まつや清の日記

2004年06月05日(土) また一人旅

 通訳の方と別れ今日はまたもや一人旅。
 まずは朝のホテルのチェックアウトからトラブル。
 ホテルはNGOグループがまとめて取ってくれてあとで清算払いになっていたのですが、お金を払えと言っているようで、でるにでらえず。

 新幹線の時間がせまる、タクシーが外で待っている、もうやむ得ないとハノーバーに戻られた通訳の方に電話し彼女から事情を話してもらうことに。

 そして、新幹線駅に。
 不思議なドイツの駅にホントに不思議な感慨。
 とにかく改札口がないわけですから。

 フランフルと駅に到着。
 ここから空港ターミナルまでが実は結構距離があり、これも緊張。
 とにかく、BAのカウンターにたどり着きました。

 手続きをしてやっとフライト。
 でも、ロンドン空港がどのターミナルに到着するか。
 これも不安でしたが何とかクリア。

 これから12時間のフライトに備えて座席はとにかく通路側確保が至上命令。
 言葉は通じずでしたが、絵を書いて希望を伝えましたが、担当者、「グッド、グッド」を繰り返してくれました。

 そして12時間。
 途中、映画『ラストサムライ』を2度も見てしまいました。
 後日感想をどこかで書きます。

 とにかく成田についてアー日本だ!



2004年06月04日(金) 再生可能なエネルギー国際会議最終日

 いよいよ最終日。
 154カ国3600人以上の参加者となった再生可能なエネルギー国際会議は、64カ国の参加者が自主的に数値目標を含め協定を結びました。

 経済協力開発大臣は、「再生可能なエネルギーは重要な資源の一つ、途上国で電気の需要が高い、既存のエネルギー源を止めて再生可能なエネルギーに移らなければならない、長期的に見てしっかりとした枠組みがあれば市場競争のなかで値段も下がり再生可能なエネルギーは広がっていきます、大事なことは政治や貧困についてエネルギーというものが政治的重要な一つであることを確認したことです」と述べました。

 環境大臣は、「ヨハネスブルグで持続可能な社会の発展に向けて再生可能なエネルギーについて確認した、けれども、そのとき採択では具体策を盛り込むことが出きなかった、今回、長い道のりを乗り越えて具体案を採択できた、中国が2010年に10%、フィリピンが2013年に今の倍、ドイツが2020年に20%、シュレーダー首相は500万ユーロを途上国に援助することを約束した、今回決められた目標を全部実行すれば2015年には1年で12億トンのCO2が削減できる」と述べました。

 通訳の方の翻訳を聞きながらこの国際会議の意義について改めて認識をさせられました。

 終った後は、日本のNGOグループと懇談しました。環境エネルギー政策研究所の飯田哲也さんは、とにかく今回の国際会議は、1992年の段階で京都議定書が生まれることが予想できなかったように今回に再生可能なエネルギー国際会議がこのような形で開催されることが予想されなかったのに開催されたと言う事実、そして、この再生可能なエネルギーに関しての意義は、CO2削減が極めて規制的な側面を持つことに対して、技術の発展とその技術により新しい産業が生まれ新たに雇用を実現すると言う開放的な性格を持っていることが確認されたことです、述べていました。

 あと半日という中でボン市の再生可能なエネルギー政策が具体的にどこの場で具体化しているか、また、ゴミ問題での状況について知りたいと市役所を訪れましたが、金曜日の午後からは休みとの事で、これにもびっくりしてしまいました。

 さてどうしようと街を歩いているとミュンスター広場でバイオマスの設備の展示が行われているところに偶然遭遇。ほんとに感動してしまいました。今回の視察が、まさにここに完成したんだという実感でした。

 詳しい報告は日本に戻って行いますので請うご期待! 



2004年06月03日(木) 国際会議3日目


今日の予定は、閣僚会議。
午前9時からのドイツ政府の経済産業大臣、環境大臣、
ヨーロッパ議会や国際機関などの挨拶と各国からのアピールが
行われました。

ドイツのシュレーダー首相の挨拶は、政府での緊急事態が発生している
との事でまだベルリンにいるとの発表がありましたが、何とか遅れての
参加・挨拶となりました。

政府の合意文書は明日に正式に発表されますが、その前段として
各国からの案文や修正分に対する様々な意見が表明されました。

昨日の議員フォーラムに似た展開でしたので、イベント企画の中で
バイオマスに関するものに参加しました。会場がかなり離れたところで、
1日を通した企画が行われておりました。
開催場所は、知識センターという大学の学者などテーマを決めて
話し合いの空間となっているところ。会場での発題者の発言は極めて
専門的であることもあり、話の内容を理解するのもかなり努力が必要と
いうことを実感しました。

