するため、郊外にあるフォーリー・キーズ氏夫妻の邸宅を訪問した。紅茶と手作りのお菓子・スコーンを御馳走になった。この家の主人は鍛冶屋さんということであるが、ガーデニングが好きでおよそ三百坪ほどもある敷地には二階建ての邸宅と物置や作業小屋、鳥小屋が建っており庭の一部百五十坪程の所には芝生が植えられていた。芝生は綺麗に手入れされていて雑草一本も生えていないし、周囲を取り囲んで植えられている色々な種類の庭木の手入れもよく行き届き、その下には色とりどりの花が咲き乱れていた。家の壁という壁には花の入ったバスケットが吊るされていて今を盛りと沢山の花が咲いていた。敷地内には五坪程の子供用水泳プールもありこれは手作りであるという。ガイドの説明によればニュージーランド市民の平均的な住まいは百二十坪位の敷地に三つのベッドとダイニングルーム、リビングルーム、キチン、風呂場、手洗いのある一戸建ての家が千二百万円程であるというから、訪問したこの民家は標準以上の住まいということになるのであろうか。

 クライストチャーチはカンタベリー協会が1850年にイギリスからの移民船四艘で派遣した八百人が入植して開いた町である。そのリーダー達の出身校がオックスフォード大学クライストチャーチカレッジだったことからこの町名が決まった。彼らは故郷を偲んでイギリス風の町作りをしたので、主要な通りにはオックスフォード通りとかケンブリッジ通りとかイギリスそのものの名前がつけられている。

 大聖堂はこの町のランドマークともなっておりゴシック様式の美しいイギリス国教会の教会である。教会を中心とした広場は町の中心になっている。クライストチャーチの中心部には全長二千五百mの長方形のルートを走るトラムと称する路面電車が走っており町並みを鑑賞するには恰好の乗り物であり、観光客の人気も高い。我々も翌朝、始発のトラムに乗って一周し町並みを見学した。運転手や車掌ものんびりしていてエイボン川にかかる橋の近くの乗り場では停車中に電車から下りて川の中に鰻がいるかどうかを観察したりしている。乗客達もぞろぞろ降りだして運転手の視線の先を追ってみたりしている。この間約十分、なんとものどかな光景である。


 トラムの停車地点で観光ポイントの一つアートセンター横の広場には工芸品や骨董品の青空市場がたっており多くの観光客が掘り出し物を物色していて楽しい場所であるし、周囲に立ち並ぶ歴史的な建物群はイギリス風の景観を呈しており落ちついた雰囲気が漂っている。パステルカラーの店が軒を並べるニューリージェントストリートにはブティックや装飾品店やレストランが立ち並んでいて買い物客で賑わっており、おしゃれな感覚に溢れている。

 この市は別名ガーデンシティとも言われる程沢山の美しい公園をもっている。その公園の一つハグレー公園は一八二ヘクタールもの広大な広さを持ち東京ドームが三八個も入ってしまうほどの大きさで公園の中には一八ホールのゴルフ場まで備わっている。来る二月十八日からは花フェスティバルが開かれる予定になっており、公園ではその時開かれる彫刻展に出品するために最後の仕上げをしている数多くの芸術家達が熱心に鑿をふるっていた。トラムの通る通りにはその日のための絵がアーティスト達によって思い思いの題材で路面に描かれていた。昼食に日本料理を食べてから次の宿泊地テカポ湖へ向かった。

 クライストチャーチの郊外へでると間もなく広大な緑豊かな平野が広がっており、夥しい数の羊が放牧されていてのんびりと草を食んでいた。牛も沢山放牧されており色は黒、茶、黒と白のまだらとさまざまである。馬も放牧されているし意外に思ったのは鹿の群れがやはり放牧されていることであった。鹿も食用に飼われているとのことである。

 通り抜けたカンタベリー平野はニュージーランドの穀倉地帯であり、その広さはニュージーランドの平野部分の四三%を占めるというが、入植は一八六四年に始まり荒蕪地であった所を開墾し、樹木や牧草を植えて今日の緑豊かな平野に変貌したのである。この一帯の農家は牧畜と農業を兼業する混合農家と言われており約三万六千軒あるということである。三時間ほどものどかな田園風景を楽しみながらバスドライブを続けるうちにやがて正面に湖が見えてきだした。テカポ湖である。この湖は約二万年前の氷河から融けだした水でできた氷河湖である。湖面は碧色に光輝いており、畔には小さな教会も建っている。



