first new index bbs mail home


My追加

oneday  ぽぇ



 
 ビーズ講習会

役員仲間のTさんMさんに誘われて行って来た。

今回はフルーツバスケット。


私の作品(左)と3人の作品
と〜っても可愛い^^





2004年03月19日(金)



 
 億ション探訪

昨日、お呼ばれをしてRさん宅へ伺った。
都心にある5LDKの億ション。(◎0◎)

初めて伺ったその広〜い家の中に入って
うわっ!
す・凄い。
何がって超豪華・・・なのではなく
昨今よく見聞きする「片付けられない症候群」

伺う前からゴッチャゴチャだから
ビックリしないでねーーと
事前に入力はされていたけれど
無理ですって無理
ビックリする気持ちは正直だった。

我が人生で2人目かなぁ。

物が散乱しているだけではなく
ティッシュなども絨毯に転がっている。
外ではないのだからゴミ箱にでしょう。>普通は

などと一通り心の中で驚いてはみたものの
何だか変な安堵感に満たされてしまった。

私も整理整頓が苦手で
収納力の少ない我が家では
しまいきれずに外に出ている物もある。
その事でいつも自己嫌悪に陥っていたけれど
Rさん宅拝見して本当にホッとしてしまった。

いいのよねぇー自分が良ければ
それを頭の中では重々わかっていても
世間体や低次元のプライドが許さなかった私。

いかに世間が狭かったかを思い知った。
そうそう、井の中の蛙。

友人達の殆どがキチンとしていて
中にはモデルル−ム並の美しさ
な〜んて人もいる。
彼女達に触発されて努力はしたけれど
自分の分は超えられないと言う事なのね。
小綺麗にしておくので精一杯・・・かな。(^^ゞ

考えてみたら誰のために片付けるのかなぁ?
家族のためであったり自分のためであったりの筈。

で、何故か今日のワタシは早朝から
♪~ d(⌒o⌒)b ~♪ルンルンと
大掃除をしてしまった。

超リッチなのに庶民的で
心に塀のない開放感溢れるRさんの事が
もっと好きになっていた。

お掃除が大嫌い〜〜〜(@^^@ゞ あはは、、、
と言って高笑いしていたRさん
お招きありがとねっ。
目から鱗の私はでした。

:*:'¨':*:'¨':*:'¨':*:'¨':*:'¨':*:'¨':*:

昨日の父
パンが食べたい、
あれが食べたい、
これが飲みたいと
とっても元気元気だった。 (^―^)love

2004年03月17日(水)



 
 孤独感

先週の日曜日に母と病院へ行った。
父はリハビリで杖を頼りに歩行まで出来ていた。
本当に驚異的な回復を見せてくれて
思考力も殆ど以前と変わらないところまで
戻ってくれていた。

翌日からは宙の学期末試験があるので
2〜3日、来られない事を伝えて帰宅。

ところが私が風邪をひいてしまい
月曜から金曜まで行ってあげられなかった。
(風邪をひいていると面会禁止ため)

土曜にやっと会いにいく事が出来
病室へ一歩入った瞬間に飛び込んで来た父の姿。






点滴を受けているその様子に
一瞬、心臓が止まりそうになるほど仰天した。

近づいて息を確かめ
呼吸をしているのが分かった時は
安心したのと同時に
へたり込みそうになった。

日曜日に見た父は何処へ行ってしまったの?

慌てて兄に電話をし
事情を説明してすぐに来てもらった。

病室に戻り言葉をかけると
入院当初と同じ様相を呈し
痴呆症状態に戻ってしまっていた。

月曜日には一応親族が集まり
皆で呼びかけ手を摩り
何度も何度も声をかけ続けた。

ふーーーっと目を開けた父の顔は
穏やかな表情となり
明らかに覚醒して行くのが分かった。

私が行かれなかった5日間
極僅かな刺激の仲で
ただただベットにいた父は寂しさとせつなさで
生きる気力を失ってしまっていたのでしょう。

食事も取ろうとせず
水分も飲まなくなっていたと
看護士さんから聞いた。

私が毎日通う事で何らかの意味はあるのだろうか?
さして嬉しそうな表情をするわけでもなし
と考えた事もあったけれど
今回の事で、
人は本当に愛を求めているのだと知った。

昨日の父は見違える程に回復し
栄養補助のジュースを全部飲み干し
持参した紅茶にも口を付けてくれた。

愛情を感じられるか否かで
生と死のはざまを行きつ戻りつしてしまう
老人の頼りない生への営みを見て
今まで安易に使っていた
「愛」という言葉の重みが痛烈に飛び込んで来た。

昨日からズッと考え続けている。

本当に介護が出来るのかどうか?
と試行錯誤しながら
悶々とまではいかないけれど
深く深く考え込んでいた。

珍しく相方に電話をした。
話したからと言ってどうなるわけではないけれど
伝えておかなければと思ったから。

人生は誰のものでもない。
誰のせいにも出来ない。
自分が結論を出して心に決めたからには
誠実に努めれば良いだけの事。

宙の事を思い起こし
原点に立ち戻らなければいけないなぁと
つくづく感じた。

今日、
春を一杯感じさせてくれる
暖かくて時折ひんやりとした風に
頬を預けていたら
ええい、やると決めたのだから頑張ろう
と、ポロっと迷いが落ちて行った。
そして(〃^∇^)ゞ 彡☆ やるぞー♪
と言う気分になって来た。

