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oneday  ぽぇ



 
 友人は少なくても

友人関係の継続に何の努力もしない私
それなのに友人は多かった。

一般的な概念から
友人は多い方が良いと思い込んでいて
人数に対するこだわりは強くあり
電話帳に名前がギッシリと書かれていて
スケジュールは隙間無くビッシリ埋まっている
と、それが嬉しかったし安心だった。

ところが宙が生まれ
PCを始めてからというもの
その考えは崩壊してしまった。

友人を多く持つ事に
何の意味があったのだろう?
分からなくなってしまったのだ。

友人というカテゴリーにこだわらず
知人や一時的な交流者であってもいいのにね。

ネットは、その事をハッキリと教えてくれた。

一期一会的な考え方は
幼い頃から持っていた筈なのに
長じて世間という枠に納まり込み
一般的に良しとする方に目を向けて
同調していれば楽な事を知ってから
かなり毒されてしまったように感じる。

今は、ゆっくりと交流できる人達が殆どで
人数も激減しているけれど
精神的には充実していて幸せだなと感じる。

PCを立ち上げる日は少ないのに
毎日ディスプレイに張り付いていた頃より
得るものが多いというのも面白い現象だわね。



文化祭で販売する布のチューリップ
100個くらいは作ったかな?
まだ未完成


2004年09月24日(金)



 
 心に触れる

理解し合えない事ほど
寂しく悲しいものは無い。



「◆◆宙◆◆ NO1」
に書いた
難しい問題が解決出来たのは
Fくんのお父さんが会話の出来る方であり
共感を共有する能力を持ち合わせていて
理解し合えたからなのでしょうね。

宙父は大変に好印象を持ったようだった。

今まで宙に関するトラブルの総ては
私が対応して来たけれど
父親同士だけで話し合うのも
時と場合によっては正解かもしれない。

私が前面に出る時は
どうしても母親とになってしまうので
言葉を選びながら慎重に進めないと
逆ギレされる事も多々あり
何をか言わんやの世界になってしまう。(>_<)

何人もの人と掛け合って来たけれど
話の通じない人の多さに唖然とし
言いようも無いほどに疲れた記憶がある、

その度に胃痛に襲われ
精神的な萎縮を起こしてしまっていた。

これからも問題はあるでしょうが
宙のために頑張ってみよう。

宙が不安定だと何をしていても上向かない。

気分転換を何度も計り行動してみても
その時、その一瞬は心から楽しめても
過ぎ去れば、また現実が待っているという
そんな繰り返しを重ねていたように思う。

宙が、どうあるかで
私の気持ちは大きく左右されてしまい
フリーズが長く続く事が分かったので
改善策を考えて楽に生きて行きたい。

先日
「マザー・テレサ」のドキュメンタリーを見た。

宙には心を無にして尽くす事が一番なのだと
あらためて考えさせられた。

昨日、タイムリーにもKさんから
お電話を頂いた。

子どものパーソナリティーは
所々で違うけれど話がズレてしまう事はなく
とっても理解し合える友人だと思う。

友人は少なくても・・・。

2004年09月22日(水)



 
 禍々しさの中の真実

実は立て続けに人の死と向き合い
深く真摯に考え込んでいた。

さほど親しかったわけではなかったけれど
交流はあったので、込み上げる悲しみはあった。

まだ信じられず実感もないのに
思い出しては切なさで胸が一杯になる。

このところ考えない訓練を始めていたので
本来から言うとストップをかけて
静かに御冥福をお祈りさせて頂き
終結させようと思っていた。

ところがそう簡単には気持ちが収まらず
むしろ考える方が楽だった。

人はある瞬間に別の世界へ行ってしまい
二度と目に触れる事は無く
脳裏に焼き付いている幻影だけが残る。

生きるって?
生まれて来た意味って?

今、この瞬間の積み重ねなのだと
何度も何度もインプットしている。

過去に於いて
未来への生の継続に焦点を当て過ぎて
今・この瞬間をという発想が
意識の中に思い浮ぶ事すらなかった。

病気が重く圧し掛かっていて
生きる事に執着していたのでしょうね
死を禍々しいほどに恐れていた。

ところが不思議な事に
病気を抱えるたびに
死は恐怖の対象では無くいなって行って
今は脳内から消え去っている。

人に執着しない
あまり深刻に悩まないという性格は
いつでも死ねる覚悟が原点にあり
明日は分からないという
死生観によるものなのかもしれない。

ただ、この覚悟が揺らぐのは
宙のことを思う時だけ・・・。。・゚(>_<)゚・。

日々の中で
落胆したり浮き上がって来たりしたけれど
禍々しさを乗り越えて知り得たものは
どんなに苦しくても辛くても
確実に終止符が打てるのだという
その事実によって怖いものは何もなくなった。

宙との関係に於いても
芯にその事があるので絶対に負けない。

愛情に裏打ちされた強さを重ねる毎に
親子関係は安定して行っているように思う。

しっかり考えて結論が出せて良かった。

2004年09月08日(水)



 
 恵まれている事に気付いて





家族、兄弟、友人との関係や
物を手に入れたり
精神世界に触れてみたり
果ては宗教を学んだり
本も沢山読んでいる。

それらで心の中心にある空白の部分を
埋められていたと錯覚していたのかしら?