2004年09月10日(金) 【ワーキングホリデーの若い日本人・・オーストラリア�ぁ�

平成10年8月23日(日)                          
 関西グループはシドニーへ向かうので朝、ホテルで別れて、我々は難度3〜4のターリーリバーのラフティングに向かった。現場へ行く前にターリーカントリークラブへ立ち寄り、ティータイムを取ったが、食堂ではラフティングのビデオを放映していた。どのような遊びなのか、不安に思っていたので食い入るようにして、これを見るとゴムボートから水中へ落ちたり、転覆して大騒ぎしている場面が頻繁にでてくるではないか。思わず、緊張感が背筋を駆け抜ける。最初は履いていった靴のまま挑戦しようとしていたが、靴は必ず濡れることが分かったので、レンタルの物を借りることにした。眼鏡も外したほうが良さそうなので不自由だが、外すことにした。         

 ライフジャケットを着用する前に、皆に倣ってナイロン制のシャツを着用しようと探したが、いずれも馬鹿でかくて体にあいそうもないので、海水パンツ一枚の裸で、挑戦することにした。後で考えて、転落したとき岩肌にぶっつかった時、肌を露出していると擦り傷ができるのではないか等と不安感がよぎっていく。サイズが合わなくてもぶかぶかのものでも着用すべきだったかなと反省するが、もう遅い。   

 同じゴムボートに乗っているのは、石村夫妻、安田夫妻、見知らぬ若い日本人女性の二人連れと私と日本人ガイドの馨君で計八人である。

 乗船前に指輪、イヤリング、眼鏡は危険だから外すようにと説明があったにもかかわらず、私の真向かいに乗った女性は宝石のついた指輪を外していない。これに気がついた私が指輪を外してないではないかとクレームをつけると「外れることはないから大丈夫ですよ」と平気な顔をしている。むしろ文句を付けられて不愉快だという顔をしている。私が問題にしたのは、激流でボートから投げ出される時などに、相手の顔に指輪の石が当たって大怪我をさせる場合のことを心配したのである。彼女にはその視点はなく、指輪が無くならなければ良いという視点しかないのである。プレイ中は一種の運命共同体を形成する仲間に対して、危害を加えることになるかもしれないという視点が抜け落ちているのである。たかが遊びで、言い争いをするのも大人げないと思ったので、黙認したが、世の中には、これに類した自分の都合だけしか考えていない行動が如何に多いかということの一つの証左でもある。             
 多少のオリエンテーションがあって、いきなり流れに漕ぎだした。ボートから落ちないように、また転覆しないようにと、緊張した動きが続く。ボート部で鍛えた経験から、全員のパドルの動きが一致していなければボートは転覆すると考えてイチニ、イチニの号令をかけたが、途中からキャッチ、ロー、キャッチ、ローに切り換えてボートの動きを仕切った。お蔭で、一度も転覆することなく、幾つかの急流を乗り切って行くと次第に慣れてきて緊張感はなくなってきた。そのうちいつしか、号令をかけるのも馬鹿馬鹿しくなってやめることにした。
 
 暫くしてこの遊びに慣れてくる頃には、船も下流にさしかかり、激しい流れの急流も少なくなった。安全上の問題がなくなったので、同乗のガイドはわざと企んでボートを転覆するように仕組んできた。見事転覆して、私はボートの下に沈んでしまった。暫く真っ暗なボートの下でもがいてから水中深く潜り、ボート下から脱出して水面へ首を出すことができた。多少慌てていたのでしたたかに水を飲んでしまった。今日のラフティングはスリリングで面白い体験であった。わざとボートが転覆するように仕向けたのも、オーストラリヤ人が「観光は個人の楽しみのため」「楽しみはスリリングである程、思い出に残って又、来たくなる」というコンセプトを実地に演出してくれたのではなかろうかと理解している。
                                        
 帰りのバスの窓から外の景色を眺めていると、山々の立木が見えるだけで、人家や人工の物は一切目に入らない。送電線すら見当たらない。旅行の最終日になって、折りにふれ感じていたことを纏めれば、次のようなことになろうか。

 第一に、自然環境を非常に大切にしている国だということ。これは外国から、穀物、動植物などの食糧品を持ち込ませないという政策を堅持していることからも読み取れる。他の大陸と違った生態系を持つ豪州は、上記のような政策を堅持することによってのみ、この国独特の生態系を保護することができるからである。

 第二に、観光立国として生きていこうとする国であること。私が参加した遊びは、乗馬ブーメラン投げ、パラセーリング



シュノーケルを着けての遊泳、ラフティングであるが何れも、本文中で触れたように「観光は個人の楽しみのため」というコンセプトが確立されており、プロモートする側においても徹底されているのである。これが、ホスタビリティーとして日常の接客行動に現れてくるように思える。
 これはハワイでも感じたことであるが、観光客に気軽に挨拶の言葉をかけてくることにも現れているように思える。

 第三に、若い日本人男女が、ワーキングホリデイ制度を使って、到る所で活躍していることである。気候的にも風土的にも日本の若者を魅きつけてやまないものがこの国にはあるということである。

