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oneday  ぽぇ



 
 カサカサと乾燥しきっていた心

昨日は、母と宙と3人で父の所へ行った。
父は宙を見て嬉しそうに微笑んでいた。
宙のことが可愛くて仕方がない様子。^^
週に一度は顔を見せに一緒に行こうと思っている。

毎日、何となく忙しい。
精神的には崩れないようにシャンとしていても
体はどうしようもなく疲れ果てている。

夜、眠れないという事はないので
グッスリと眠っているつもりでいたけれど
昼間の眠気は異常なほどで
気が付いたら眠っていたりする。

泥のように睡魔が襲い
椅子に座ろうものなら眠ってしまう。

病院への行きのバスの中。
病室の背もたれ付きの椅子。
帰りのバスの中。
総て眠っていた。

帰宅しソファーに沈み込み
口をついて出た言葉は「あぁぁ〜疲れたぁ。」

情けない。

こんな状態という事もあるのでしょうが
昨日、私の心がカサ付いている事に気付いた。

父のお世話。
母の同じ話の繰り返し。
宙の訳の分からない話。

聞き流そうとはしているけれど
無視は出来ない性格なのでちゃんと答えてしまう。
すると話は延々と続いてしまう。((´_`; とほほ 

適当にが出来ないといけないのでしょうねぇ。
ああ、でもやっぱり出来そうに無い。
そうも言ってはいられないので頑張ろう。

父に対する母の優しい言葉かけを見ていて
いろいろと後悔してしまった。

介護をする決心をしたのだから
やるからには気持ち良くやってあげたい。
心ならずも面倒だと感じるのであるのなら
介護をする資格もないし
やれるわけがない。
と自分を責めたててしまった。

自分を試す良いチャンスなのかもしれない
どこまで献身的にお世話が出来るのか
ううん、本当はさせてもらうのかもしれない。

私の正念場なのでしょうねぇ。

いろいろと考えたくは無いし
体を動かして考えることを先送りにしたいけれど
考えながらでないと前に進めないタイプなのかも。

で、思い出した。
先週だったか?TVで養老孟司氏が言っていた。
はっきり記憶していないので引用ではないけれど

「考える」ということは「アウトプット」
「身体を動かす」ことは「インプット」なのだと。

私は逆だと思っていた。
「考える」ということが「インプット」で
「身体を動かす」ことが「アウトプット」だと。

まっ、それはいいとして
結局、頭の中だけで
「インプット」「アウトプット」を繰り返していると、
バランスが崩れてしまう。

「身体を動かして」思考を支えてあげないといけない。

ああ〜〜ん、今の私にピッタリのように感じる。
思考と行動を直結させるという事なのね。

さあ、今日も頑張るゾッ!

*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*

あちこち寄る所があったので
病院を出たときには真っ暗だった。

夜空を真っ直ぐ見上げてみたら
オリオン座が輝いていた。

いろいろな思い出もあり
一番好きな星座なのでズーーッと見詰めていたかった。
あっ、心のカサカサと吹っ飛んで行った。

今日は父にも丁寧に接する事が出来た。
弱い立場にいる父を大切にしよう。
出来得る限り希望に添ってあげたいと思っている。

2004年02月23日(月)



 
 中途半端

中途半端な人間なのだ僕は・・・困る。
高校生になった宙がよく言う言葉。

文字にすると強烈な印象を受けるけれど
宙の場合は吹けば飛びそうなほどに軽く言う。
まっ、深〜〜〜い意味は無さそう。

父の事が忙しく
宙は、ほったらかされ状態。
私は何も言わずに好きなようにさせている。
いや、してもらっているのが正直なところかな(^^;

命を見詰める日々を経て
宙は生きているだけで良いのだと再々確認。
私が手をかけない成長の彩りがあっても良いよねっ。^^

宙の思いがけない言葉「中途半端」に反応してから
私の人生は恐ろしく中途半端だったのかもしれない
と思い始めている。

決定打が何もないもの。
総てが中途半端で結論の出ているものは何一つとして無い。
それが嫌だと言うわけではないけれど
せめて見通しだけでも付けておきたいなぁと思う。

