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oneday  ぽぇ



 
 悲しみの心

宙の袖を引き千切った生徒に
怒りは感じなかった。

そういう事をしてしまう
させられてしまう
脳の未熟さや傷の深さが想像出来るので
唯々、哀れだった。

齢17歳の
まだまだ人生の何たるかなど
分かり得るほどの経験もしていない
その子の悲しさが気の毒だった。

宙と共に生きていると
如何ともし難い脳の支配を感じる。

彼等には
その様な脳からの指令に抗しきれず
回避の方法も知らずにいるのでしょうに
軌道修正のチャンスも無く
理解される事も無いのでしょう。

17歳ともなれば
自己コントロールのノウハウを
持っている子もいれば
そうではない子もいる
その幅の広さを見ると
幼稚なままの子がいても
おかしくはないのでしょう。

放置された心を自浄能力という手段で
自ら転換できない子の事を考えると
何とか手を差しのべてあげたいけれど
私には、その余裕が無い。

一番、力になれるのは親なのでしょうから
袖の件も伝えた方が・・
とも考えなくは無かったけれど
言えば波風を立ててしまうのは明白で
問題が複雑化した時に
責任を取れないのならば
やはり言えない。

それに
余計なお世話と言われた過去の経験が
脳裏に浮かんでしまい
関わる事で疲れの上乗せはしたくないので
気持ちが何も言えないでいる。

宙は
もし、私だったら耐えられないような人生を
黙々と歩み自分と戦いながら抵抗している。

そういう宙の生き様を
目を逸らさずに見詰めているので
どんなに私に当たっても
逃げ出したくなる気持ちを抑えながらも
側に寄り添っていてあげられるのでしょう。

当たりたくなる気持ちを
充分に理解してあげてはいても
それを許すのは間違っていると思うので
宙には分かってもらう努力をして来た。

徒労に終わったとしてもかまわない
手をこまねいていても時間だけが過ぎて行き
結局、宙は何も得られない事になるので
基本だけはインプットしてあげたい。

宙も感情をコントールする芽が出始めて
態度は、すこぶる良くなっているので
とにかく経験値を増やしてあげたい。

しょうがい児を育てる事は
決して楽な事では無く
現実での戦いの連続帯から抜け出せずに
頭を抱え込む日々も多く
頑張っても頑張っても頑張り続けても
終わりは無いように感じる。←あくまでも私見

ならば、出来うる限り楽しもう
8対2で自分に重きを置こうと思う。

少しずつ
私の脳は進化し始めているので
この流れに抵抗せず逆らわず
スキルを獲得できるように柔軟でありたい。

 
気持ちを落ち着けて布遊び


2004年12月11日(土)



 
 破かれた袖

先日
それを見た時にはビックリしたけれど
心配はしなかった。

まぁ、こういう事もあるでしょうという
軽いリアクションだった私。

最近は、ほとんど動じないでいられる
これも慣れなのでしょうか?

上着は
プロの私が跡形も無く綺麗に直してあげたら
宙はとっても喜んでくれて
うおぉ〜〜凄いと言ってくれた。(*^^*)

困難の多い中にいる宙
月曜病の一因にはこれもあったようだ。

他にも、いろいろあるようで
弱音を吐く事もあるけれど
決して逃げようとはせずに努力している。

将来の結果の良し悪しについて
今は全く想像すら出来ないけれど
私の未来のビジョンは
良いイメージしか持っていない。

自然の流れのままに生きるという
この道を変える意志は無く
宙も私達も
その時々に深く考えるようにしている。

起きた事はサラリと受け止めて
深刻になる事はせず
時間が解決し癒してくれるがままに任せて
策略を巡らせはしない。

自分のエリアの中でゆっくりと生きていれば
それが一番で楽であり安全だという事を
学んだような気がする。

宙は経験を重ねるごとに学習し
確実に強くなっている。

それでも脆い所はあるけれど
それを凌駕する程の強さがあるので
安心していられるのが非常にありがたい。

外と家とを使い分けられてもいるので
ストレスは相当なものでしょうから
家ではなるべく自由を謳歌させている。

甘やかす事はしないようにしているけれど
それも状態を見ながらであって
やんわりとを心掛けている。

「◆◆宙◆◆ NO5」に関連記事

2004年12月10日(金)



 
 何より驚いたのは

月曜日になると休みたがっていた宙
その理由の一端が少し判明した。

それより何よりも
一番ビックリだったのは
私の気持ちの大きな揺れだった。

宙には過剰な期待はしていないし
学校に行かなくても構わない
唯々、生きていてくれれば良し
と、総てを受け容れていた筈なのに
現実に直面すると心が落ち着かなかった。

何故なのでしょう?
虚勢?
私の常識や正論が抵抗しているのかしら?