 第四に、海岸を散歩していて、ビニール袋や空き缶、空きビン、煙草の吸殻、紙屑が全然見当たらないことである。朝の海岸の散歩で気のついたことであるが、まだ暗いうちから備え付けのごみ箱のごみを集めて廻っている市民の姿を目撃した。最初は市の清掃局員だろうとなにげなく考えていたが、服装や人品骨柄から判断するとどうもそうではなさそうである。見たところボランティアのようである。英語力があればその辺も確かめられたであろうが・・・・ 公共の施設を大切にし且つ綺麗に使うという公徳心が市民全員に堅持され、実践されているのであろうか。                  1998年8月27日記          



2004年09月09日(木) 【ワーキングホリデーの若い日本人・・オーストラリア��】

平成10年8月20日(木)                          
 昨夜は全員揃って顔合わせの夕食を楽しんだが、今日は全員揃っての朝食である。いつもの習慣で5時には目が覚めてしまう。散歩にでる前に湯でも沸かしておこうと用意をしていると中山氏が起き出してきて、今朝はにぎり飯を作ろうということになった。真空パックされたご飯の袋の説明を読むと袋に穴を3個ほど開けてから電子レンジにかけるようにと書いてある。熱湯で調理する方法もその下に書いてあるが、生憎値段表が糊張りされていて説明文がよく読めない。レンジが2分で湯炊きが15分だということも分かっている。加熱されるから中の空気を抜く為に穴を開けるのだなと理解して、レンジと湯炊きは調理時間の相違だけだと判断して、袋に穴を開けて調理を始めた。加熱されて空気が膨脹し爆発する危険のことだけにとらわれていた。炊きあがった頃、夫人達が集まってきてお握りを始めた。見ているとどうも様子がおかしい。ご飯が柔らかくてお粥のようだと言っている。そこではたと気がついた。穴を開けたから水が外から入り、お粥になったのだ。レンジの時は水が入る心配はないから穴を開けるが、湯炊きの時は水が入るから穴は開けない。子供でも分かる理屈である。寛大なメンバーのお蔭で嫌な顔一つ見せないで、食べて貰えたが、恥ずかしい体験であった。          
                                        
 キュランダ行きのガイドも昨日と同じ会社の松原という、これまた若い女性である。彼女は学生時代英国で一月程ホームステイをしてから英会話力を養い、卒業後高校の英語の教師になったという。夏休みに語学研修で学生を引率してオーストラリヤに来たが、魅力に取りつかれてしまったらしい。責任を果たすために担当学年が終了する三月を退職の時期と定めて、豪州移住の準備を進めたという。出身は名古屋地方の多治見市の老舗のタイル屋の娘らしい。現在ケアンズ市内にアパートを借りているが、ベッドルーム二つと居間台所、風呂と便所がついていて週当たり2万円の家賃だという。彼女の話ではオーストラリヤは電化製品は高いが、食料品は安いし、特に野菜類が豊富で安いので生活はしやすいということである。キュランダへはスカイウエイを六人乗りのゴンドラで熱帯性密林を上から眺めながら、四十五分の行程でキュランダスカイウエイ駅へ到着した。

 マーケット、バタフライサンクチュアリーを見学した後、



アポロジニの槍投げ、




笛吹き、民俗踊りを見学した。




ブーメランも投げたし、コアラを抱いて記念撮影もした。東南アジアの島々から遠い昔、先祖が渡ってきて住み着いたらしいが、体中に白い泥で模様を描いて、腰に布切れを纏っている姿はパプアニューギニアの住人とあまり変わらないのではないかと思ったりした。                         

 彼らアボリジニは、先住民として固有の文化を持ち、大自然の中で慎ましく平和に暮らしていた筈なのに、大航海時代にヨーロッパ人が押しかけてきて、土地を奪われ、虐殺され、辺境に追いやられて、絶滅の危機に晒されながらも、生き長らえて、今観光客の前でかつては生存手段であった槍投げやブーメランの術を、芸として披露し生活の糧を得ているのである。このようなことを考えると民族の消長、文明文化の発展、停滞と進歩等ということについて思いを致さざるをえない。日本民族は今飽食の時代を謳歌し、世界中到る所に進出して繁栄しているが、地球の温暖化と食糧問題はやがて近い将来、必ずや人類滅亡の兆しとなって現れてくるのではなかろうかという予感がする。     

 帰りは電車に乗ったが、長時間窓際に熱帯性密林の木々を眺めながらの道中はいささか飽きがきた。
 斎賀氏は夜、毎日カジノへ行って遊び、明け方2時頃帰ってくるらしい。丈夫なものである。
                    
