前潟都窪の日記

2005年05月12日(木) スロベニアの首都リュブリャーナ続き

4月14日(木)
 リブリャーナの中心部にあるのがプレシェレン広場。広場から旧市街へと続く。三本橋の側には19世紀の詩人フランツ・プレシェレンの銅像が建っている。この像も排気ガスの影響を受けてブロンズが薄汚く汚れていた。

 「日が昇る所、争いはこの世から消え、誰も自由な同胞となり・・・」はこの詩人の有名な作詩の一節であるが、この詩は1991年の独立戦争後、スロベニア国歌にとり入れられた。


 写真左はプレシェレン像。右の写真はリュブリャッツ川にかかる三本橋。




 リュブリャーナ市内の繁華街を暫し散策した。朝早くから開かれている市場ももうまもなく閉店という時間に見学することができた。

 近郊の農家の主婦達が取り立ての野菜類を並べて商っているが、野菜の他にも各種各様の日常生活用雑貨類も並べられていて品数も豊富であった。自由主義社会の生活を市民達が謳歌している様子を感じることができた。
 又川沿いのカフェには午後2時を過ぎたというのに市民達がコーヒーを飲みながら楽しそうに談笑していた。























 ニコライ大聖堂へ参詣した。世界遺産に登録されている。内部の装飾は金張りで豪華絢爛の一語につきる。
















 この教会ではたまたま二組の結婚式が行われているところで神前で牧師が新郎神父に祝辞を授けている場面に出会った。
 また運良く二組の新郎新婦を並べて撮影する幸運にも恵まれた。新婦の衣装はスロベニアの伝統的な結婚式の時だけに用いるものだという。 



リュブリャーナ市内に昔の錨が飾られていた。

リュブリャーナで泊まったMホテルの近くに桜と連翹の花が咲いていた。この旅行中、桜、連翹、えにしだ、藤、蒲公英など日本でなじみの花や柳をあちらこちらで観察することができた。









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2005年05月11日(水) スロベニアの首都リュブリャーナ

4月14日(木)
 スロベニアの首都リュブリャーナ市内を午前中見学した。リュブリャーナ城、聖ニコライ大聖堂、市庁舎、プレシェーレン広場、三本橋等を駆け足で廻り午後からは世界遺産のブレッド湖へ向かうことになる。

写真の上はリュブリャーナ市内の街並み、下は昼下がりの繁華街の川沿いの遊歩道。
























 リブリャーナ城から市内を展望した。中世の街の面影が残っている。

 下の写真の右側に見えている塔が聖ニコライ大聖堂でここには先日亡くなったローマ法王ヨハネ二世も来られたことがあり、ミサが行われた。スロベニアは殆どの国民がカソリック信者である。






















 リブリャーナ城を見学した。この城は現在市民の憩いの場として催し物等が開かれる。


 写真の上は入り口近くで城を撮影したもの。
 下の写真は城の内部に咲いていた花、桜に似て非なる花。チェリーだという人もあれば胡桃だという人もいた。

























 リブリャーナ城の内部では催し物が行われるらしく椅子が並べられていた。



 また入り口近くで子供達が珍しそうに集まってきたので写真を撮らせて貰った。
























お城の周辺は木立が美しく市民の憩いの場になっている。
上の写真はお城の入り口に至る並木道で緑の芽吹き時であった。




下の写真は農民一揆の記念像で像の台座には1473.1478.1515.1573.1713と西暦年号が刻ざまれていた。大規模な農民一揆の発生した年である。

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2005年05月10日(火) 水の都ベニス

4月13日 水上タクシーから対岸のベニスの街を眺めていると次々に、ルネッサンス時代に反映した商都の街並みが観察できて面白い。ベニス空港近くで飛行機が着陸体制に入ったとき、窓下に観察したベニス近郊はあたかも洪水のあとではないかと思われるほど平地には水面が光っていた。水上タクシーの中でそんなことを思い出しているとやがて、ベニスの港に到着した。そこに待ち受けていたのは色彩鮮やかな衣装を並べた屋台の店であった。一挙に旅情は高まる。














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 ベニスのドゥカーレ宮殿を見学した。ここには「ため息橋」というのがある。宮殿内の裁判所で判決を受けた罪人が監獄へ送られる時に渡る橋である。もうこれ以降は浮世を見ることもあるまいとため息をつくことから名付けられたという。



 写真上はドゥカーレ宮殿入り口。多くの外国の若者が見学にきていた。
 写真下の奥の橋が【ため息橋】で運河には多数のゴンドラが観光客を乗せてひっきりなしに運行している。さすが水の都ベニスを象徴する写真である。