何をしても満たされる事は無かったのか?

満たされていない事に気付こうともせず
それなりに楽しく明るく元気に
一日一日を唯々生きて来てしまったのか?
と言う疑問符から
空しさが一気に焙り出された。

本当は充分こと足りているのに
たった一つ足りない物に目を奪われ
大切な物を沢山見落としていたかもしれない。

何の不自由も無い生活をし
自由を満喫し
友人達との関係も良好で
健康もそれなりに維持できている。

世界に目を向ければ
私はこんなに恵まれているのに
一体、何を求めていたのだろう?

人生は人との比較では無い事を
充分に分かってはいても無意識下で
無い物ねだりをしていたのかもしれない。

無い物ばかりを
数えていたつもりはないけれど
〜さえ無かったら
〜で無かったら
と、数えても意味などなく
有る物の方がずっと多いのにねっ。^^

こうしてwebで日記を書いていると
誰にも話す事のなかった気持ちや思いを
ディスプレイの向こう側の人に吐露したり
自分にも言い聞かせるように書き綴っては
肩の荷を下ろしたり捨てたりしているようで
とっても楽になっている。(^^//

書き捨てているという感覚が強くあり
昨日の事は考えなくなって来ている
これも一つの訓練なのでしょうねぇ。

過去の多くの辛い経験も
積めば積むほどに心は静かになって行き
体験し経験値を重ねる事で
人の苦しみも
頭ではなく気持ちが先に反応し
緩やかに分かってあげられるようになった。

あるべき姿を求める事もなく
正論も失せて行っている。

真綿のように柔らかく素直な心でいる事が
今の私には一番の妙薬かな?

2004年09月06日(月)



 
 感謝してもしきれいほどに

インターネットは奇跡の網。

HPを公開して下さっている皆様
そして、
私のHP・日記を見て下さっている方々
心から*ありがとうございます*

辛い時
いつもパソコンに向かっていた
その nonbiri heart も
10月で公開から3年が過ぎようとしている。

私のサイトは実質4スペースあり
公開しているのは1つだけ
その内の一つは趣味の場として
nonbiri heart にリンクさせるべく
只今、準備中。

あとはHTMLの遊び場となっていて
キチンとしたHPの形態は成していない。

その遊び場で
どれほど時間を潰した事か?
逃げ場としてのパソコンが無かったら
精神の不安定は回避出来なかったでしょうねぇ。

過去の辛い時期を乗り切れたのは
パソコンを通して支えて下さった方々のお蔭
感謝してもしきれません。

今は疎遠になってしまった方が殆どだけれど
その時々に力になって下さっていた事に
やっぱり感謝しています。

本当にありがとうございました。

ネットで知り合ったKTさんとは
10年続けようねと約束をしている。
お互いに強制はしていないし干渉もしない
唯々、ノンビリ・ゆっくり楽しんでいる。

10年後に*アニバーサリー*として
祝宴を設けてみたい気もしている
先々に楽しみが待っているって嬉しい。^^

あっ!いけない、いけない、
独り善がりの独壇場からは降りなければねっ。
自重。(´。`)フー 

一昨日の肩の激痛時に
膠原病の再発なのかなとフッと考えていたら
何だか急にネットの向こう側にいる方々が
意識の中にストンと降りて来て
ふつふつっと感謝したくなってしまった。

この痛みが続いたら
PCの打ち込みは出来なくなるでしょう。

10年続けようと思っていても
痛みが治まらなければ
休まなければならないのでしょうから
その時はネットの向こう側の方々とは
繋がりの総てが断ち切られるのだと
改めて気付かされ
切々と感じ入ってしまった。

今日は痛みが和らいでいるので
打ち込みも出来ているけれど
いつ悪化するかは分からない。

続けられますように・・・。

肉体のダメージは気付きのチャンスであり
この痛みを宙の心の痛みとして
受け容れているので
物理的な辛さはあるけれど
どうして?
何故なの?
と言う悲しさは全く無く
宙の生きる事での不自由さと比べたら
何の事は無いと考えている。

もっともっと強くなりなさいと言う事かな?
時々へたりながら頑張りま〜す。 p(^^)p

2004年09月01日(水)



 
 不遜なこと

いろいろな体験をする中で
寛大でありたい優しくありたい
と、心して生きて来たつもり。

ところが友人の行動で
理解しようと努力はしても
破廉恥さや愚かしさが見えてしまい
裏表の激しい態度にはウンザリして
どうしても受け容れられない人達がいた。

早く絶交するなり
自然消滅させるなりすれば良いものを
誠実であるということから逃れられず
優しさという体面を繕いたかったのか?
箴言もせずに来てしまった。

その、私自身の優柔不断さに気付いたのは
随分と後になってからの事であって
非は相手にあると考えていたのだから
何ともはやである。

事実を言ってあげられない関係
そこに真の友情が感じられないのなら
仲良しごっこでも貫けば良いものを
それすら出来ないもどかしさに
本当は言えないのだと気が付く
ほんと、中途半端で情け無かった。

伝え方や表現法は工夫すれば良いわけで
何とでも対処・対応は出来るのに
過去の経験(ON・OFF)から来る弱気さで
言ってしまったら終わりと言う構図を
酷く恐れて何も言わなかった私に
誠実論を語る資格は無い?