平成10年8月21日(金)                          
 朝、6時半にホテルを出てタクシー1台でパラダイスパームゴルフクラブへ行った。宇津呂弁護士の教え子にあたる中野弁護士がアレンジしてくれたゴルフ場である。中山、安田、中野の3人がスタート続いて猪原、大熊、斎賀、石村の4人がこれを追うという形でプレーは進んだ。貸しクラブのため、ちょっと短い感じがしてボールの頭ばかりを叩いて、飛距離がでない。3ホール過ぎたころからやっと感じが掴めるようになったが既にそれまでに大きくスコアを崩して、落ちつく先が目に見えたようだ。軽井沢で調子の良かった石村氏も調子がでないようだ。結局、私は58と60で散々な目にあった。只一つ最終ホールで十メートル位あるパットを一打で沈めてボギーにしたのが自慢である。 ゴルフ場のテラスで昼食をとりながら雑談していると、肌に吹きつける風が心地よい。中野氏の現地事情の話を聞いていると時間が経つのも忘れてしまうようだ。ケアンズという街は日本の大京観光がリゾート地として開発してから俄に発展した街のようで、現地に生活する農民や漁民にとってはある日突然、棚からぼた餅が落ちてきて、あれよあれよという間に生活水準が向上し、観光客が押し寄せるようになっていたということのようである。それだけにインフラが十分でなく、東南アジアと日本の不況の影響を受けて、日本人観光客が減り、経済的にも苦境にたたされているらしい。街中には貸家、空き家のビラがあちこちに散見された。 

 ゴルフは、午前中に終わってしまいホテルへ帰ってからは自由行動ということになったので、洗濯をしてからホテルのプールで水泳をした。女性達は蟹食べ放題ツァーに参加して、既に帰宅していた。夕食は中野弁護士推奨のイタリアレストラン(ビアマーケットの2階にある店)でスバゲッティーとピザにワインをとって全員で会食した。



2004年09月08日(水) 【ワーキングホリデーの若い日本人・・オーストラリア�◆�

平成十年八月十九日(火)                           
 昨夜は十時を廻ってしまいレストランも閉まってしまったので、パンやバナナで夕食を済ませた。
 朝五時過ぎには目が覚めてしまった。湯を沸かしておいて洗面後、ビデオカメラを肩にして、海岸通りへ出てみた。大きな合歓の木の下は芝生になっており、これを通り抜けると海岸へ出る。海岸には歩道が舗装されており、既に現地の人達が老いも若きもそれぞれにショートパンツで走ったり、歩行したり、犬を歩かせたりしている。満潮時らしく海面は上がり、静かに波打っている。ホテルの直前の浜は礫石だらけである。マングローブが密生していたところを切り拓いて浜にしたらしい。左手前方にマングローブ林が見えているので、とりあえずそちらへ歩いていこうとすると、丁度右手前方の山に光がたちはじめた。日の出である。手前の海岸線から視線を前方に投げやると、さざ波のたっている海面の向こう側に濃紺に黒みがかった山並みが横たわっている。上空にはつい先程まで明けの明星が一際大きく、光彩を放って輝いていたのに、いつの間にか姿を消して、空に三条、山に二条、橙色の光の帯が輝やき始めた。空は朝焼けで朱色に変わり、山並みの色を紫色から次第に緑色に変えていく。日の出前の色の変化は実に素晴らしい。あっという間の変化である。日輪が円形の姿を現したのは六時五十分であった。眩しくてまともには目を向けられないが、ビデオカメラのファインダーから眺めていると、瞬時の太陽の形の変化を観察することができる。
                                        
 日の出をビデオカメラに収めて歩きはじめると、顔を合わせた外人がグッドモーニングと声を掛けてくる。概ね若い人達は黙っているが、年配の人は必ずといってよいほど声を掛けてくる。今度は行き違う外人にこちらから、グッドモーニングと声をかけてみる。すると必ず例外なしにグッドモーニングと返ってくる。それだけでも気持ちが清々しくなってくる。           
 帰国して、届いていたESSの会報を見て知ったことであるが、オーストラリアでは観光振興には力を入れており、特にタウンズビル市の観光振興団体のリチャードバワー局長は「観光のポイントは一度来た人にまた戻ってきて貰うこと」として、そのためには土地の人々が時間にして3分でも、1分でもよいから観光客に話しかけることを提唱して市民運動を展開しているという。外人は一般に、気軽に挨拶をするという習慣があるように思っていたが、散歩の途中で行き交う人々に朝の挨拶の声をかけるのは、市民運動の一つの現れだったのかもしれない。

 散歩をしていて挨拶をかわすことの素晴らしさを感じたことは前にもある。昨年は、一年間、京都市内の五条烏丸近くのマンションに住まいして、毎朝、五条大橋から北へ鴨川の河原を夜明けと共に歩きだし、荒神橋に至ってから折り返すことを朝の日課としていたのであるが、自分が能動的に挨拶をしかけるとどういう反応が現れるか実験してみたことがある。こちらから挨拶をすると先ず間違いなく、九十%の人は挨拶を返してくる。残りの十%の挨拶を返してこない人は決まって若い人である。そして特に、若い女性である。日本は治安の良いことでは世界でも指折りの国であるが、それでもたまには女性の一人歩きが事件に巻き込まれるということがあるので、若い女性は安全確保の観点から、当方の挨拶を無視するのであろうと理解していた。この傾向はケアンズでも見受けられた。若い女性はこちらの挨拶に対して、無視していく人が多いのである。変なオジサンではないというのにッタクモウ!    
                                        