人生に疲れてしまう訳でもなく
微妙に気に入っていたりもしている。

とにかく今は考え出したら切りが無いので
中途半端はまだまだ続きそう・・・続けるのだ。(^^ゞ

2004年02月22日(日)



 
 あぁ、まだまだなのよね

宙と出会って多くの体験をし学んで来た・・・つもり。

ネットを始めて
過去の体験に広がりを持たせる事が出来たと思っていた。

でも、まだまだだったのよね。

学ぶ事が次から次へと現れて留まる事を知らない。

父の痴呆は改善されつつあり
以前と変わらないほどハッキリと思考もしている。
所々、斑に意識が薄れている感じもするけれど
家に帰りたがる程に回復している。

兄は父が家に戻れるように段取りをし
準備を着々と進めている。
ところが父は早急に帰りたい思いが強いのか
兄への不満を口にするようになった。

私は兄が奔走し大変な思いをして
頑張っている姿も知っている。
父が家族と離れ悲しい気持ちでいるのも知っている。
だから私は寂しい思いをさせたくないと考えて
毎日通っている。

どちらの気持ちも見えている私は胸が痛んだ。

今日は兄も病院へ顔を出した。
風邪気味で微熱もあり目が潤んでいるようだった。

優しい人。
本当に優しい人だと思う。

その兄の優しさに慣れきってしまっている父に
兄の本質について話してみた。

分かってくれたとは思うけれど
おそらく忘れてしまうでしょうね。
でも話しておかないといけないと思った。

何度も何度でも話してみようと考えている。

父の事があって
人の気持ちの微かな闇を見た気がする。
それは万人が持っているものなのでしょうが
平素は理性によって覆い隠されていて
気付く事もなく流されて行っているのかもしれない。

今の私は何かでバランスを崩したら
持ち堪えられないほど張り詰めた緊張感の中にある。
その事をしっかりと意識しながら
ポジティブに考え暗くならないようにしている。

真剣に考え出したら
すぐに崩落してしまうでしょうから
今は何も考えない。
考える事は先送りにしてしまおう。

本日は3回目のカットモデルをして来た。
かなりショートにしてもらったけれど
スッキリして気持ちも軽くなりイイ感じぃ(^^♪
これでなくっちゃねぇ〜〜。^^

帰り際に、
髪を切りたくなったらいつでもメールして下さい。
とニッコリしながら言って下さった。

いえいえ、そんなぁーー。
申し訳なくてメールなんて出来ませ〜〜ん。
私で宜しかったらメールして下さいませね。
お待ちしています。


2004年02月21日(土)



 
 実りあり

今日、やっと体も平常に戻りつつあり安堵。
ただ、喉の違和感と味覚異常が治まらず
何をたべても味がしない。

その上、鼻も詰まったりしているものだから
香も感じられず食に関しては最悪ぅぅ
と思いながらもパクパクと食事をしていたら
そこへ電話が。

宙より1歳年下の友人の子(発達地帯)の
高校が決まったのよーーとの知らせだった。
心から嬉しかった。

彼女とのお付き合いも9年になる。
某国より帰国後間もなかった彼女は
相当に不安定だった。

それが今では自分をも大切にしながら
共に成長し目標を達成させたのだから
未来はほんとに分からないと言うことなのねっ。

彼女は長い外国生活によるエスプリが
スタンダードにあるせいか
始めは馴染めなかったけれど
今はドライとも思えるハッキリした態度が
私には分かり易くて結構気に入っていたりもする。

おそらく包み隠さず何でもお話しができる
数少ない大切な友人の一人なりつつあるのね。

時がいろいろな人間関係を
柔らかく包み込んでくれているように感じる。
焦らずゆっくり時間をかける事の大切さを
これからも気持ちの何処かに置いておこうね。

2004年02月15日(日)



 
 高熱

突然39,5度の発熱。
久しぶりの高熱に参ってしまった。

気持ち的には頑張れると思っていたけれど
やはり相当参っていたのでしょうねぇ
精神の及ぼす影響力の大きさに
今さらながら思い知らされた。

今回の風邪も薬は使用せず
高熱の力に任せて戦ってもらうことにし
頭部を氷枕とアイスノンでガンガン冷やした。

薬はすべからく腸へのダメージが強いので
余程のことがなければ使用しない。
本当は喉から手が出るほどに使いたかったのだけれど
とにかく出血は避けたかったのでひたすら忍の一字。