ドゥカーレ宮殿に続いてサンマルコ寺院を見学した。ベニスへは前にも平成13年11月に「ルネッサンスの美術鑑賞の旅」で訪問しているから二回目である。
その時はサンマルコ広場は洪水直後でまだ水浸しであった。寺院の中は床の上まで冠水していて通路には架台の上に板を渡してあったのが記憶に残っている。

今回再びサンマルコ寺院へ参詣のため入場した。水こそたまっていなかったが、不等沈下が続いていることを証明するように大聖堂の床が波うっていた。水の都ベニスは遠くない将来水没してなくなる運命にあるようだ。地下水の汲み上げ過ぎが原因だとも言われている。前回訪問の時撮影した写真と対比して掲載してみた。上の写真は前回のもので広場に水が溜まっているのがわかる。













サンマルコ寺院の解説はここをクリック

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2005年05月09日(月) ベニスへ向かう

4月13日(水)
 ようやくパリを飛び立ったエールフランス機はアルプス山脈を北から南へ越えて、アルプス山脈の南側を平行してベニスへ向けて飛んだ。窓を開けると雲海の上に頭を突き出したアルプスの山々が雪を頂いて佇立しているのをこ一時間も眺めていたであろうか。名の通った山も幾つかを眼下に見たのであろうが、あまりにも数が多くて名前なぞとても判らない。







 パリやフランクフルトからアルプス越えしてスペインやエジプトやチュニジアへ飛んだことも過去に何回かあったが、こんなに長い時間アルプスの山々を観察できたのは初めての体験であった。

 やっとベニス空港へ到着して託送荷物が出てくるのを拾って鞄をチェックすると、なんと布製の鞄のファスナーを止めるスライダーの鍵穴が破壊されて、ファスナーが開いているではないか。中に入れてあった薬袋とか洗面用具とか幾つかの小物入れのファスナーが全部開けられていた。ざっと点検してみたが無くなっているものはないようでありホットした。この時は盗まれたことに未だ気がついていなかったのだが、眼鏡サックに忍ばせていたソニー製のICボイスレコーダーが無くなっていた。ベニスの宿について荷物を点検した時、初めて盗難に気がついたのである。




 被害は筆者だけでなく、他にも四人ほど金具を止め金具を壊されて中を物色された痕跡のあった同行者がいた。この人達は鞄の破損というだけの被害で内容物を盗まれてはいなかった。バリでは乗り継ぎに三時間もあったのでこの時間帯に狙われたものであろう。もうかれこれ7〜8年前スペインを訪問した時にもフランクフルト空港でこれと同じバッグの同じ箇所を壊されて内容物を物色されたことがあったのを思いだした。この時は内容物の被害はなかったのであるが、楽しかるべき旅が入り口のところでつまづき嫌な気分が一日中抜けきれなかった。貴重品は託送荷物の中にいれないのが旅の鉄則であるが、ボイスレコーダーを安易な気持ちで忍ばせたのは間違いであった。己の迂闊さに余計に腹立たしく出鼻をくじかれた感じであった。

 空港からはクロケットという港まで迎えのバスに乗って水の都ベニスへ向かった。

 ベニスへは船でしか交通手段がない。乗り込んだ水上バスからルネッサンス時代の面影をとどめる街並みを眺めていた。高い塔の右側に僅かに見える丸いドームがサンマルコ寺院











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2005年05月08日(日) パリまでの飛行時間はいかにも長い。

 4月12日〜13日
 成田からパリまでの飛行時間は実時間で約12時間程かかる。これはいかにも長い。子供達には退屈してしまう苦難の時間である。近くに座っていたフランス人の子供達は退屈しきって、しきりに近くの乗客に愛嬌を振りまいていた。











 飛行機は13日未明4時過ぎにパリのドゴール空港へ到着し、次のベニス行きの出発まで約3時間待機することになる。

 流石に国際空港のドゴール空港もこの時間はあまり人も多くない。それでも時間待ちをしている乗客のためにコーヒーショップは営業している。









ベニス行きの出発時間までGゲートで3時間の待機である。隣のHゲートでは先日天井の屋根が崩落するという事故があった。同じ形の天井はアルミの骨材が剥き出しになっていてそれなりの機能美を示している。











ドゴール空港で約3時間の待機時間を過ごしてからベニス行きのエールフランス航空機に搭乗し、次第に明けていくパリの空を眺めていた。写真上は搭乗を開始したベニス行きの航空機、下はベニス行き航空機の窓から。空の色が随分違う。





















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2005年05月07日(土) エールフランス・パリ行き便