 遊歩道の終点であり、且つ出発点でもある舟形の建物の中では、十人ばかりの人が集まって、宗教儀式めいた行為をしているのを目撃した。登る朝日を背後にして太陽エネルギーを体内に取り込んでいるような仕種がみられた。ビデオカメラで撮影していることがわかると、司祭者らしい太った白人女性が視線を投げかけてきてニッコリ微笑んだ。私も右手を挙げて挨拶を返した。浜辺のベンチでは若いカップルが男の膝の上に女が馬乗りになり、朝から熱いキスで夢中になっていた。カメラを向けるのも悪いような気がして、海浜で餌を漁る白い鳥の群れを撮影しながら、ついでにカメラを素早く回して瞬時、盗み撮りをした。       

 ホテルへ帰ると皆起き出してきて、朝食の用意を始める所であった。昨日のスケジュールの打ち合わせではオプショナルツアーに参加する費用として乗馬75$、キュランダ観光150$、グレートバリアリーフ観光140$、ターリーリバーラフティング128$と計493$必要となる。しかし、成田では300ドル程度しか両替していないので、現地通貨を調達する必要がある。そこで皆で、市内へ出掛けることにした。フロントへ立ち寄ると関西組の中山夫妻と斎賀氏が到着したところであった。 

 シティバンクのキャッシュカードを持参しているので、能書き通り、この
カードで現地通貨を引き出せるのか実験をしてみたかったが、なかなかシテイバンクのATMが見つからない。用意してきた日本円を両替して貰う方が手っとり早くてよいかなと考えながら歩いていると、案内書にも紹介されているトーマスクックという交換率のいい店を発見したので、ここで両替してもらい、マーケットで食料品を購入して帰った。午後から、迎えのバスで乗馬に出掛けた。       
                                        
 初めての乗馬なので、どんなことになるか心配であったが、若い日本人女性や男性がいきいきした顔で働いているので、内心言葉の問題で悩まなくてもいいなとホットした。最初馬を与えられて、騎乗してから日本語でガイドからたずな捌きの説明があった。幾つかの馬にたいする命令が、たずなの扱い方によってなされることが説明された。見本も示された。一通り説明を受けたが全部覚えているかどうか覚束ないところがある。もう一度復習してくれるといいのだがと思っていると、そのあといきなり、隊列を組んで歩行の開始である。林の中の坂道を上がったり下ったり、身の丈以上もあるブッシュの中を草を分けながら進んだり、川を渡ったりと初心者に対していきなり、実地の体験をさせるのである。軽い駆け足をしたときには、尾てい骨の皮が擦りむけるやら、落馬しやしないかと必死に鐙を踏みしめるやらで、まことにスリリングな体験であった。ここでまたオーストラリヤ人の観光に対するとらえ方の違いをはっきり感じた。  
                                        
 観光による異文化の理解ということもさることながら、「観光は個人の楽しみのため」というコンセプトが観光する人の側にもプロモートする側にも徹底しているということである。日本であれば、安全対策がどうの、訓練期間がどうのという問題が発生して、今回の乗馬のように手軽には楽しめないのではないかと思う。楽しむためには観るだけでなく参加することである。この当たりの基本的な認識の違いがあるのではなかろうか。ここであるソフトハウスの社長が言っていた、楽しいレジャーの要件を思い出した。その一は、ある程度の危険が内包されていること。その二は、ある程度金のかかること、そして最後に自分の技術力でコントロール出来ることというのであるが、核心をついている卓見だと思った。

 帰りのバスの中でワーキング・ホリデイでオーストラリヤに滞在している大学生の男子と隣合わせになったので聞いてみると、彼はこの牧場で働くかどうかを決めるために今日は現地見学にきたというのである。たまたま、近く契約終了で牧場を去る日本男子の後任として人を募集しているのを知って応募してきたというのである。カナダやタイ等で放浪した経験があるらしい。労働条件は宿泊所と三食を提供されるだけで、賃金は支給されないから小遣いと交通費は自己負担であるとのことである。彼らの主たる狙いは英会話が堪能になることと異国の文化を肌で感じ、変わった体験をすることにあるようである。それにしても若い日本人男女が溌剌として働いている姿は逞しいの一言に尽きる。