学校へ行かないという事がイメージ出来ず
また、変化に弱い母の性格もあるのでしょう
現状維持を続けて欲しかったのかもしれない。

宙が問題提起をするたびに私は悩み
そして、ステップアップする。

頭で考えている時は大らかでいられても
現実に直面すると心が騒いだりするなんて
私は、もう少し高尚な母かなと思っていたけれど
そうでも無かったのねぇ (_ _。)情けなぃ〜。
自己嫌悪。

それでも事あるごとに
真っ白な心に近づいて行っている。

今は一喜一憂の連続ではあるけれど
いずれ線引きをする日が来るでしょう。

宙にとっても母にとっても
乗り越えなければならない正念場であって
ある意味においては
一番、辛い時なのかもしれない。

幼い頃は
しょうがい児であっても
育てる苦労を感じた事は無く
ただただ可愛く楽しかったのに
社会という大きな枠組みと
決して理解しようともせず
歩み寄ろうとしてくれる事の無い人の心に
押し潰され疲れきってしまった様に感じる。

母の辛さは宙の不自由さと並べてみたら
小指の先程でも無いでしょう。

とは言え
仮病を認めるわけにはいかないので
その日は休ませても
真剣に対話だけはしている。

最近は
事と次第によってはマニュアルも何も無しで
殆どが体当たりで取り組んでいる。

尊重し過ぎて本末転倒になってしまっては
後からの是正に膨大な時間を費やさねば成らず
宙にとっても不利になりかねないので
理不尽な行動に関してだけは
気を抜かずにジックリ対応。

宙には
学校で嫌な事があり耐えられなかったら
先生に言っても問題は解決しないと思うから
何もいわず黙って帰宅してもいいからね
事後の処理は母が総て引き受けるからね
と、ひと言添えて送り出している。

今日も元気に登校して行った。
・・・(; ;) ウルウル

2004年12月06日(月)



 
 最後のカットモデル?

4月にカットして頂いて
8ヶ月が過ぎていた。

郷里に戻られたのかな?とか
移動されたのかしら?
と、考えていたところにメールが入った。
( ¨ )ンッ?シンクロニシティー?

お店を変わる事になりましたが
また、お目にかかりたい・・・と。

言葉にならない喜びが溢れて
本当に心から嬉しかった。

少し遠くなるけれど
陣中見舞いに行ってみようと思っている。

親子ほどの年齢差があるので
お友達とまではいかないでしょうが
人として交流して行かれれば
素敵だなって思ってしまった。

本質的には人が好き
ただ、その難しさと煩雑さに
続けたいのに逃げ腰になってしまい
新しい出会いに関しては
本当に苦手意識が強い
もう少し努力をしないとねっ。(^^;

2004年12月02日(木)



 
 新たな発見

Oさんが
リンゴを届けてくれた時に
ゆっくり話がしたいと言ってくれたので
「みなとみらい」へ行って来た。

11時に待ち合わせをして23時まで
今までとは全く違った高角度の論理戦に
話は延々と尽きる事もなく
見解の相違や共感部分を大切にしながらも
本音を語り合った。

人の目に映る
私自身の意外が一面を発見したり
人はかくも自分の正論という
狭い狭い鉢の中で生きているか
と、いう現実もハッキリと確認できた。

帰りがけ
今日は忌憚の無い論争が出来たねっ。

今までだったら嫌われたくないがために
体罰論争は避けて通り
薄羽陽炎の様な頼りなげ言葉に終始して
1歩たりとも踏み込んだりはしなかったよね。

そして、表面的には仲良しの顔をして
当たり障りのないお付き合いを続け
それは心地は良いのでしょうが
錯覚したまま実りのない時間を費やして
消化不良感を抱えたままいたでしょう。

お互いに
そんな関係が歯痒くなり始めていた所だった。

本音を語れる気持ち良さの真髄は
「これだ」って感じられた事が嬉しかった。

だからと言って
お互いに節度を崩す気は無いので
本当に大切な事だけは
絶対に伝えて行こうと
心の中で思った。

=====================

「しょうがい」周辺に関する話は
どうしても表面的になりがちで
本質に触れる事にはタブー意識が強く
逃避感が漂っている。

私は、いつも真実を直視したい人なので
前進の無い飽和状態の中にはいられない。

どんなに辛くても苦しくても
生を継続させて行くのならば
現実からは目を逸らさずに
総てを糧にして生きて行きたい。

今から・・・此処から・・・
頑張るぞっ・・・(^^*

2004年12月01日(水)



 
 言って良かった

体罰論争を交わしたOさんが
リンゴを持って訪ねて来てくれた。
ちょっとε= (*^o^*) ほっ!