4月12日エールフランスの夜行便でパリのドゴール空港目指して飛び立った。パリで乗り換えベニスへ飛び陸路スロベニアの首都リブリャーナへ入る。成田からパリまでの実飛行時間は約12時間の長い空の旅である。夕食をサービスしてくれた客室乗務員は、制服が新調されたばかりだと誇らしげに語ったので請うて写真を撮影させて貰った。夕食には和食を選択した。サービス業だけあってにこやかな笑みを振りまいてくれた。



筆者のパスポートの写真












2005年05月06日(金) 成田エクスプレス

 旅程が決まり参加する旅行社が決まり、旅先の研究をしているところへ日通旅行社から緊急連絡が入った。予定していた13日朝のエールフランスのパリ行きの便が満席で座席の確保が出来ないという。従って前日夕刻の便に変更して、ベニスの観光を半日プラスすることにしたという。

 毎日が日曜日の身にとってみれば日程的には全然問題がない。ベニスを再訪できるのであればむしろ歓迎である。だが準備万端抜かりのない旅行社にもこのような不手際があるものということを初めて経験した。だが考えてみればチャランポランで有名なエールフランスのことである。多分エールフランスの不手際でダブルブッキングに気がつかなかったのが原因であろうと推測している。因みにエールフランスのダブルブッキングは過去にも北欧からの帰途経験したことがある。この時は添乗員だけが積み残しという形で帰国したのであった。

4月12日夕刻、予定より一日早く成田空港へ向けて旅の始まりである。
 成田エクスプレスは海外旅行の時の行きにはよく利用する。リムジンバスの方が料金は安いのだが、敢えて成田エクスプレスにこだわるのには二つの理由がある。

 一つはリムジンバスは交通渋滞に巻き込まれた場合、集合時間に間に合わなくなるというリスクがある。

 次に、成田エクスプレスはクレジットカードで購入することができる。マスターズのゴールド会員は年会費の中に海外旅行者損害保険が付帯でついているからであり、その適用条件として旅行に関する費用をマスターズカードで支払ったことというのがあるからである。毎年高額の年会費を払っているのだから、せめて海外旅行損害保険位は適用されるようにしておかなければならない。

 さて予め購入しておいた成田エクスプレスに乗車した。東京からの乗車であったが、筆者の乗り込んだ車両は半分が空席であった。こんなことは初めてであった。夜出発という海外旅行は少ないということなのだろうか。



 何時もは成田空港では空港第二ビル駅で下車するのであるが、今回はエールフランス機ということもあって成田空港駅までの乗車である。成田空港駅で下車してまた驚いた。第二ビル駅下車の場合と比較して空港の出発ターミナルに居る乗客の数が極端に少ないのである。これも初めての体験であった。

錬金術虎の巻
  



2005年05月05日(木) このツァーに決めた事情

 今回は日通旅行社のメニューから選択してこのツァーに参加したが、それまでの旅行社選択の過程を記しておこう。

 行きたい場所はクロアチアと決めてあったから、後は旅行社の選定だけである。そこで三者から資料を入手して比較してみた。

 三つの旅行社のホームページで比較してみると以下のようなことが判った。

 出発日     ユーラシア旅行社  2005年4月6日
            阪急トラピックス  2005年4月2日
            日通旅行      2005年4月13日
 
 旅行期間    ユーラシア旅行社  9泊12日
            阪急トラピックス  8泊10日
            日通旅行      8泊10日
 
 旅行代金   ユーラシア旅行   358,000円
            阪急トラピック   289,000円
            日通旅行      248,000円

  ユーラシア旅行社は一泊二日旅程が長いが、日通旅行と比べると10万円の差がでている し阪急トラピックとも49,000円の差がある。

 確かにユーラシア旅行社では、�‥攣妻�屋へは原則として立ち寄らない。��現地では参加人員の多少にかかわらず必ず大型バスを運行させる。��オプショナルツアーは行わない。�だ睫世了�、イヤーホーンガイドを貸与し説明がよく聞こえるようにする。�ノ皇�の概要日記を帰国後郵送してくれる。�ε詐莪�が必ず旅行中一食分は日本食を携行してお客にサービスするという原則を堅持している。

このポリシーは非常に好ましいものであり、ユーラシア旅行社の旅は参加して良い思い出を残してくれる。これが他二社との値段の違いかなとも思う。

 見かけの値段は安くしておいてオプショナルツアーを組み込み、結果としては同じような値段になることもままあることではある。当然値段が違うのだから訪問先に多少のずれはでるであろうが、回数多くいろんなところへ行ってみたいと考えている旅行好きには表向きの値段が安いのは大きな魅力である。