本当に体と相談しながら
無理をせずに進んでみよう。

さあ、出来るかどうかお楽しみ〜(^^♪

2004年03月16日(火)



 
 春はいろいろなことがスタートする

父が4月に退院する目処がついた。
いよいよ在宅介護の始まりなのね。

どうなるのか見当もつかないけれど
大変なのでしょうねぇ・・・と
他人事のようにしか考えられない。

母の事も始まったばかりだから
これから、
ざっと10年は介護の日々になるのかな?
複雑な心境の中にいる。

弱き者となった両親。
その姿をみていると心細げで不安そう。
それを払拭してあげられるのは
兄と私なのでしょうねぇ。

それにしても1年前だったら
全く身動きが取れなかったと思う。
何とタイムリーなのでしょう。

時期的にズレてくれたことだけでも
凄くありがたいなー。

どこまでやれるかは分からない
というのが本音だけれど
自分の体と相談しながら
やれるだけやってみようと思っている。


EGさんより


2004年03月15日(月)



 
 愛・・・これほどまでに大切なものだとは

父の事は体験させてもらえて良かった。
父本人の事を考えると
とても言えないのだけれど
私にとっては数少ない貴重な転換期となった。

こんなにも気持ちが複雑に錯綜し
怒涛のように現実に浸りきる生活は
宙の療育に通っていた日々以来かもしれない。

家族の気持ちが
すれ違って誤解もあったりしたけれど
丁寧に話を聞いたり
真摯に言葉を伝える事で
なお一層の固い絆が結ばれたように思う。

父からは愛について沢山教えられた。

人間は愛によって生かされているのだという事。
その愛を見失った時
人は生きては行かれないという事を・・・。

若い内は肉体の強健さで
生きていられるのでしょうが
年老いた人には愛だけが総てなのだと思う。

愛。
その愛の偉大さを切ないほどに思い知らされた。


私の大好きな赤蓮華の季節がやって来る。
桜の花も赤蓮華も一緒に見られますように。



2004年03月13日(土)



 
 自分の立ち位置

役員総会に行って来た。
今期最後の納めの会なので一応の一区切りとなる。

今回の役員さん達は手芸好きが揃っていたので
同じ趣味を通しての接点が多かったせいか
自然に溶け込んでいった。

私には芸と言えるものはないけれど
物を作ることが好きという利点があったので
とっても重宝がられ、
いつの間にかメンバーの一員となっていた。

無理をせずに何も求めず
やるべき仕事を誠実にこなして行く
その事に専心していれば良いのだと考えていた。

今までは何処にいても
自分の立ち位置が定まらず
根無し草のようにフワフワと彷徨っていた感がある。

自分というものをしっかりと確立出来ず
自信がなくて不安定だったのでしょう。

何も考えず自然の流れに逆らう事なく
特別に仲良くなる人も作らなかったけれど
最後の今日、
また集まりましょうという事になり
10人の人達が残った。

ただただ作品の製作が楽しかったこの一年、
自分の立ち位置を見つけて
淡々と過ごして来ただけなのに
得たものの多さには、やっぱり感謝かな(^^♪

2004年03月12日(金)



 
 カリスマ

「クイーン ジュエルズ」を買おうと思っていたら
すでに100万枚をセールスしたとかで
入手困難な状況だそう。
気長に待つ事にしましょっ。

フレディー・マーキュリー。

男性に冠する表現ではないのかもしれないけれど

妖艶

エロチックとは違った品の良さがあり
私には特にゲイという点が魅惑的だった。

服飾関係だった私にとって
フレディーの衣装センスには
理屈抜きに惹かれるものがあった。

一歩間違えればグロになりかねない服も
バランスがとれていて格好良かったのには
後に知ったのだけれど
アートスクールで学んだ経緯があった事で納得。
彼なりに計算し尽くしていたのかもしれない。

富と栄光を掴み煌くスターの座の影で
孤独な人生を感じさせる寂しげな目
そんなフレディーは1991年11月23日
自らがHIVに感染していることを公表
その翌日の11月24日には
肺炎のため45年の生涯を閉じてしまい
Legendとなった。

生きるということはキリの無い事。

100年生きても
もっと生きたいと思うかもしれない。
1000年生きても
もっともっとと思うかもしれない。
本当にキリの無い積み重ねなのでしょう。

どうあがいても限りがあるのなら
今日一日を、その日一日を
どう過ごしたかなのでしょうねぇ。

宙は何のために生まれてきたのでしょう
とフッと考える事がある。
でも、
それは私が考える事ではなく宙が考える事。
宙が何も考えないのなら
それはそれで良いのよね。

フレディー・マーキュリーも
人にどう思われるのかなど
考えてはいなかったのかもしれない
自分がどう生きるかだったのでしょうね。

道半ばだったのかな?とは思うけれど
最後は幸せだったと信じたい。


↑とは関係ないけれど宙作のお弁当。



2004年03月10日(水)
first new index bbs mail home


My追加