 夕食はピアマーケット内のハーバービューという中華料理のレストランで会食をしたが相対に旨い味付けであった。焼き飯、焼きそばの味が特によかったようだ。



2004年09月07日(火) 【ワーキングホリデーの若い日本人・・オーストラリア� �

オーストラリアの旅1 ケアンズ、キュランダ、アウター・グレート・バリアリーフ
                  1998年8月18〜8月24日
                                        
 毎年盛夏に、軽井沢で六友会のゴルフコンペが行われ、王領地にある宇津呂弁護士の別荘に集まって大学時代の仲間達が旧交を温めるのが恒例となっている。昨夏の例会後の楽しい団欒の中で、来年の夏には、オーストラリヤのリゾート地ケアンズに夫婦同伴で行って、ゴルフをしたり魚釣りをしたりして楽しもうではないかという提案が斎賀氏よりなされた。斎賀氏はケアンズへは何回も訪れ、ゴルフをしたりカジノで遊んだりして最も気に行っているリゾート地の一つであるという。オーストラリヤには行ったことのない人が殆どで、この提案は直ちに受け入れられた。メンバーの一員である中山氏が幹事役となり、日通旅行社を通して諸事万端遺漏なく、準備は進められた。また宇津呂氏や同氏の後輩である現地滞在の中野弁護士にも今回の旅行の計画実施には随分お世話になった。冒頭に当たり、先ず中山氏、宇津呂氏、中野氏に深甚なる感謝の意を表明したい。
                                        
 さて、平成十年八月十八日(火)はケアンズへ向けて出発の日である。朝六時半に自宅を出て、綱島駅まで車で送って貰ってから、YCATまでたどり着いたが時間的にはぎりぎりであった。家をでてからYCATまでは、一時間を見ておく必要があることが分かった。横浜駅まで携帯ラジオで英会話を聞きながら行動したが、電車の中では雑音が入ってなかなか聞き取り難い。ラジオで英語の勉強を始めてから二週間程経ったところである。還暦を迎えて、物覚えが悪くなってきているのを自覚しておりながら、英語の勉強に挑戦したのは三つのことが契機になっている。一つは、昨年末から年初にかけて二週間ハワイへ、大学のボート部の旧友達とOBクルーを編成して、遠征し国際試合に出漕したとき、公式行事でスピーチの内容が全然理解できず、困惑したこと。二つ目には、同行したメンバーでも商社へ就職した人達は海外駐在経験があり、ヒヤリングが出来て、自分の意思もなんとか表示できており、これを羨ましく感じたこと。三つ目にはハワイへ行ったメンバーの中で、今年横浜市役所を定年退職した北小路清氏が、向こう一年間は英語力を向上させるために、ラジオ英語講座を毎日聞くことを初めとして英会話教室へ通ったりして、集中的に英語の勉強に専念すると聞いたこと。そして猪原氏も英会話教室に通っていると聞いたこと。こうした友人達が、同年配でありながら努力している姿に触発されたからにほかならない。更に言えば今後、海外旅行へは体力と資金の許す限り、頻繁に出掛けたいと思っているからである。       
 リムジンバスは軽快に走行して、予定より十分程も早い到着となった。所要時間一時間と二十分ほどであった。日本航空の受け付けには誰も来ていなかった。様子を観察していると日通旅行の係員が近寄ってきて声を掛けてくれた。指定時間まで十五分ほどあったので、銀行へ立ち寄って外貨の両替を依頼したが混雑していて時間がかかってしまった。九時十分に再び受け付けへ行くと既に全員揃っていた。安田夫妻、猪原夫妻、石村夫妻の三夫妻である。家内が何故参加しないかという話になり、初孫が単身赴任の父親を追って、母子で近く米国へ移住する予定があるため、出発の準備やら孫のお守りやらで忙しいことを説明した。
 免税店では日本酒二本を買い求めた。ハワイ遠征の経験では重宝したからである。
 十一時始動、十八時六分着地。所要時間七時間、時差一時間プラスである。  
                                        
 ケアンズの町は、もうすっかり暗くなっていてタクシーからは外の景色ははっきり見えない。タクシーは十人乗りなので全員一台に乗ることができた。星が綺麗だと言っている人もいたが、座席の位置の関係で空を仰ぐことができない。それにしても窓の外に見えるのは椰子の木と砂糖黍畑で随分広い土地だなという印象である。そして街灯の点いている交差点で、高床式の住居を発見してやはり南方だなという印象を受けた。ほどなくマトソンプラッツアホテルへ到着した。予想していたよりも、規模が大きく外観は素晴らしいホテルである。 
 ホテルにはJTAの難波という若い女性が待っていてスケジュールについていろいろと世話を焼いてくれた。既に夜八時を廻った時刻である。仕事だとはいえ若い女性が責任感をもって頑張っている姿には神々しいものがある。
 部屋割りが七階と九階に分散していて不便なこと夥しい。そこで安田氏がマネージャーを呼んで部屋交換の交渉をしたところ、九階に纏めて貰えることになった。難しいやりとりを英語でこなす安田氏は流石、元伊藤忠の商社マンだけあって素晴らしい能力を身につけている。今後の海外旅行を考える時、英語圏の国ではせめて、安田氏程度の会話能力は身につけたいと思ったものである。それにはヒヤリングと場数と心臓の強さだと再認識した。