こういう時の一人身は辛い。

まっ、宙がいてくれたので心強くはあったけれど
頼りになるかどうかとなると♪〜( ̄ε ̄;)ムニュ。。。
多少ピントのずれた思いやりを示してくれたりして
ああ、まさしく自閉症だわ〜なんて再認識。(^^;

学校から帰って来たら
まずは母の様子を見に来るものでしょう。
ねぇーー。

ところが帰って来ているのに一向に2Fには来ない。
((´_`; とほほ ・・ と思いながらも
階下に降りる元気もなくボーーッとしていたら
1時間程してトントントンと階段を上る音が聞こえ
やっと宙の登場と相成った。

「どうですか?」と言ってくれたけれど
私には言葉を交わす元気もなく
ひたすら唸るのみ。。・゚(>_<)゚・。

アルカリイオン水を買って来てくれるよう頼んで
再び撃沈。

そう言えば宙が幼稚園児の頃
二人揃って高熱を出したことがあった。
宙をソファーに寝かせ傍らで付き添いながらの看護は
言葉に出来ないほど辛かったけれど
これがシングルの生きる道なのねぇ
と相当の覚悟を決め強くなった一瞬だったことが蘇った。

父との会話ではないけれど
「生きる」って本当に大変。

それでも生きる価値があるからこそ
こうして生きているのでしょうねぇー。(¨*)

2004年02月14日(土)



 
 生きるって大変

父とゆっくり話をした。

ところどころ意味不明になったり
意思の疎通が悪かったりはするけれど
こんなに向かい合ってお話をした事は無かった。

今日は私の話を素直に聞いてくれたし
自分の気持ちも真っ直ぐに話してくれた。
私が「生きるって大変よね。」と言うと
黙って頷いていた。
こんな時間が持てるなんて想像もしていなかった。

今、私は父の所に毎日通っている。

私が入院していた時、
母は3ヶ月半毎日来てくれていた。
病院からの帰りのバスの中で、
その事を思い出し大変だったでしょうねぇーと
今更ながら感謝の気持ちで一杯になった。

遅ればせながらではあるけれど
精神面での親孝行をしようと心に誓った。

2004年02月11日(水)



 
 笑顔

リハビリを頑張っている父に
そんなに頑張らなくてもいいから
ゆっくり養生して時間をかけて治そうね
と言ったら微笑んでくれた。

久しぶりの笑顔に
何だか新しい発見でもしたかのような
新鮮な感動を覚えた。

父は穏やかで静かな人なので
あまりお話しをする事がなかったけれど
ベットサイドに長い時間いると
ぽつりぽつりと話をしてくれるようになった。

これから可能な限り
父の半生のようなものを聞いてみたい気がしている。

父と母のお世話をするようになってから
無償という精神が確固たる物になったように感じる。

宙に対しては確かに無償の愛を持っている。
けれども他の人に対してはどうだったか?
と言うと必ずしも生かされてはいなかったと思う。

心積もりとしては相手に何をも求めない
というスタンスを持って対してはいるけれど
深層ではどうだったのかな?との疑問がある。

母の同じ話の繰り返しを苦痛に感じていたのは
何故?

おそらく単純過ぎて退屈になり
私の脳が受け付けなくなってしまったのでしょう。
それは生理的なものもあるのでしょうから
自分を責める事はよそうと思った。

そして、ふっ〜と気がついた。

嫌々聞いても、ちゃんと聞いてあげても
経過時間は同じ。

自分がどう感じるかなのでしょうね。

聞いてあげる事で
母が喜びを感じ満足してくれるのであるならば
そうしてあげよう。

喜びや笑顔は良いに決まっている。
だったらそうしよう。

たかが脳されど脳。
脳に支配もされず負けもせずに
上手にコントロール出来たら楽でしょうね。

私の人生を
自分の脳に支配されているとはこれ如何に?^^;

今日は一駅歩いてみようかな?
・・・ではなく、歩くのだっ(^^♪

2004年02月10日(火)
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