それでもいろんな資料を入手しました。
通訳の方に内容の概要だけを教えてもらい、戻っての本格的に翻訳をする
つもりです。特に、静岡県が今年の予算で天城牧場でバイオマス、ソーラー、
低水力など自然エネルギーに挑戦する事が提案されていると言う中で、
行政施策のチェックと同時にアドバイスができる政策立案センターの設立が
求められていると言うことを実感しています。

夜は、会場から少し離れたところで環境大臣主催のパーティが開催されました。
日本勢は、ライン川下りを楽しみながら、船上でビールを飲みながらの議論を
展開していました。

パーティでは、緑の党・環境大臣のトレンティさんと意見交換をしたり、
コンゴの環境大臣やアメリカの政府職員、WWFのメンバー、そして
この国際会議に協力してくれている若者たちとの議論を行いました。



2004年06月02日(水) 議員フォーラム参加、発言

ただ今、ドイツのボンへ海外視察中です。


ボン自然エネルギー国際会議
と平行して世界中の議員達が集い
意見交換する議員国際フォーラムが開かれました。
議員フォーラムには、100カ国以上、300人の議員が参加しました。
日本からは、河野太郎衆議院議員、小杉隆衆議院議員、鮫島宗明衆議院議員、
奥田健衆議院議員そして私の5人。

セッションは、オープニング、工業国の議員イニシアチブ、
途上国の議員イニシアチブ、北と南の協働における議員イニシアチブ
再生可能なエネルギーに関する国際機関における議員イニシアチブ、
議員議定書の調印の6つ。

工業国の議員イニシアチブのところでドイツ、イギリス、ヨーロッパ議会、
ロシア、そして日本から地方議員の立場で私が発言しました。
英文で5分間、通訳と環境政策エネルギー研究所のサポートで
きのうから睡眠時間を削っての報告でした。

発言内容は、1日のセッションでの再生可能エネルギーの戦略について
希望と勇気をもらったこと、静岡県における浜岡原子力発電所と
東海大地震との関係での再背化のエネルギーの必要性、静岡空港跡地での
可能再生エネルギーの事業プランの必要性、静岡県民が求めている
可能再生エネルギー4点。
通訳や若手スタッフからはなかなかよかったと言ってもらいましたが、
300人相手の国際的発言で十分にアピールしたつもりです。
やはり、英語力があれば、もっと、リアルな会議的発言ができたのにと、
いつもの反省。

日本からは、このセッションで鮫島議員が議長の立場で、小杉議員、
河野議員が意見表明としての発言が行われました。
河野議員のアドリブ的な形で再生可能なエネルギー問題とは実は
民主主義の問題で、日本における原子力産業との関係を断ち切れない
日本の政党の現状と自然エネルギー特別措置法の買取制度と割り当て
制度の問題点の指摘発言は、極めて厳しい日本政府批判でもあり、
会場からは拍手喝采でした。
とても自民党の議員とは思えない内容で、私の静岡県の紹介とあわせて
日本の原子力推進姿勢の批判としてはアピールできたと思います。

1日中の討論は、さすが、民主主義のヨーロッパ。
通訳を受けながら必死に内容をメモ。
日本にもどったらきちんと紹介しますが、刺激を受けました。

7時からは、大統領公邸でのパーティ。
広大な敷地と緑あふれる環境にとてもリッチな気分になりました。
いろんな方ととの交流ができるわけですが、ここはアジアの国とタイ、
カンボジア、ブータンの代表との意見交換、特に日本のイラク自衛隊派遣
についても討論はおもしろかったです。
前大統領のハイゼーッカー氏の演説はユーモアあふれ、議員の国際会議、
そして今回の国際会議全体の意義についてもきちんととしたもので感動しました。



2004年06月01日(火) 会議初日…遅刻。



今日は、公式会議の初日。
7;30にシャトルバス有りと通訳の方と乗り込む。
ところが、運転手さん、行き先を知らないと言う。
えー!

結局、1時間半以上かかって、始まりの時間にまにあわず。
昨日の悪夢が甦る。
大丈夫か。

議員登録しているので受付など議員待遇で一般の市民団体
関係者との扱いの違いにびっくり。
そして、開会式に。

詳しくは明日報告します。




















2004年05月31日(月) ボン自然エネルギー国際会議へ


5月31日から6月5日にかけて
ドイツ,ボンでの自然エネルギー国際会議に。
朝の出発はさすがに不安。
ひとり旅故、また言葉がわからず、現地で通訳を雇用しての備え。
成田から一路ロンドンへ、そしてフランクフルトに乗り換え。
途中のトランジットは日本人がいてくれてとても助かりました。

さて、肝心のフランクフルト、通訳の方が待っているくれるはずが、
午後9時20分の待ち合わせ時間にあらわれず。

どうする!待つか、ひょっとして約束の場所が違うか。
電車でフランクフルトから1時間40分。
空港から駅までが遠いとのことであった。

9;58の電車に乗らないと、次は途中で乗り換えが必要。
通訳に会えなかったとしたら、これに乗らないと。

ここは決断。

1人で電車の駅へ。
何回、手振りで道を聞いたことであろうか。

とにかく、そして、かろうじて時間に間に合い、ボン駅に。
そこからタクシーにのってホテルに着いたのが午前0;45.