2004年09月06日(月) 【アパルトヘイトを廃止し逆差別の始まった国・・南アフリカ��】

 翌朝9時半にホテルを出てクラフトビレッジへ立ち寄りブッシュマン等の住居を見学したが生憎俄雨に遭遇したので写真もそこそこに土産物屋へ駆け込んで雨宿りをした この日はヘリコプターに乗って滝を空から見学する予定であったが、生憎大統領が視察に来訪するとのことで警備上の必要からヘリコプターの飛行が禁止され、取りやめとなってしまった。その代わりにアドバルーンに乗って上空から滝の見学をすることになったが、雨のためこれも中止になってしまった。今回の旅行で雨に邪魔されたのはここだけであった。

 このあとヴィクトリアフォールズ空港からヨハネスブルグ空港を経由してケープタウン空港まで機上の人となった。過半の時間が移動のために費やされた一日であった ケープタウンに到着したのは18時であったが、夏のためまだ日は高かった。出迎、えたガイドはベンさんという日本生まれの日系人で植物の名前に詳しい人であった。折からテーブルマウンテンには雲がかかり、あたかもテーブルクロスをかけた趣があった。

 バスで一回りケープタウン市内を見学してからホテルに入った。印象に残っているのはケープ・マレー・スケアと呼ばれる地域である。ここにはインドネシアからの移民が住んでいる地域でイスラム教信徒が多く、特色があるのはパステルカラーで町並みが華やかに彩られている光景であった。

 朝7時50分にホテルを出発してテーブル・マウンテンへ登った。



折からの快晴で空は抜けるように青くテーブルマウンテンの頂上台地を散策しながら眺める四囲の風景は絶景であった。特にライオンズヘッドやケープ岬先端間で伸びる山並みは印象に残る光景である。ケープタウン市街地の展望も素敵な光景である。



 この後、喜望峰 までドライブしたが途中、




ハウト湾より舟でシールアイライドの海豹を見学に行ったり、ボルダーズ・ビーチでペンギンやあざらしの棲息地を見学した。







 道々並木として植えられているユーカリの木に赤色や白色の花が咲いておりとても風情があった。ユーカリの花を見るのは初めての経験であった。またフィッシュ・ホーク・ギャレイで食べた生牡蠣は新鮮でとても美味しかった。

 ケープボイントの灯台まで山道を登り四囲に開ける雄大な景色を堪能した。

 再びケープタウンの市内へ戻り、ウォーターフロントのショッピング・モールでウインドウショッピングで時間を費やした。別に買い物があるわけでもないので与えられた時間を消化するのを持て余し、大道芸人が芸を披露するのを見て過ごした。

 今回の旅行の最後の晩餐をウォーターフロント内の洒落たレストランで食べたがイタリアレストランで魚料理であったのは嬉しかった。たまたま井上夫人の誕生日ということで店からケーキとキャンドルサービスがあり井上夫人の感激は極まり、晩餐会の雰囲気も大いに盛り上がった。

 日暮れまで時間があるのでウォーターフロント内を散策したら港の中にあざらしが集まっていて思わぬ光景に喜んだものである。

 暗くなるのを待ってシグナルポイントまでバスで登攀しケープタウンの夜景を見学した。ネオンサインが見当たらず、蝶々の羽の形で広がっている夜景はどこか函館を思い出させる光景であった。リオデジャネイロ、サイフランシスコと並んで世界の三大夜景であるとガイドのベンさんが言っていたがうべなるかなとの想いであった。

 夜景の見学を終えて市内へ戻ってくるとクリスマスのイルミネーションが華やかに点滅しておりこれも錦上花を添える光景であった。かくして南アフリカの旅は最後の時を迎えたのである。

 今日は南アフリカ最後の日である。朝9時にホテルを出発してカーステンボッシュ植物園へ行った。この植物園はテーブルマウンテンの南東斜面に広がる、敷地面積560haの世界でも有数の植物園である。南アフリカ産の植物の保護育成にあたるため南アフリカに育つ9000種類の植物が植えられ、その総数は20万本と言われている。

斜面に広がっているためだらだらと登っていく通路は散策にはよい運動ではあるが汗をかきやすい。折から快晴で雲一つなく照りつける太陽の日差しはきつい。木陰へはいると空気が乾燥しているだけに汗がサット引き心地よい。花壇に沢山夏の可憐な花が咲いていた。エリカの花だけは覚えたがその他の花の名前はメモしておかなかったので、その時は判ったつもりになっていたが、今ではもう思い出せない。旅行中メモをとることには心掛けているつもりでもこうして日記を整理しているとメモ帳のどこにも書いていないのでがっかりする。その時は億劫でも心してメモしなければならないとつくづく思った。