また、ゆっくり話したいと言ってくれた。

わだかまりは残らないと信じていたけれど
言い過ぎてしまったかしら?と
また、いつものように気がかりだったりして
悪い癖が出てしまってもいた。

言って良かった。

自分の事は本当に見えていないもので
私自身も人から指摘されて
(;゜〇゜)ええ〜っ!と思う時もある。

見えていない部分は
永遠に気が付かないままに過ぎて行き
結果として何度も失敗を繰り返し
何故?という疑問を心の中に残したまま
苦しまなければならない。

その事を考えたら
指摘される事はありがたいし
指摘してもらえる自分が嬉しかったりする。

*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*

叩かれている様子を想像しただけで
頭を鷲づかみされて
砕かれてしまいそうな頭痛に襲われる。

宙が幼い頃に手を上げてしまった経験は
今でも深層心理にダークな影を落とし
後悔し続けているし忘れられない。

私としては
体罰は魂の根源を傷つけると思っているので
絶対にしないと決心している。

いろいろな考えがある世の中
↑は、あくまでも私見。

2004年11月30日(火)



 
 体罰

AS傾向のAちゃんのお母さんであり
友人のOさんと会った時の話の中で
今でもAちゃんを叩く事があると聞いて
ビックリしてしまった。
(Aちゃんは高2)

Oさんとは
そろそろ10年のお付き合いになるけれど
体罰とは無縁の人だと思っていたので
エエエェェーーーと(゚ロ゚;)
声をあげてしまったほどに意外だった。

会話の内容からは
何故その程度の事で叩くの?というもので
私には、どうしても理解してあげられず
また、Aちゃんのことが可哀相で
Oさんに、いろいろと言ってしまった。
(キツイ言い方は嫌なので
もの言いは柔らかくを心掛けて^^;)

親に子どもを叩く権利は無い
と、考えているし
対等でない相手に手をあげる事は狡い。

弱いと分かっているから叩けるので
自分より大きくて力のある子だったら
絶対に叩けないはずだと言ったら
私に痛いところを突かれたOさんは
叩いた事を肯定したくて
でも、でもね・・と言い訳をし
自分を正当化したがっていた。

Aちゃんには叱責だけで
充分に対処できる問題だったのに。

私は親に叩かれた事が全く無いので
その恐怖心が如何ほどのものなのか
想像する事が出来ない
とっても辛く苦しいものなのでしょう。

その様な体罰を肯定出来ない私が
Oさんと友人で有り続けたいがために
迎合する気にはなれなず
余計なお世話だと重々分かってはいても
言わずにはいられなかった。

話を合わせ楽しい一時を過ごし
何も言わない方が絶対に楽ではあるけれど
長い長い、お付き合いをして来たのだから
本音を言える関係に方向転換するには
良い機会でありチャンスだと思ったので
勇気を振り絞って言葉にした。

その事で私に対する気持ちが変化し
お付き合いが苦痛になるようだったら
切り捨てられても仕方の無い事でしょう。

相手を思っての箴言であっても
受けて側が気分を害したのなら
それは私の責任だと考えているので
いつでも引き下がる心の準備はできていた。

仲良しごっこをする関係には
もう終止符を打つべき年齢だと思うし
過去に於いて多くの場面で
時と場合を選び過ぎ
自分の考えを伝えずに来た事に対しての
自分自身の生き方が良かったとは
とても思えないでいるので
はっきり言える関係が増えて行くと
いいなぁ〜〜〜考えている。

誰に対してもハッキリ言うわけではなく
その人が好きだから大切だからであって
罵るわけでもなく
暴言をはくわけでもない。

文字にすると辛辣な印象があるけれど
語り口調は柔らかくして気は使っている。

意地悪で言っているのかどうか?
私がどういう人間なのか?
その事を分かってもらえなかないのなら
それは運命だと受け入れている。

でも、ちょっと不安感も無きにしも非ず
う〜ん、きっと大丈夫でしょう。(^-^)V 

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2004年11月29日(月)
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