 旅の値段とは旅の快適さと旅情の対価であるとはよく判っていても、一カ国でも沢山訪問したいと思っている筆者はためらうことなく、日通旅行を選択した。



2005年05月04日(水) スロベニア、クロアチア紀行

 暫くこの日記も更新をしなかった。去る4月12日から4月22日まで「煌きのクロアチア・スロベニア紀行10日間」というパックツァーに参加したからである。やっと落ちついてきたので毎日、この旅で見聞したことを記していくこととしよう。

注 この日記はブラウザの表示の欄で文字のサイズを大に設定してご覧下さい。





 先ず今回訪問したスロベニア、クロアチアとも旧ユーゴースロバキアの構成員であったが、1991年に始まったユーゴースラビアの崩壊によってスロバニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、マケドニア、セルビア・モンテネグロの五つの国に分かれてしまった。


今回訪問したスロベニアとクロアチアの位置は地図に示す通りである。

注 この地図は「ゆりこ」さんのHP【いつかきっと】の中の『スロベニア・クロアチア旅行記』掲載の地図をお借り致しました。


















また旅程は二つの旅程表に示した通りである。































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2005年04月11日(月) 秦   川 勝 連載54

 大化の改新の始まる直前の644 年東国の富士川のほとりで虫を祭る新興宗教が流行の兆しを見せていた。教祖は大生部多といい、祭神は常世の神と称する虫であった。その虫は長さ四寸あまりで親指ぐらいの太さで緑色に黒い
斑があり蚕によく似ていた。教祖の大生部多は人の心を捉えるのがうまく、常世の神を祭れば富と長寿が得られると説いて回っていた。「常世の神に捧げるお布施の量が多ければ多い程、貧しい人は富を得、老人は若返る」という神のお告げがあったと巫女達にしゃべらせていた。この言葉に乗せられて村里の善男、善女達は、家財を投げ出し、酒や野菜や馬、牛、羊、豚、犬、鶏等の家畜を道端に並べて「新しい富が入ってきたぞ」と連呼しては歌い踊りながら屯宅の方へ誘導されていくのである。群衆は煽動されているのもわからずに、恍惚として屯宅を襲い、手当たり次第に米や布を持ち出す暴徒の集団になっていった。大生部多が巧みに民衆の心をつかみ、唆して仕組んだ朝廷に対する反逆であった。規模が次第次第に大きくなっていくが首謀者の大生部多は巧みに隠れて指令を出しているので騒動は収まらず、東国の国造の手では鎮圧することができなかった。
「利益誘導して人心を惑わせるようなものは神でも仏でもない。大生部多は世の秩序を破壊し人心を惑わす邪教の元凶であるから成敗しなければならない。それが神祇を司り、仏教を崇拝する秦一族の務めであろう。私が世の中にお返しする最後のお務めとなろう」と宣言して秦河勝は精鋭の手勢を連れて出動した。秦河勝が念力をかけて透視すると大生部多は富士山麓の溶岩の中を迷走する風穴の中に潜んでいることが分かった。大生部多は秦河勝の手の者に捕まり成敗された。
 人々は「太秦は神とも神と聞こえくる常世の神を打ちき罰ますも」という歌を作って秦河勝の功績を讃えた。歌の意味は太秦の河勝は神の中の神という評判が聞こえてくるよ。常世の神といいふらした者を打ち殺したのだからということである。
このとき河勝は82才の高齢であった。精力を使い果たしたのか凱旋する と病床についた。
645 年6 月11日に秦河勝は「明日、大変なことが起きる」と言い残して病没した。奇しくも蘇我入鹿が大極殿で中大兄皇子らに暗殺される日の前日であった。

京福電鉄嵐山線帷子ノ辻駅から徒歩で十分程の所に「蛇塚古墳」と呼ばれる横穴式の前方後円墳が残されているがこれは秦河勝の墓とみられている。巨石を積み上げた幅4米、高さ5米、奥行き6米の石室が残されている。これは蘇我馬子の桃原墓に擬されている奈良の石舞台と同年代の7世紀頃に作られた古墳であり、その規模の大きさから秦氏の実力の程が窺われる。蛇塚古墳の東方にも天塚古墳が残されており、秦氏一族の古墳とみられている。
また京福電鉄嵐山線蚕の社駅から北へ徒歩5分のところに「木島坐天照御魂神社」があるが俗に「蚕の社」で通っている神社である。本殿東側にある養蚕神社は生糸を扱う人の信仰が厚く、秦氏の本拠地に鎮座していることは養蚕と機織りの技術に秀でた秦氏になんらかの形であやかろうとして建立されたものであろう。 (了)

明日からクロアチアとスロベニアへ旅行のため暫くの間、書き込みは休止します。

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