 温室へはいるのは蒸し暑いだろうからやめて、配給されたランチボックスを芝生へ持ち込んで食べた。握り飯二つと沢庵が入っており、大根と厚揚げの煮染めが美味しかった。腹は全然すいていないが、何せ10時半に配給されて荷物になるものだから早めに食べた。飛行機に乗ればまた機内サービスがある筈なので、全部食べてしまうと消化不良をおこしてしまいそうである。鶏肉のから揚げは腹にもたれるので捨てた味噌汁はインスタントの物であったが久しぶりに美味しかった。食後芝生の上で時間まで昼寝をした。傍らでは同室の武田さんが熱心にスケッチをしている。今回の旅行では武田さんには二つの刺激を与えられた。一つは暇さえあればスケッチブックを開いてスケッチすることと、朝必ず腹筋運動をすることの二つである。これは帰国したら見習いたいと思ったことである。

 このあと空港へ向かい、ケープタウン空港からヨハネスブルグへ向かった。途中窓から外の景色をつぶさに観察したら、荒蕪地の山脈を幾つか越えてヨハネスブルグ近くなったとき、田畑が丸く作られている光景を目撃した。アメリカのロスアンジェルス空港近くで見たのと同じ光景である。

 ヨハネスブルグ空港では2時間も出発が遅れてしまっい離陸は20時になってしまった。持参したコスモス文学の残りの部分を読むことに専念した。やがて香港向け南アフリカ航空の機上の人となった。

 同じ飛行機には中国人の団体が乗っており賑やかなことこの上もない。



2004年09月05日(日) 【アパルトヘイトを廃止し逆差別の始まった国・・南アフリカ�◆�

 ヨハネスブルグ空港からジンバブエのヴイクトリアフォール空港へ向かった。
 機上から眼下に広がる景色は赤土色をした山地と平野であるが比較的緑が 多く砂漠らしきものは見当たらない。ヴイクトリア・フォールズの空港は国際空港とはいえ、規模が小さく荷物を受け取るターンテーブルさえも設置されていない。まさにアフリカを感じさせる田舎の貧弱な空港である。

 ヴイクトリアの滝は対岸の道路から眺めるロケーションになっており、見晴らしのよい所に何カ所も観瀑台が設けられているが滝壺の近くまで船で出かけて観察するという仕掛けはなかった。船を浮かべるような池そのものが形成されておらず流れの早い川が谷底深いところに流れているだけなので無理からぬ話である。この滝のある川はザンベジ川でアンゴラの奥地に水源を発っし、ザンビア西部を縦断してから、ジンバブエとザンビアの国境線を形成して、その後モザンビーク海峡、インド洋へと注いでいる。滝の最大幅はおよそ1700mあり最大落差は108 mである。

6個あるヴィューポイントの観瀑台はそれぞれ光景の異なった滝が観察出 来るように設置されていて、端から順番に約2時間かけて滝を見物しながら歩いた。今は乾期にあたり滝の水量が少なく岩肌を露出している個所もあったし、滝自体が幾条もの流れに分かれて落下していた。

 リビングストンが木の刳り抜き舟で渡ったというリビングストンアイランドは鬱蒼とした木々に覆われていてその横を滝が流れ落ちていた。

 またレインボウ・フォールというヴィューポイントでは落差がこの滝最大の百八mあり、名前の如く虹が二重にかかってとても綺麗で且つ壮観であった。流れ落ちる水量が多いので水蒸気が立ちのぼり雨が降り注いでいるかのように水飛沫を浴びる個所もありスリリングな眺めであった。そんな場所では水蒸気のため視界が全然きかなくなってあたかも白い雲のただなかにいるような感じさえ受けた。

 翌朝ボツワナのチョベ国立公園へ向かった。国境ではタイヤの消毒と靴の裏の消毒をしてから入国手続きを行った。

 モワナ・サファリ・ロッジから四輪駆動のサファリ・カーに乗って野生の 動物を観察した。インパラ、プク、ヒヒ、象、ハネムーン中のライオン



鰐、表紋陸亀、栗鼠、いぼ猪、河馬、糞転がし、ホロホロ鳥、撞木鳥、三色海鷲、トニーイーグル、ライラック、西仏法僧等の動物や鳥、昆虫等を観察できた 昼食後はボートでチョベ川のボートサファリを行った。



このサファリでは象、インパラ、河馬、プク、クドウ、レチェ、イグアナ、鰐、レンカク、三色海鷲、喉白蜂食い、アフリカ禿げコウ、黒トキ、カワセミ、鷺、エジプトガン、ヘビウ等を見ることができた。



 面白かったのは川で水浴びをしている象が気持ちよくなって川の中で排便し糞が黄色い塊となってぷくぷく浮上してくるところで別の象が鼻で水を飲んでいる光景であった。




きりん




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