ホテルに通訳の方から電話。
これで眠れる。



2004年05月30日(日) ゴミ・ゼロ(5・30)にゼロウエスト宣言

 





 静岡県や朝日新聞、NHKなどの後援を得ての「このままでいいの?私たちの「ゴミ」 「脱焼却・脱埋立・容器包装リサイクル法改正を求める」静岡県集会がアイセル21で開催されました。

 集会自体は、午後からで容器包装リサイクル法改正全国ネット事務局の服部美佐子さんの講演をメインにして企画ですが、それに先立つ午前中に実行委員会を構成する12地区のゴミ事情報告ありました。

 静岡県全体のゴミ問題の問題点がよくわかる意見交換会でとても参考になりました。市民団体だけでなく自治体のゴミ問題担当の職員の方や議員の参加もあり問題意識の幅広さを感じました。市民団体の自主性(異議申し立てを伴なう)と行政との協働=コラボレーション、そして財政確保や税金の活用などぶつかっている壁に関しての率直な指摘もありました。

 40人くらいの意識的な人たちのあつまりがこれからの静岡県のゴミ問題の世論形成にどのような影響をもたらしていってくれるのか、楽しみです。

 ※ 写真は午前中の意見交換会の様子。ペットボトルのあり方を批判する人が多いだけに水筒を持っての参加者が目立ちます。



2004年05月29日(土) サールナートホール9周年・らせん劇場公演




 静岡の文化情報を発信し続けるサールナートホール。
 9周年記念ということでらせん劇場の公演『デカンショ』。

 劇団『らせん劇場』の歴史は、静岡での1970年代の社会反乱の文化メッセージの一つの答を創りだしている姿でもあると言うのは、勝手な私の言い分。

 都築はじめ氏の脚本に基づく作品はほとんど観てきたいるのだけれども、障害者演劇を続ける演出家・佐野暁さんとは、そのイメージが違う。

 佐野さんは自宅を開放して演劇のスペースを創ってまでしてその文化表現にこだわる。
 
 結局のところ、その表現の場となるスペースの確保が最後は問題。
 貰ってきたチラシに「劇団らせん劇場 代表 都築はじめさんと劇団午後の自転 代表 岡康史さんのとの対談」の中でサールナートホールを使えなくなるという表現があったが気になる所。

 グランシップや舞台芸術センターを抱える静岡県、どこに舞台芸術の視点を定めようとするのか、鈴木忠志さんをを含め大シンポジウムでもやってみるのはどうなのか。高尚なレベルの鈴木氏と静岡の在野で活躍しつづける舞台芸術家たちとのバトルに期待するのは私だけであろうか。

 写真は、『デカンショ』1シーン、ひょっとして著作権で問題となるかもしれません。



2004年05月28日(金) 恒例のヘリ視察




 毎年恒例のヘリ視察。
 議員特権であるのか、と気になりながらも静岡県の全体像を知りたいと敢えて昨年に引き続き参加。

 今年はヘリからの携帯写真。
 ガソ数から大した写真は撮れないとあきらめていましたが意外にいい写真がとれています。

 と言うわけで今日は県庁と駿府公園の上空からの写真。

 昨年は中部・西部で今年は中部・東部。
 これからの日記で紹介していきたいと思います。



2004年05月27日(木) 中国人研修生、県議会訪問




 私が理事を勤める学校法人・日本語教育センターの中国からの研修生と韓国の日本語の教師の二人の県議会訪問があり、理事長の石原康彦さんと共に県議会事務局次長の話を聞きました。

 県議会の仕組みの説明の中で、韓国とは同じ仕組みですが、中国とは大きく異なり、民主主義制度のあり方についていろいろ考えさせられました。

 全体の資料説明、本会議場、議会運営委員会室、議長室、いろいろ勉強になったとのことで、窓口となった側としても大変よかったと満足しているところです。

 でも不思議に思ったのは、本会議場に訪問客を入れないことです。私も全国あちこち視察しますが、いつも中に入れさせてもらっています。議員だから入れているんでしょうか。静岡県が議場に入れないという対応については、大変、違和感を感じました。極めて権威主義的な慣習、なんとか、変えさせる必要があります。

 こんなことがまかり通っていたのでは議会改革は実現しません。
 あらためて、こんな実体に驚いた次第です。

 ※ 写真は、本日の城北地区での県政報告会での一場面です。


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K.matsuya

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