そこまで自分を追い詰める事も無いけれど
暫く自己嫌悪していた時期もあった。

でも、年月を経てみると
人(自分も含め)の愚かさや浅はかさ
無知から来るとんでもない行動の心理が
薄っすらと見え始めて来た。

このHPを立ち上げた頃は
まだまだ誠実にという気持ちが根強くあり
過剰に敏感に反応し過ぎて
サイト内での失敗も多く経験したけれど
今は練れて来たと言うのか?
とても軽く考えられるようになり
人の生き方に介入する事も少なくなった。

関係無いと投げ遣りになるのとは違って
サラッと受け止める術を学習したのでしょう。

今でも続いている↑の友人達とは
お互いの人生経験が時をかけて成熟し始め
気持ちの置き所が一変してからは
部分緘黙しながらではあっても
それはそれと分けて見られるようになり
非常に楽な良い関係が成り立っている。

何のリアクションも取らない私に
時折、電話をくれたり
年賀状を送り続けてくれているその友人達には
好意の波動を送り感謝している。

考えてみたら
相談されたのならともかく
相手が望んでもいないのに気持ちが先走り
力になりたい必要とされたい
真実を語り合える仲になりたいと焦り
無私にもなれず友情の純度を推し量り
純粋を求めてやまなかったのかもしれない。

独り善がりな余計なお世話。
全くその通り。

自分を確立出来てもいないのに
これこそ不遜な事としか言いようが無い。

ネットをやっていなかったら
この事に気付くのは何時の事になったやら(^^;

掲示板を外してからは
PCに向かう時間も激減したけれど
これからも私自身を知るために
自分のための貴重なの場所・ツールとして
大切しに有意義に活用して行かれたら
良いなぁ〜と考えている。



どの花も好きだけれど一番好きな花*れんげ*
この花のように早く無我の境地に至りたいなぁ


2004年08月26日(木)



 
 銀座

中学の頃から
銀座へ出る最大の目的は「宝塚」だった。

今は遠ざかり観劇する事はないけれど
聖地である劇場には必ず寄って
息吹を感じ懐かしんでいる。

そういう場所がある事はありがたくて
情熱を注ぎ込み無心になって楽しめた頃を
想い出せし
感じられ
タイムスリップ出来るのは
経験を経ずしては有り得ないので
良かったなぁ〜と嬉しいせつなさが溢れる。

宙にも沢山の経験をして欲しいなって考えながら
その場を後にした。(*^▽^*)

結婚してからは何もかもから遠ざかり
大きなイベントとは無縁だった。

特に宙のしょうがいが分かってからは
何がしかの物を残してあげたいと
その事ばかりに思い入れていた上に
自分の病気も重くのしかかり
どうにもこうにも身動きが取れなかった。

これからは少しずつでも復活させて行くつもり
先々の不安に押し潰されて
今を楽しまない人生では
かえって未来が見えないし
開けない気がするから。

そこで、外出。

昨日の銀座は暑かったぁ〜ε-(´o`;A 暑い〜。
外を歩くのは2〜3分が限度で
すぐに建物の中に非難してしまうほど辛った。

お目当ての「プランタン銀座」へは
外を歩かないわけにも行かず((´_` )トホホ・・
体温調節が出来ない(病気)私には地獄なのだ
それでも行きたかった目的地のプランタンは
ずっとコースの一つだった「インテリア館」が
8月末で閉鎖してしまうと教えられ
友人を誘う事もなく出かけた。

こういう体質の私は
疲れるたびに同伴者にお伺いをたて
エスケープしなければならないのを
申し訳ないと感じ考え過ぎてしまう。

それも卒業しなければねっ。

後は暑さを避けながらの銀ブラ
脳が回転せずにボーーーッしたままなので
楽しむ気分には程遠かったけれど行って良かった。
でも、やっぱり涼しい時がいいなぁ〜。

銀座もお気に入りの場所が減って行き
寂しい限りだけれど
保守的な私は(宙に似ているかも(^^ゞ)
いつも同じ場所にしか行かない傾向があり
新天地を開拓出来ずにいたので
無理にでも自分を変える必要もあるかな?
と、考えていたので良かったように思う。

遅めのランチは「Cafe MUJI」でゆっくりと
ご馳走様でした〜〜。(ノ^∇^)/

2004年08月14日(土)
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